2025/2/23-2025/2/25

先天的定義の成り立ち


生命における先天的定義は、
初期においては
生命の「本能としての先天的定義」であり、

初期の先天的定義の情報の入出力においては、
変化という情報の入力に対して、
直接的な運動や反応が出力として定義されている事になる。

後に出力は、
生命は本能として直接的な反応だけであったものが、
知能の発達による獲得した機能として、
認識としての先天的定義の出力側の情報として、
自己情報があてがわれるようになった。

この違いは

入力→定義→出力
の関係において、

変化→定義→反応

変化→定義→自己情報(身体性)

として、
定義として既に定義済みの直接的な反応から、
身体の状態に反映される出力となる自己情報が出力になった事となる。

つまり、初期の先天的定義は、
変化に対して、即座に反応する固定された出力だけが定義されていたが、
後に、この変化に対しては、
固定された出力は本能として残っていたり、
即座に反応したり固定されたりしている事には変わりないが、
その出力に身体の状態が付け加わる事になる。

つまり、入出力の定義において、
変化に対して、
即座に反応して完結する動作から、
即座には反応するが、一度自分の状態に対して変化を与えるような機能が加わったという事になる。

変化→定義→自己情報(身体性)→反応

この場合、初期の反応としての出力が身体の状態に変化した事によって、
この変化において、
次に、変化に対する反応として必要になるのは、
自分の状態の変化に対する「反応」という事になる。

つまり、「反応」のそれ自体は変化に対するものである事には変わりないのだが、
変化情報に対する直接的な定義の反応ではなく、
一度、自分の状態を経由した、自分にとっての反応を決める必要性に変化したという事になる。

冗長的ではあるのだが、この利点として、
現時点の知能の構成から考えられるのは、
自分の固有の反応を選択する事ができる事と、
この選択は過去の経験を参考とすることが出来るようになるという可能性を持てる事になる。

変化→定義→自己情報(身体性)→想起(経験・選択)→反応

つまり、経験を記憶する能力を別に持つ必要性も生じるのだが、
もし、経験を記憶できるようになれば、
ある変化に対して自分が起こすべき反応というものを、
直接的な反応から、
変化に対して一度自分の変化という状態に置き換え、
その状態を参考にして、過去の経験を引き出し(想起)、
その結果に対して自分の反応を決める(選択)できるようになる、
という事となる。

つまり、最近411の「選択」について考えた内容の、
変化情報に対する自己の定義の確定が、選択となり、そのまま認識となる、
意義や利点の1つという事になる。

現時点の生命においては、知能を持っていたとしても、
本能は依然として存在し、
即座の反応を起こすような定義も存在するし、
自己の状態に反映する定義も併用している事になるが、
この変化に対する適応を選択できるようになるという事は、
生命にとっても知能にとっても、
かなり重要な変化であったのではないかと考えられる。

現在の知的生命の情報の入出力:

変化

定義→反応(本能)

自己情報(身体性)

想起(経験・選択)

反応(自我)

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2025/2/24

今日考えていたのは、
先天的定義による出力が、
本能などの既に確定した出力ではなく、
自分の経験として、自我の形成を含めた記憶できる出力として構成する用になったという変化についてで、
結果的に変化に対する出力が、
「身体の状態」として出力が表されるようになった、
という事である。

以前にも、感情が身体の状態として認識されたものであるとか、
概感の現実性の無さが身体性の有無の違いによるものであるなど考えてきたが、
どうも、「認識」を含めて「意識」を意識しながら考えを進めると、
この「身体に現れる状態」が、知能における認識の分岐点になるのではないかと考えられた。

なぜ、身体上にこの状態を表す情報が構成されるようになったのかという事については、
恐らく身体の構造が複雑化する過程で、
自身の状態を知る必要性が生じるようになったのではないか、とは思いつくが、
生物の進化の過程については、まだ分からない事が多いので、
現時点では、
身体の複雑化の上で、管理する為の情報が必要になったのではないか、という事で考えている。

まあ、つまり、様々な感覚を得て、様々な情報を得られるようになったが、
それらの情報が変化した場合に、複雑になった自分の体をどのように処すべきか、
この変化に対する反応を決める為の情報として自身の身体上に現れる状態として、
この変化に対する反応としての情報を表すようになったのではないか、というわけである。

そして、この考え方をもって、
強い人工知能の為の先天的定義について考えると、
やはり、人工知能を収める身体において、
その感覚となるいくつかの対象に対して、
身体に関連する情報を定義しておく必要があるだろう、という事になる。
つまり、先天的定義の実装の必要性としてである。

これは、全ての反応までも決めてしまう必要はなく、
あくまで人工知能が、自身の身体における状態の情報として得られる状態であれば良いという事になる。

つまり、人工知能を持つ個体が持つ感覚に対する定義だけあれば良いという事である。
まあ、それでもその種類や数は膨大になるとは思われるが、
そもそも人間が認識可能な状態は言語で表されて認識できているわけだから、
その身体の状態を表す言語の存在する状態に対してのみ定義すればよいわけで、
必ず有限ではあるし、定義できない量ではないとは考えられる。
つまり、LLMのデータセットが構成できるなら、
これを参考に身体の状態の定義もできるのではないか、というわけである。

また、
状態の定義自体をどのようにするのかという課題はあるし、
この状態に対する「感じ方」を理解して定義するという事自体は必要になるが、
ここまでの定義だけで、恐らく先天的定義の定義は十分であろうと考えられる。

あとは、本能的な定義も含む必要性もある。

そして、
人工知能を持つ個体に与える「感覚」と、
この「感じ方=身体の状態」が定義されていれば、
先天的定義の定義としては十分であると考えられる。

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2025/2/25

身体の状態の定義について:

今日考えたのは昨日考えた身体の状態の定義についてであり、
身体の状態そのものについてである。

現時点では確定的な定義や考え方はまとまっていないが、
身体の状態については、
411で考えた、「弱い情報」「強い情報」「好ましい情報」「好ましくない情報」
この定義を用いて表せるのではないかと考えている。

基本的に人間が持つ感覚において、
その感覚で得られる情報というのは生命の身体にとっての変化を与えうる情報ということであり、
知能はこの情報に対する反応を制御する機能であるという事になる。

であれば、生命が変化を生じうる情報を受け取った時に、
何をする必要があるのかを考えた時、
根本的にはその変化に対して受け入れるか忌避するかという2つに分かれると考えられる。
どのように受け入れるとか、どのように回避するのかなどは、
その後の選択の構成であるので、
ここにおいて先天的定義の定義として、この変化の情報に対する理解としては、
単純に「良い」か「悪い」程度の単純なものなのではないかと考えている。

特に嗅覚、聴覚、味覚、触覚においては、良し悪しの定義は顕著で、
視覚は他に比べると身体に与える影響が少ないので、良し悪しの意味合いは低下するが、
感覚が得ている情報の対象は割とはっきりとこれらの定義が決まっている。

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最近長い文章になることが多かったので
今回はこの辺で。

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