2025/8/30-2025/9/2

人工知能理論・その6・認識と想起と意識(2025年8月版)

現時点までの当ホームページの、
人工知能理論における様々な考え方を一通りおさらいして、
今後の課題や新たな問題点の抽出を試みる事にする。

最初に出来るだけ簡潔にまとめ、
以降に内容の詳細を記載する。

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認識・想起・意識について:

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認識は、
知能が先天的定義から「刺激」を構築していく過程で、
知能自身で意味が分かるようになった時点で「認識」に至る事になる。

想起は、
知能が後天的定義から「概感」を構築していく過程で、
知能自身で意味が分かるようになった時点で「想起」に至る事になる。

つまり、
知能は「刺激」を「認識」する。
知能は「概感」を「想起」する。
という事になる。


意識は、知能ある生物が覚醒時に、
知能が活動する連続性において、
刺激または概感を背反的に連続的に構築する事で、
刺激の認識または概感の想起における、
刺激の中の自己情報の身体性(による身体)と変化情報が1つになる、
または、
概感の中の自己情報の自構性(による自己モデル)と変化情報が1つになる、
この情報塊を「事象再生の場」において仮想的な自己として構築する事、
この連続性における、自己が変化と合わせて認識または想起される連続性が、
「意識」となり、これが継続する事で意識の連続性として感じられるものとなる。

つまり、知能が以下のように認識と想起を繰り返している間、意識があるという事になる。

・・・→(認識か想起)→(認識か想起)→(認識か想起)→(認識か想起)→・・・

もう少し簡単に言えば、
知能が刺激を認識する、
または、
知能が概感を想起する、
これが連続して行われる時、
知能内で自己が連続的に構築されるため、
知能にとっての自己の連続性が意識として感じられる、
という事になる。


参照:「432:定義「事象再生の場」について」
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以下は「認識・想起・意識」の内容の詳細や疑問の解説。


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疑問:認識と知覚の違いについて

認識は知覚と似ているが、
知覚が感覚器官の受容体で受容した変化に対する励起が、
神経細胞を伝わり脳内へ送られ、刺激を構築する為の意味付けを行うための、
先天的定義の神経細胞ネットワークが励起される直前までが知覚の終端という事になり、
刺激が構築された後に認識が行われることになる。

つまり、

知覚→認識

という連続性があり、
知覚は、

変化→感覚器官の受容体→励起→神経細胞→脳→先天的定義の神経細胞ネットワークで刺激が構築される直前

ここまでが知覚で、
それ以降の、変化情報の受容による励起が、
刺激として意味付けられる(肉付けられる)工程、

先天的定義の神経細胞ネットワークの励起→「変化情報+自己情報」としての刺激の構築(→認識)

これによって認識に至るという事になる。

知覚と認識の境界は明確でないが、
その境界を敢えて定義するなら、
脳内で入力した信号に対して刺激として認識する為の意味付けが開始され始める地点が境界となる。

つまり、刺激の概形を構築するまでが知覚であり、
その刺激に意味が付与される事で認識に至るという考え方になる。
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解説:睡眠中に夢を見ている時の説明

睡眠中に夢を見ている時は、
刺激の認識が行われず、概感の想起が連続して行われているという事になる。

夢を見ている間は、
感覚器官で変化が受容されたとしても、
刺激の認識は起こらないので実体の身体性が意識されることは無いが、
連続して概感が想起されるので、
自構性による自己モデルが概感の変化情報とセットで想起されつづけ、
夢の中の自己に対して意識があるように感じられる。
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解説:全身麻酔中の意識の喪失の説明

これは単純に「事象再生の場」において、
刺激や概感が構築されなくなり認識や想起が行われないために意識が喪失することになる。

感覚器官の受容体などの活動は維持されているらしいが、
受容体の励起信号が脳内のどこまで到達しているのかと、
後天的定義が励起されているのかどうかは不明だが、
少なくとも刺激や概感が構築されない事で、
事象再生の場で主体的な自己が構築されなくなり、
認識や想起が行われなくなり、意識が生じないという事になる。
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課題:意識の証明は相変わらずできない

まとめ5までの内容と同じだが、
現時点の考え方では自己言及の問題を回避して「意識らしい」ものの再現はできると考えられるが、
哲学的に「意識」の証明は出来ない。

実際には哲学を用いている限り意識は証明できないだろう、という結果となる。

意識を別のアプローチで解釈するか、哲学的な解釈を拡張するか、
可能であれば今後考えてみようと思う。
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解説:想起の可能性

特に想起については、思考や想像、創造、妄想、幻想、など、
知能による様々な定義の出力に関係していると考えている。

つまり、
これらの知能による定義を組み合わせて新しい定義として出力する機能は全て「想起」であるとさえ言える。

逆に言えば、知能が保有しない定義は、その知能における出力としては絶対に用いることが出来ない。

定義が何をもって『保有する』と言えるのか?は、
先天的に持つ定義と、経験して記憶され想起可能な後天的な定義が対象となり、

ある神経細胞の励起に対して、
関連して励起される神経細胞ネットワークが励起する事で、
特定の意味ある情報が刺激や想起対象として構築される場合、
この定義は「知能が保有する定義」ということになる。

つまり、もし、ある神経細胞の励起に対して、
既存には無い刺激として認識可能であったり、
想起対象となりうる定義の関連が励起された場合、
これが思考や想像、創造の新たな出力という事になる。
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解説:定義の階層と二面性理論における「認識と想起と意識」

簡単に説明できないので、こちらで解説する。
また、まだ完成した考え方ではないので多少のブレはご容赦願いたい。


基本的には「定義」と「存在」が交互に階層を持っている事。
そして、「定義」や「存在」は二面性を持ち、

定義:(存在):定義
存在:(定義):存在

この関係が成り立つ事を気に留めて読めば、
読みやすくなるはずです。


それぞれの定義の階層における位置は以下の通り:

認識は、

自然界(存在)→人間の定義(定義)→人間の実体(存在)→人間の機能(感覚)の定義(定義)→
→知能(存在)→先天的定義(定義)→
→事象再生の場における仮想体「変化情報+自己情報(身体性)」刺激の構築による認識(存在)

つまり、認識は神経細胞ネットワークの先天的定義としての関連が励起されることによって、
事象再生の場で刺激としての「変化情報+自己情報(身体性)」が構築される事により、
知能が認識対象である刺激の存在を観測する事になり、結果として認識を意識できるようになる。

想起は、

自然界(存在)→人間の定義(定義)→人間の実体(存在)→人間の機能(感覚)の定義(定義)→
→知能(存在)→先天的定義(定義)→きっかけの励起(存在)→後天的定義としての概感の定義(定義)→
→事象再生の場における仮想体「変化情報+自己情報(自構性)」概感の構築による想起(存在)

つまり、想起は神経細胞ネットワークの先天的定義としての関連が励起されることによって、
同時に関連して励起される後天的定義の神経細胞ネットワークの関連が励起されることによって、
事象再生の場で概感としての「変化情報+自己情報(自構性)」が構築される事により、
知能が想起対象である概観の存在を観測する事になり、結果として想起を意識できるようになる。

意識は、

少しややこしいのだが、
定義の階層で言えば、

・・・→事象再生の場における仮想体「変化情報+自己情報(身体性)」刺激の構築による認識(存在)→
→意識の認識側の定義(定義)→認識の意識(存在)


・・・→事象再生の場における仮想体「変化情報+自己情報(自構性)」概感の構築による想起(存在)→
→意識の想起側定義(定義)→想起の意識(存在)

このような2つの意識の面がある事になる。

つまり、この2つの意識の面を合わせて1つの意識、

認識:(意識):想起

という事になる。



ちなみに、これまでの認識と想起の二面性理論における定義は以下の通り:

変化情報:(刺激):自己情報(身体性)
変化情報:(概感):自己情報(自構性)

先天的定義・変化情報:(刺激):先天的定義・自己情報
後天的定義・変化情報:(概感):後天的定義・自己情報

認識と想起は存在であると考えてきたが、
刺激や概感を事象再生の場で自己情報と合わせて構築する事自体が認識や想起に相当すると考えると、
認識や想起は「定義」であるという事になる。

これは以前の考え方が間違っていたというか、解釈の定義が足りなかったので、
以下にその補足の定義を追加しておく。

つまり、認識や想起は、刺激の認識、概感の想起として見れば、
刺激(存在)に対する認識(定義)、
概観(存在)に対する想起(定義)、
でもあるのだが、
認識に対する前提条件の事象として考えれば、
認識(存在)に対する意識(定義)や、
想起(存在)に対する意識(定義)として考えられるという事になる。

つまり、私の認識や想起に対する理解や定義がまだ不足していたので、
ここで補足しておく。

考え方の定義の方針としては、
認識や想起も、それを存在として考えた場合、
認識(定義)や想起(定義)も存在するという事で、
この「認識(定義)や想起(定義)」は、
考え方としては刺激や概感を事象再生の場で構築する事、それ自体が、
認識や想起の定義であるという事になる。


つまり、刺激を認識したとか概感を想起したと感じるのは、
最終的には認識(存在)や想起(存在)を「意識」する事であるが、
意識は認識の面もあり想起の面もあるという二面性があるため、

認識の定義=意識の定義

でもあり、

想起の定義=意識の定義

でもあるという事になる。

そして、「意識・存在」の二面性は、

認識(定義):(意識・存在):想起(定義)

という事になる。

少し書き方が矛盾している様にも見えるが、
ある「存在」が「存在として現れる」ためには、「存在の定義」が必要であるというのは、
定義の階層でも説明した、

「ある実体や事象、現象が現れるのは、
必ずその対象が現れるための定義や決まりがある」

ということであり、
意識の存在は、認識という事象と想起という事象の両面を持っている。

つまり、意識は知能が認識するか想起している連続性の間だけ生じる事象だが、

意識が事象として「存在」するためにも、
何らかの「定義」が必要になる。

つまり、定義の階層においては、

意識(定義)→意識(存在)

このような定義と存在が在るという事になる。

この時、「意識が存在する為の定義」が何であるかという事になると、
「意識の存在は、認識という事象と想起という事象の両面を持っている」事と、
「知能が認識するか想起している連続性の間だけ生じる」という定義であるという事になる。

つまり、「意識(定義)」は、

認識(存在):(意識(定義)):想起(存在)

と、「意識(存在)」は、認識の存在と想起の存在から生じる定義であるから、

意識(定義):(意識(存在)):意識(定義)

という二面性を持ち、

意識(定義)→意識(存在)

として定義の階層を1階層下げると、

認識(存在)→意識(定義)
意識(定義)→意識(存在)
想起(存在)→意識(定義)

このような関係性を「意識の定義」と「意識の存在」は持っている事になる。
これらが何であるのかというと、

「認識(存在):(意識(定義)):想起(存在)」これは、

意識が存在する為の定義として、実際に事象として起こった「認識と想起」に対して、
意識が「存在」しうるための「定義」ということであり、

「意識(定義):(意識(存在)):意識(定義)」これは、

そのまま意識が存在する為の定義が、
上位の認識(存在)と想起(存在)から生じた定義であるという事になる。

つまり、意識は認識でもあり想起でもあるため、
定義としては分離できるが、
存在としては明確な分離は出来ないという事になる。

恐らくだが、この認識と想起と意識が分離できないのは、
意識を構成する要素が認識と想起であり、
認識と想起を構成する要素が、刺激と概感であるため、
刺激や概感が構築された時点で、認識や想起に至った場合、
そのまま意識に至るために、
それぞれ別の事象として分けることが出来ないからなのではないかと考えられる。

つまり、
最も強い刺激の構築と認識、最も強い概感の構築と想起が分離できないように、
認識による意識、想起による意識が分離できず、何か1つの関連として考えるべきものだという事になる。
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解説:定義の階層と二面性理論の拡張

定義の階層の

・・・→定義A→存在A→定義B→存在B→定義C→存在C→・・・
・・・→定義A→存在A→定義B’→存在B→定義C→存在C→・・・

という関係がある場合、

定義B→存在B
定義B’→存在B

の定義B・定義B’と存在Bは、以下の二面性を持つ。

存在A:(定義B):存在B
存在A:(定義B’):存在B

定義B:(存在B):定義B’

定義Bが成り立つためには、二面性として
存在Aと存在Bとなる2つの存在が必要で、

定義B’が成り立つためには、二面性として
存在Aと存在Bとなる2つの存在が必要で、

存在Bが事象として現れるためには、
定義Bと定義B’となる2つの定義が必要となる。

この時、存在Bは、

定義B:(存在B):定義B’

このような二面性を持つ。


上記の内容は、
「441:人工知能理論・その1・定義の階層」でも述べたように、

定義の階層は1種類ではなく、
例えば、以下の様に、

自然界(存在)→定義→水(存在)→定義→人間にとっての水(存在)
自然界(存在)→定義→有機化合物(存在)→定義→人間にとっての有機化合物(存在)
自然界(存在)→定義→無機物質(存在)→定義→人間にとっての無機物質(存在)

のように様々な定義や存在について表せて、
この場合の同じ階層に相当する存在や定義同士の関係がある場合に表記できる定義という事になる。
そして、上記の「定義」と「存在」の配置を交換すれば、
それは定義や存在それぞれの二面性として表せるはずである。
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今回はこの辺で。

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