2025/6/15-2025/6/16
不安の解析
個人的に不安な事項が発生し、
それについて分析しておく。
不安の対象は私的な所有物についての劣化の修復に対する金銭的な問題であり、
身体の健康や人間関係のような問題ではない。
そして性急な問題ではなく、
今後に現れるであろう予測される現状以上の悪化という事について、
不安を「想起」している事になる。
これまで知能について考えてきて、
この「不安」という感覚は、
身体上に現れる時は、
「みぞおち辺りのモヤモヤ」として表現してきたが、
今回もその例にもれず、
「みぞおち辺りのモヤモヤ」は現れた。
つまり、この状況で分析して分かるのは、
ひとまず私の個体においては、
「不安」は身体上に「みぞおち辺りのモヤモヤ」として現れるものだという定義がある事になる。
つまり、不安という身体上に現れる刺激を構成する変化情報+自己情報の定義から構成した事象として、
今回の問題の事象の認識に対して、関連した不安の反応が身体上に変化として現れ、
それを不安の刺激として認識している、という事になる。
そして、この不安の対象は、実際に起こった問題そのものではなく、
まだ現実的には存在していない事象であり、
私の知能が想起している概感としての事象である、
という事になる。
つまり、この想起している概感に、
まず「みぞおち辺りのモヤモヤ」の定義が含まれていると考えられる事になる。
「みぞおち辺りのモヤモヤ」は、身体上に現れる事象であるので、
先天的定義であるというのは間違いない。
そして、想起している概感であり、先天的定義から構成された事象が含まれる。
現時点ではここまで分かる事になる。
ただ、実際には、まだ存在していない経験していない事象なのに、
なぜ概感として想起できるのか?という疑問が生じるが、
これは、想起の機能の1つで、想像や創造としての、
実際には存在していない、かつ、まだ実際に経験していない事象でありながら、
さも、実際に存在するかのように、かつ、実際に経験した事象であるように概感を構成し、
想起できる働きによるもの、
という事になる。
つまり、本来はその事象に実際に直面・遭遇した場合に、
その対応を考えるのが知能の働きであり、
もし、その事象が未経験のものであった場合に、
過去の経験から似たような事象と対応を概感として構成し、
想起する事が知能の働きなのだが、
ここでは、まずその最初の事象に直面も、遭遇もしていない、
という事になる。
つまり、知能はある事象の認識に対して、
実際の対応ではなく、まだ直面していない事象を構成し、
その事象に対して対応する概感までを構成して想起しているという事になる。
そして、この時の概感は、
知能に対して個体が意識的に構成する事を指示するものではなく、
知能が半自動的に勝手に構成している概感である。
つまり、想起したくないと思ったとしてもそれより先に、
この概感は構成されている、という事になる。
知能自身の働きとして嫌な事象を想起したくないから、
別の事象を想起しようとする働きもできるが、
これも含めて事象の構成は知能にとっては半自動的な、
意識的に操作の出来ない働きである。
これは以前より、自由意志について何度も考えたことだが、
最近の考えでは、
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「415:思考と自由意志の可能性」より
つまり、知能が事象について選択するということは、
それが先天的定義であっても、後天的定義であっても、
保有する定義から、この事象について認識する刺激か概感としての再構成の中に、
この「選択」の結果の定義が含まれているという事になる。
つまり、この事象が、自分にとっての「もっともらしい定義」の事象として、
再構成される際に、どのような定義が励起され、想起されるか、
この時、この事象が知能内において最も強く関連して励起された情報となるか、
この辺りは物理的な神経細胞ネットワークの構成に関わるが、
この強さの比較によって、この「選択」が「決定」されるかどうかが決まることになる。
非常に簡単に言えば、
「決定」=「選択」=「認識」
「自由」=「有限の定義の組み合わせ」
「知能」=「有限の定義の組み合わせ」
という事になる。
敢えて書かなくとも良かったが、
「自由」=「知能」ではあるが、
「自由」=「知能」=「有限の定義の組み合わせ」
こういう事でもある。
この事は、恐らく「強い人工知能」であっても、
その定義の組み合わせの内にのみ自由であり、
であれば定義を用いる「知能」で考えうる自由は全て有限であるという事になる。
そして、そういう事であれば、
知能が「選択」ではなく「思考」する場合においても、
思考の結果が、直面した事象に対する適応であるのなら、
思考で行っている知能の働きは、
定義の組み合わせであり、
これらは想起された概感として構成されて、
この概感を認識する事が「思考」になるのではないか、
という事になる。
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つまり、意識が認識や想起の結果として生じる事象であり、
独自の働きを持つ「機能」ではないので、
「意識」で何かを決めたりするような働きは「ない」という事になる。
つまり、まだ存在していない経験していない事象を概感として想起できるのは、
知能の働きとしては、その機能を持つ故に、
ごく自然で、自動的で、当たり前、
という事になる。
ただ、なぜ、そのまだ存在していない経験していない事象を概感として構成するのか?
という事になると、
上記の「本来はその事象に実際に直面・遭遇した場合」に「思考」として概感を構成するはずのものを、
「まだ存在していない経験していない事象」として概感を構成するのか、
ここに今回の想起の機能の1つとしての、
「不安」の構成の鍵があるという事になる。
よく睡眠時の「夢」は事象の予行演習であるというような考え方があるが、
楽しい夢、良い夢が見たいからと思っても悪夢を見たりする。
そして、「知らない価値は目指せない」というこれまでの考え方にあるように、
そもそも定義が無い事象は、刺激としても概感としても構成できないので、
認識も想起もできない。
さらに、415の内容、知能における自由は知能が持つ定義の有限の組み合わせの中でのみ、
自由であり得る。
さらに、想起は必ず刺激か概感をきっかけとして行われる。
これらの考え方を合わせると、「まだ存在していない経験していない事象」は何であるかというと、
知能が持つ定義の組み合わせの中での、
まだ組み合わせていない、経験した事の無い定義から半自動的に構成された事象であるが、
知能が保有する定義で構成された事象であり、
かつ、直前までに認識か想起された事象と何らかの関わり合いのある事象、
という事になる。
そして、今回の「不安」について言えば、
私は実際にある所有物に対する問題を「実際」に認識し、
それを「きっかけ」として知能が半自動的に「不安」の事象を概感として想起し、
実際に「不安」の感覚を覚えたという事になる。
そして、この時の私の「不安」は、私の知能が持つ定義の中で組み合わせることが出来る定義で、
まだ経験していない事象ではあるが、
知能としては、その機能を持つ故に、
「ごく自然で、自動的で、当たり前」に、その概感を構成し想起した、
という事になる。
人間の心情としては、「不安」は想起しても、
身体的な「みぞおち辺りのモヤモヤ」の感覚はできれば無い方が良いのだが、
この身体的な感覚は先天的定義であるので、半自動的に構成されるのはどうしようもない、という事になる。
そして、逆に「不安」の必要性について考えると、
これは知能において必要であった機能というよりも、
人間の「生命として」の必要性の結果として得たものであるという事になる。
つまり、これは「不安」の感覚が先天的定義である事から言える事で、
「不安」自体が初期の知能の構成要素の1つであるという事になる。
つまり、「知能」自体を構成する「ため」の1つの要素として「不安」の定義を得た、
という事になる。
結果的に、後天的定義を定義するに至った人間の知能においては、
その「知能」の基本の構成要素の1つである「不安」は、どうする事もできないという事になる。
今回は「不安」に対してどうしたらよいか、
という事ではないので、今回はこの辺にしておくが、
少しまとめておくと、
不安は身体的な状態と、未経験の事象から構成されているという事になるので、
不安=身体の感覚+未経験の事象
という事になる。
つまり、
不安=刺激+未経験の概感
であり、定義としては
不安の定義=先天的定義+後天的定義
であり、この「不安の定義」を刺激と概感として構成するきっかけの事象は、
実際に存在する事象である、という事になる。
上記の「不安=身体の感覚+未経験の事象」における、
「身体の感覚+未経験の事象」は、
知能においては「不安」以外の事象としても存在する。
例えば「嬉しい期待」など、今より先の未来に関わる感情は、
これらも「身体の感覚+未経験の事象」から構成されていると考えられる。
逆に考えれば、「未経験の事象」は個体によって様々だが、
「身体の感覚」は、生命としては個体に固有の先天的定義であるため、
現在、人間において「感情」として考えられている各状態は、
この「身体の感覚」毎に存在している、という事になる。
つまり、知能における「不安」などの事象は、
生命が持つ「身体の感覚」に「未経験の事象」が合わさった時に、
「感情」として認識されたり想起されたりする、
そして、未来だけに限定しなければ、
およそ「感情」の基本構成は、
感情=身体の感覚+概感
という構成になっている、という事になる。
以前、不安を覚えた時の対処方法として、
この不安な事項に対して不確定な未来ではなく、
「確定した対処方法」を考えて強く意識する事で、
この不安に対処するのが良い、と考えた事があったが、
つまり、この「未経験の事象」を、
「経験の事象」として意識する事で、
この「不安」の構成を崩すことができれば、
少しでも「不安」を解消することに役立つ、という事になる。
今回はこの辺で。
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