2025/3/29-2025/3/30
刺激の再定義の試み
最初に結論から言うと、
「刺激の再定義の試み」は成功したのだが、
当初の目論見(もくろみ)とは少し異なった結果になった。
新たな気づきの最初の考えとしては、
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刺激には
先天的定義による刺激と
「後天的定義による刺激」があり、
「後天的定義による刺激」は、
先天的定義の関連を用いて後天的に新たに定義した刺激である。
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という後天的定義にも刺激があるのではないかという事から、
刺激を後天的定義を含めて再定義できのではないかと考えた。
これは実際には誤りであったことになる。
その経緯は最後に「おまけ」で掲載するが、
この「後天的定義の刺激」について考えながら考察を書いていた際に、
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これまで「刺激」については、
ある事象に対して先天的定義の存在する入出力に関して、
再構成された情報塊が「刺激」であるとしてきた。
つまり、事象に対する情報の入出力に対して、
どちらかの定義が存在しない場合は「刺激」が構成できないと考えてきた。
いや、そもそも、先天的定義が存在しない場合、
ある事象に対しては認識できる情報は再構成できないことになる。
後天的な経験は、あくまで先天的定義で存在する刺激の組み合わせを
他に定義が無いし、それっぽいから「刺激」としてひとくくりにしているけれど、
実際は先天的定義の無い後天的な経験の事象は「刺激」ではなく、
「刺激の組み合わせ」に過ぎないということになる。
ということは、そもそも生命の知能が認識できる事象は、
先天的定義の存在する事象、もしくはその組み合わせから出来る事象のみであり、
後天的な経験を先天的定義の刺激を組み合わせてこじつけることはできるが、
実際にそれは、あくまで先天的定義から構成された「刺激」の範疇に収まるのではないか、
という事になる。
「後天的定義」---|
||「先天的定義」||
||--事象---||
||-------||
|---------|
つまり、やはり刺激は先天的定義から「のみ」構成されるもので、
後天的な経験、によって構成される後天的定義というのは結果的なものであり、
あくまで
「刺激は先天的定義から構成されるもの」
という事になる。
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という事になり、最初の「気づき」が間違っていたという事になる。
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つまり、現時点の最新の「刺激の定義」を書き出すと、
刺激に対する先天的定義は、変化情報と自己情報に対して存在し、
認識するための「刺激」を構成する場合、
入力した「変化情報+自己情報」に対して、
この先天的定義として存在する神経細胞ネットワークの励起が起こり、
出力として「変化情報+自己情報」の認識可能な情報が「刺激」として、
構成される、というわけである。
刺激=変化情報+自己情報
入力:体外の場合
変化情報=自然法則の変化情報
自己情報=感覚器官の身体部位の情報
入力:体内の場合
変化情報=身体の状態変化の情報
自己情報=感覚器官の身体部位の情報
出力:体外の場合
変化情報=事象の変化情報
自己情報=体表面の身体情報
出力:体内の場合
刺激の自己情報=先天的定義による身体性の情報
自己情報=身体内の身体情報
こうなり、
体外から受容する変化に対しては、
入力の自然法則の変化と、それを受容した感覚器官の受容体の位置から、
出力として、自然法則を解釈した情報と、身体性の情報が構成される事で、
出力の「変化情報+自己情報」が「刺激」として認識されることになる。
体内の場合は、自然法則が身体の状態に置き換わり、
やはり出力の「変化情報+自己情報」が「刺激」として認識されることになる。
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上記が今回の刺激の定義の再定義の結果という事になる。
今回の「正しい」刺激の再定義の内容から概感について考えると、
概感がある事象に関連した別の事象の想起した情報塊であるなら、
概感を想起する為のきっかけは「刺激」で間違いなく、
その「刺激」に対する「関連」の全体が、「概感」の対象になるという事である。
つまり、きっかけが単体の「刺激」であっても、
後天的定義として「刺激」の組み合わせたものであっても、
結果が概感である場合のきっかけは、全て必ず「刺激」である事になる。
つまり、1つの「刺激A」に「関連」する1つの「刺激B」があって、
これを想起して「概感」を構成する場合、
この概感の「後天的定義」は、この「関連」の神経細胞ネットワークであり、
入力は「刺激A」、出力は「刺激B」となる。
事象Aに対する事象Bの経験
刺激A=事象A(変化情報A+自己情報A)
刺激B=事象B(変化情報B+自己情報B)
事象A→事象Bの後天的定義
入力「刺激A」→「関連(後天的定義)」→出力「刺激B」
後の事象Aの入力に対しては、刺激Aの認識の他に、
関連した事象Bの想起が起こり、
後天的定義が存在する為、事象A→事象Bの想起の概感が構成されて認識される。
つまり、事象Aの刺激と事象Bの刺激の関連による二面性において、
概感が存在しうる、という事になる。
つまり、刺激の再構成の手法とほぼ同じであるが、用いる素材が違うようなものである。
そして、この関連が複数の刺激に関連していたとしても、
概感の構成自体は変わらない。
入力の「刺激」が「1~多」あり、出力の「刺激」が「1~多」あり、
その関連の神経細胞ネットワークがある事になる。
ここで、後天的定義としての「関連」のみを励起することは基本的には出来ないが、
もしできたとしても、出力側の「刺激」が励起できても、
入力側の「刺激」が存在しない為に入出力による事象の二面性が構成できずに「認識」できない事になる。
つまり、先天的定義であれば、感覚器官の受容体で変化に対する励起なしで「刺激」が構成できるのか、
もしくは、変化の入力の定義や解釈なしで「刺激」が構成できるのか、
という事と同じになる。
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「おまけ」:
後天的定義の刺激の可能性:
後天的定義から刺激が構成できるかも?と考えた「気づき」の内容で、
間違った考えの経緯を書いておく。
これまで考えてきた事との違いは、
これまで、「刺激」は「先天的定義による情報の再構成のみ」で生じ、
「先天的定義の存在しない後天的な事象」の認識に対しては、
先天的定義の組み合わせを用いた後天的定義による情報の再構成によって、
構成される。
と考えてきた。
これは、後天的定義自体が、もともと先天的定義の組み合わせから構成されるものと考えてきたので、
後天的定義という定義は生命が個体として生誕した後に、
先天的定義の定義に存在しない事象を経験した際に、
知能がなんとかしてこれを認識するための定義を構成する方法であり、
その構成には先天的定義を組み合わせる事で、
新たな定義を作り出すというものであった。
そして、そういうことであるのなら、
後天的定義そのものは、あくまで先天的定義の組み合わせた定義であるのだから、
先天的定義になかった事象を認識する際に構成する「変化情報+自己情報」も、
先天的定義から構成される「刺激」の組み合わせた「刺激」になるのではないか、
と考えたのである。
つまり、
刺激=先天的定義から構成
後天的定義=先天的定義の組み合わせで構成
であるのなら、
刺激の組み合わせで構成=後天的定義の刺激
になるのではないか、と考えた。
そして、概感についても定義から再構成した事象であるから、
つまり、認識対象の事象の構成として、刺激についても概感についても、
「変化情報+自己情報」はそのままの考え方だが、
この変化情報に対しては、先天的定義を用いる場合と後天的定義を用いる場合において、
特に後天的定義を用いた事象の再構成の場合、
概感だけが構成できるという考えから、
概感と「刺激」も後天的定義を用いて事象の再構成が出来ると、
考えを変更できるのではないか。
というものである。
この違いは、これまでは、刺激は先天的定義によって構成されるもの、
概感は後天的定義によって構成されるもの、と分けて考えてきたが、
418の掲載を終えて、
次の題目を考えていた際に、
418の中で、まだ明確でなかった後天的定義における自分の定義について考えていた時に、
身体性の有無について先天的定義と後天的定義に違いがあるか考え直していた際に、
「二面性」の点から見た時に、
刺激は確かに変化情報+自己情報における自己情報は身体性を構成して認識しているが、
後天的定義が概感だけのものであり、身体性が無いとすると、
実際の想起した対象については想起については身体性が無くとも問題が無いが、
身体性の無い刺激は、絶対にありえないのかと考えた際に、
先天的定義のない後天的定義である事象の認識においては、
先天的定義のない刺激という考え方もできるのではないかという事に気付いた。
つまり、後天的定義としての先天的定義同士の「関連」の部分のみを励起して、
想起した事象として構成できるかもしれない、と考えたわけである。
そしてこれは、刺激は先天的定義による定義によって再構成されるだけでなく、
先天的定義の定義の存在しない刺激もあり得るのではないかという考えに繋がる。
自分が何かを認識しようとして、先天的定義としての定義の存在する事象というのは、
普通の刺激ではあるが、では、この先天的定義が存在しない事象に対しては、
刺激として認識していないのか?、認識できているものもあるのではないか?と考えると、
実際に自分が体感する刺激のほとんどは、
実際に事象としての変化に自分が直面することによって、
後天的に経験する「刺激」なのではないかと考えたわけである。
であれば、先天的定義は存在するが、認識する為の刺激が全て後天的な経験によって再構成されるものである、
という考え方ができることになる。
(ここで「気づき」の間違いに気付く)
しかし、しかしである。
後天的定義が先天的定義からしか構成できないという事を思い出して考えの形勢が変わった。
結局、後天的定義だけから「刺激」は構成できない、
という事になった。
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後天的定義の刺激の可能性を考えた結果:
ただ、結局の所、最初の結論に結びつくが、
後天的定義の刺激が存在したとしても、
「刺激」自体が、その構成される事象が、
元は自然界の自然法則の定義に由来するもので、これを生命が解釈したものであり、
そもそも先天的定義からしか構成できないのであれば、
後天的定義自体も先天的定義を組み合わせる事でしか構成できないわけであり、
それは単に定義の置き換えを後にしただけの事で、
後天的定義から刺激を構成しているわけではないと気が付いた。
ただ、怪我の功名というか、
間違えた事で刺激の構成の再認識ができて、
「刺激」についての認識も整理できて、
「刺激の定義」を新規に書き直すことが出来た。
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今回はこの辺で。
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