2025/5/15
今と過去の事象の差
13日に知能が選択や決定の際に、
「今と過去の差」に対して比較を行うための基準を見出していると考え出したのだが、
その考え方からすると、
慣れなどは、
比較基準としての過去を忘れていく事が1つの要因として考えられる事になる。
または、
他には、今を構成して意識する時の刺激か概感の構成が、
継続してきたことによって効率的に構成ができるようになったための、
過去の経験のなかった時との差としての新鮮さの消失。
こういう理由が考えられる事になる。
つまり、過去にあった出来事を「過去の事」として意識できるようになること。
これが「慣れ」なのではないか、という事になる。
習慣が習慣として認識や想起の対象としての優勢を得るのは、
脳や神経細胞ネットワークで、「強化」の機能を持つゆえの、
構成上、当然の事という事になる。
つまり、今の事象に対して、より強化された固有の事象としての過去の事象が、
容易に認識や想起の対象として構成されるために、
その「今と過去の差」、つまり、「今と過去の事象の差」が非常に小さくなるために、
「変異」、おそらく、これまで考えて来た事から言えば、
ベクトルや指向としての向きと大きさであるが、
この「変化の少なさ」が「慣れ」として知能が感じる、という事になる。
「慣れ」を感じるという事は、
この「慣れ」自体も事象であるという事になるが、
慣れ自体は比較の産物であり、
その事象の存在する瞬間は認識できず気づかないが、
知能が観測し、思い返して「比較」してみると、「慣れ」であったと感じる事が出来る。
つまり、「慣れ」の感覚は、
ある事象と事象の比較の差が小さい時に感じる感覚としての事象という事になる。
逆に、事象と事象の比較の差が大きい時に感じる感覚が存在する事になるが、
この感覚は、「新鮮さ」や「驚き」という事になると考えられる。
つまり、「脳はこの事象と事象の差」に対して、
大きく反応する器官として構成されたとも言える。
そしてそれを体現する資質が、
機能の未熟さを維持する事による、
後天的な定義の可塑性になるのではないか、と考えられる。
つまり、先天的定義と後天的定義の組み合わせのパターン、
先天的・先天的
先天的・後天的
後天的・後天的
この差に対して、後天的に差を定義する事で、
知能が働くための、機能するための指標を構成・定義している、という事になる。
つまり、今、私がこれを書いているのは、
今これをするべきと考えた結果が反映されたものであるが、
その考えた結果というのは、
恐らく、私が「今」の状態・状況に対して、
最も強く再構成した情報としての事象として、
「これを書くこと」を想起したから、その結果という事になるが、
それは何か知能が自発的に自由意志で構成した事象としてではなく、
今に対して、過去の同様に似た事象に対して、
最も再構成しやすかった事象として、
「人工知能に関する文章を書くこと」を事象として再構成したから、
という事になる。
実際、これを書き始める直前、13日に書いた、
事象の今と過去の差について考えていたし、
その直前には、人工知能とは関係ないが昔の事を思い出して、
その後、今と比較した時の「慣れ」について考えていた。
これらの事象は、関連の連続性を持ち、
事象プールにおいて存在が継続している状態を持ち、
これらの関連と、新たに認識や想起する事象との差の上に、
さらに、知能の観測の結果としての連続性の上に「意識」がある、という事になる。
つまり、「過去」は事象プールにある事象群の事であり、
「今」は認識や想起される刺激や概感である。
この「今」の事象と「過去」の事象との「差」に、
「今」を選択する、決定するきっかけが含まれている事になる。
そして、結果として、その選択や決定のきっかけ、指標が何であるかというと、
「今」新たに認識と想起する、刺激と概感のどちらが「過去」の事象と比べて、
強い情報を持つ事象であるか、という点に行きつく。
つまり、最も「今」に近いのは、
刺激を認識するか、概感を想起するか、どちらを優先するか、という比較である。
そして、重要なのは「事象プール」の維持機能として、
認識、想起した事象を連続性を持つ状態として一時的にではあるが維持する機能になる。
上記の「選択・決定のきっかけ」補足になるが、
常に今、刺激と概感を比較するだけではなく、
刺激と概感を比較した後に、「事象プール」で維持されている事象と比較する必要が出てくる。
実際には比較というよりも、新たな「今」の事象に対して、
「過去」の維持された事象との関係において、「差」がどれだけあるのか、
という「比較」になるが、
つまり、この「今」の「次に訪れる今」というのは、
この「今」の事象と「過去」の事象群とのそれぞれの関係において、
最も大きな「差」を持つ事象が「次の訪れる今」のきっかけになる事象という事になる。
つまり、刺激の場合はそうではないが、概感を構成する場合はこの
今と関連を持つ事になるきっかけの事象と関連した事象が、
次の概感を構成するという事になる。
つまり、この時新たな関連を持つ事象が構成される可能性があるという事になる。
つまり、思考や想像などの機能である。
つまり、今の状況や状態に対して、新たな刺激を認識する場合は、
新たな経験として、この刺激を認識して、意識する。
結果としてこの事象は事象プールに置かれ、一時的な連続性を持って維持される。
また、今の状況や状態に対して、概感を想起する場合は、
新たな刺激をきっかけとした概感の場合は、
新たな刺激と事象プールにある事象群との関連の中で、
最も大きな差を持つ事象が事象群の中で対象となり、
この新たな刺激とこの事象が関連して概感を構成する事になる。
そしてこの概感が想起され、意識される。
さらに、今の状況や状態に対して、概感を想起する場合で、
新たな刺激の概感をきっかけとした概感の場合は、
新たな刺激を元にした概感を想起対象とした次の概感に対して、
事象プールにある事象群との関連の中で、
最も大きな差を持つ事象が事象群の中で対象となり、
この新たな刺激がきっかけの想起した概感による次の想起した概感とこの事象が関連して概感を構成する事になる。
そしてこの概感が想起され、意識される。
少しややこしいのだが、
つまり、変化情報を刺激として受容した際に、
刺激の構成と同時に概感の構成も起こるというのは以前考えたが、
「今」に最も近い選択や決定は、まずこの変化情報に対する
「刺激か概感」のどちらかが選択・決定される事という事になる。
そして、刺激である場合は事象プールとの比較において認識と次の想起の候補が構成される。
ここで、概感が優勢であり、概感が選択・決定される場合は、
この概感が想起対象になるが、
次の想起の候補が、この概感と事象プール内の事象との比較において、
新たな関連を持つ概感が構成され、次の想起の連続性が生じる、という事になる。
つまり、想起の連続性としての思考や想像の継続、という事である。
これは、この連続性にないイレギュラーな割り込みとなる、
別の事象が新たな「今」に刺激として認識対象となる事で、
この連続性が止まるまで継続する事になる。
つまり、新たな事象としての刺激が構成されるまで、
想起は継続する、という事になる。
例え考えている内容が変わっても、それは別の想起ではなく、
想起の連続性はそのままである。これは単に想起の関連が、
たまたま別の内容に移っただけのことで、それぞれの想起していた事象の連続性は維持されている。
これは以前考えた意識の二面性である、
刺激:(意識):概感
という事から、意識は覚醒状態にあれば、
必ず刺激の認識か概感の想起をしている連続性の状態という考えに行きつく。
つまり、
刺激の認識:(覚醒):概感の想起
という二面性であり、
それぞれが連続性の上に成り立つという事になる。
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