2025/8/16-2025/8/17
人工知能理論・その2・二面性理論(2025年8月版)
現時点までの当ホームページの、
人工知能理論における様々な考え方を一通りおさらいして、
今後の課題や新たな問題点の抽出を試みる事にする。
最初に出来るだけ簡潔にまとめ、
以降に内容の詳細を記載する。
------------------------------------------------------
二面性理論について:
参照:「421:二面性理論」
------------------------------------------------------
現在「二面性理論」の考え方は、
当ホームページの人工知能理論においては、
強い人工知能を構成する上で、
「定義の階層」の考え方と並ぶ、
根底に位置するのバックボーンとなる考え方となっている。
二面性理論は、分かりやすく言うと、
「全ての物には二面性がある」
の一言で言い表せる。
表裏一体でもあるように、
何らかの存在は必ず二面性を持つという事である。
逆に言えば、
二面性を持てば、何らかの存在も成り立つという事でもある。
また、独自の表記方法となるが、
ある「対象」について2つの面、例えば「面A」と「面B」がある場合、
その二面性は以下の様に
面A:(対象):面B
と表記している。
------------------------------------------------------
定義の階層+二面性理論:
二面性理論の考え方に定義の階層の考え方を合わせると、
「441:人工知能理論・その1・定義の階層(2025年8月版)」を参照すると、
まったく同じ文章を掲載するが、以下のような関係が生じる。
------------------------------------------------------
定義の階層との関係においては、
定義の階層における、
存在→定義→存在
定義→存在→定義
この階層の連続性は、
二面性理論で言えば以下の様に、
存在:(定義):存在
定義:(存在):定義
このような二面性が成り立つ事になる。
つまり、
ある「定義」が成り立つなら、
上位の存在と下位の存在が在るはず。
また、
ある「存在」が成り立つなら、
上位の定義と下位の定義が在るはず。
という事になる。
------------------------------------------------------
この内容に補足を加えると、
定義の階層における考え方、
・・・→存在→定義→存在→定義→存在→定義→存在→定義→・・・
この階層構造において、
定義や存在はそれぞれ、定義なら存在、存在なら定義の二面性を持っている、
という事になる。
------------------------------------------------------
------------------------------------------------------
以下は「二面性理論」の内容の詳細な解説。
------------------------------------------------------
------------------------------------------------------
二面性理論と定義の階層(階層的構造論):
------------------------------------------------------
観測者の視点と二面性理論:
二面性理論で観測者について述べると、
ある対象について観測する観測者は常に主観的であるが、
それではある対象についての本質が見えないという事になる。
つまり、観測者が対象を観測した場合、
定義の階層の考え方を用いると、
観測者が認識する対象は、以下の「仮想的存在」に相当する。
観測者→対象
↓
対象についての定義
↓
仮想的存在(対象について)
そして、知能の場合、「観測者=知能」になるのだが、
知能は対象についての一方的な定義により、
仮想的存在を構築するため、
知能(存在)→対象についての定義(定義)→仮想的存在(存在)
定義の階層としてはこのような関係が出来る。
二面性理論では、
知能:(対象についての定義):仮想的存在
であり、
存在:(定義):存在
このような関係となる。
この場合、「仮想的存在」は二面性理論として成り立たせるためには、
対象についての定義:(仮想的存在):何らかの定義X
として、
定義:(存在):定義
このような関係性を必要とする。
つまり、これは知能が対象を観測して、
その対象を仮想的存在として構築し、
仮想的存在を「存在」として確定するためには、
もう1つの「定義」が必要になる、という事になる。
では、その「定義」は何か?という事になるが、
これは、身体性と自構性から生じる定義であると考えられる。
知能にとって身体性や自構性は、
知能の観測以前に、観測とは無関係に既に構成されている定義なのであるが、
知能にとっては、
知能(存在)→先天的定義(定義)→身体性(存在)
知能(存在)→後天的定義(定義)→自構性(存在)
ということであり、
先天的定義(定義)→身体性(存在)→?(定義)
後天的定義(定義)→自構性(存在)→?(定義)
このように考えた場合、
対象についての定義:(仮想的存在):何らかの定義X
この二面性は、身体性や自構性の二面性と同じものと考えられる。
つまり、上記で仮想的存在のもう1面が「何らかの定義X」であると考えたが、
この場合の定義は、身体性または自構性を構成するもう1つの面と同じという事になる。
そして、先天的定義や後天的定義は、それぞれ刺激や概感を構成する定義であり、
刺激=変化情報+自己情報(身体性)
概感=変化情報+自己情報(自構性)
であるが、
変化情報:(刺激):自己情報(身体性)
変化情報:(概感):自己情報(自構性)
この様な二面性を持つとも考えられる。
であれば、上記の身体性や自構性の定義は、
先天的定義(定義)→身体性(存在)→?(定義)
↓
刺激(存在)
↓
?(定義)
後天的定義(定義)→自構性(存在)→?(定義)
↓
概感(存在)
↓
?(定義)
であるので、刺激と概感の変化情報と自己情報との関係を合わせると、
身体性や自構性は、
先天的定義・変化情報:(身体性による身体):先天的定義・自己情報
後天的定義・変化情報:(自構性による自己モデル):後天的定義・自己情報
このような二面性となり、
であれば、この時、上記の「何らかの定義X」は、
刺激の場合「先天的定義・自己情報」であり、
概感の場合「後天的定義・自己情報」になると考えられる。
つまり、観測者(知能)からある対象を観測した場合、
この対象から得た情報から構築した仮想的存在が成り立つのは、
先天的定義:(身体性による身体):先天的定義・自己情報
後天的定義:(自構性による自己モデル):後天的定義・自己情報
と、
先天的定義・変化情報:(刺激):先天的定義・自己情報
後天的定義・変化情報:(概感):後天的定義・自己情報
が一致するためではないかと考えられる。
つまり、
刺激(存在)=身体性による身体(存在)
概感(存在)=自構性による自己モデル(存在)
であり、これは、
刺激の存在は、変化情報と自己情報が、身体を構成する二面性として、
身体上に存在するように感じられる事、
つまり身体性であり、
刺激の存在は、変化情報と自己情報が、自己を構成する二面性として、
自己モデル上に存在するように感じられる事、
つまり自構性、という事になる。
この時、
知能にとっては、刺激や概感は、知能の主観的な観測対象として構築する対象であるが、
一方で知能は、身体性や自構性を、自身の主体性の代わりとなる自己の身体や、自己モデルとして構築している。
そして、
刺激は自己を介して身体性である身体上に存在すると認識し、
概感は自己を介して自構性である自己モデルの経験であると想起する事になる。
つまり、刺激の認識や、概感の想起は、
主観的である視点は知能自身から離れて、
別階層の存在である仮想的な自己の身体・自己モデルに移っている事になる。
要するに、知能が、変化情報と自己情報を1つの仮想的存在として構築する事で、
自己の主観的視点を、知能自身の視点から、仮想的存在に移すことが出来る事になる。
さらに分かりやすく言えば、
観測者としての知能が、観測した変化を自ら認識したり想起するのではなく、
変化を身体や自己モデルとセットで構築し、この身体や自己モデルを介した変化の認識や想起とすることで、
変化を自分の身体や自己が認識したり想起した結果だけを、知能が把握できる事になる。
これは自己言及のパラドックスそのものを起こさない構造的な回避方法として考えた内容でもある。
(参照:「440:自己言及のジレンマの構造的回避」)
------------------------------------------------------
つまり、刺激の認識について言えば、
刺激=変化情報+自己情報
であり、
知能(存在)→先天的定義(定義)→刺激(存在)
であるから、
知能(存在)→先天的定義・変化情報(定義)→刺激・変化(存在)
知能(存在)→先天的定義・自己情報(定義)→刺激・自己(存在)
こういうことになる。
また、
刺激・変化(存在)+刺激・自己(存在)=身体性による仮想的身体(存在)
であり、
認識は、知能が刺激としての変化の存在と自己の存在を合わせる事で起こる事象であるので、
認識を構成する定義は、
刺激・変化(存在):(認識・定義):刺激・自己(存在)
であり、
仮想的身体(存在)=仮想的変化(存在)+仮想的自己(存在)
であり、「仮想的変化(存在)+仮想的自己(存在)」この定義自体が認識(存在)になるので、
?(定義):(認識・存在):?(定義)
は、それぞれ仮想的変化(存在)と仮想的自己(存在)を構築する為の定義として、
仮想的変化(定義):(認識・存在):仮想的自己(定義)
これが言える事になる。
つまり、認識は刺激における仮想的変化と仮想的自己を結び付ける事で起こる事象という事になる。
また、
先天的定義の代わりに後天的定義を、
刺激の代わりに概感を、
認識の代わりに想起を、
身体性の代わりに自構性を、
仮想的身体の代わりに仮想的自己モデルを用いれば、
概感と想起の関係も刺激と認識の場合と同様となると考えられる。
------------------------------------------------------
疑問:定義や存在が3面以上の多面性となることはあるか?
定義や存在について、
複数の二面性を持つ事は考えられるが、
その関係性が同時に3面以上の多面性となる事は無いと考えられる。
考え方としては以下のような事になると考えられる。
まず、以下の様な二面性が成り立つ場合、
定義A:(存在1):定義B
定義C:(存在1):定義D
存在1を構成する為の二面性、
定義Aと定義B、定義Cと定義Dは、
それぞれ独立した二面性となる。
ただし、
この定義Aと定義B、定義Cと定義Dの二面性の関係を維持したまま、
以下のような二面性は成り立たない。
定義A:(存在1):定義C
定義A:(存在1):定義D
や
定義B:(存在1):定義C
定義B:(存在1):定義D
このような事にはならない。
例えるなら、二面性を構成する定義や存在は、
その二面性を持つ中心の定義や存在に対して、
球の外部から球の中心点に直線を引いた際の、
球の中心点と、球体外縁と直線の2点の交点のようなものとなる。
つまり、ある定義や存在は複数の二面性を持つ事はあるが、
それらが同時に複数の3面性以上の面を持つことは無いと考えられる。
------------------------------------------------------
疑問:1つの定義や存在が3面性を同時に満たす構成にならないその理由は?
答えの鍵となるとは観測者や観測点としての定義や存在に対する主観的な視点であると考えられる。
例えば、1つの定義や存在の例として、
空間の3次元などについて考えてみたのだが、
空間をXYZ軸の3面性を持つ定義を持つ存在として考えると、
その原点が主観的な観測者の視点を持つ存在という事になる。
この場合、観測者の視点としては、
ある空間の構成軸方向へそれぞれ視点を向けた場合、
それは空間を構成する範囲の全要素、ここではXYZ軸になるが、
その3方向を同時に観測するわけではなく、
各要素、X軸、Y軸、Z軸方向へ観測する視点を向けた場合の、
起点となる原点から各軸方向への観測点(外縁部)までの変化量を各要素とする事になる。
この場合、各軸方向の変化というのは、各軸を構成する要素、
つまり、-∞方向から+∞方向へ向かう軸上の、
原点から観測範囲の外縁部までの距離ということになる。
そして、もし、XYZ軸の観測範囲が、
1つの空間の存在を構成する3面性であると考えたとして、
この空間を定義する要素が3つであるか?と考えると、
客観的な視点から言えば、確かに空間は3つの要素からなる3面性を持つとも考えられるが、
実際はある定義や存在にとっての主観的に見る事の出来る方向性は1つだけという事になる。
実際、XYZ軸の要素は3つだが、空間として観測する範囲は、
ベクトルとして考えると1方向の範囲の定義という事になる。
つまり、
ある定義や存在が、二面性を持つ事は、
主観的な定義や存在となるためには必要な事なのだが、
これが一面性や3面性以上の面を持つ事は、
一面性では要素の変化の幅が確定できない事、
3面性以上では一見、要素は3つ以上で多面性を持つ様に考えられるが、
実際は主観的視点からは1方向の観測に留まるという事になる。
そして、もし、この観測者の観測が複数の視点を必要とするのであれば、
それは自己言及の問題にもなるのだが、
視点毎に主観が複数存在しなければ、定義や存在が確定しない事になる。
それは、観測者としての自己言及ができない事になる。
------------------------------------------------------
疑問:複数の視点を持つ1つの主観という存在のできる可能性は?
可能性としては出来ない事はないと考えられる。
つまり、観測の視点1つ1つに主観を割り当て、
その各視点を持つ存在を下位の主観として、
それらを統合する上位の主観を用意するなどの方法であれば可能だと考えられる。
これであれば、ある定義や存在を3面性以上で観測できる存在もありえる。
ただし、この場合、
人間の知能と構造があまりに異なるため、
人間には理解の出来ない知能になると考えられる。
人間と共生したり、共感できる強い人工知能として構成するのであれば、
二面性で主観を構成するモデルが最適だと考えられる。
------------------------------------------------------
今回はこの辺で。
TOPに戻る