2024/8/17-2024/8/18

感覚と定義の関係

全ての感覚に定義が存在して、
その定義で、あらゆる認識対象の情報が構成できるなら、
考えられる事象の全ては、全て定義で意味付けられる事になる。

であれば、何か定義には規則や法則が「定義」として存在していると考えられる。
今回は最終的に、その内容に到達できるよう考えてみる。
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先天的定義が感覚で受容できる情報を意味づけるものであると考えたが、
であれば、逆に感覚で受容できる情報には、先天的定義が存在する事になる。

その定義は、文字や概念としての定義ではなく、
体感として感じられる情報の定義ということになる。

つまり、これまでの考えであれば、
刺激として再構成する際の、主観として感じられる情報の身体性以外の部分ということになる。

つまり、刺激として感じられる痛みや快感の心地よさ、不安の苦しさや、
高揚感のふわふわした感じ、緊張の息苦しさ、などの、
身体的に感じられる、ある感覚の定義ということである。

これらの定義は、先天的定義として定義が存在し、
ある変化情報を受容した際に、その情報に適した反応として、
身体が感じる感覚という事になる。

また、これらの感覚は、身体的な感覚だけでない、
五感として感じられる情報も存在する。

五感の場合は情報の出所が身体でないが、
ホルモンや神経伝達物質の場合の情報は身体内が情報の出所であるため、
まず、この時点で、
情報には、身体内、身体外の2種類が存在する事になる。

情報の定義:2種類
・身体内
・身体外
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身体内の変化の情報の定義は、
基本的に自身で感じる事の出来る状態が存在する。

上記の痛みであるとか、心地よさであるとか、
気分的な苦しさ、高揚感のような感覚で表現できる状態である。

これらは、光の赤の定義のような、
自然法則を生命が定義したような定義ではなく、
自身の状態について定義した状態である。

つまり、自然法則を定義したものと、
生命としての自身の状態について定義したものがあることになる。

これは、上記の情報の定義としての2種類。
身体内・身体外の情報の定義という事になる。

であれば、生命にとっての情報の定義は、
・自然法則についての定義
・生命についての定義
この2種類が存在するという事になる。

生命の状態は、自然法則ではなく、生命にとっての法則であり、
自然法則は、直接的に生命の状態を意味するわけではなく、
あくまで世界に存在する自然の法則の定義という事になる。

生命にとっては、自然法則の定義も、自身の状態の定義も、
自身にとっての定義ではあるが、その定義する対象が異なる事になる。
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自然法則についての定義:

生命が定義する自然法則についての定義は、
自然界に自然法則として存在する基本的な事象についての定義という事になる。

光、音、匂い、味、重力、熱、など、
もともと、光子とその振動の波長によって光が構成されるように、
自然法則にも定義が存在する事になるが、
生命にとっての光の定義は、自然法則にとっての光の存在の定義は無視される。
つまり、自然法則における光は、別に色などはなく、単に素粒子としての光子とその波長によって構成される、
という事になっている。

もちろん、空気の振動に音は存在せず、匂いも味も分子にそもそも付いているものではない。

要するに、自然法則の定義というものは、
本来、自然界において、存在する事象について、ある決まった定義を持つ、という事だけの定義という事になる。

つまり、自然界には、ある粒子がエネルギーを持った状態で存在する。
という定義が存在するということだけが、自然法則の定義という事になる。
そして、そのエネルギーを持った粒子が維持される空間の存在の定義や、
空間内において、エネルギーを持った粒子が変化するという時間のような定義が存在するという事、
これらの定義のみが、本来の自然法則の定義という事になる。

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生命についての定義:

自然法則の定義に従って、存在する事象の内、生命という定義が存在した事になる。

つまり、まず、生命の存在は、自然法則の定義の上に成り立つ定義であるという事になる。

生命が存在するから自然法則が存在するという事にはなり得ない。
これは、394:「基底の定義」でも考えた事である。

そして、生命が定義する事象は、必ず、その元となる定義の上に成り立つという事が言える事になる。

つまり、まず先に定義が存在していて、生命の定義は、その定義を生命が用いる事の出来るように、
定義しなおす事で利用できるという事になる。

例えば、自然法則の光の可視光線領域の620~770nm付近の粒子の振動を、
生命は光であると定義し、それが赤い光であると定義して用いている事になる。

つまり、この時点で、生命にとっての定義は、
自然法則の事象の対象と、その事象の意味付けの定義を持つ事になる。

つまり、感覚器官の受容体の定義と、その受容体が受容できる情報の意味付けの定義である。

つまり、生命における定義は、自身の存在を含めた自然界における事象の存在に対して、
自身が用いるべき事象に対して感覚という定義を用意し、
その感覚を通して、自然界に存在する事象の変化を、受容して、解釈する定義を持つという事になる。

そして、その定義の仕組みを用いて、自身の定義を行って変化を受容しているという事になる。

つまり、生命における定義は、まず先に、自然法則に対する定義が発生し、
その後に、生命自身に対する定義が発生したという事になる。

これは生命の進化の過程における定義の獲得の順番という事になる。

であれば、生命に対する定義は、自身についての定義を獲得したのは、
自然法則の中で誕生した何かより後という事になる。

つまり、自然法則の中の事象の変化は、本来、自然界の中で閉じている存在であるはずが、
別の定義を持つ、別の閉じた系が存在するには、まず先に自然界の中の定義で、
その閉じた系の定義が発生する必要がある。

つまり、生命として自らが用いる遺伝子などの定義が誕生する前に、
自然界における生命の形を持つ何らかの定義がまず先に必要になる。

つまり、生命の最初は、自然界で定義された1つの閉じた系であるという事になる。

その閉じた系の中に定義を含む事で、この閉じた系は独自の定義を持つことが出来る事になる。

マクロに考えれば、宇宙の閉じた系は、別の何かの最初の閉じた系の定義であると考える事もできる。

つまり、生命についての定義は、
この自然界における定義と、生命における定義の境界である、
系に対する定義であるという事になる。

この考え方は、二面性の考え方から思いついた。

つまり、
自然界の定義:(系):生命の定義
こういう事になる。

自然界の事象:(生命):生体内の事象
こうとも言えるし、

自然界の事象:(自分):身体の事象
とも言える。
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感覚と定義の関係:

生命が自然界に誕生したある閉じた1つの系であるという考え方を加えて、
感覚と定義の関係を考えてみると、
感覚は、生命としての系から自然界の事象に対するインターフェイスとしての役目と、
知能としての系から、生命としての存在の事象に対するインターフェイスとしての役目を持っている事になる。

つまり、系のつながりは、

自然界→生命体→知能

ということである。

自然界の変化は、生命体を通して知能に送られる。
生命体の変化は、知能に送られる。

知能は知能が保有する定義で、自然界の変化と、自身の生命体の変化を解釈する。

その変化を受容するのは、どちらも生命体が持つ感覚という事になる。

それは、自然界については五感、
生命体の変化については五感以外の感覚や、ホルモンや神経伝達物質による感覚である。

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定義の法則:

生命にとっての感覚は、
生命が必要とした自然界の事象の対象について感覚を持ったという事は意味が分かるが、
後天的な定義はどのような意味を持って定義されているのか、
どのような法則を持っているのかという事はこれまで考えたことは無かった。

つまり、先天的定義としての定義は、生命が自然界の事象について知るべき必要な情報に対して、
感覚と定義を持ったという事である。
では、後天的定義としての定義は、生命が何についての事象について知るべき必要な情報に対して、
感覚のようなものと定義を持ったことになるのか。

後天的定義の定義を構成する際に経由するのは、定義としては先天的定義であるため、
感覚としてのインターフェイスの役を持つのは、感覚の定義という事になる。

つまり、
自然界の事象の情報→感覚→知能(定義)
で認識に至るわけであるから、

(後天的定義としての事象の情報→知能(定義))これを対象となる事象の情報とした場合、

対象となる事象の情報→(何か)→知能(定義)
という事になる。

つまり、後天的定義としての事象の情報を受け入れる部分と、
その情報を解釈する定義がそこにあることになる。

後天的定義を作り出す所は、脳内においては、
想起のポイント、シナプスの構成場所という事になる。

つまり、感覚などの受容体の代わりとしては、神経細胞の想起のきっかけの部分、
後天的定義を構成したシナプスを持つ神経細胞が、その受容体の代わりという事になる。

つまり、イメージとしては後天的な感覚を構成するようなものである。
つまり、ある事象に対して、励起する神経細胞は、感覚における受容体のような存在であり、
その神経細胞が励起する事は、その後天的に構成される感覚のようなものとして、
その神経細胞の関連の励起(=想起)によって事象が構成されるという事になる。

情報の定義自体は、後天的定義であっても、元は先天的定義の定義であるため、
特に、この感覚の受容体に相当する後天的定義の部分、つまり、
後天的定義としてのシナプスの構成が、この上記における、
「後天的定義としての事象の情報を受け入れる部分」という事になる。

シナプスの構成は、後天的定義自体を構成する事でもあるのだが、
想起として励起される場合は、感覚の受容体の励起に置き換わる存在であるという事になる。

つまり、後天的定義としての後天的な感覚の定義、それ自体が、
後天的定義としての事象の情報の存在であり、再構成のきっかけであるという事になる。

つまり、

「後天的定義というものは、
後天的に得られた感覚のような存在」

という事になる。

つまり、620~770nmの光を見て赤い光だと人間が分かるのは、
視覚があって、赤い光の定義を持っているからであるが、
例えば、自然対数「e」を見て、それが自然対数であると人間が分かるのは、
後天的に定義を持った「e」に対する定義を持った人間が見て脳内で事象が再構成されたからという事になる。

この場合、「e」を自然対数であるという定義は、後天的に得られたもので、
感覚における神経細胞の関連のように、「e」に関連した神経細胞がシナプスの構成によって、
自然対数であるという定義を後天的に作り上げたから事象の情報が構成・認識できるという事になる。

つまり、定義の構成は、
事象に関連する情報の構成と同じものという事になる。

この場合、定義の法則としては、
ある事象に関連した情報の要素を全て含む、ある情報塊が定義に相当する事になる。

この考え方は、先天的定義の定義の構成であっても同様ということになる。

という事は、先天的定義と後天的定義が同様の機構を共有しているからこそ、
互いの定義を関連させる事もできるという事になる。

つまり、視覚で認識できる赤い色を持つ物体が、後天的にリンゴであると定義できるのは、
その定義の関連を後天的に作ることが出来るからという事になる。

となると、定義的に、赤い色の定義は、光の感覚による受容による励起と、
後天的なリンゴの色の定義によって励起される事を考えると、
後天的に定義の励起が再帰にならないためには、赤い色の定義は、
直接光の感覚に含まれるものではなく、独自の色の定義として存在する必要がある。

つまり、リンゴを想起して赤を想起する場合、感覚から赤い光を見て励起する定義は、
先天的な定義ではあるが、感覚と直接関連していても後から関連する必要がある。

つまり、
光→(関連)→赤
リンゴ→(関連)→赤
これは良いが、

光→(関連)→赤+光
リンゴ→(関連)→赤+光
であると、リンゴを想起した場合に光の再帰に陥る。

つまり、赤い光は関連して構成できるが、あくまで光と赤の定義は別である必要がある。

つまり、定義の法則として1つ決まるのは、
定義の関連は要素毎に方向が決まっているという事になる。

となると、情報の要素の関連においては、
定義の向きが存在し、ある定義においては、情報の要素毎の定義のまとまり、定義の塊ができる事になる。

つまり、赤い光であれば、光の定義と、赤の定義ごとに励起されるという事になる。
そして、それが関連して同時に励起されるために「赤い光」が構成されることになる。

つまり、後天的であれば、単に「e」だけを見た場合、
自然対数を知らない知能の場合、小文字のEとして情報が励起されるかもしれないが、
数学者が「e」だけを見た場合、小文字のEよりも先に自然対数が想起されるかもしれない、
という事になるが、これは、「e」に対して関連する情報の定義として、
文字であるという関連よりも自然対数であるという関連が後天的に強化されているからということになる。
そして、自然対数自体の想起において、その後に別に小文字の「e」であるという想起が行われないのは、
自然対数として、情報の定義が完結しているからという事になる。

つまり、
「e」を見て優先的に自然対数を想起する知能であっても、
「e」を見て、自然対数以外の何かであると想起しようとした場合、
もちろんEの小文字として想起する事もできるという事になる。

それは、関連が無いわけではなく、
後天的な定義として、優先的に励起される情報の定義が決まっているという事である。

つまり、先天的定義の感覚としてある決まった事象の変化に対して、
決まった定義が励起されるのと同様に、
あたかも後天的な感覚のような定義のされ方がしていて、
その関連と励起の方向が決まっているという事になる。

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後天的な定義が、感覚同様に、
ある特定の先天的定義の励起に対して関連して励起する情報の定義であるなら、
という事は、
感情や思考、想起全体の関連して励起する情報の定義らは、
各知能がそれぞれの知能毎に後天的に定義した事象があり、
それらの定義は、各知能固有の定義となり、
これが「自我」の定義に関わってくるという事になる。

つまり、個体固有の定義としてである。

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今回のまとめ:

人間の知能の情報の定義には2種類あって、
・身体外
・身体内
の定義が存在する事、
そして、その定義は、
生命にとっての情報の定義でもあり、
・自然法則についての定義(身体外)
・生命についての定義(身体内)
この2種類であるという事。

定義はある閉じた系毎に決まるものであり、
自然法則の定義と、人間の知能の定義は異なるという事。

生命は自然法則の定義を活用する為に感覚を持って自ら定義しなおしたという事。

感覚などが用いる先天的定義は、
遺伝的にその励起する関連や対象が決まっているという事。

感覚が事象の変化に対して刺激として情報を構成する場合の、
励起する対象は決まっているという事。

情報の励起する対象には方向があって、
ある特定の事象を意味する関連には方向性とまとまりが存在するという事。

後天的定義も、先天的定義同様に、ある事象に対して励起する対象は決まっていて、
その関連には、方向性とまとまりが存在するという事。
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人工知能に対して:

定義の方向などの考え方は、
バックプロパゲーションなどにおいても、
その要素の励起の順番という観点からすると、方向が存在し、
逆行する事が無いことを考えると順当な考え方になるはず。

先天的定義の必要性はもう言うまでもないが、
今回、後天的定義も、感覚などの受容体は存在しないが、
それに代わるのがシナプスの構成であると考える事で、
後天的な事象の定義が出来るという事になり、
少し理解がしやすくなった。

人工知能においても、
先天的定義としての事象の定義を考える事で、
それらを元にして後天的定義が構成されるなら、
人間が認識可能な全ての事象に対して、
その構成を用いることが出来る事になるので、
人工知能が何かの事象を知る、記憶するための方法として、
この考え方を用いることが出来る事になる。

ただ、事象の情報の要素の全てを定義で分ける事が情報の質的に複雑すぎて難しいので、
それは少しずつ考えていくしかない事になる。
例えば、ホルモンや神経伝達物質の受容による反応もまだ解明されていない。

ただ、感覚のような定義自体が後天的に出来るのであれば、
人工知能が自ら定義することで、こういう考察自体を必要としなくなるかもしれない。

それについては課題としてもう少し定義の仕組みについて考える事にする。
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今回はこの辺で。

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