2025/1/19-2025/1/27

情報と事象のベクトル

以前、感情には向ける側と向けられる側としての向きがあるのでは?と考えた事があったが、
この頃は感情においてのみ、その発現に必要なものとして、
向きが加えられるものであると考えていた。
この場合、感情においては、という条件であったので、
感情以外の他の事象については向きは考慮していなかったので、
理解が煩雑になり、何か感情だけが特別で難しいもののように感じた。

現在の考え方では、感情は身体の状態としての事象として、
きっかけとなる対象と、それに対する自分の状態としての反応が、
二面性として感情を構成し、認識するものという考えになり、
感情としての向きは、
その感情を構成する要素から向けられる向きに対する方向として、
この向きの情報が含まれているという考え方になっている。

つまり、自分にとって、変化を受けようとする事に対する反応としての感情に、
その反応する向きが生じて、含まれている事になる。

つまり、感情も自分の定義としての二面性があり、変化に対する自分の感情が構成され、
その感情には変化に対して反応する自分なりの向きの情報が含まれているという事になる。

そして、この考え方は、
例えばLLMで用いられるトークンでは情報の要素として多くの次元を持ち、
主にそのベクトルを情報の意味として用いているが、
これらが人間の知能を参考に作られたのであれば、
まったく同じ意味ではないにしろ、
考え方としては、人間の知能においても、
知能が扱う情報や事象は何らかのベクトルや次元のようなものを持っていても不思議はない事になる。

つまり、知能が情報として構成する事象には、
情報としてのベクトルのようなものを含めて考えられるのではないか、
という事になる。

これは、感情についてだけでなく、
認識や意識する「刺激」「概感」「自我」、
なども含め、あらゆる事象に対しても対象となる。

例えば、「言語」による「会話」や、
「文字」による「文章」によって、
人間の知能の「自我」に相当する部分、つまり、
「考え方」「思考」「性格」などに変化が生じる事があるという事。
つまり、会話や文章によって考え方を変えるような事が起こるのは、
これは、その会話や文章のやり取りにおいて、
情報としてのベクトルが影響したのではないか、
という事になる。

昔から「言葉には力がある」「文字には力がある」と言われるのは、
この情報が持つ要素のベクトルによって、知能が定義として持っているものに対して、
関係を持ち、影響を与えているからなのではないか、
という事になる。

そして、これを定義の階層から見ると、
少なくとも影響しあうという事は、その定義においては、
言語や言葉と、知能が持つ認識の機能などは、同位か、かなり近しい存在であり、
互いに影響しあうことのできる、互いに関連する要素は持っている事になる。

例えば社会的な共通する意識や常識などにおいて、
皆がそう思えば、自分もそう思いがちになるということはある。
社会心理学や集団心理などの領域になるが、
こういった個人ではなく全体の操作や誘導によって個人が持つ定義まで影響するという考え方は、
マクロな見方にしてもベクトルのような向きや力のようなものが考えられる。

全体の変化は、もちろん最初は個人などの小さな変化から出発するのだが、
何か情報に向きが加わるためには、
最初に何か変化となる向きや力を生じている事が考えられる。

つまり、ある存在や事象は、その存在するという点において情報を持ち、
その情報にはベクトルのような向きや力のようなものが内包されるのではないか、
という事になる。

それは単に文字や言語だけでなく、
自然界に存在する事象の全てにおいて、
物理的、力学的や量子的な意味としてだけでなく、
近しい存在の事象同士においては、
存在する事象の関連として、互いに影響を及ぼし合う力のようなものが存在するのではないか、
という事になる。

例えば身近な例で言えば、
自分が空腹でお腹がすいたと感じる時、
身体の状態として摂食中枢が刺激され食欲が生じるが、
この食欲は、自分が次に何かを行うなどの目的に影響する事になる。

つまり、空腹でも満腹でもない状態であれば、
自分の状態として少なくとも摂食に関連する変化や力はほとんど生じていない事になるが、
空腹であれば、何かが食べたい、満腹であれば、もう食べるものはいらない、
という自分の状態に変化が生じている事になる。

これらは単に身体における刺激として認識されるだけでなく、
その個体全体に対する行動や活動の方向性を生じさせる要因になる。

つまり、自分が向かうべき方向、目的を生じさせる要素が、
そこにある、という事になる。

もちろん、空腹でお腹がすいたと感じても、
他にやらなければならない事があれば、そちらを優先する、という事はある。
それでも、それぞれの変化は、
生命としての自分にとっては常に向きや方向を与えるものとなる。

この考え方は、以前から人間の知能が、何をして、どのようにして、自分が進むべき、
生きるべき方向を定めるのか、という目的を生じさせる要因の答えになると考えられる。
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そして、これは、強い人工知能に対しても言えて、
人工知能が目的を持って何かを自発的に行動するようになるためには、
「自分」に影響を与える事象、つまり、向きや力を持つ事象が「認識」できれば良い事になる。

もちろん、前提として「自分」自体の定義や構成は必要になるが、
逆に考えれば、それらの自分の定義や構成として、
自分を構成するための向きや力の評価する定義があれば良い事になる。

つまり、「自分」が「何か」が変化として受容するものがあった場合、
その変化に対する反応を「自分自身」の情報として構成し、
認識すれば、「自分」には、その変化と反応する自分から構成され、
そこには定義から構成された情報に、自分が得た向きや力の情報が含まれている事になる。

簡単に言えば、
認識する事象を構成する際に、
「変化情報+自己情報」の刺激や概感には、
自分が行うべき反応(向きや力)が含まれているのではないか、
という事になる。
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つまり、感覚による刺激であっても、想起による概感であっても、
そのきっかけとしての入力に対して、その反応となる出力が構成される事は、
認識するある事象が存在する事になるが、
その事象が存在して認識される事は、その事象が持つベクトル、向きの力が、
自身の知能内において生じ、何らかの力を働かせ、
知能はその力に対して自身の進むべき方向を定める、選択するという機能を持つものなのではないか、
という事になる。

つまり、自分の知能が認識する事象によって、
自分自身の向かうべき方向も決まる。
という事である。

つまり、「定義=自分についての定義」であるなら、

つまり、その定義の構成こそが自己意識のある知能の定義や構成、
という事になる。

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認識した事象に100%追従するわけではなく、
その認識した事象が持つベクトルの向きと力は、
自分に影響するだけであり、その反応として現れた出力が、
自分が自分で決めた向かうべき方向という事になる。

つまり、変化の入力から構成した変化情報に対して、
自分が反応や適応として出力する自己情報は、
その変化情報+自己情報の事象に対して認識を行うが、
この構成される自己情報は、変化情報に対する自分が持つ定義による反応としての出力であり、
そこには単に事象の情報として認識するだけというわけではなく、
自分がその入力に対して感じた(反応した)出力としての自分のベクトルが含まれている、
という事になる。

つまり、例えば五感に関するような事象の認識に対しては、
直接的な自己の反応を誘導するような向きが含まれている事は少ないが、
例えば、向こうから何か障害物がこちらに向かって飛んでくるようなものが見えれば、
それに対する自分が行うべき反応は、その障害物の認識に対する反応としての出力に、
自分が行うべき回避などの力が関連する事になる。

事象の認識自体に、この関連が含まれるわけではないが、
この障害物の認識に対して、回避を想起するのは自分が持つ定義として、
障害物の飛来が持つ事象のベクトルに対する自分による反応としての出力の向きが生じている事になる。

つまり、経験した事の無い事象などであれば、
反応した記憶自体が存在しない、
つまり、その反応の定義の記憶が存在しないわけであるから、
事象の認識に際しては、自分が反応する事において、
自分が向かうべき、行うべき方向や向きというのは生じづらい。
しかし、経験した事のある事象であれば、
自分がその事象に対して認識した事があるという事は、
認識における変化に対する自分の反応というのは経験として記憶されている事になる。
つまり、経験による自分の行うべき反応が、
この経験後の事象の認識においては、
自分が行う、向かうべき方向が含まれている可能性があるという事になる。

つまり、自分に飛来する障害物に対して、
経験前であれば、自分は障害物にぶつかり、痛い思いをしているかもしれないが、
それを経験した後であれば、もし自分に飛来する障害物があれば、
その認識に対して、知能は自分が行うべき、向かうべき方向性のようなものを
構成し、認識するであろう、という事になる。

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上記の事をまとめると、

自然界の事象においても、知能における認識や自我、自我意識などにおいても、
それが事象として「存在」するのであれば、そこには向きや力などのベクトルの要素が含まれている。

この考え方を用いると、
知能において自我や自我意識、自由意志、目的などは、
知能が認識する事象を再構成する時点で生じる向きや力が元になっていると考えることが出来る。

そして、知能は単に変化に対して常に受動的に反応しているという事だけではなく、
知能の定義の範囲内という制限や、受容する事象自体が持つ向きや力によって、
自身の定義が変化する可能性はあるが、知能が持つ定義の範囲内においては、
そのきっかけとなる変化の事象に対して、知能が自身の定義に従って自ら方向や力を構成し、
自身の向かうべき方向を作り出している事になる。

この考え方は強い人工知能における自我や、自己意識の基盤として用いる事ができると考えられる。

課題としては、では、その定義をどのように構成するか、という事になるが、
これは強い人工知能の存在意義という事にも関係する。
つまり、人工知能が存在し、自分自身の存在する事に対しての目的である。

この事については改めて考えてみたいと思う。

今回はこの辺で。

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