2025/4/15-2025/5/3

経験となる記憶の構成について考える


今回は、刺激を構成した後に、
この刺激から経験としての記憶を構成する場合の方法や課題について考えてみる。

仮に、もし自分が知能または強い人工知能の経験の設計分野の担当であるとして、
何が必要になるか、何を考えたらよいか、という視点で考えてみる。


まず、生命にとっては、どのような情報を得て、どのような情報が必要となるか。

感覚器官自体は既にある物を使うとして、
まず、得られる情報は「接触(有無)」と「特定の種類の情報」と「身体部位」になる。

例えば、触覚であれば、「接触・有」と「接触」と「身体部位・接触部位」になる。
聴覚であれば「接触・有」と「音の波長」と「身体部位・耳」になる。
嗅覚であれば「接触・有」と「臭気・種類」と「身体部位・鼻」になる。
視覚であれば「接触・有」と「光の波長」と「身体部位・目」になる。
味覚も同様に「接触・有」と「味・種類」と「身体部位・舌」になる。

刺激は感覚器官の受容体の励起を単独ではなく、連続して受容する事で、
刺激として仕立て上げるので、
この方法をそのまま利用するとして、
この感覚器官の受容体からの情報は、次の段階の情報として構成する為には、
連続した「接触」の情報が必要となる。

これは今日の気づきになるが、
生命が情報の受容に対して、その最も初期の「接触」に対しては、
情報の構成単位としてはあくまで「点」の情報になるのではないか、という事になる。

つまり、感覚器官の受容体での変化に対する情報は、まず「点」であり、
そこから連続した「点」の受容によって、「線」がプロットされ、
まず「刺激」が構成されるのではないか、というわけである。

「刺激」の設計ということであれば、
「刺激」としての情報の単位構成を設計する必要があるが、
何らかの意味のある情報としての最小単位で「刺激」を構成するにしても、
単に「点」の情報だけでは、以降の、あるまとまった「変化」の情報を構成するのが困難になる。

つまり、「点」の情報だけでは、
それを多数作ることが出来ても、
その後の情報としての「強さ」「向き」のようなものが不足する事になる。

つまり、情報としては「点」だけでは知能にとってあまり意味があるとは言えない状態なので、
「線」にすることで意味を持たせようという事になる。

生命としての情報の管理ということであれば、
この辺りまでの情報は、自動的に機械的に作り出してしまった方が良い事になる。
つまり、先天的定義などで機械的に情報を作り出した方が良いだろうという事である。

もちろん、事象としての自然界に起こる変化であるので、
生命がその事象の構成に対して何らかの意図的な変更を加える必要も、加える事自体ができないので、
あくまで自然界の事象に対してはあるがまま受け取るべきであろう、という事になる。

そして、この時点で、「点」の情報を連続性をもって「線」としての「刺激」に構成する為に、
設計として何が必要になるのかと考えると、
感覚器官で受容できる「点」の上記の情報に対して、「変化」としての基本的な情報として構成する為の
要素として必要になるのが「変化」の「変異」を作り出すための「基準」が必要になる。
つまり、まず、上記の「強さ」としての情報である。

これは、現在は「刺激」の例であれば、単位時間の励起の回数・頻度が、
そのまま刺激の強さとして用いられるらしいので、
感覚器官の受容体の励起と回復の間隔の設定に対して、その励起の頻度は、
一定時間に対する励起の回数をそのまま用いることが出来る。

つまり、この回数と強さの関係の定義こそ必要になるが、ある一定の間隔において、
受容体の励起の回数は、刺激を構成する時の「強さ」の定義として用いることが出来る、という事になる。

そして、追加情報として、ある「一定の間隔」という定義を必要とする事になる。
恐らく、これまで何度も出てきたマジカルナンバーの概念であるように、
知能はある1つのまとまりのある情報として処理する際に情報量の上限というものがあるのではないか、
という事になる。
逆に考えれば、知能における情報の単位は、この「情報量の上限」が定義として使うことが出来て、
知能が処理する情報の単位として用いることが出来る事になる。

そして、「向き」は連続性における「一定の間隔」」の時間経過によって、
「点」をプロットした経緯がそのまま「向き」として使える事になる。

つまり、この時点で、例えば「刺激」を立体的に展開するとしたら、
この考え方はLLMのトークンの概念のそれと似ているが、

「刺激」の起点を図の原点に設定した場合、
「接触・有」の情報はそのまま、この展開図の存在であり、
「特定の種類の情報」はここに含まれる情報の向きの次元として、
「接触部位」も、ここに含まれる情報の次元として、

ここまでが刺激を構成する「点」としての情報となり、
これをまず構成し、
ここに追加するものが、別次元の、

「刺激の強さ」としての二次元の大きさと、

ある特定の「点」の情報に対する、時間経過による経路としての、
連続性を構成する列のようなものが必要になる。

これは、神経細胞ネットワークで言う所の

「刺激の強さ」=シナプス接続の強度・重み付け
「連続性」=神経細胞ネットワークのシナプス接続の経路の順序

という事になる。

つまり、刺激を構成する要素は基本情報としてはLLMのトークンに似たようなもので良いが、
これに追加する次元として身体性を含める事や、
選択や認識や意識をするための基準や連続性が別に必要になる、という事である。

これで現時点で考えうる「刺激」が定義できる事になる。

つまり、「刺激」として構成する事になるのは、
簡単に言えば、

情報の種類ごとの単位(変化情報+自己情報)
情報の発生回数のカウント
情報の種類毎を接続する経路

これが必要になる、というわけである。

例えば、「赤い色」を刺激とするなら、
視覚で受容する光に対して、固有の波長に対する「赤い」定義と、
光を構成しうる最小単位の情報量、
情報の発生回数に対する「強度」、
これを最小単位として、
視覚内の位置や範囲を指定する身体性の定義に対して、
情報の発生回数分の構成の連続性を持たせれば、
仮想空間内に構成する「赤い光」が事象として存在する事を、
刺激として構成することが出来ると考えられる。


連続性の経路か向きとしての指向については1つのベクトルにまとめるべきか、
情報量毎に分けるべきかは、現時点ではまだ考えが至らない。
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2024/4/22

自分の二面性の定義:

生物の知能の構成そのままでもあるが、
恐らく現在の人工知能が強い人工知能になるために足りていないのは、
特に自己の身体性としての情報に対する客観的な観測をする存在の不足にあると考えられる。
つまり、知能は情報を処理する存在であるが、
その処理を主観的に行う存在であってはならないという事である。
それは認識したり想起したりするためであり、もちろん意識するためでもあるが、
そのためには、知能は刺激や概感を構成した場を観測する主体性そのものである必要がある。

つまり、知能は、ある場に対して刺激や概感を構成できる存在であれば良いという事になる。
つまり、知能そのものは、その処理の過程を見てはならない。
つまり、その存在が自分であるためには、知って良いのは結果としての自分だけであり、
知能の再構成の場に自分を再構成した、その構成の事実だけが自分で自分を存在を証明する事になる。

つまり、現実空間を情報として受容して、知能内の仮想空間内に、
現実空間から得た情報を元に再構成した仮想の現実空間を構成し、
現実空間の情報を受容した存在を、知能内の仮想の現実空間内に構成し、
この存在が「自分」であると知るのは、
現実空間の情報としての変化情報を「受容」した、変化情報に接触した存在は、
仮想の現実空間においても、変化情報を受容して接触した存在として再構成されるから、
知能は自ら再構成した存在に対して「自分」であると感じる、という事になる。

つまり、知能は自分を知らないが、知能が構成した存在を自分であると定義できている、
事象として構成出来ている、という事になる。

つまり、二面性で表すと、

知能が構成する現実の仮想空間:(自分):知能が持つ事象

という事になる。
これは、「自分」という事象が存在するのは、
知能内で知能が構成した仮想空間の面と、知能が再構成できる刺激と概感の面の境界に、
自分が事象として生じるという事になる。

つまり、知能にとっては生命として現実空間に自分が居るのではなく、
再構成された仮想空間内に自分が居ると理解しているという事になる。

つまり、知能が再構成する仮想空間の外には自分は存在できないという事になる。
そして、反対に、知能が構成した事象でないと自分は存在できないという事になる。

この2つの境界を狭めていけば「自分」の事象の境界面が現れる事になる。

知能が持つ事象は、二面性で表すと、

刺激または概感:(知能が持つ事象):先天的定義または後天的定義

であり、これを一部置き換えると、

自分としての刺激または概感:(自分としての知能が持つ事象):自分としての先天的定義または後天的定義

であり、上の定義と合わせると、

自分としての知能が構成する現実の仮想空間:(自分としての自分):自分としての先天的定義または後天的定義

こういうことになる。

先天的定義または後天的定義から事象が構成されるのは、
定義としての神経細胞ネットワークに対する励起であるので、
つまり、自分である事象は、自分としての先天的定義または、自分としての後天的定義、
つまり、自己情報における身体性と、自己の身体性における経験、であるので、
つまり、

自分としての知能が構成する現実の仮想空間:(自分としての自分):身体性または経験

という事になる。

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2025/4/18-2025/4/19

少し話が逸れるが、
今日気づいたのは、
二面性における事象が、
数学の数式においては「=」が相当するのではないかという事。

そして、知能における認識や想起対象の事象を構成する時の要素として、
身体性以外の情報の要素があるのではないか、という事。

数式の「=」は直接的には関係ないので後で何か考えるとして、
身体性以外の情報の要素というのは後天的定義の経験を定義するのには良い方法ではないかと考えた。

つまり、例えば「赤い光」の「赤」の定義は、
視覚における感覚としての身体性によって「赤」の情報が視覚の光の点として構成されるのではなく、
純粋に「赤」の定義だけが存在するのではないかという事。

これは、想起における概感を構成する際の情報として何が必要か考えていた時に気付いた。

つまり、後天的定義として経験を定義として構成する場合、
これまでは先天的定義への関連を利用して構成すると考えていたのだが、
これであると、どうしても身体性も再構成されてしまう関連が捨てきれなくなる。
つまり、これを回避する為に「後天的定義は身体性に関連しない」という定義が必要になる。

これは明らかに定義としては冗長的であり、自然界のシンプルさに反する。

であれば、元々、先天的定義には身体性と変化に対する別々の定義があり、
刺激を構成する場合は身体性と変化の定義を両方利用する定義が存在し、
後天的に先天的定義に関連する場合は、変化の定義のみ利用できるとした方が効果的という事になる。

これは感覚性失認の逆の考え方になるが、
例えば「りんご」の定義に対して、文字列、音声、画像、などの定義があるとして、
それぞれの変化情報としての入り口は感覚毎に異なるのだが、
どれも最終的に行き着く事象は、文字や音や画像の情報の連続性を持つ「りんご」である。

もし、ここで「りんご」を想起するとして、概感を構成する場合、
その連続性を持つ情報の発端は、身体性に続くルートが無いのだが、
きちんと文字列や音声や画像の「りんご」は構成できる。

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2025/4/21

記憶の情報としての構成:

続きになるが、
知能が記憶として持つべき情報は、
逆に生命として自身がある状態・状況に接した時に、
どのような情報を構成して想起するべきか、
という事になる。

特に新たな状況や状態に対しては、
その適応の為の対応を刺激から認識し、
この状況や状態に対する適応方法を構築する。

つまり、

新たな状況・状態→「状況・状態」+「対応・適応」

これを認識して後に記憶する事になる。
また、後に同様の「状況・状態」を認識した時、
この「対応・適応」が再構成され概感として想起される事になる。

「状況・状態」は、情報としては身体内外の変化、つまり、刺激を対象として、
「適応・対応」は、生命として知能として、自己にもっともらしく反応させる活動の定義になる。

そして、特にこの「状況・状態」が新規であるか、記憶済みであるかで、
知能の働きは変わることになる。

つまり、新規の状況・状態に対しては、
想起は働かず、認識側の刺激の構成が行われる。
そして、記憶済みである場合は、
想起が働き、概感の構成が行われる。

意識されるに至っては、結果的に刺激の認識の場合も、
概感の想起の場合も、同じ意識に行き着くが、
この過程の状況・状態の連続性において、

刺激の連続性を構成する場合と、
概感の連続性を構成する場合で、

何かが違うという事になる。

つまり、入力の状況・状態は共通し、
意識される、という事も共通するが、

入力

認識または想起

刺激量による選択

意識

刺激か概感を、認識や想起として、
意識される側の情報が異なるという事になる。

また、
認識の場合は、刺激を、
想起の場合は、概感が、
構成されることになるが、
刺激の場合は最終的には新規に記憶を行う必要があり、
概感の場合は、恐らく記憶の強化はされるであろうが、
新規の記憶には至らないと考えられる。

つまり、状況・状態に対する適応・対応として、
新規に構成して記録するか、単に再利用としての再現するかの違いがある事になる。

知能の活動の労力的なものを考えると、
圧倒的に新規の構成と記憶の負担の方が大きいと考えられる。
つまり、神経細胞ネットワークの新規の構築であるので、
生体の資材的な負荷は、記憶の強化より大きいはずである。

最終的には、新規の状況・状態は、新規の記憶として構成されるが、
長期記憶として記憶されるまでは、短期記憶で維持する必要がある。

そして、上記にもあるが、
これらの情報は連続性を持っている事。
これには注意したい。

つまり、例えば単に何かを見たから、それに反応するのではなく、
その「何か」を構成するまでに必要となる情報は、瞬間で構成できるものではなく、
ある程度まとまった情報量を必要とする。

赤い色を見たから反応するのではなく、
この赤い色はリンゴなのか、赤信号なのか、花なのか、
そういった概形や光源の周囲との差異の情報を含める事によって、
この本来の刺激の元となる対象の、事象の情報塊が構成される事になる。

つまり、例えば「見る」にしても、対象やその対象の周囲の情報も、
ある事象の情報を構成する為に、情報の要素が多数用いられている、という事になる。
これは、視覚以外の感覚や、身体の状態においても言えて、
単に純粋な事象が持つ情報だけで刺激などが構成できるわけではない、という事になる。

そして、そこに必要なのが、事象の情報に関連する情報の存在における連続性、
つまり、情報を構成する上での関連を作るための連続性という事になる。

つまり、点から線を構成する上で、その点と点を繋ぐものが関連であり、
この関連の全体像を経由した連続性が、ここでは最終的な刺激になる、という事である。

色や音の波長、化学物質の芳香や味、接触などは、
先天的に定義が存在し、選択の必要なく刺激の再構成には用いることが出来る。

しかし、リンゴの色、丸さ、形状、匂いや味、感触、名前や発音、これらは後天的にその関連が構成される。
そして、そのいずれもある瞬間の情報で構成されるものではなく、
情報としてある連続性を持っている。

つまり、刺激を構成する為には、先天的定義としての基本的な刺激を構成する情報と、
後天的定義として、新規に関連付けた連続性を持つ情報を用意する必要がある、という事になる。

つまり、基本的な情報として、先天的定義としての「点」の情報と、
後天的定義として後天的に新規に定義する「線」の連続性を持つ「関連」の情報によって、
刺激は構成される、という事になる。

感覚器官・受容・点
↓←連続性・関連・線
刺激

つまり、感覚器官の受容体で、瞬間的に受容できる情報から、「点」の事象の構成要素を、
先天的定義を用いて再構成し、それらが連続的に励起され生じて入力されることで、
その入力に対する連続的な出力である先天的定義による事象の構成要素となる情報の励起が生じ、
この連続性の中に内包される「連続性」が、「関連」そのものとなり、
1つの事象の情報としての刺激が構成される、というわけである。

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記憶としての状況・状態の連続性とその情報の構成について:

まず、新規の刺激の構成を考えた場合、
短期記憶として、ある連続性を持つ情報塊である「刺激」を構成する場合、
脳科学を正確には理解していないので曖昧な話で申し訳ないが、
主に海馬や灰白質を中心とした脳の活動として「関連」が構成され、維持されると考えられる。
先天的定義は大脳皮質にあると考えられるが、
この時点で短期記憶として必要になるのは、「関連」だけで良い事になる。

つまり、この時点での短期記憶は、感覚器官からの変化の受容となる励起に対する、
自己情報を呼び出すための「経路」だけの記憶で良い事になる。
つまり、極端な事を言えば、
「経路」が明確であれば、両端の入出力はあえて「記憶」しなくとも特定できる事になる。

つまり、知能が、ある事象を刺激を使って認識し、意識し、記憶しようとした場合、
短期記憶として保存しておく必要があるのは、事象の始点とその関連だけでも十分になる。

そして、この始点は1点ではなく、ある瞬間の状況・状態として、
知能内に同時に入力されることになる「点」の励起という事になる。
つまり、まず、刺激の始点となる開始位置は、ある「状況・状態」を構成する
おそらく複数の点を開始位置とする事になる。

これらの「点」自体は、先天的に直接の関連を持たないが、
以降の連続性の各瞬間における励起された「点」とは関連を持つ事になる。
つまり、関連としての励起の連続性、つまり、神経細胞ネットワークの構成が、
後天的定義として構成される事になる。

つまり、例えば先天的定義としての視覚の見えた赤色が重要なのではなくて、
その赤色で区切られた範囲にある形状や周囲との差異、
刺激においては自身の身体性、見た場合の視覚で用いた「目」の構成、
そういった情報の関連が重要であり、これらの情報から「刺激」が構成されることになる。

つまり、刺激においては、
入力される情報に対して、その入力の連続性が、関連の連続性に置き換わり、
この点の情報に対する関連の連続性が、後天的定義としての定義となり、
情報に刺激としての意味を持たせる事になる。

当然、認識における連続性は意識になるという考え方であるので、
刺激が元々連続性を持つ情報であり、これが連続性によって認識できるのであれば、
認識自体も連続性を持つ情報であるので、意識するに至るという事になる。

ここで分かるのは、
刺激の構成の起点は感覚器官の受容体の励起である事、
そして、
刺激の構成は、それが刺激の新規の構成時のみ少し異なるという事。
また、
刺激を構成する情報の要素は先天的定義から構成されるが、
刺激を構成する情報の関連は後天的定義としての関連の連続性であるという事。

そして、ここから追加して新たに考えられるのは、
刺激に対しては、
後天的定義の関連が構成された後の同様の刺激の入力に対しては、
メインの刺激の関連に加える形で、新たな差異、差分が関連に加わるのではないかという事。
また、
後天的定義が構成された後は、刺激の認識は恐らく少し時間的に早くなるのではないかという事。

そして、短期記憶においては、
「経路」としての「関連」が連続性を含めて一時的に保留されているだけで、
明確な情報としては保管されていないと考えられる。

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2025/5/2

今回のまとめ:

刺激の構成から経験としての連続性までを含め、
現時点での経験の記憶の構成を考えてみると、

変化情報の受容を起点とした考え方と、
刺激の認識と、概感の想起、の同時性、
連続性におけるある単位の情報に対する刺激量の構成と、
比較基準の定義の存在と知能による自動選択、
これらを合わせて経験を作ろうとすると、
知能が構成しうる事象を、ある一定の間隔、または情報量として上限を設けて、
事象毎に関連を設定したものとして記憶は構成できるのではないかと考えられる。

つまり、概感として想起した場合に、
知能が一度に扱いうる情報の単位と、その連続性、
おそらくこの連続性にも上限があり、
現代のデジタル信号のように、固有の通信速度でONとOFFを切り替えるというよりも、
生物であるので、よりアナログな、ある別の事象としての時間的な間隔の流れがあり、
その中で生物の活動としての知能の働きの中で、
モールス信号というわけではないが、情報の構成を連続的に行ったものが、
経験としての記憶になるのではないかと考えられる。

つまり、逆に考えると、記憶する際の機能の解明の必要性がある事にもなるのだが、
経験の記憶の概感が、まったく経験した際の刺激の連続性と同じでないのは、
実際に感覚で経験した事象とは少し異なった形の情報で経験を記憶しているという事になる。

基本的な事象や連続性は、恐らくほぼそのまま同じ状態で情報を定義として記憶出来ていると考えられるが、
全ての事象や連続性がまったく同じではなく、記憶する為の定義として、
知能毎にもともとの知能が持つ定義による個体差が生じるものであるという事や、
時間のような一定の間隔の定義や、知能自体が扱える情報量の上限、
こういった知能の能力に個体差があるという事。

そして、まだいろいろな要素を考える必要はあるが、
知能が機能的に規格をまったく同じであると考えたとして、
どのような知能であっても、経験の記憶を構成するのであれば、
起点は変化情報の感覚器官による受容、
情報の強度は、一定間隔における受容の回数、
経験としての記憶は、上記の一定間隔における、ある単位としての情報に対して、
その関連を、関連の段階を連続性として定義したものという事になる。

つまり、一定数の繰り返した

情報A→(関連)→情報B→(関連)→・・・(繰り返しの上限あり)

これでようやく1つの経験の記憶になるという事になる。

そして、この「関連」については、
知能がある事象に対して構成する情報の定義が存在すると考えられる、
つまり、物が物として見えるのは、物の定義が存在するという事、
この定義は、物の分類としての定義ではなく、情報の単位としての定義である。

つまり、物体としての定義という事になる。
これは、他にも色や匂い、音、感触など、
ある情報が情報として他の定義と異なるための定義である。

つまり、2つの物体を認識できるのは、
インスタンスとして物体の定義を用いた別のオブジェクトを構成しているというわけである。
色なども同じ。

例えば、色が色として、複数の色のその境界を把握できるのは、
色の定義が異なるというよりも、異なるオブジェクトとして色を把握しているから、
というわけである。

恐らく、情報の定義には優先度があり、物体に対する色であるような、

物体→(関連)→色

のような順番が存在する。

色→(関連)→物体

として認識していないように感じるのは、
色よりも物体の形状のような情報が優先される定義であるからなのではないか、とも考えられる。

つまり、生命に必要な情報の優先度の定義の存在という考えになるが、
より緊急性の高い変化の情報は、情報としての優先度、価値が高いという定義の存在の示唆にもなる。

となると、刺激の再構成における優先度として、
再構成の速度の違いによって構成順序が決まるという所まで考えられる事になるが、
今回はその考え方は保留としておく。

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刺激と概感の同時構成と短期記憶の認識プールとしての働きの考え方:

追加で、
少し新しい考え方になるかもしれないが、
刺激を単純に刺激だけとして変化情報から直接刺激を構成するのではなく、
刺激の構成と概感の想起を同時に行う事、
概感が既に存在するかの有無によって、少し経路は異なり、時間差が生じるが、
この後、刺激は短期記憶側で再構成し、
概感は既存の短期記憶の再励起か、
長期記憶側からの再構成によって短期記憶側に関数の戻り値のように戻す事、
さらに、これらの情報の単位に対して、連続性の関連を定義する事、
これで、ある1つの連続性を持つ情報の記憶の経験を構成する、
という考え方。

つまり、

変化情報→刺激+概感

において、刺激の構成は、

刺激=変化情報+自己情報

であり、刺激は認識プールに在る事になる。

刺激→認識プール

こうであり、概感は既存の記憶が無い場合で完全に新規の場合、
刺激がそのまま概感の元になる。

概感←(完全新規)←短期記憶(インスタンス作成)←刺激

または、既存の記憶がある場合、

概感→(既存の記憶有り)→長期記憶からの再構成(戻り値)
概感→(既存の記憶有り)→短期記憶からの再構成(オブジェクトへのフォーカス)

このいずれかで概感が認識プールに在る事になる。

概感→認識プール

となり、この認識プール内の刺激と概感の存在の連続性によって、
認識や想起ができる構成が考えられる。


短期記憶側に構成した刺激に対して、
概感が存在しない場合は新規の経験として、
概感が存在して再構成体が存在した場合は、
先に刺激として構成した情報に対して、同様の概感が戻されるために、
以前も経験した事のある「記憶」であったという認識と、
さらに概感が存在するであろう場合の経験の情報の連続性として、
この刺激の変化情報を起点とした想起が行われる可能性の示唆が生じる事になる。
つまり、
経験の記憶の構成は、完全に新規の場合は、
刺激の認識として短期記憶に滞留し、その後、長期記憶として構成。
想起する概感が無い場合は、これで経験の記憶となり、
新規でない場合も、
刺激は刺激として短期記憶に新たに構成するが、
概感が想起された場合、この短期記憶の構成に加え、長期記憶の概感の戻り値としての情報が加わり、
短期記憶では、同じ事象に対する刺激と概感が同時に構成されることになる。
つまり、今感じた刺激に対して想起された記憶がよみがえっている状態になる。
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2025/5/3

選択の為の評価の基準:

これは課題でもあるのだが、
記憶に関する情報としての優先度や強度として、
何らかの知能における評価基準の定義が設定されると考えられる。
これは、刺激の構成時における優先度でもあり、
概感の構成の優先度、
認識の優先度、想起の優先度という事にもなる。
もちろん、記憶としての長期記憶の優先度でもあり、
現時点では、変化情報としての強さがそのままこれらの優先度や強度として用いられると考えられるのだが、
単純でないのは、想起の選択肢としての概感の構成の優先度においては、
一概に記憶した時の強さがそのまま選択基準に現れるのかどうかがまだ不明であるという事。

つまり、自我や自由意志として考えられる選択可能な範囲が、
有限であるにしても幅があるのではないかと考えられる事に対して、
この範囲内における自由度において、何の基準で対象が選ばれるのか、ここがまだわからない。

単純に生物としての感覚の受容の強さなのか、
事象の存在時間の連続性による強化があるのか、
習慣などによる強化があるのか、忘却による弱化があるのか、
など、知能が何を基準にして認識や想起の対象を優先するのか、
この基準がまだわからない。
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今回はこの辺で。


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