2024/8/23-2024/9/7
認識プールと複数の事象の認識
log10(122)がlog10(1.22*100)であり、
log10(1.22)+log10(100)であり、
およそ0.0864+2=2.0864
という考え方の中で、
最初のlog10(122)という事象の認識と、
それを分解したlog10(1.22)+log10(100)であるとか、
それを計算した0.0864+2や、2.0864というのは、
異なる事象として認識される。
しかし、知能において、「計算をする」という1つの共通した目的の認識においては、
これらの別々の意味を持つはずの事象は、
同じ目的の上に成り立つ関連した事象であるという認識が行われていて、
実際に、それらが「=」イコールという定義で繋がり、関連することで、
認識という観点からそれらの事象を並べると、
同じ何らかの意味、ここでは目的としての答えに対する、
形は異なるが、同列、同じ意味の要素としての事象として認識される。
計算は最終的に、log10(122)は2.0864という数値に置き換える事ができるという認識になるのだが、
認識される事象としては、表記は異なるが、
「=」で繋がれた数式においては、同じものとして認識される。
この場合、log10(122)は、log10(122)として、
最初に認識され、2.0864は、その目的の答えとして最終的に認識されるが、
その間、log10(1.22)+log10(100)という複数の事象の認識や知能における扱いは、
認識においてどういう意味を持つ事になるのか、
今回はそれについて考える事にする。
ちなみに前回395で考えた自然対数の「e」についてだが、
「e」は対数における底としての記号であり、
2.7・・・の数であることを補足しておく。
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認識プールについて:
これまで何度か「認識プール」という言葉が登場しているが、
認識対象が複数同時に存在する状態をイメージして「認識プール」という用語を用いた。
改めて定義や解説をしたことが無かったので、
遅ればせながら、ここでその説明をしておく。
以前、知能の刺激や概感の「認識」において、
生体が感覚から受容している刺激や、
その刺激の関連から想起される概感については、
複数が同時に認識対象となるという事に気付いた。
認識対象が高速で切り替わるという考え方も思いついたが、
その切り替えの手間を考えるとエネルギーや用意するべき機構として無駄が多い。
自然は無駄の少ないシンプルな形に落ち着くはずという考え方からも、
ある状態における偏り、この場合では認識対象の集合に対して、
各要素の上位を認識対象にする方が効率的だと考えられるために、
現在の考え方になった。
つまり、例えば視覚と嗅覚において、認識の結果として最も強く認識している香りがあったとしても、
目を見開いていれば、その視覚情報が香りによって消失することはなく、
ある視覚の全体映像が存在する中に、自分が注目する対象の香りも存在しているという認識となる。
また、例えば飲み物を飲んでいて、その味を認識している時に視覚で映像が見えているとか、
誰かと握手する手の感覚を認識している時も、相手は見えているはずである。
何か考え事をしている時に、目を開いていれば考えながら景色も見えるはずである。
このように、ある刺激や概感が構成されて特定の事象を認識している際にも、
優先的に認識している対象でない事象以外に構成された事象も、
認識においては同時に存在しているという事であり、
ある事象を連続する認識の上で意識したとしても、
主となる認識対象以外の、その他の認識対象の事象が消失する事はない。
この時、刺激や概感は、複数が同時に認識される事があり、
この同時に存在しうる刺激や概感を、維持している場を「認識プール」であるとして考えた。
つまり、知能において再構成された刺激や概感は、
事象としてこういう存在が出来ることになる。
事象A~Fが再構成された場合、
ある瞬間において同時に認識可能な事象は、
「認識プール」-----|
|事象A・事象B・事象C|
|事象D・事象E・事象F|
|-----------|
このような存在の仕方ができる事になる。
そして、この認識プールの中から、
ある瞬間に最も強い刺激または概感を中心として関連した1つ以上の事象が認識される事になる。
上記の認識プールから、
特に事象Aが刺激か概感として最も強く、これを認識する場合
事象A・B・D・Fが刺激や概感としての強さとして上位である場合
また、認識可能な情報量以内である場合、
「認識」----|
|事象A・事象B|
|事象D・事象F|
|-------|
このような認識のされ方となる。
常に認識プール内の全ての事象が同時に認識されるわけではなく、
認識可能な情報量の範囲の上位をまとめた事象が認識対象となる。
また、意識はこの認識プールの内の事象が対象となる。
認識と少し異なるのは、
意識については同時に複数の事象は意識されないという事である。
上記の
事象A・B・D・Fを認識している場合
特に事象Aが強い刺激か概感である場合の意識は
「意識」|
|事象A|
|---|
このような意識となる。
つまり、ある瞬間に、
意識しているのは事象Aであるが、
同時に認識されている事象B・D・Fは、
意識されてはいないが認識されている状態であり、
また、意識も認識もされていないが、
刺激や概感として再構成済みである、事象C・Eも存在している、
という認識の状態を表す事になる。
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認識プール内の事象の更新と弱化:
認識プール内で構成された事象は、
新たな事象が構成されることによって、
刺激や概感として弱くなった事象が追いやられていく事になる。
つまり、徐々に認識されづらい対象になっていく。
想起などによって、その事象の励起状態が高く更新されない場合、
時間経過によってその励起のレベルが低下して、弱化していく事になる。
神経細胞においては励起と抑圧の考え方もあるが、
認識プールにおいては、励起と放置による弱化(風化・弱体化のイメージ)という考え方になる。
コンピュータにおけるようなデータのバッファやガーベジコレクションのような概念に似ているが、
生体であるのでアナログな事象の励起のレベルの上下という事となる。
認識プール内の事象はいくつかの関連を持つ集合が出来ていると考えられる。
つまり、定義として上位の共通する情報の要素を持つ関連を持つ事象として、
事象のいくつかの集団ができているという事になる。
つまり、最初の例におけるlog計算において、
いくつかの事象のまとまりを1つの事象として関連付けるような場合がある、
という事である。
この場合、1つの事象が励起された場合、
この事象に関連を持つ他の事象の励起のレベルが高く更新されることになる。
代表的な事象の関連の上位に存在する事象は「目的」である。
つまり、目的に関連する事象が励起され更新されると、
目的自体も励起され更新される事になる。
目的を実行中に目的を見失わないのは常に更新されているからという事になる。
これは、知能の観測という区切りによって更新される事になる。
つまりこの更新とは「認識」である。
一方で、事象として再構成されたが、認識によって励起レベルが更新されない場合、
事象は徐々に認識されづらい状態になる。
通常状態であれば短期記憶において他の事象の再構成により、
過去の事象として置き換わっていくという事になる。
認識プールが短期記憶としての働きを持つのか、
逆に短期記憶自体が認識プールとしての働きを持つのかはまだ考えていない。
現在の私の認識では、その機能は同じか重なる部分を持っている様に感じる。
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刺激の再構成の場と認識プールの関係:
刺激の再構成の場においては、
刺激となる変化情報の情報の要素と、
その情報の要素に関連した自分の情報から刺激が再構成されることになるが、
刺激の再構成の場における刺激は、
再構成された後に認識プールに移る事になる。
認識プールにおける刺激や概感は、認識可能な情報塊であり、
その構成途中の状態の情報がプールされるものではない。
つまり、刺激の再構成の場は、刺激にとっては認識プールの直前に位置する場である事になる。
脳内においては、明示的な場やプールが存在するわけではないが、
それに対応するのは神経細胞ネットワークにおける関連と励起である。
つまり、脳内の神経細胞の励起とその励起に関連する別の神経細胞との励起のネットワークが、
ある認識可能な刺激として構成されるまでが、それぞれの情報塊にとっての刺激の再構成の場であり、
認識可能な刺激として構成されたあるまとまりをもつ励起が維持された状態の刺激群(情報塊・群)が、
時間的に並行して存在しうる状態が維持されているものが認識プールという事になる。
つまり、神経細胞のシナプスの構成の関連において、
その関連する励起が行われている間は刺激の再構成の場にあると言えて、
その関連する励起によって、ある認識可能な情報塊としての定義が整った状態になった時点で、
認識プールに移るという事になる。
知能の観測対象として、
認識プールにおいては、最も強い刺激か概感が認識されることになり、
その状態の連続性が意識になる。
感覚器官
↓
変化情報の受容
↓
神経細胞の励起→想起↓→概感→※1
↓
変化情報の再構成←自分の情報←想起
↓
刺激
↓
(認識プール)←概感←※1
↓
認識
認識の連続性
↓
意識
明示的な意識が存在しないという考え方であれば、
単に再構成された事象の中で、ある瞬間に最も強く励起された事象とその関連事象が、
認識→意識されることになる。
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複数の事象の認識について:
ある事象Aに対して、
その事象が関連する事象としてBとCに分けられる場合、
人間の知能においては、
AはBとCを合わせた事象と同等の事象である、
A=B+C
という認識が行われる。
「=」や「+」も個別に認識は行われるが、
「=」は両辺の事象が同等という定義、
「+」はその左右の事象を合わせるという定義として、
式の各要素と合わせて認識される。
Aの認識は、事象としてAについての定義を参照して
認識対象として再構成された刺激か概感になり、
これが認識されて「Aを認識した」ということになる。
そして、Aの認識に対して、別の目的、
今回はAを別の定義で分解して、Aの要素を別の要素で定義してみよう、
という目的が生じた場合、
知能において行われるのは、Aを別の事象として別の定義で表そうとする目的が生じる事になる。
数学においては、A=B+Cのような式が成り立つことが分かっていれば、
A=B+Cという事象の分解ができるのだが、
そういった公式や式のようなものが存在していない場合、
知能は、Aを別の定義で表す事については、
どのように認識すればよいのか分からない事になる。
つまり、Aの定義は存在するが、そのAの定義を別の定義で置き換えるための、
その後の定義が存在しない場合、AはAとしてしか認識できない事になる。
この場合、あえて別の定義で表そうとした場合、知能はどうするか?
単純にあるがまま認識すれば、AはAのままであるのだが、
事象の認識において、事象が単体の情報の要素で構成される事はまずありえない。
それは、先天的定義を持つ刺激でさえも、
定義単体で刺激が構成されることは無いからで、
刺激であれ概感であれ、複数の情報の要素から構成されるのが通常であると考えられる。
つまり、「A」は単に文字の「A」でもあるのだが、
その「A」が「数学」の関連を持つ事、「問い」の関連を持つ事、
「回答を必要とする」関連を持つ事、「計算」の関連を持つ事、
など、さまざまな事象の関連を持った状態で認識される。
では、この場合、複数の情報の要素から構成されるAを認識して、
それをどのようにして「=B+C」のような事象を構成するのか。
つまり、まず認識において「=」に相当する事象が必要となる。
そして、Aに対して、その目的となる別の事象を表す対象が必要となる。
つまり、A=Xのような仮定的な「X」の事象である。
最初から「A=B+C」として用意される「B+C」のようなものではなく、
知能において、「=」で表される「A」「=」の対象としての「X」である。
つまり、「B+C」が思いつく前に、
何かの事象と何かの事象が並び立つような認識が出来る必要があるという事である。
これは、先に「A」に関連していた「数学」や「問い」や「答え」や「計算」などの関連によって、
その想起によって「=」や「右辺」の考え方の事象が概感として想起される事によって、
認識可能の事象が生じる事になる。
つまり、知能の基本的な能力として、
刺激や概感として事象を認識する場合、
構成された事象については、認識プールのような場において、
事象が並列的に存在する状態が生じることが出来る。
この事象の中から、ある瞬間において最も強い、
この場合は、最も近い時間、最近に再構成された刺激か概感が、
最も強い事象として認識の対象となる。
そして、この事象に対して並び立つ対象として候補となるのは、
既に認識プールに存在する、それ以前に構成された刺激か概感または、
今認識された事象に関連して想起(励起)される概感という事になる。
今回は、A=B+Cを認識するのではなく、
Aについて「=B+C」がどのように構成されるのかであるので、
「=B+C」は基本的に想起される事象がその対象となるはずである。
つまり、認識プールに存在している概感か、事象を認識した結果、
関連して想起された概感がその対象となるはず、という事になる。
これは、Aについて並び立つかどうかという事は関係なく、
Aに対して関連しているかだけが関係している事になる。
つまり、Aの認識に対して、知能が概感を用意できるかだけが関係している事になる。
つまり、Aの内容に対して比較や評価が重要ではなく、
知能がAに対して関連した事象を想起できるかという事が関係している事になる。
ということは、Aの情報の要素をきっかけとした想起の対象が、
まず「X」のような仮想的ではあるが認識可能な事象として再構成され、
何らかの事象としての想起として概感を構成する場合、
この知能においてはAの認識に対して、この概感を関連する事象として「X」に関連させて認識する事になる。
そして、知能としては、「A」に関連して想起し、構成された概感の中から、
もっともらしい「=B+C」を構成し、
「A」と「=」と「X」の関連に対して、「X」に関連して想起した「B+C」の関連同士が関連し、
「A」と「=」「B+C」が関連することになる。
そして、最終的に再び「A=B+C」を視覚的に見て認識するか、
概感として想起する事で、
「A」と「=B+C」が2つの事象の関連として、
「A=B+C」という1つの事象が再構成されることになる。
つまり、最初の数式の例において言えば、
log10(122)を認識した時点で、
その認識した知能が、log10(122)について関連する事象を想起すれば、
それは、log10(122)と並び立つ事象として次の瞬間、認識する概感となるという事になる。
そして、もし、log10(122)に対して想起する事象が存在しない知能であれば、
「log10(122)」自体を認識はするが、想起して認識する対象が存在しないので、
「これは何だろう?」という事になる。
logx(y)自体は、底xを何乗したら真数yになるかを表したものだが、
logを定義として持っていて、logを知っているという知能は、
log10(122)を見た時点で、
これが数学の事象の表記である事、
数学の問題としてlog計算で数値を求める事、
logと底と真数についてまず要素を分解できる事、
それぞれの要素が1つの事象として関連している事、
などを認識する事になる。
これは、数学の問題として定義されている表記なので、
通常は他に想起する定義は存在しないと考えられるという事を含めて、
知能が関連して想起する事になる。
次に関連して想起されるのは、logに関連した底と真数の関係になる。
つまり、log10(122)である場合、122は、10の何乗かした数であるので、
log10と(122)、また、10と122の関係が想起されることになる。
これは、突然想起されるものではなく、
log10(122)の情報の要素に対して関連して想起されているものである事は間違いない。
そして、A=B+Cの関係としては直接出てこないが、
logの積の法則としてできるだけ簡単に表記するには、
つまりできるだけ簡単に認識するには、その対象を変形する必要があるという事が想起されるはずである。
つまり
log10(M*N)であれば、log10(M*N)=log10(M)+log10(N)になるという事である。
これも後天的定義として既に知っていればこそ想起できる事象であるが、
これを知っていれば、
log10(122)を認識した際に、その真数の122は、単独の事象として認識されるのと同時に、
関連したlogにおける真数の関係、つまり、log10(M*N)=log10(M)+log10(N)であれば、
10の何乗かした数値と、それ以外の数値を想起するのが良いという事自体が、事象として想起される事になる。
つまり、まず数式の表記としてのlogを事象として認識した時点で、
それに関連する要素は、励起される準備が整う事になる。
つまり、logを数学における表記として認識した時点で、
関連する情報の要素は既に励起されているという事になる。
既に励起されているからこそ、その底や真数を同時に認識した際に、
底と真数の関係、真数の分解の方法などが以降の認識における事象として再構成される事になる。
つまり、「log底・真数」を数学の事象として認識した時点で、
知能は、この「log底・真数」に関連する事象を認識するより先に励起する事になる。
つまり、知能がある事象を認識した場合、
その事象についての何かを次に認識しようとする前に、
最初の事象に関連した情報の要素を励起しているという事になる。
つまり、逆に考えれば、最初に認識する事象の次に認識する事象は、
最初の認識した事象に関連した要素に関連した情報の要素から構成された事象が認識されるという事が決まっている事になる。
つまり、後天的定義としての関連する想起は、想起に関連した事象が次に認識される事象となる。
これは、先天的定義の刺激による中断以外では更新される要素がない。
つまり、ある事象の認識から、関連する事象の想起が行われた場合、
その最初のきっかけとなる事象に関連した事象は、最初の事象に関連した事象として、
並列的に認識プールに存在しうる事象になるという事である。
つまり、きっかけの事象に関連した事象として1つの情報塊を構成し、
ある継続した認識において、関連した事象として認識される事になる。
それは、連続する認識において意識される存在であるため、
複数の事象が1つの事象として意識されるという事になる。
これは、事象の認識の関連において、同時にではないが、連続的に想起、認識されることによって、
この連続性によって1つの対象として意識されるという事になる。
意識されるということは、知能にとって最終的な観測対象であり、
知能にとって最も重要な事象であるということになるため、
結果として、その意識される対象に含まれる事象と、その事象の関連は、
記憶の対象になるのではないか、と考えられる事になる。
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少しまとめてみると、
複数の事象の認識は、
あるきっかけとなる事象に対して認識が行われた場合、
この事象を構成する情報の要素の励起に対して関連する別の情報の要素が励起される。
そして、このきっかけの事象を構成する情報の要素に関連した情報の要素からのみ、
次の認識対象となる事象が構成できる事になる。
そして、この事象の構成の連続性によって、その事象の関連を含む、
複数の事象が連続する認識となり、
ある事象の認識に対して複数の事象が認識される事が、
連続する認識として意識されるということになる。
基本的に想起は次の想起のきっかけであるので、
想起だけが行われる場合、次の認識対象も想起した事象がその候補となる。
唯一の中断方法は、先天的定義による刺激の受容である。
つまり、1つの意識は、唯一刺激をきっかけとして開始され、
連続する事象が想起される間は想起が続き、意識された時点で一度中断する。
意識することによる中断は、現時点では唯一刺激の認識によるものであると考えている。
つまり、刺激の認識によって、連続する認識が中断し、
それによって中断した所までの認識が意識されることになるという事である。
・・・
↓
認識1
↓
認識2
↓
認識3
↓
中断→意識(認識1+認識2+認識3)
↓
認識4
↓
・・・
実際は先天的定義の刺激を認識しようとする事自体が、
刺激の再構成においては自分の想起を必要とするため、
先天的定義の刺激をきっかけとするが、
その後の認識対象は全て後天的定義の概感という事になる。
つまり、意識する対象は、
先頭の先天的定義の刺激+後天的定義の概感・・・なので、
意識対象=刺激+概感+概感+・・・
この並びの事象で意識されることになる。
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刺激ではなく概感をきっかけとした意識が起こるかどうか?
事象の全てを延々と連続的に認識できないというのは、
知能の認識能力としての上限が存在するというのは、
マジカルナンバー他、短期記憶の能力として限界はあるはずである。
つまり、1つの事象に対して関連する要素を延々と事象を関連させて認識する事は出来ないという事になる。
つまり、どこかで事象の関連を閉じなければならない。
そのきっかけが先天的定義の刺激ではないかと上記で考えたわけだが、
では、このきっかけを刺激ではなく、概感が代わりに出来ないものか、
それについて考えるという事になる。
そのきっかけが出来る可能性があるのは、
概感が構成されて認識対象になる時、
つまり、他の事象と同様に認識プール内の事象として再構成された時なら、
認識の開始となるきっかけになりうると考えられる。
ただし、その概感の想起のきっかけが先天的定義でない事、
これが条件となる。
もし、先天的定義の刺激をきっかけとした想起の概感であれば、
上記で考えた通り、概感ではなく刺激がきっかけという事になる。
これは単独の概感が成り立つかということにもなる。
答えは先に言えば、先天的定義の刺激なしに想起は起こらないという事になるのだが、
概感が想起のきっかけになりうるのであれば、
認識を中断する要因として刺激と概感が考えられるという事になる。
場合によれば、刺激の中断を受け付けない想起が起こりうるという事になる。
つまり、認識の優先度において、
後天的定義の概感>先天的定義の刺激
これが生じうることになる。
「思考の集中」などとして、想起を優先しようとすることはできるが、
延々と想起を続ける事は出来ない。
生体であることが一因でもあるのだが、
逆にこれが延々と続いてしまう問題が人工知能における「フレーム問題」という事になる。
フレーム問題については以前、考えた事があるが、
解決方法は自明でもあるが、刺激を受容すれば良いという事になる。
認識や意識の構成について考えるにしても、
概感をきっかけとした意識を構成するのは問題があるという事になる。
つまり、
想起の概感をきっかけとした意識は生じないという事になる。
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ただ、それを考えると、
意識する対象は、連続する認識において、
刺激をきっかけとして、関連する概感を想起したものであり、
意識するに足る情報塊である必要があるという事になる。
つまり、意識に際して、意識できる情報のまとまりが必要という事になる。
単に連続した事象の認識が意識されるという事ではないという事である。
「腑に落ちる」という言葉があるが、
抽象的だが、意識される対象は単に連続して認識された事象ではなく、
何か1つの意味のまとまりを持っているはず。
意識は、二面性において、認識の刺激の受容か、身体内の刺激の受容を元にしていると考えたが、
認識の構成における刺激や概感において、
その主体性たる身体性や、自我の部分が必要であるというのは、
この認識対象となる事象の構成のまとまりとして、
主観であるという視点、
それは、知能による観測に相当するという事になる。
つまり、知能による観測は、
それ自体、その観測対象の事象を、自身が主体的に観測して知る対象という事である。
それは、認識において、ある事象を自分が知る事、観測する事そのものという事になる。
つまり、新たな気づきとなったが、
「認識」は、ある変化情報の受容に対して、
知能が観測する事、それは、
知能がある変化情報に対する、観測者としての存在をあてがう事で成り立つ、
という事である。
つまり、「知能による観測」=「知能による主観の構成」
であり、「認識」は、ある変化情報の事象に対して、
「知能による主観の構成」が構成される事で「認識」になるという事である。
つまり、知能は、ある変化情報の事象に対して、
観測者としての「自分」を構成する事で、
「認識」に至るという事になる。
つまり、知能はその身体に対して、
変化情報を受容して認識しようとしているのが「自分」であるという、
その「自分」を構成しようとする存在であるという事になる。
つまり、「自分」が、ある連続する事象に関連した時、
それが、「自分」による事象の認識になるのではないかという事になる。
そして、結果的にであるが、認識対象の事象は、
その刺激か概感としての強さの最上位の事象が意識対象となる。
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つまり、事象の関連の終端は「自分」の事象の存在になるのではないかというわけである。
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この場合、概感においても客観的ではあるが、自我の定義としての自分の存在を構成し、
概感における自分の定義の事象を持ち出すことになるので、きっかけになりうるのではないかとも考えられるが、
概感はあくまで想起によって生じるものであり、想起の想起としてのきっかけとして概感を用いることはできるが、
想起を開始するためのきっかけとしては用いることが出来ない。
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今回は認識の思わぬ気づきもあったが、
課題としては、
認識プールと短期記憶の関係、
認識プールと認識対象の情報量の上限について、
何かをすること自体の目的の発生について、
このような事が残っている。
今回はこの辺で。
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