2024/11/4-2024/11/11

定義の階層

今回は定義の構成から階層について考えてみる。

定義について考え始めたのは、
可視光線の赤い色に属する600nm~700nm近辺の波長が、
なぜ赤く見えるのかと思った事がきっかけであり、
定義の考え方は、世界の成り立ちや、その世界を構成する自然法則、
その自然法則から成り立つ生命や科学、物理の法則、
そういった世界の中にある事象を存在させるために必要であるという考えに至った。

ただし、定義の考え方は、人間が知的生命特有の機能として得たものであり、
自然界に実際に定義が存在するという事にはならない。

あくまで、定義する事は、人間の知能における事象の捉え方であり、
生命としての存在と周囲の世界の存在を繋ぐものであり、
そして、生命が知能を構成するために用いた手法であり、
生命が獲得した知能を構成する方法でもあるという事になる。

つまり、定義が存在しなければ、
生命は周囲の変化に対して、
その変化に対する反応が出来ないという事になる。
生命体が変化に対して決まった反応が出来るのは、
この定義が存在するからである。

人間の知能では、
この定義が後天的な自分自身にも対応したために自我や自我意識を持つ事になったと考えられるが、
もし、後天的な定義をする能力がこれほど発達していなければ、
人間は今も他の動物と同じような本能に従った生活をしていたと考えられる。

最終的には、「知能は定義する機能である」という所に落ち着くのではないかと考えている。
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最上位の定義:(存在:?~世界)

まず、マクロ側の定義から考えてみると、
人間が生きている世界、宇宙なども含まれるこの世界になるが、
この世界がここにこうして存在しているのは、
何らかの世界の定義が存在しているからという事になる。

世界の定義というのは、この世界の存在を、
その存在するという意味において解釈して実現させる定義になる。
概念としては理解できるが、私もよく分からないし、
人間の理解力を超える事になるが、
世界を定義の解釈として存在させている上位の「何か」があるはず、という事になる。
この世界の上位の存在は空間なのかエネルギーなのか、
それとも世界が定義の最上位で、それ以上の上位の存在が無いのかか分からないが、
世界が存在しているということは、
何らかの定義としての決まりがあり、
その定義に従って世界は構成され、存在しているのだという事になる。

世界の定義を持つ存在:何らかの存在

世界の定義

世界

次の下位の存在は「世界」という事になり、
世界が持つ定義は「自然法則」という事になる。

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自然法則の定義:(存在:世界~自然界)

自然法則を持つ存在:世界

自然法則の定義

自然界

世界にとって自然法則は、世界の内に存在するあらゆる事象を定義するものとなる。
人間が知りうる自然法則であれば、
学校の科学や物理で勉強したような空間や質量、重力、素粒子、波、光、
エネルギーなど、そういった定義の事である。
質量による引力1つとっても、自然法則の定義に従って、
決まった変化を起こす。人間が理解して解明している自然法則の定義であるなら、
その自然法則に従った変化は、定義を逸脱することはなく、
必ずその定義に従った決まった変化を起こす。

定義の考え方は、概念で言えば、
下位の存在から上位の存在を見上げた時、
上位の存在は決まって固有の存在であるという事になる。
つまり、下位から見た上位の定義は常に変化しないという事になる。
人間にとっての自然法則はこの見方となる。

次の下位の存在は、自然法則から成り立つあらゆる事象という事になる。
生命や人間自身の存在もその事象の1つであるため、
人間が理解できる定義として一番身近で、なじみの深いものである。

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自然界の生命:(存在:自然界)

まず、自然界に存在する一般的な生命について考えてみる。

人間の存在自体の階層の階位が、この位置に相当するので、
最も身近な定義となる。

自然界自体が定義を持つわけではないが、
自然界を定義する自然法則に従って生命は存在している事になる。

世界において、自然法則を理解や解釈できる存在としては、
「生命」が挙げられる。

人間は生命についてまだ地球上の生命しか知らないので、
宇宙の他の場所に、同様に自然法則を理解できる存在があるのかは、
まだ分からないが、現時点で人間が知っているような自然法則を理解・解釈できる存在は、
地球上の「生命」のみという事になる。

この「自然法則を理解・解釈」できるという事は、
定義において上位の定義を下位の定義で定義しなおす事ができる存在という事になる。

つまり、上位の定義は、さらに上位の存在から定義されたものであるので、
下位の存在からは見る事、存在を知る事はできるが、定義の操作や変更はできない事になる。
同位の定義は、並立することはできるが、それぞれ固有の独自の定義であり、
定義自体が互いに関連しあう事はあるが、互いに改変はできない。
上位の定義は、上位の定義によって構成された下位の存在にとって、
その下位の存在が持つ定義を用いて理解や解釈として定義する事ができる。

上位の定義

存在(上位の定義に従って構成された存在)

定義→上位の定義の解釈:可能

定義は、そのものの意味としてある事象を決める事であり、
この場合の決める「定義」は、その決めようとしている存在に対して下位に存在するという事になる

つまり、
定義しようとする対象は上位の定義であり、
定義しようとしている「存在」と「定義」は1つ下の位にある同位に位置する事になる。

存在:上位

定義しようとする存在・その存在が保有する定義:下位

存在と同位に位置する定義は、その存在にとって理解が可能となる。

定義しようとする存在<=理解・解釈=>同位の定義

世界:上位

存在と存在が持つ定義:下位

存在→存在が持つ定義:同位

つまり、ある存在と定義を並べると、

(上位)・・・→存在→定義→存在→定義→存在→・・・(下位)

という事になり、
階層ごとの存在と定義では、

(上位)

(存在A→定義A)

(存在B→定義B)

(存在C→定義C)

(下位)

存在Bに対して定義Bは管理下の存在であるが、
存在Aに対して存在Bと定義Bは下位の同位の定義である。

という事になる。

つまり、ある存在が持つ定義は上位と下位の関係にあるが、
階層においては同位に位置する事になる。
さらに上位の存在や定義から見た場合、その直下にある存在と定義は、
上位の存在が持つ定義で構成された存在としては同位に位置する事になる。

(上位)
上位の存在A

上位の存在が持つ定義A

定義Aから成り立つ存在B

存在Bが持つ定義B
(下位)

上位の存在Aとその上位の存在が持つ定義A:上位

下位の存在Bとその下位の存在が持つ定義B:下位

存在Aと定義Aは同位にある。
存在Bと定義Bは同位にある。

という事である。

少し分かりにくくて申し訳ないが、
つまり、定義によってその下位の存在が成り立つため、
定義とその下位の存在の間には階層の差が存在する。
そして、ある存在は、その存在が管理して保有している定義があり、
この定義は、管理する側の存在とは同位の存在となる。

(管理者)→(管理下)
(自然界:存在)→(自然法則:定義)----(上位)
|(生命:存在)→(先天的定義:定義)---
||(知能:存在)→(後天的定義:定義)--(下位)
|||-------------------
||--------------------
|---------------------

人間の知能の認識能力として持つ定義は、先天的定義と後天的定義のみしかないので、
自身の存在を中心として上位の自然法則と下位の後天的定義の間しか理解や認識ができないが、
もしかしたら、自然法則のさらに上位や、後天的定義のさらに下位の定義や存在もあるかもしれない。

まとめとして、
自然法則と生命を
存在と上位・下位の定義について当てはめてみると、

上位の定義=自然法則
存在=生命
定義=生命が持つ定義

という事になる。
これは生命=人間としても成り立つ。

上位の定義=自然法則
存在=人間
定義=人間が持つ定義=先天的定義

「世界」と「生命」の間の定義が「自然法則」であるなら、
生命が持つ上位の自然法則を理解・解釈するための定義は何であるのかというと、
生命の知能における「先天的定義」という事になる。

では次は、存在としての「生命」と、
自然法則の下位の定義としての「先天的定義」についてもう少し詳しく考えてみる。

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生命が持つ定義:(存在:自然界~生命)

例えば私たちに最も身近な存在である人間において
先天的定義は、どのようなものであるかというと、
上位の世界に存在する事象に対して、
人間が自然法則を定義しなおして理解しようとする「定義」という事になる。

自然法則:定義

人間:存在

先天的定義:定義

つまり、最初に例に挙げたある波長の光がなぜ「赤い色」をしているのかという定義の事である。
「赤い色」の場合、自然法則の定義は光とその波長の定義であり、
人間がその定義を理解や解釈するための存在は先天的定義で定義する「赤い色」になる。

自然法則:定義

600nm~700nmの光:存在

先天的定義:定義

赤い色の光:存在

存在と同位に位置する定義は、理解や解釈が可能となるのは、
その存在自体が成り立つために保有している定義であるからという事になる。

つまり、この赤い光の場合、上位(管理者)の存在が人間であり、
人間が持つ定義である先天的定義によって赤い色の光が存在し、
人間と先天的定義と赤い色の光は、
その上の自然界や自然法則の定義においては下位であるが同位に位置する為、
人間は自身が持つ先天的定義によって赤い色の光を理解や解釈できるという事になる。

自然界:存在------------上位
|自然法則:定義----------
||生命・人間:存在--------
|||先天的定義:定義-------
||||赤い色の光:存在------下位
||||--------------
|||---------------
||----------------
|-----------------

先天的定義は生命にとっては遺伝によって継承される定義であり、
この定義の内訳を考えてみると、
人間においては五感などの感覚や身体の状態として感じられる情報の定義という事になる。

つまり、生命としての人間が存在している世界において、
その世界の内で生じる事象について、人間が理解や解釈するための定義という事になる。

視覚であれば、自然法則における光、
嗅覚であれば、自然法則における芳香性を持つ化学物質、
聴覚であれば、自然法則における空気の分子の振動、
味覚であれば、自然法則の化学物質、
触覚であれば、自然法則の質量を持つ物体との接触、
この他にも、温感や冷感などの感覚や、
身体の状態として現れる他の感覚、感情の状態など、
人間は様々な感覚を持っていて、
それぞれ自然法則から成り立つ事象に対して理解や解釈のための定義を持っている。

つまり、人間が先天的定義を持つ事で、
自然法則や自分自身の身体を理解や解釈できるという事になる。

存在:自然法則から成り立つ世界:上位

存在:生命(人間を含む):下位

定義:自然法則:上位

定義:先天的定義:下位

自然法則の定義:上位

感覚の定義:下位

定義をもって存在させる階層:自然界:上位

定義をもって存在させる階層:知能:下位

自然界:上位

人間の身体:自然法則が存在させる事象としての存在

知能:下位

つまり、自分自身の身体も自然法則に従って存在しているため、
先天的定義にとっては同位の世界に存在するが、上位の存在という事になる。

そして、先天的定義には、自然法則を定義するための定義以外にも、
生命自身の存在について定義するための定義も存在している。

つまり、
世界が自然法則から成り立つように、
生命が自身を生命の存在として成り立たせるための定義である。
これも生命は遺伝子による先天的定義として持っている事になる。
生命は、この定義によって自身の身体を構成している事になる。

いわゆる、生命の設計図としての遺伝子・遺伝情報という事になる。

先天的定義に含まれる定義:
・自然法則の定義
・生命の定義

という事になる。
次は先天的定義について、さらにもう少し詳しく考えてみる。
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先天的定義:(存在:生命~人間)

先天的定義は、自然法則を解釈するための定義と、
生命としての構造を定義する2種類の定義で構成される。

入力と出力の関係を表す定義は、
入力は、感覚器官などで受容した自然法則の定義から生じた事象の変化情報であり、
出力は、脳内で入力に対して構成される身体性となる自己情報を含めた刺激という事になる。

入力:感覚器官または身体内部の感覚:変化

定義:先天的定義

出力:変化情報+自己情報

生命の先天的定義の場合は、
感覚器官を自然法則の事象の入力場所として持ち、
脳内にその事象の定義を持ち、
反応の出力として事象の変化情報と身体性の自己情報を構成し、
これを刺激として出力する事で認識する。

つまり、自然法則で生じた事象を感覚器官で入力し、
その入力に対して決まった反応をするという定義が存在する為、
脳内でこの反応となる出力が構成される。

この出力には、感覚器官で受容した変化を情報として解釈した変化情報に加え、
感覚器官の存在する身体性を自己情報とするものが構成される。

脳内においては、
入力された自然法則の変化を定義によって出力した変化情報と、
定義によって出力された身体性の自己情報が構成されることになるが、
この入力と出力の関係は、先天的定義としての「定義」によって決まっているものであり、
この「変化情報+自己情報」が、「刺激」として構成される。
ここまでの全体の機能が「定義」されているという事になる。

これは、先天的定義として、
ある入力に対して決まった出力を行う事、
知能の場合においては、感覚器官の受容に対して変化情報と自己の身体性の情報を構成する事となる。

そして、

定義=(入力+出力)の構成

となり、結果的に(入力:変化情報+出力:自己情報)が構成されることが1つの定義になり、

変化情報+自己情報=刺激

感覚器官の受容体による変化の受容に対し、
先天的定義によって刺激が構成されることになる。

また、入力に対する出力である自己の身体性の自己情報は、
実体の身体の状態を表す情報でもある。
これは感情などでも考えた、
ある変化情報の受容に対して、身体の状態が変化する場合に感情が生じる、
つまり、感情は身体の状態の変化で感じられる、身体のある状態変化であるという事。

これは、

自己の身体性は、ある入力に対する状態を表すものである。

という事になる。

つまり、

刺激=感覚器官で入力した変化情報+身体性の自己情報

は、

刺激=感覚器官で入力した変化情報+身体の状態の変化

であり、

刺激を認識するということは、感覚器官で入力した変化情報に対する、
身体が表した状態の変化が含まれて認識されるという事になる。


生命の定義の場合は、
生命体としての身体内の状態の変化の定義となる。

つまり、身体内の状態の変化に対して、
脳内でその身体の変化に対する反応の定義が存在し、
その定義に従って身体内で反応を出力するという事になる。

例えば、空腹状態になったとき、身体温度が高くなったり低くなった時、
心地よさ、心苦しさ、緊張、他にも多くの身体の状態はあるが、
これらの身体の状態に対して決まった反応は定義として生命は持っている。

小脳の働きであったり、ホルモンや神経伝達物質の分泌と受容であったり、
これらの身体内の状態の変化は、それぞれ条件となる入力と、
反応である出力が定義されており、これが先天的定義としての「生命の定義」となる。

つまり、これらの2つの定義は、

自然法則の事象:

感覚器官(五感と受容体の存在する感覚の全て)

脳内:感覚の反応の定義

出力となる反応(+=身体性の自己情報)

刺激

生命の定義

身体内の受容体

脳内:身体の状態の定義(一部は感覚器官と重複する)

出力となる反応(+=身体性の自己情報)

刺激

身体の状態の定義

ホルモンや神経伝達物質の受容による身体の状態の全て

先天的定義についてまとめれば、
自然法則で生じた事象の変化、
または、
物理的な存在である身体から生じた状態変化、
の入力に対して、
脳内でその入力に対する反応となる、
変化について解釈した情報と、
入力した身体に対する情報を構成する事。
この入力と出力の一連の働きを決める定義が、
先天的定義という事になる。

そして、この働きにより変化情報と自己情報が構成され、
結果的に「刺激」が生じる、という事になる。

つまり、刺激が存在する為の二面性として、

変化情報:(刺激):自己情報

が構成されるという事になる。

先天的定義の下位の定義は後天的定義となる。
先天的定義は、生命などの物理的な個体が保有する定義であり、
各個体に固有の定義となる。
しかし、生命が受容できる情報には、この先天的定義だけで定義できない情報があり、
この情報を定義するのが後天的定義となる。
人間以外の知能であっても後天的定義を定義できる知的生命もいる。
特に人間はこの後天的定義を定義・保有できる量が多い。

次は後天的定義について考えてみる。
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後天的定義:(存在:人間~知能)

後天的定義は定義として、
入力の刺激又は概感と、
出力の概感を定義するものとなる。

後天的定義は、
その定義の素材として、経験した「刺激」の構成を用いる事になる。

つまり、これまでの後天的定義の考え方を変える必要があるのだが、
これまでは後天的定義は、先天的定義や後天的定義を用いた再定義であると考えてきたのだが、
新たな考え方としては、後天的定義で用いられるのは、
先天的定義で構成された「刺激」に対する記憶に対して定義することになる新たな定義(シナプス結合)が、
後天的定義になる、という事になる。

つまり、後天的定義は、刺激の実体験の記憶であるのには違いないが、
新たに「定義」の概念を組み込むと、
後天的定義は、先天的定義で定義できない実際に生誕した後に存在していた事象の定義という事になる。

つまり、後天的定義は、
本来生命が感覚器官などを準備して理解している自然法則や生命の身体の定義ではなく、
先天的定義で準備できていない自然法則や生命の身体から成り立つ新たな事象に対して定義されたものである、
という事になる。

つまり、定義の階層の考え方において、
後天的定義は、先天的定義に対して下位の定義に該当し、
先天的定義を定義する入力と出力とその定義自体(=刺激)を、
存在としての構成要素として用いる事になる。

つまり後天的定義は、
身体が経験した刺激を用いた定義という事になり、
脳内において、それらは記憶として形成されている神経細胞ネットワーク・シナプスの接続状態の構成、
という事になり、
それらを定義とする場合、この定義を入力・出力で用いるのは「想起」という事になる。

存在=想起(後天的定義(入力+出力))=概感

つまり、後天的定義は、脳内の機能としては「想起」で用いられる定義ということになり、
先天的定義が「刺激」を構成するように、
後天的定義では「概感」が構成される事になる。

つまり、
刺激が変化情報に対する反応として自己情報を形成するように、
想起のきっかけとなる「刺激か概感」に対して、
後天的定義としての定義により、反応の出力を行い、
それらをまとめて概感を構成する事になる。

つまり、
先天的定義において、反応の出力となるのは、

刺激=変化情報+自己情報

であるように、
後天的定義においても、反応の出力となるのは、

概感=変化情報+自己情報

となるが、
この概感の変化情報と自己情報は、
過去の経験した定義から再構成したものという事になる。

そして、この概感は、想起としての機能において、
過去に経験して記憶した「刺激」の入力と出力と定義として構成されている、
神経細胞ネットワークに対する後天的なシナプス接続の構成体であり、
そこには、先天的定義で定義されている入力と出力の定義があり、
これを後天的定義の定義では、想起として励起して、
ある後天的な事象を定義しているという事になる。

そして、この後天的な事象は、定義は後天的なある事象に対して、
励起された先天的定義で構成された刺激同士の関連、
つまりその先天的定義で構成されることになる刺激の定義に対するシナプス接続という事になる。

つまり、後天的定義は、先天的定義の定義に対する定義という事になる。

後天的定義

(先天的定義+先天的定義+・・・)の定義

(入力+出力)の定義

そして、後天的定義は、定義に対する定義であるため、
定義の対象は、先天的定義と後天的定義のどちらかか、またはその両方を対象とすることができる。

後天的定義

(先天的定義 or 後天的定義)に対する定義

(入力+出力)の定義

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後天的定義・終端:(存在:知能~神経細胞ネットワーク・シナプス接続)

後天的定義の補足的な内容になるが、
後天的定義とシナプス接続との関係は、
シナプス接続は再帰的に接続されない。

つまり、
定義の上位から下位に連なる連続性は、
そのままシナプス接続の連続性として維持されるという事になる。

これは、「定義の規則」として
「定義の不可逆性」があるためで、
ある定義を同じ階層の同じ定義で再定義した場合、
定義が再帰から抜け出せない事になる。
これは、プログラムで自己再帰から抜け出せないとか、人工知能のフレーム問題のような事である。

ただし、刺激や概感は、認識に対して状態が維持する働きがあるため、
継続して励起状態が維持され、
これによって連続した励起が行われ、
再帰的に励起されている様に見える場合がある。

しかし、あくまで定義としては、
都度、入力と出力があり、概感が構成されているという事になり、
再帰ではない事になる。

先天的定義       後天的定義
↓                   ↓
入力                入力
↓                  ↓
定義      ←      定義:後天的定義
↓                  ↓
出力                出力

後天的定義:

入力←刺激または概感

定義(先天的定義を用いて関連させた定義)

出力

概感:想起
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2024/11/11

後天的定義は想起でもある。

先天的定義の定義が入力と出力を決める定義であるように、
後天的定義も定義として入力と出力を定義する者である事になる。

この場合、定義の仕組みから考えると、
先天的定義は、入力として変化情報、出力として身体の状態を出力する事になる。
これを後天的定義に当てはめた場合、
入力は刺激か概感であり、出力は概感であると考えてきた。
これに二面性と記憶の構成方法を組み合わせて考えた場合、
ある事象が存在する為に入力と出力の二面性を用意する事になるが、
この場合の後天的定義で用いられる記憶の構成、
つまり、シナプス接続による先天的定義同士の関連は、

先天的定義と同様の仕組みで後天的定義も成り立っている。

後から定義した後天的定義。

記憶の構成が、そのまま後天的定義としての定義となる。

つまり、想起の仕組みそのままが、後天的定義における入出力の働き全体となる。

後天的定義は可塑性を持つ。

経験した事象がそのまま後天的定義で構成する対象としての存在となる。
つまり、経験した事象が存在する事、これに対して後天的定義を定義する事になる。

この「経験した事象」の存在が、後天的定義の鍵となる。

つまり、経験した事象は、生命においては感覚器官で受容できた情報から構成される。
逆に言えば、感覚器官で受容できない情報は、経験した事象に対して情報を加えることが出来ない事になる。

さらに逆に考えると、生命が持つ定義同士を関連させれば、世界に存在しない定義も定義できる事になる。
これは、人間の知能における創造・想像などの機能という事になる。
つまり、人間が上位の定義で存在しないはずの定義を、
存在を実現化することはできないが、存在するモノとして定義できるという事になる。

つまり、存在はしないが、定義としては存在させることが出来る、という事になる。
例えば、魔法は現実世界に存在しないが、定義として存在させる事は出来る。
そして、この魔法の定義を、ある人間の個体が感覚器官を通して受容し、その知能が認識すれば、
その認識した知能にとって、魔法は定義として存在する事になる。

つまり、後天的定義は、この本来存在しえない事象の定義を、
先天的定義の組み合わせで作り出したものであり、
記憶として知能が持つ、入力に対する反応として、
この反応の出力が本来存在しえない事象の定義により構成された事象である場合、
この反応を出力させるための入力があれば、入出力の定義は後天的に構成しているわけであるから、
入出力と定義の存在により、ある事象が「存在」として構成されるという事になる。

つまり、これが後天的定義の仕組み、構成、定義であるという事になる。

つまり、もう少し簡単に言えば、
人間が持つ自然法則に対する定義である先天的定義では説明の出来ない経験を人間がした場合、
人間の知能は、その経験に対して、手持ちの感覚で分解して構成し直した新たな定義を作っているという事になる。
この定義はそのまま経験としての「記憶」であり、この記憶がそのまま後天的定義であるという事になる。
そして、他の刺激や概感によって、この後天的定義である記憶が想起された場合、
自然法則では存在しない事象であるが、存在する様に構成して認識できる。
実体が無いが、存在はするように構成されるので、
後天的定義・記憶による再現・構成体は、「思い浮かぶ」のみとなる。

例えば、これが脳内で実際に現実化するように構成されてしまうと、
幻聴や幻視が起こるという事になる。

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今回のまとめ:

存在と定義は、
階層構造を持っていて、
主に、

・上位の存在は、下位の存在や定義を操作できる。
・下位の存在や定義は、上位の全てに対して操作することはできない。
・下位の存在は上位の定義によって構成される。
・ある存在は同位の定義を管理している。
・ある存在は上位の存在や定義を理解する為に、
同位の管理下の定義を用いる。

・刺激や概感は、定義の階層の分類においては、「存在」になる。

このような事が言える。

今回はこれまでやや曖昧であった後天的定義について
少し明確な定義ができる事になった。

今回の考え方から言えば、
知能は、存在である生命や定義の先天的定義から構成される存在であり、
その下位にあって、後天的定義を管理する存在であるという事になる。
この場合、知能と後天的定義は同位の存在と定義の関係にあり、
後天的定義が「知能」を体現する。
という事になる。

少し内容が増えすぎたので、
今回はこの辺で。

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