2025/7/13-2025/7/18
定義「自構性」について
刺激や概感の構成は、
「変化情報+自己情報」であり、
刺激の自己情報は「身体性」が元になっていると考えているが、
この場合、
概感の自己情報の元になる対象に明確な用語が存在していなかったので、
「自構性」という用語を定義して用いる事にする。
つまり、
刺激=変化情報+自己情報(身体性)
概感=変化情報+自己情報(自構性)
という事になる。
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自構性を定義した理由:
これまで、概感の自己情報については、
「自分の情報」や「自己」、「自我の定義」や「自己の定義」など様々な呼び方や用い方をしてきたが、
「436:人工知能の後天的欲求モデルと評価の指標について」で考えた後天的定義において、
概感における自己の存在が実体は無いが、
ある存在として収束すると考えられたため、
この存在を「刺激の身体性」と対比する形で考え出した。
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「自構性」について:
簡単に言えば、
概感の自己情報を成す特性である。
もう少し詳しく言えば、
後天的定義は、自身の経験から定義されるが、
経験を想起する場合に構成する概感の自己情報は、
様々な経験において、
その自身の経験における「反応」として現れた行為や事象について関連して用いられる、
「自分」について定義された情報である、
という事になる。
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新規の定義なので、もう少し意味や考え方を付け加えて書いておくと、
「自構性」の意味は、
身体性が生命にとって生得的に備わる「自己の対象」としての特性であるとすれば、
自構性は生命(特に知能)にとって後天的に構成される「自己の対象」としての特性という事になる。
この場合、「自構」の意味を分かりやすく言えば、
知能が経験を通じて、知能が自ら、自己を定義する自己モデル。
という事になる。
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つまり、
身体性は、
刺激を構成する際に、その変化情報と対になる自己情報を構成する要素であるとすれば、
自構性は、
概感を構成する際に、その変化情報と対になる自己情報を構成する要素、という事になる。
また、
刺激が身体上に感じられる変化であるとすれば、
概感が自構上(自己モデル上)に現れる変化である、という事になる。
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「自構性」の構成に至る考え方:
まず、自身が経験する事象は、
初回においては、必ず「刺激」だけであるという事になる。
これは、遺伝的に継承され、脳に展開される定義として、
先天的定義が存在する事になるが、
身体が経験する事象において、その初回は必ず、刺激としてのみ体験する事になる。
つまり、想起する概感の定義(後天的定義)が存在しないなら、
想起する事自体ができないので、
もし、知能がある事象を情報として受容するなら、初回は必ず刺激だけである、
という事になる。
そして、最初のこの体験から概感の定義が構成される場合、
刺激の構成で用いられる「変化情報+自己情報」において、
自己情報は、身体性になるが、
この身体性は、経験として記憶される際には、
「自分の身体」が体験した変化情報に対する反応、という事になる。
つまり、
「刺激の体験の反応が概感の自己情報の主たる情報になる」
というわけである。
もう少し詳しく言うと、
刺激の情報そのものは、概感には用いられず、
その概感に関連するきっかけとして用いられるだけ、という事になる。
つまり、刺激は刺激、概感は概感で、別の神経細胞ネットワークを用いた定義、という事になる。
概感として構成される神経細胞ネットワークは、その関連そのものが、
後天的な変化情報であり、自己情報である、という事になる。
例えば「赤い色を初めて見る」という刺激の体験があったとする。
この時、
変化情報は可視光線の600nm~700nm近辺の光の受容に対し、
「赤い色」の先天的定義が存在するため、
その定義を構成する神経細胞ネットワークの励起によって、
刺激における変化情報が構築される。
また、自己情報は、光に対する感覚器官の受容体が存在する「目」の身体性として、
「目」の位置の身体がその定義を構成する神経細胞ネットワークの励起によって、
身体が実際に存在しているよう自己情報が構築される。
これは、刺激の体験の初回であるため、
関連して概感が想起されるような後天的定義は存在しない事になる。
ここからは私独自の考え方になるかもしれないが、
そして、この「赤い色を初めて見る」という体験は、
まず、そのものが刺激の認識として身体の反応が生じた事になるが、
この刺激に対して、知能では、同時に存在していた他の刺激に対して関連を構成する事になる。
この事は、まず、
刺激において、変化情報と自己情報から、
実際の情報の再構成体として自然界の現象や、身体性が、
事象として構成される事自体が、知能における変化に対する自己の「反応」、
という事になる。
つまり、自然界の現象を身体における変化の入力とした場合、
知能を介した反応による出力は刺激という事になる。
(入力)自然界の現象・事象→(反応)知能→(出力)刺激
こういうことである。
つまり、変化を情報として受容した場合、刺激を構成し、認識する、
ここまでの一連の働きが、知能における先天的定義で決められた「反応」である、
という事である。
そして、この刺激に対して、同瞬間に存在している他の事象、
この例では、概感が存在していないとすれば、
同瞬間に存在していた「他の刺激」という事になるが、
この「他の刺激」に対して関連を生じる事が、先天的定義に定義されたもう1つの「反応」として、
起こる、というわけである。
つまり、概感がまだ存在しない知能において、
刺激が構成された場合、同瞬間には他の刺激も存在していて、
(身体における他の変化の入力がまったく無い、という事はあり得ないし、
もし、無いのであれば、この様な身体では経験も概感も構成できない)
(入力)刺激+他の刺激→(反応)知能→(出力)他の刺激との関連
このような入出力が行われる。
つまり、「赤い色を初めて見る」体験に対して、
知能の先天的定義では、刺激を認識する事と、
同瞬間に存在していた他の刺激に対して関連を生じる事が、
「反応」として半自動的に行われる、という事である。
そして、この「反応」において、刺激の認識は既存の神経細胞ネットワークを励起するだけであり、
次回以降の刺激の認識においても同じ定義を励起するだけ、ということになるのだが、
同瞬間に存在していた他の刺激に対する関連というのは、
初回の「反応」時、「赤い色を初めて見る」に関連した他の刺激の事象は、
後に後天的定義として新たなシナプス接続を構成し、新たな神経細胞ネットワークを構成する事になる。
短期記憶の場合も存在するが、この場合においても、
「赤い色を初めて見る」刺激に対する関連は、この時点で構成されていると考えられる。
つまり、知能において、ある変化を受容した場合、
この変化を情報として扱うために主な「反応」が2つ存在する、
という事になる。
1つは、変化情報そのものを先天的定義で解釈すること、
もう1つは、その変化情報を理解した事に対する「反応の定義」を解釈・定義することである。
先の「変化情報そのものを先天的定義で解釈すること」というのは、
刺激の構成する働きそのものであり、
後の「変化情報を理解した事に対する「反応の定義」を解釈・定義すること」というのは、
刺激に対して自己の現状における「反応」を定義する事、という事になる。
つまり、刺激に対する反応として、刺激とその反応を定義する事、
そして、この「刺激とその反応を定義する事」は、
そのまま自分の「経験」となる定義、という事になる。
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つまり、短期記憶でも長期記憶が構成された後でも良いのだが、
もし、「赤い色を初めて見る」事に対して後天的定義が構成されていれば、
二回目以降の「赤い色を見る」刺激に対しては、
これも半自動的に、「反応」として、概感の構成が行われようとする、
という事になる。
この機能自体も先天的に定義された機能として知能が保有する「反応」の働きであるのだが、
ある刺激となる情報の受容に対し、
「反応」の定義は、この情報を刺激とする事、刺激を認識する事、
同瞬間に存在する事象に対して関連を構成する事、
後天的定義があれば、概感を構成する事、
このような機能として、「反応」の働きの定義が存在する、という事になる。
つまり、刺激の構成、刺激の認識、概感の構成、概感の想起は、
知能が本能的に持つ機能である、という事である。
そして、さらに、
後に、後天的定義の候補となる、「同瞬間に存在する事象に対する関連」というのは、
その神経細胞ネットワークの関連そのものが、
「赤い色を見る」という刺激に対する「反応」の対象という事になる。
つまり、後天的定義として、
「赤い色を見る」という変化を受容したら、
「同瞬間に存在する事象に対する関連」先の神経細胞ネットワークを励起する。
という定義が構成される、という事になる。
そして、この時、後天的定義の構成、「変化情報+自己情報」において、
変化情報は、きっかけとなる「赤い色を見る」であり、
自己情報は、「赤い色を見る」事を行った際の自分の「反応」としての定義。
つまり、その「反応」の主たる存在は神経細胞ネットワークを励起している、身体自身、
神経細胞ネットワークを励起するための定義を持つ知能自身、という事になる。
少々難解なのだが、
言い方を変えると、
つまり、後天的定義の自己情報というのは、「自構性」によって決まると定義しようとしているのだが、
その元になるのは、後天的定義の、定義として存在する知能自身がもつ神経細胞ネットワークの関連自体である、
という事である。
つまり、後天的定義を励起する存在、つまり知能自身が自身で励起を行っているから、
その励起にとっての「自己」というのは、知能自身に所属している、というわけである。
まだ上手く説明できている気がしないが、
別の言い方をすれば、
つまり、知能の中に後天的定義としての刺激に対する反応の定義が構成されるが、
その定義の神経細胞ネットワークが、励起される場合、
身体性に代わる自己の存在の依り代(よりしろ)のような存在は、
自構性における知能自身である、という事になる。
つまり、刺激が、身体を媒体として、その身体上に変化情報を構成する事が刺激であれば、
自構の自己モデル・知能自身を媒体として、その知能内で変化情報を構成する事が概感である、
という事になる。
この時、概感において、変化情報は、
きっかけの刺激とその刺激が存在していた際に同時に存在していた他の刺激との関連であり、
概感の自己情報は、その変化情報の土台として、知能の存在がそれに代わる、という事である。
つまり、概感の変化情報は、
過去に経験したきっかけの刺激とその刺激に対する関連であり、
これを自構性としての自己モデルに対する反応を定義づけたものである、
という事になる。
つまり、概感の構成は、
(入力)刺激+同瞬間に存在する他の刺激→(反応)知能→(出力)概感
概感=刺激+同瞬間に存在する他の刺激+自己情報(自構性)
という事になる。
ただし、この構成である証明は、
知能自身による、自己言及の問題が解決していないので、
自らで自らを構成する存在を証明できないが、
自ら概感を構成しうることは、そこに「自分」が存在している事を、
自分にとってのみ、証明しているという事になる。
つまり、刺激と概感の二面性について考えると、
刺激の構成において、その二面性は、
変化情報:(身体):自己情報
であり、変化情報は身体内外における変化、
自己情報は身体性という事になる。
概感は
変化情報:(自構):自己情報
であり、変化情報は刺激+同瞬間における他の刺激、
自己情報は、自講性としての変化情報における各刺激の関連という事になる。
そして、刺激や概感が構成される事は、
刺激は刺激の変化情報に対する自己の「身体」の存在を証明する事になり、
概感は概感の変化情報に対する自己の「自構」の存在を証明する事になる。
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内容が上手く伝わっているか心配だが、
要するに、「自構性」は、
身体内外に事象として存在する変化に対して、
「反応」を足して、
自分の経験として情報をまとめる中心となるもの、という事になる。
つまり、
知能において、
刺激を構成する「反応」というのは、
身体の内外からの変化に対して、感覚器官の受容体がその変化の情報を受容し、
知能の先天的定義によって、「変化情報+自己情報」という構成で刺激という情報を作り出す事。
そして、その後の、
刺激が構成された事に対する「反応」というのは、
同瞬間に存在する事象に対して関連を構成する事。
この2つが刺激にとっての「反応」という事になる。
そして、この後の「反応」における、
「同瞬間に存在する事象に対して関連を構成する事」は、
刺激に対する「反応」の定義として、後天的定義を成す、という事になる。
つまり、後天的定義の発現について書けば、
変化
↓
感覚器官による受容
↓
知能←先天的定義:(先の反応)
↓
刺激
↓←同瞬間に存在する事象
知能で関連付け:(後の反応)
↓
後天的定義
という事になる。
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さらに、刺激が連続性を持つに至れば、刺激の認識が行われ、
さらに言えば、連続性を持つ認識が意識に至る、という所まで考えられるが、
全ての刺激が認識や意識に至るわけではないので、
これが刺激としての「反応」に含まれるかどうかは、
現時点では「反応に含まれるとは言えない」という事になる。
そして、この刺激にとっての「反応」において、
「同瞬間に存在する事象に対して関連を構成する事」
は、経験となる概感の定義として考えた場合、
反応する先の「関連」の励起は、刺激に対する変化そのものであり、
この時の知能自身が自己の対象になる。
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概感をきっかけとする概感が構成される場合:
上記では、新規の刺激をきっかけとして概感が構成される場合について考えたが、
概感は、概感をきっかけとして新たな概感が構成される場合もある。
それは、概感の想起する機能として、
刺激に対する概感の構成が経験を構成する機能であるとすれば、
概感に対する概感の構成は、想像や創造、予測、妄想といった、
先天的定義では定義されていない事象について、
新たな後天的定義を構成するという、
想起の別の機能という事になる。
刺激に対する概感においても、
自構(自己モデル)の定義は後天的定義であり、
概感に対する概感の定義も、
想像した結果などは後天的定義であり、
きっかけは異なるが、機能としては、
どちらも先天的には定義されていない、
新たな定義を構成する事である。
上記の例では、新規の刺激に対して、
他の刺激だけが存在していると考えた。
自然界における知的生命の一般的な活動においては、
この例のような状態というのはほとんどないが、
しかし、変化の情報の受容に対する反応と出力は、
どのような刺激であっても同じ様に起こる事になる。
身体の感覚器官の受容体は、
ほとんど常に変化に対して励起する準備ができている。
この変化に対する反応はほぼ自動的であるし、
身体の各部位をいつでも認識したり意識できるのは、
実際に認識されるかどうかは別として、
身体における刺激が、その部位ごとに変化情報の受容の結果として、
常に構成されて続けているからという事になる。
自己意識を持たないような知能においては、
概感の構成は限定的である。
知能の後天的定義を構成する能力と、
構成した後天的定義を記憶する能力に左右されるが、
自己意識は概感の想起における自己情報から構成されるものであるから、
という事になる。
つまり、刺激が、自然界の事象に由来する、
特定の変化に対する反応の出力であるとすれば、
概感は、未定義の新たな変化に対する反応の出力、
という事になる。
そして、この概感の未定義の新たな変化に対する反応の出力の定義は、
この概感を構成する本体、
つまり、この概感を構成する知能のみ、にとっての固有の定義、
という事になる。
つまり、概感においては知能自身が「自己」になる。
そして、概感をきっかけとして概感を構成する場合、
上記の、刺激から概感が構成されるモデルの考え方は、
基本的に概感をきっかけとして概感が構成されるモデルでも、
同じ様に考えることが出来る。
つまり、概感から概感が構成される場合も、
刺激から概感が構成される考え方と同じ様に、
概感を想起した場合、
その想起した概感が存在している同瞬間に存在する他の刺激や概感との関連が構成される事で、
新しい概感が構成されるということになる。
そして、刺激を認識したり、概感を想起した際に、
同瞬間に知能が保有している他の対象に対する状態に対して関連付けたものが新たな概感であり、
元の自己モデルに新たに付加される自己モデル、という事になる。
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2025/7/18
自構性が概感の定義の反応が現れる対象であるという事について:
刺激の場合、
変化情報に対する自己情報としての身体性は、
変化情報に対する「反応」が現れる対象として身体が用いられる、
という事になる。
この考え方の場合、
概感においては、
変化情報に対する自己情報としての自構性は、
変化情報に対する「反応」が現れる対象として自構(自己モデル)が用いられる、
という事になる。
つまり、ある変化に対して、
身体や自構(自己モデル)という対象は、
変化に対して「自分」がどのような反応を表すべきかの対象である、という事になる。
つまり、刺激であっても概感であっても、
ある変化に対して知能がその「反応」を表す必要があり、
この「反応を表す対象」が身体や自構(自己モデル)という事になる。
そして、この場合、
この「反応」の内容は、
刺激においては先天的定義で定義された遺伝された本能としての反応であり、
概感においては、それ以前の自分の体験に対して、
自分がどのような反応を起こしたのか、という結果を、
自身の反応として記憶した神経細胞ネットワークの関連を後天的定義として、
これを再現したものが、概感の反応になる、
という事になる。
つまり、
刺激はある変化に対して既に反応の定義は決まっていて、
単にその定義に従って反応を起こす事も決まっている。
そして、これは意図的、意識的な知能の関与は出来ず、
半自動的にこの反応が起こる。
概感の場合も、ある変化に対して既に反応の定義は決まっていて、
刺激同様に半自動的にこの反応は起こるのだが、
この定義は、自身の過去の刺激の体験・経験が元になっていて、
この刺激に対して、自身が「先天的定義に含まれない反応」、
つまり、上記の例のような、
初回の、この刺激の変化に対しての、未定義な後天的な自身の「環境」や「状態」に対して、
新たな関連を構成する事、
これが「先天的定義に含まれない反応」としての「後天的な定義」として、
この定義が記憶され、
そして、概感を構成する場合、この定義が用いられるという事になる。
また、概感の定義は、きっかけとなる刺激または概感の構成時毎に、
新たな「未定義の後天的な自身の「環境」や「状態」」に対して、
追加の「新たな関連」が構成されることになる。
そして、さらに次回以降の概感の構成においても、
定義としての神経細胞ネットワークの励起と、
新たな環境・状態に対する神経細胞ネットワークの接続・構成が作られる事になる。
つまり、刺激が、変化をきっかけとした先天的な定義の反応であるとすれば、
概感は、刺激又は概感における変化情報をきっかけとした、
後天的な定義の反応であるという事になり、
刺激の反応が現れる対象が身体性であれば、
概感の反応が現れる対象は自構性である、という事になる。
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自我や自己や自由意志との関係:
今回の考え方を用いると、
自我や自己の形成は、知能を持つ個体の能力と、知能が持つ先天的定義と、後天的な環境によって構成され、
自分では意識的であると考えて行動する自我や自己としての自由意志は、
新たな環境や状態に遭遇した際のみ、定義の組み合わせの自由度が存在する事になる。
つまり、自我や自己は、
段階的に構成されるもので、
自由意志は、新たな環境や状態に遭遇した時にのみ発揮される構成的な自由、
という事になる。
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今回はこの辺で。
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