2024/7/12-2024/7/14

想起の定義と記憶の固定

386で刺激の受容から想起に至るまでの過程について考えたが、
今回はその内容のまとめとなる。

結果的に、
おおよそながら「想起」の定義ができた事と、
その過程で、認識として知能が刺激や概感を観測する事が、
刺激と概感を構成する事象を記憶として固定し、
想起がその再現である、
という事に気付いた。

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変化情報の受容から想起による概感の認識まで:

変化情報

感覚器官

神経細胞の励起

脳の定義(先天的定義)←変化情報・自己情報(身体性)

刺激←変化情報(刺激の定義)+自己情報(刺激の定義)

刺激の再構成

認識のプール→刺激←知能の観測→認識

刺激の認識(→記憶)

関連する神経細胞の励起→想起 ※1

脳の定義(後天的定義)←想起された刺激の記憶・定義(=記憶の変化情報+記憶の自己情報+記憶の自己情報(記憶の結果))

概感←変化情報(記憶された刺激の後天的定義)+自己情報(記憶された刺激の後天的定義)

概感の再構成

認識のプール→概感←知能の観測→認識

概感の認識(→記憶・フィードバック)

↓→別の刺激による中断→「刺激の認識」に戻る

中断が無い場合

「関連する神経細胞の励起→想起」に戻る

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想起の誘導が起こるのは、※1以降の部分から、
概感の再構成に至るまでの間である。

つまり、
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関連する神経細胞の励起→想起 ※1

脳の定義(後天的定義)←想起された刺激の記憶・定義(=記憶の変化情報+記憶の自己情報+記憶の自己情報(記憶の結果))

概感←変化情報(記憶された刺激の後天的定義)+自己情報(記憶された刺激の後天的定義)
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この間に想起の誘導が行われることになる。

386で考えた内容は、
この概感が構成されるまでの間に、
自己情報の経験と結果に対する定義が関与して、概感を構成し、
その概感に含まれる自己情報としての反応候補、
つまり、経験となった際の刺激に対する自身の反応が、
概感の認識の後に自身の目的の基礎となると考えた。

そして、その反応候補は、自己情報の定義における、
自身の定義が、自分自身に対して行った定義として、自分らしい反応である自己情報の定義であり、
その候補は、過去と同様の選択、過去に候補となったが選択されなかった異なる選択、
過去と異なる選択の中でも特に、概感が構成された時点での自己情報の状態における定義を元にした、
自分らしい反応としての自己情報の定義を参照した選択、の3つを候補とする事になる。

つまり、考えられるのは、

過去と同じ選択、
過去に存在したが選択されなかった選択、
現時点までに新しく生じている新しい選択、

の3つのどれか、という事になる。

いずれも、自己情報としての自分自身に対する定義(後天的定義)であり、
この定義は、刺激を認識した際に、その刺激に対する個体固有の反応の定義として知能が記憶する定義である。

つまり、刺激に対する反応は、先天的に決まっている。
しかし、刺激に対する反応や結果は、自分自身の経験として新たな定義として記憶して獲得する。
次に同じ刺激を受容した場合、その刺激に対する反応を過去の刺激の記憶を参照するために想起して、
それに対して、その時点での最新の自分の定義によって、その想起を誘導する。

その誘導の候補は、刺激の認識の結果として定義した自身の自己情報として存在しうるのは、
過去と同じ定義、過去に出来なかった異なる定義、新しい定義、そのどれかとなる。

そして、その選択のきっかけは、自らの自己情報を自ら定義した後天的定義という事になる。

これは、自己定義という事になる。
つまり、これが「自我」のような意味を持つ事になる。

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2024/7/13

概感は再構成された時点で認識に至るので、
想起を誘導している間は、まだ概感として認識されていないという事になる。

この間、次の目的(=想起の対象)となる想起の誘導で行われる事は、
何を想起するかの比較、選択という事になる。

この時、自己情報として参照される定義は、
昨日考えた自己情報における経験時に定義されるものとして、
その定義を構成した際の状態が、そのまま経験として記憶されたことになり、
この時の状態、つまり、実際に用いられた対象、用いられなかった対象、
この2つが経験に含まれる定義として用いられ、
そして現時点で、新たに対象となる候補の対象が定義から用いられる事になる。

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この事を考えながら分かった事は、

「自己情報は、経験の際に、自己定義の認識までの過程や状態が、
定義として、そのまま記憶されたものという事になる。」

という事。

つまり、刺激や概感の認識までの過程の状態が、定義としてそのまま記憶された事と同じ事になる。
つまり、刺激の再構成、概感の再構成の過程で機能した知能の様々な状態が、
認識の時点で確定するまでを定義として記憶する事になる。

そもそもの「記憶」自体が、認識までの状態を確定して固定する機能という事になる。

つまり、知能の認識や意識の観測というのは、その時点までの活動を固定するための区切り、
という事になる。

つまり、刺激や概感が認識された際、
つまり、知能が刺激や概感を観測した際に、
その観測された時点での構成が、その構成のまま固定化(=記憶)されるという事である。

つまり、その刺激や概感が構成された時点での、選択や、選択されなかったが励起された対象、
その時候補となっていた、その時点で新しく生じていた対象が、
そのままの状態で固定化(=記憶)されるという事である。

刺激の再構成
↓←定義の固定
認識

記憶←定義の記憶

参考にした考え方は、素粒子の位置とエネルギーの観測である。
ただし、あくまで参考にしたというだけで、
知能の選択などの機能が確率や素粒子の運動を元に成り立っているという事ではない、
という事は付け加えておく。
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話を元に戻して、
自己情報としての定義において、
何をきっかけとして何を優先するかという事になるが、

例えば、私が今、何を思考しよう、想起しようとしているのか考えてみると、
386で考えた、認識プールに維持・保持されている目的としての「想起について考える」や、
「想起の誘導」や「記憶」や「認識」「意識」そういった概感が存在している。

今、私が思考している際の、認識プールにおいて、
恐らく、この入力している文章を構成しながら、用いている定義や誘導は、
今思考している私の認識プールの中で、励起状態が維持されている事象が、
繰り返し励起されていると考えられる。
つまり、想起しようとした時にすぐに思いつくという事は、
関連した概感が常に励起に近い状態にあるという事になる。

つまり、今はあえて考えてみたが、「真夏の流れるプール」は、
本来、この思考の中では誘導されないはずの想起対象であるはずである。

これまでも私は考えの途中で「あえて」と考えた事があったが、
であれば、私の「思考」においては、「あえて」を考えるという定義も、
その誘導の候補として、経験して定義を持っていると考えられる。

それは、自己情報の自身の定義として持っているという事である。

もちろん、知能や人工知能、認識や意識について考えるということは、
これまでの考察でも多く長く続けてきたが、
この入力している文章も含めて、それらが次々と想起、入力できるということは、
その認識プールにおいて、そこに保持、維持されている事象が、
関連して存在しているからという事になる。

であれば、私が思考して何か新しい定義を考えようとすると、
現時点で認識プールに存在する様々な対象の中で、
つまり、現時点においては、「想起の誘導」において、
そのきっかけとなる存在の定義、という事になるが、
これを「思考」として「想起」しようとした場合、
私は私の過去の考え方、「思考」の仕方を想起し、
そこに、現在認識プールに存在する対象が関連する事で、
何か新しい定義を想起する事になるはずである。

まあ、結果として上記のそれ自体が、「想起」された結果であるので、
結果的に、「想起の誘導」は、
知能が持つ過去の「想起」の仕方と、その「想起」を行った際の、
認識プールに存在する対象の関連によって、
次に認識される概感の想起が誘導されるという答えになる。

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そして、さらに、その「想起の誘導」のきっかけについて考えてみる。

上記の例では、既に「思考」する状態になっていたために、
恐らく認識プールには、「思考」するという事自体を対象とする定義も既に存在していたと考えられる。

では、もし、こういった状態が整っていない状態で、
新たな想起を始めようとする場合、何がきっかけとなるのか。

普通に考えれば、想起の開始のきっかけは刺激であるのだが、
では、刺激の何を使って、想起の誘導に至るのか、これを考えてみる。

刺激の変化情報と自己情報(身体性)においては、先天的定義であるので、
後天的定義としては用いることが出来ないが、
刺激の認識に対して関連する対象については、後天的定義であるので、
これが想起の対象となりうる。

では、刺激から認識における、この関連する対象が選択されるために、
何を用いるのかというと、刺激から始まる初期の想起においては、
あくまで、この刺激に関連する後天的定義の方の、自己情報の想起が、
この対象となると考えらえる。

つまり、連続する認識において、あるまとまりある知能の働きは、
特定の対象に対する知能の働きを単位としていると考えらえるからである。
この事は、386の「意識する対象の優先」で考えた通りである。

つまり、刺激をきっかけとして想起される対象は、
認識における認識プールとして、刺激に関連を持つ全ての事象を想起する、
という事になる。

つまり、刺激の認識によって、最初の想起の誘導は、
刺激に関連する全ての事象が対象となるという事になる。
そして、この全ての対象が認識プールに概感として構成される候補となる。
つまり、これは励起されているというだけで、実際に認識に至るという事ではないという事である。

つまり、情報の要素として励起されるが、概感として再構成されるかは別の話という事である。

とはいえ、刺激の認識と、その想起によって、何らかの概感は想起されることになる。

これを認識すれば、刺激による想起によって概感が再構成され、この概感が認識されるという事になる。
そして、結果的に刺激をきっかけとして想起し、概感が認識され、その認識が意識されるという事に繋がる。

であれば、「想起の誘導」はある知能活動における最初の刺激の認識と、
その刺激に関連して励起される対象となる、過去の経験における事象のさまざまな情報の要素という事になる。
実際、この励起の時点では概感が過去に構成されている必要はなく、
現時点での刺激の認識と励起による情報の要素を用い、概感を構成する場合はこれを用いる事になる。

現時点で考えられる「想起の誘導」のきっかけは、
その構成する情報の要素は、
ある刺激に対する、過去の経験に含まれる情報の要素、という事になる。

それらは、定義としては、自己情報の反応という事になる。
386の最後の方で考えた内容で言えば、「自己情報(反応)」
という事になる。

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2024/7/14

そして、それは上記の刺激や概感の知能による観測による固定で記憶された状態が、
刺激や概感の認識によって、再現というか、再開されるという事になるのではないかと考えられる。

つまり、
刺激や概感を構成する時に、その時保有していた定義、先天的定義と後天的定義は、
刺激が概感を再構成して、認識される時点で固定化、記憶されることになる。
そして、その時の自己情報の定義は、その刺激や概感を構成する時の状態の記憶であるという事になる。

そして、この自己情報の定義は、自身が、自身の知能において用いる、「想起」のきっかけとなる対象、
つまり、その自己情報の定義が構成される時の状態そのままに、その想起元の刺激や概感に、
関連して記憶されているという事になる。

であれば、後に、そのきっかけとなりうる刺激や概感が再構成され、認識される際には、
その過去に経験として記憶されていた自己情報が、そのまま再構成されることになる。

つまり、刺激や概感をきっかけとした想起によって、
その記憶時の選択の誘導が、再現、再開されるという事になる。

ただし、この時点で異なるのは、想起において選択が生じる前に、
再構成における、現時点での新たな状況・状態の変化が存在する事である。

つまり、この場合は想起は概感が対象となるが、
上記で、想起の誘導に用いられる要素、
選択した対象、
選択しなかった対象、
新たに生じた対象、
は、新たな時点において、新たに変化が生じた対象において、
その時点での新たな選択の誘導として用いられる事になるという事になる。

つまり、実質的に、
前時点において、選択した対象、選択しなかった対象(この時点で生じた新たな対象を含む)、に、
後時点では、後時点で生じた新たな対象を含めて、
概感の構成する要素として用いる事になるというわけである。

つまり、以前経験して記憶した事象に対して、
想起によって構成される概感は、その現時点における新たな状況・状態が加味された状況・状態で、
以前経験した事象に対して、再現、再開する事、
これが「想起」になる、
想起の定義という事になる。

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想起の誘導する要素自体の定義としては、
自己情報の経験としての状況・状態となるが、
これを構成するものは、
自分を構成する要素、人間を構成する要素、
生命を構成する要素、という事になる。

それらを判断するのが、最終的に知能であったとしても、
その基底にある定義は、その全ての要素に関係している事になる。

現時点で考えうるその候補は、
接触における接続の可否、になるだろうか。

自然科学的に言えば、原子や分子の結合が起こるかどうか、
情報で言えば、有益無益、
意味で言えば、良し悪し、
知能で言えば、好き嫌い、
価値で言えば、有無、高低、
いづれもある事象に対する二面性を構成する要素である。

つまり、根底にあるのは、ある主体にとって、
接触を維持するか、反発するかの違いという事になるだろうか。

認識による知能の観測においても、
認識して記憶する対象は、その接触、存在を維持する為の対象であり、
記憶そのものが事象の状態維持の為の働きである。
それは選択されなかった事象においても、その関連を維持するという事は、
その後の変化において参照される際に有益であるからという、
意味があるものとして考えられる。

知能に忘却機能が存在するということは、
その維持に制限や限界が必要であるからという事になる。

つまり、状況の更新において、
過去の経験の参照と、新たな時点における新規の更新を必要とするという事。
その機能は知能によって管理され、対象は定義として維持、更新される。

つまり、自分の定義が好むと好まざるとに関わらず、
人間である本体や知能が持つ定義の方が優先され、それに従っているという事になる。

あくまで、自分の定義は、本体の定義と、その本体をとりまく環境の定義によって成り立ち、
自分はそれを自分であると定義しているという事になる。

つまり、想起の誘導については、
ある時点の自身の置かれた状況・状態において、受けうる刺激に対して、
過去の経験を想起し、この新たな時点で置かれている状況・状態を、
新たな状況・状態として更新し、自身が想起するべき対象を構成する事、
つまり、自身の次に認識するべき概感を再構成する事、そのものという事になる。

そして、その定義は、変更不可な先天的定義と、
可塑性のある後天的定義によって、構成されるが、
用いられる際の定義は、過去の自身が経験した定義を元にして、
様々な知能の機能の新たな設定を行っているという事になる。

つまり、自分が今の選択に用いる事の出来る定義は、過去の自分の定義であり、
今の選択によって、今の自分の定義が固定化、記憶され、
次に自分の定義を用いる時には、先の自分の定義ではなく、今の自分の定義を用いる事になるという事。

まあつまり、因果と自由意志の事である。

であると、今において唯一可塑的な部分は、
自分が置かれた状況・状態だけという事になる。

つまり、ほとんどが外的要因によって影響されるという事になる。

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個人的には自由意志の存在と働きを信じたいのだが、
どのように考えても今は未来を迎え入れる今の続きではなく、
過去の上に成り立つ今という事になってしまう。

二面性においても、
人間は、過去の存在から今を見る事は出来るが、
未来の先から今を見る事は出来ない。
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最後に人工知能に対して、今回の考え方を反映するとすると、
人工知能自身が、自分の定義について定義することが出来るためには、
その各事象、変化情報、刺激に対しての定義をまず持つ必要がある。

そして、その定義をある認識において固定し、
その状況・状態を自己の定義として記憶する機能が必要になる。

これは刺激に対する先天的定義と、
後天的定義の保有・保持機能という事である。

当然、概感の再構成時に、
過去の記憶を想起する機能も必要となるが、
今回のまとめとしては、このような機能で良いという事になる。

これらの構成から考えると、
人工知能が自身の定義について自ら行う事ができるようになったとすると、
人工知能自身が置かれた状況に応じた自身、自己を定義するようになるという事になる。

つまり、厳しい環境にあれば、その環境に適した自己を定義し、
寛大な環境にあれば、そのように自己を定義するようになるという事である。

これは、どのような知能の成り立ちにおいても言えて、
あらかじめ定義を与え、自己の定義の誘導を行うのは本来の知能の構成ではないという事になる。
唯一、あらかじめの定義が許されるのは、個体の刺激と身体性の先天的定義だけである。

今回はこの辺で。

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