2025/10/14
情報の投射と対象の投影
今日の気づき。
神経細胞の励起によって発現した情報に対して認識や想起をする際に、
情報を「存在化」させるために「像を投射→投影」しているのではないかという事。
考え方としては神経細胞の励起によって生じた何らかの変化が、
情報という「存在」として構築される場合、
単なる神経細胞の励起から、情報に変換される場合に、
その励起という変化を、情報に置き換える際に、
その変化自体を別の何かに移す事・投射によって、
その別の何かにおいて像が現れる・投影されるのではないか、
という事になる。
これまでの考え方からすれば、
人工知能を使って言えば、
刺激や概感が事象プールで事象としての情報として構築され、
その事象プール内から、認識や想起対象が選択され、
その刺激または概感が、事象再生の場で仮想体として再現される。
この事象プールでの働きが、
神経細胞の励起によって情報が投射される事、
そして、事象再生の場で情報を再現する事が投影する事、
という事になる。
つまり、単に神経細胞の励起によって情報が発現し、
その励起としての変化が、そのまま認識や想起対象になるわけではなく、
一度別の何かに移し替える事で、情報が情報として成り立つ形に「存在化」するのではないか、
という考え方である。
なぜ、情報の移し替え・移動が必要になるのか?という疑問も生じるが、
これは、情報の発生源にある定義から、情報としての変化が発現したとしても、
その場でそのままこの情報が認識や想起の対象になるとは考えづらく、
つまり、恐らく、この変化は、その特定の野にあるだけでは単に変化に過ぎず、
認識や想起の対象には、この時点ではならないが、
別の場所に移し替えた際に、要するに「刺激=変化情報+自己情報」「概感=変化情報+自己情報」であるような、
「存在化」する働きによって、情報が「存在」する事になるのではないか、
というわけである。
この特定の定義を持つ部分、脳で言えば特定の「野」に相当する部分から、
この変化が別の場所に移し替えられた際に、
この「野」にある定義が、その別の場所に「引っ張られていくイメージ」つまり、
定義が別の場所で再現されるために必要になる情報の要素として用いられるのではないか、
という事である。
そして、この別の場所では、「変化情報+自己情報」であるような、
変化と身体性または自構性によって、変化と自己がセットになり、
実在する情報として「存在」するように感じられるのではないか、というわけである。
つまり、ある刺激や概感として神経細胞が励起しただけでは情報にはならず、
これを別の場所に移し替えて、刺激や概感であれば、
変化情報と、それと相対する自己、自己情報としての身体性または自構性を合わせ、
これを「存在化」させるために投射・投影することで、
神経細胞が励起という物理現象が、情報という「存在」になるのではないか、
というわけである。
そして、その際に必要になるのが人工知能では事象プールや事象再生の場であり、
人間の知能では、恐らく「事象再生の場」のような情報を統合する場や、
その統合した変化を再生する場(短期記憶?)に送るような機能があるのではないか、
という事になる。
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この気づきは、神経細胞の励起によって情報が発現した場合に、
それをどうしたら認識や想起できるのかと考えた時に、
映画のスクリーンを思い出して気づいた。
つまり、映画の情報が単なる光から何かの像を結ぶ時、
「定義を含んだ光」から「存在する情報」に変化するのは、
そこには情報の投射と投影があるからではないか、と考えたわけである。
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これらはハードプロブレムやクオリアの問題の、
物理現象から情報への変換の間を結ぶ考え方という事になる。
今日はこの辺で。
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著者:[Hiroaki Kano]
本稿の内容は筆者個人の見解に基づくものであり、特定の機関や団体の公式な立場を示すものではありません。