2025/5/17-2025/5/20
刺激と概感の事象の差と事象プール
前回の「今」と「過去」の事象の差についてもう少し考えてみる。
それと、今回はこれまで「認識プール」として考えてきた用語の、
新たな考え方「事象プール」に変更する事についても書いておく。
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認識プールから事象プールの変更について:
「認識プール」を「事象プール」に変更しようと考えたのは、
最初は、意識を構成する為に認識の連続性が必要で、
認識には刺激が必要であると考えてきた。
そして、刺激は構成されると一定時間、情報として保持・維持される事に気付き、
これを保持・維持する場としての考え方として「認識プール」を登場させた。
ただ、「認識プール」を考え出した時はまだ、概感の考え方は登場しておらず、
刺激→認識→意識
刺激を保持・維持する場=認識プール
という考え方だけであった。
そして「概感」という考え方が追加され、
刺激→認識→意識
概感→想起→意識
という考え方が出来た時、
もともとの意識の為の刺激をプールしておく場所としての考え方の「認識プール」は、
認識の為の概感をプールする場としては誤解を生じると感じられた。
そこで、「認識」と「想起」の連続性に対して「意識」の連続性が生じるという事に対して、
認識→意識
想起→意識
認識=刺激の連続性
想起=概感の連続性
刺激の再構成→認識プール
概感の再構成→認識プール これでは誤解を生じそう
それなら、
刺激の再構成→事象プール
概感の再構成→事象プール これなら「刺激」も「概感」も事象なので問題ないだろう
ということなので、「認識プール」を「事象プール」にしようと考えた、
というわけである。
今後は「事象プール」を用いる事にする。
まとめの方も後で変更しておく。
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さて、424と425で、
ようやく「もっともらしさ」のきっかけのようなものがつかめた。
大まかな考え方としては、
「今」を「意識」している選択や決定というのは、
事象プールに存在する事象の連続性において、
その事象が構成された時点における、
この新たな事象と事象プールに存在していた「過去」から継続して、
存在が維持されている事象との関連において、その生じた情報量としての強さ大きさの「差」について、
比較が行われている、という事である。
もう少しまとめると、
刺激または概感としての新たに構成される事象を「事象A」として
事象プールに既に存在する事象群「事象B」「事象C」「事象・・・」として
「事象A」が事象プール内で新たに構成される際に、
「事象A」と「事象B」
「事象A」と「事象C」
「事象A」と「事象・・・」
の関連において、その事象Aと対する事象との関連の「差」がある事になる。
事象として似ている・近しいものは「差」は少ないが「関連が強く」、
事象として似ていない・遠いものは「差」は大きいが「関連が弱い」、
という事になる。
この場合、事象プールにおいては、事象としての刺激や概感を認識や想起する事については、
「関連が強い」方が、情報としては優先的に構成されやすい事になる。
つまり、シナプス接続の関連の強化の程度としての「強さ」としてである。
この場合、事象プールに発生・構成される事象というのは、
刺激か概感としては、この瞬間において最も情報量の大きな、強い情報塊であるということは、
既に確定している事になる。
強い情報として意識されるために連続して存在している必要があるから、
先に作って用意しておかなくてはならない、というわけである。
実際は、この瞬間に変化の受容・想起される刺激や概感は、数多くあり、多々構成されようとするのだが、
それらが関連を持って構成されるにしろ、結果的に刺激や概感として完成する事象は1つという事になる。
つまり、主たる事象とそれに関連した状況や状態として1つの事象として構成される事になる。
これは先天的定義または後天的定義から事象を再構成する際の、
知能の関与できない反応として半自動的に行われる。
そして、事象プールにおいて、
「事象A」は、ある瞬間において最も強い情報としての事象であるが、
その時点まで継続して連続性をもって意識されていた「事象」というのも存在している。
ここで、「事象A」が発生・構成された場合にどうなるかというと、
「事象A」と事象プール内における他の事象との「関連」が生じるというか、
「関連」ができてしまう、という事になる。
つまり、「事象A」と事象プール内の他の事象間の「差」が自動的にできる事になる。
ここで、この事象毎の「差」は、上記の「関連の強さ」と「差」に対して生じる事になる。
ここで特に重要なのが、次に想起される可能性のある概感の構成である。
上記の、今までの意識されていた事象と、新たな事象によって、
次の意識されることになる事象の切り替えが起こる「差」が「きっかけ」になるというわけである。
刺激は身体外・身体内から半自動的に事象として構成されて事象プールに現れるので、
知能としてこの過程に関与できる事は無く、
認識において優先される場合は、これまでの事象との「差」にあまり関係が無く、
刺激の事象単体としての強さが影響し、この事象が対象になれば良いのだが、
概感の構成においては、実質的には知能の関与というわけではないが、
知能が持つ後天的定義の利用が概感の選択に大きく関わることになる。
つまり、刺激が優先されて認識される場合というのは、
事象プール内の事象に対して、基本的に刺激の方が強く構成される可能性、定義の内容が多いという事になる。
想起に対して認識が情報として優先されるというのは、これまでも考えてきたが、
事象プールに対する事象の構成においても、これは同じであると考えられる。
一方で概感の想起の場合は、後天的定義による再構成になるため、
定義次第で刺激より優先される場合も、されない場合もある、という事になる。
この場合、概感を構成する環境として、
「今」現れる刺激または概感の事象に対して、
「今まで」事象プール内に存在して、その「今」の「直前」まで、
意識対象であった事象を含む事象群は存在していて、
そこに「今」現れる事象は、その「今」と「今まで」の事象群との間に、
ある状態の変化としての「差」の状態が現れる事になる。
つまり、これが後に「経験」の連続性として、その後「記憶」として残る可能性のある「連続性」「定義」
ということになるのだが、
今までの事象→新たな事象
この変化が事象同士の関連として、新たな概感の後天的定義となる、というわけである。
つまり、「今まで」の「状態」に対して、「今」現れた新たな事象は、
「今までの状態」を変化させる「きっかけ」になり、
事象の変化が関連を含んで新たな事象になる、という事になる。
つまり、
(今までの事象→新たな事象)←これが
1つの連続性としての関連を持つ「1つの事象」、「連続した事象の経験」として構成されるという事である。
つまり、「今」の情報が「閉じて」、「次」の段階が「開く」・用意される、という事になる。
これは、経験や記憶としての連続性において、
連続性を一度中断させて、次の新たな連続性を生じるものになる。
つまり、
新たな事象→過去から今までの連続性
として関与する事で、
過去から今までの連続性→次の連続性
が生じる事になる。
この時、
過去のある瞬間から、過去から今までの連続性は、
一度断絶が生じ、「今から」との間に境界を生じる事になる。
つまり、接してはいるが連続ではない、という境界である。
「境界」という考え方にピンとくるかもしれないが、
つまり、ここで事象としての二面性が生じる事になる。
まあ、ここでいう事象は、つまり「意識」の事である。
そして、この過去から今までの連続性は、経験そのものであるため、
この時点で後天的定義としての関連が一度閉じて、固定化される。
そして、「今から」の新しい後天的定義のための事象の連続性が開始されることになる。
つまり、「今まで」の連続性が閉じて、後天的定義のきっかけの事象の状態となり、
その後の「今から」の連続性が開いて、後天的定義の関連する先の事象の連続性が始まるという事になる。
つまり、事象プール内に存在する事象群の連続性そのものが、
知能が観測する「存在」の連続性を構成するものである、という事になる。
それは、「意識を含む自分の存在」という事になる。
つまり、これは刺激と概感に含まれる自己情報の存在によってである。
そして、その後、「今から」の事象プールの状態は、
その連続性として、文字通り「今から」意識する事象プールの状態としての連続性の元になる、というわけである。
例えば、簡単な例としてまた「赤いリンゴ」を思い浮かべる事にするが、
この「例えば」を書き始める時点で、
私の事象プール内では、その直前の「~わけである。」と書いた後に、
想起の区切りをつけて少し座った状態で背を伸ばしたので刺激を受けたか、
想起する概感として、これまでの内容に変化を与えるために「例」を概感として構成しようとしたのかは、
判断がつかないが、私の定義においては、どちらか、もしくはそれ以外のきっかけを起点に、
「例を挙げる」という想起をしたことは間違いないはずである。
この概感に対しては、これまでも多くの例で「赤いリンゴ」や「赤」「りんご」を用いてきたので、
その関連として強さを持つ後天的定義の「赤いリンゴ」が概感として構成されたと考えられる。
そして、今少し考えをまとめようと入力を滞らせたので、
また背を伸ばしたり、深呼吸をしたりしたが、「例を挙げる」という事象の状態は維持されたまま、
様々な「きっかけ」が事象プールに構成されながら、
この連続性が維持、継続されている事になる。
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かなり前に、意識はなにか円状に配置された刺激が、
ある瞬間にその刺激の強さの偏りによって膨らんだりへこんだりして、
そのふくらみの一番大きな刺激を連続的に認識して、
これが意識になると考えた事を思い出した。
つまり、チューブ状に配置された刺激の最も強い刺激を連続的にプロットしたのが、
意識の軌跡になるという考え方である。
この円が事象プールであるとすれば、
今回の内容は、事象プール内に存在する事象の「刺激」と「概感」が、
ある瞬間において最も情報量を持つ強い事象が「認識」か「想起」され、
これが連続性において「意識」になると置き換えることが出来る事になる。
つまり、今回は事象プール内の強い刺激または概感の連続性の軌跡が、
意識の軌跡になるという考え方になる。
2025/5/20:追加
または、事象プール内の事象全体の連続性がそのまま意識になるという事か?
つまり、事象プール自体の連続性がそのまま意識であるという事かもしれない。
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上記の考え方において、
特にカギになる点は、
事象プールにある維持された事象群に対する、
新たに構成された刺激と概感をきっかけとした変化、差、という事になる。
この変化や差は、基本的に後天的定義から構成された概感であると考えられる。
つまり、意識として明示的に理解できる対象は概感から派生すると考えられる。
理由は、先天的定義から構成される刺激は知覚されたとしても、
身体性を客観的には見ることが出来ず、常に主観であるしかないから、
という事になる。
つまり、先天的定義から構成される刺激の認識において、
意識は存在していたとしても、主観的に意識を知る術がないから、という事になる。
あくまで、意識があると自分で知るには、一度刺激の事象を構成した後に、
そこに含まれる自己情報である身体性を、別の概感から、これは意識に相当する存在であると、
想起するしか、「存在していた意識」を「今、意識する」ことしか、
「意識」する方法が無いから、というわけである。
少しややこしいが、つまり、意識も連続性を持つために、
今の瞬間の意識の存在を、同じ瞬間の今、知ることはできない、という事になる。
つまり、知能におけるある瞬間の事象プール内に存在する事象の組み合わせは、
連続性を持っていて、過去の連続性を開始した時点から、上記の「境界」を作りながら、
意識のある間、ずっと連続性を維持する、保っていく事になる。
そして、ある瞬間毎に、「刺激」または、「刺激から想起された概感」によって、
この事象プール内の事象の状態に変化が生じ、連続性は維持されたまま、
主たる事象の認識または想起の刺激または概感が、事象プール内の事象と関連を生じ、
この関連の、「関係と差」が、次の事象プール内状態として、
次の連続性を開始させ、意識される、という事になる。
今日の時点で考えた、これが、
「事象プールと意識の関係」であり、
刺激と概感の事象の差と事象プールの関係という事になる。
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2025/5/20
今回のまとめ:
認識プールから事象プールについての変更の解説は良いと思う。
事象の差としての事象プール内での操作や機能の説明はまだ「気づき」の段階で、
まとまってはいないが、これから先も考えていく事にする。
一応この事象プール内の操作や機能についてまとめると、
事象プール内の継続してきた事象の状態と、
新たに構成される事象との関係において、
新たな事象が、「刺激」である場合は、
知能の関与はほぼなく、半自動的に構成され、
次の認識対象となる。
事象プール内の今までの事象との関係については、
「今まで」の状態は事象として「閉じて」、
新たな刺激によって「今から」の事象プールの状態が始まる事になる。
この場合は、「今まで」の事象と、「今から」の刺激の関係は、
後天的定義として定義される場合に、
「今まで」の事象に関連した「今から」の事象としてだけ構成される。
この関連が経験としての後天的定義として残されるかどうかは、
後述する概感との関連に比べれば低い可能性という事になる。
ただ、唯一関連が経験として強く残される可能性があるのは、
この関連が「初めて」起こった関連である場合であり、
この場合は定義として残る可能性が高いと考えられる。
つまり、関連が無かったために「差」が明確に生じ、
事象の変化に対して強い「変化」として知能が重要視するからである。
そして、新たな事象が「概感」である場合は、
既存の事象プール内に存在する関連として再構成される場合は、
短期記憶としての事象の再構成の考え方と似ており、
恐らく、まだ連続性が維持された事象プール内との事象の関連があり、
これが再度関連して再構成されて事象として生じる事になる。
また、事象プール外から再構成される場合は、
通常の外部の後天的定義から事象が構成され事象プール内との事象と関連を生じて発生する事になる。
そして、概感は、認識や想起された事象であるかどうかは別として、
刺激または概感をきっかけとして構成される事になるため、
「今まで」の事象の連続性に対して確実に関連している事になり、
連続性としては想起の継続になるのだが、
連続性としては個別の事象を関連させたより連続性の長い関連・定義になる。
話は変わるが、この連続性の長さはそのまま事象の「抽象度合い」になるのではないかと考えられる。
そして話を戻して、概感の構成の結果、
既存の事象プール内の事象との関係は、
概感の関連の連続性が継続する場合と、
概感の関連の連続性が断絶する場合があり、
概感の関連の連続性が継続する場合は、
これは、後天的定義として、定義の関連性が強く、
概感の構成の次の構成もこの概感の関連先が想起対象になり、
つまり、「赤いリンゴ」であれば、「あ」の次は「か」そして「い」と続くような
概感「赤いリンゴ」に対して
概感の開始としての定義の上位のきっかけ→概感の連続性
概感の連続性→「あ」→「か」→「い」→「り」→「ん」→「ご」
この連続性が関連として決まっていて、
その連続性をまとめる上位の定義があり、
これを「きっかけ」として想起する事で、
中断が起こらない限り、
全ての関連の連続性が断続的に想起として継続される。
また、
概感の関連の連続性が断絶する場合は、
上記の事象の変化としての境界が生じる事になり、
「今まで」の事象の連続性は閉じられて、
「今から」の事象の連続性が始まる。
この場合、事象の変化としては刺激と同様に初めての場合は新たな関連が生じ、
既存の関連が存在していた場合は、事象としての想起の連続性が継続した状態になる、という事になる。
事象プールと刺激、概感の間の役割は以上のような事になる。
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今回はこの辺で。
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