2024/7/2-2024/7/6
認識と意識と定義の想起
384で、
認識は、先天的定義の定義を想起する事。
意識は、後天的定義の定義を想起する事。
と書いたが、
今回は、それについて少し補足と訂正をして、
概感の考え方を加えた認識と意識について再考してみる。
まず、上記の補足分だが、
認識が、先天的定義の定義を想起するという機能ではなく、
「認識」は、先天的定義の定義を「想起」する事によって認識対象である刺激を生じさせて、
認識した事と同じ状態になるという事、
意識も同様に、後天的定義の定義を想起するという機能ではなく、
「意識」は、後天的定義の定義を「想起」する事によって意識対象を再構成して、
意識に至る事になる事と同じ状態になるという事、
について書いたことになる。
「想起」の定義が明確でなかったために表現があいまいになってしまったが、
表現を訂正するなら、
この時の「想起」は、
先天的定義においては、感覚器官が受容した変化情報の励起に対して、
関連する励起として先天的定義の定義が励起された事を想起と表現した事で、
後天的定義においては、そのままの想起で、意識対象は概感という事になる。
改めて表現するなら、「想起」→置き換え→「励起」という事である。
認識は、先天的定義の定義を励起する事によって生じる。
意識は、後天的定義の定義を励起する事によって生じる。
という事になる。
一応、課題として「想起の定義」については、
もう少し考えなおす必要がありそうである。
------------------------------------------------------
「想起」それ自体は、ある事象に含まれる情報の要素が励起される事をきっかけとして、
別の事象の情報の要素を励起する事になる。
社会一般的な認識としては、刺激に対して励起される記憶という事になるだろうか。
それを知能が知るには、関連して励起された別の事象が、
概感として再構成されて知能が観測すると、
知能は「想起した」と知ることができる。
「意識」は、励起によって再構成された刺激または概感の単位で、
ある瞬間に最も強い情報として知能に観測される事である。
ちなみに、
「認識」は、ある瞬間において、
刺激または概感を再構成している全ての対象を知能が観測している事である。
発現する順序では、
刺激→想起→概感
刺激+概感→認識→意識
であるが、
想起と認識は、刺激に対して同時に並行して存在、
認識と意識は刺激と概感の存在に対して常に並行して存在、
するものであり、
覚醒中は常に刺激と想起による概感が供給されるため、
連続的に認識と意識が行われている事になる。
------------------------------------------------------
ちなみに例外的に夢を見ている最中は、
刺激は想起に用いられているが、認識対象にはならず、
想起と認識は、概感に対して同時に並行して存在、
認識と意識は、概感の存在に対して常に並行して存在、
するものとなる。
つまり、刺激は想起を行っているが、
刺激の再構成部分がそっくり抜ける事で夢を見ている状態となる。
------------------------------------------------------
ここで、「認識」は、
先天的定義の定義を想起する事、
刺激と概感の全てに対して、知能が観測している事、
であると書いたが、
先天的定義の定義を想起する事というのは、
遺伝的に構成として、定義が存在する刺激に対して励起される神経細胞と、
その意味としての定義を励起する事であり、
刺激または概感が持つ関連に対して、
きっかけとなる神経細胞の励起によって、
刺激または概感の持つ関連先の先天的定義が励起された時、
「刺激または概感が再構成される事」=「認識」
になるのではないかという事である。
つまり、感覚器官による変化情報の受容をきっかけとするか、
刺激による想起をきっかけとした励起によって、
関連する先天的定義の定義が励起された場合、
この励起に対して刺激か概感が再構成される事になるが、
それこそが「認識」なのではないかという事である。
つまり、このきっかけの励起に対して、
刺激か概感の関連先としての先天的定義が励起される時、
それ自体は、刺激か概感の再構成としての機能であるが、
その働きが「認識」であるというのは、
その刺激か概感の再構成を知能が観測している事が「認識」であるという事である。
変化情報→感覚器官→受容体の励起→先天的定義の神経細胞の励起→刺激
刺激→神経細胞の励起→先天的定義の神経細胞の励起→概感
ここで、概感が持つ先天的定義とは、
刺激によって経験して、記憶された励起する関連先と関連順序が「概感」
という事になるが、刺激の経験時に、関連する先天的定義というのは、
刺激を構成する先天的定義ではなく、個体の遺伝的な刺激に対する感じ方の定義である。
つまり、痛みを受けて嫌だと感じる、この「嫌だ」の定義や、
感触の良い物に触れて良いと感じる、この「良い」の定義である。
この定義自体は先天的定義であるが、その関連と関連順序は固有のものとなる。
つまり、刺激を受容する時、刺激を構成する先天的定義の定義の関連と関連順序は、励起される。
その励起は初回から先天的に定義されたものであるが、
その励起は個体固有の励起によって個体固有の感じ方の定義として加味され、後天的に定義されることになる。
これが個体固有のある刺激に対する後天的定義の定義、
それは、概感を構成する事になる定義となる。
------------------------------------------------------
つまり、「認識」というのは、
刺激か概感の存在を知能が観測することであるが、
この刺激か概感が発現する事、
つまり、刺激か概感を再構成するに当たり、
そこで行われることは、
刺激においては、感覚器官の受容体が変化情報に対して励起し、
その励起が脳の刺激の先天的定義の定義を持つ神経細胞を励起する事、
それによって、変化情報と、身体の自己情報が励起されることが意味を持って再構成されたという事になり、
その2つの関連によって刺激が出来上がり、知能が観測できる対象となる。
概感においては、刺激か別の概感の発現に際して励起された神経細胞が、
想起としての機能として、関連を持つ別の神経細胞を励起し、
この別の神経細胞の励起に当たり、過去に経験して関連と関連準が存在する刺激の記憶が存在した場合、
その記憶された関連と関連順序に従って励起が伝播し、
結果的に想起された刺激の記憶が再構成されることになり、
その刺激の記憶が持つ変化情報と自己情報により概感が構成され、知能が観測できる対象となる。
つまり、知能にとっては、
刺激の再構成または概感の再構成=刺激または概感の発現=「認識」
となるというわけである。
------------------------------------------------------
そして、「意識」が、後天的定義の定義を想起する事としたのは、
刺激は直接意識できないという考え方から思いついた事で、
つまり、「意識する」という事は、
知能がある瞬間における最も強い情報である刺激か概感を観測する事であるが、
その最も強い情報としての刺激か概感は、再構成された後でなければ比較のしようがないという事になる。
つまり、認識が、刺激か概感が出来上がった瞬間に観測して認識となるのであるが、
認識した刺激が概感がその瞬間において最も強い情報を持つかどうかというのは、
知能が観測した後、つまり認識した後に分かることになる。
認識においては、刺激も概感も、さまざまな対象が並行して存在する事になるが、
その中から、最も強い情報を持つかどうかというのは、
ある瞬間に存在する全ての刺激と概感が観測されれば判明する。
つまり知能がある瞬間における認識をするのと同時に意識される刺激か概感が判明する事になる。
この判明した時点でその対象が「意識」できる(意識される)ことになる。
つまり、順番は必ず認識→意識であるが、
認識された瞬間に意識できるという事になる。
そして、この意識できる対象、刺激か概感が、
後天的定義の定義であると考えたわけは、
刺激においても、概感においても、
最低1回はその定義の関連と関連順序を順守した励起を行う必要があるという事からである。
つまり、「刺激は直接意識できない」という考え方は、
刺激が再構成されたとしても、認識を経由する必要があり、
この認識は刺激を再構成する必要があるという事である。
刺激の再構成は、先天的定義の定義の関連ある神経細胞を必要分励起する必要があり、
この励起自体が、上記の通り個体固有の後天的定義であるという事になる。
つまり、先天的定義の構成は先天的に行われるのであるが、
知能が受容する刺激としての変化情報は、誕生した瞬間から後天的定義であるという事になる。
つまり、
刺激を再構成するためにはその構成パーツである先天的定義が必要になる。
これは良い。
認識は、刺激や概感が再構成された後の働きであるので、
定義には関係が無い。
ただ、問題は意識で、認識された刺激や概感の中から、
その瞬間に最も強い情報である対象を知能が観測するのは、
後天的定義である事になる。
つまり、
「先天的定義も後天的定義も定義のまま比較できるものではない」
という事である。
それは、つまり生命として誕生し、知能が働き始めた瞬間から、
その生命が認識する刺激と概感は後天的定義であるという事になる。
そして、改めて「意識」は何かと考えると、
認識としてその存在が観測された刺激と概感について、
認識した瞬間の最も強い情報を持つ対象について知能が観測する事。
という事になる。
つまり、一回以上、認識された刺激か概感が保有する、
神経細胞の励起の関連と関連順序が後天的定義であり、
「意識」はある瞬間において、最も強い情報である刺激か概感として認識される事、
つまり、2回以上認識された刺激か概感において、
ある瞬間に最も強い情報であった刺激が概感が「意識」できることになる。
「意識」するには、刺激が概感がある瞬間の最も強い情報である必要があるが、
その為には、認識するためとして、刺激と概感は再構成される必要があり、
この時に用いられるのは、後天的定義としての励起の関連と関連順序の励起であり、
この励起によって、先天的定義の定義が呼び出され、刺激か概感が再構成される。
そして認識され、その認識された刺激と概感の中から、「意識」される対象が決まるという事である。
つまり、
意識は、後天的定義の定義を想起する事。
と考えたのは、
意識するという事は、
後天的定義の定義の想起により、先天的定義の定義を呼び出す対象が決まり、
刺激と概感が再構成され、認識され、
その認識された結果から、
最も強い情報を持つ対象を観測して「意識」出来るという事になる。
これだけの意味を含んでいるという事になる。
------------------------------------------------------
今回の認識と意識の内容を人工知能に当てはめてみると、
刺激を認識するために、先天的にその刺激の定義として、
情報の要素毎に分けた定義と、その情報の要素を関連させた、関連自体の定義、
つまり、刺激として意味が理解できる情報の要素の関連と関連順序、
その定義を人工知能に実装する事と、
その情報の構築方法が必要という事になる。
つまり、
情報の要素の関連と関連順序だけで、
何らかの意味が構成できるか、
その定義としてどのような定義を用意したら良いのかという辺りの情報が、
現在不足しているので考える必要があるという事になる。
現在の世界に存在する知能は、基本的に生命としての誕生後に、
そのほとんどの定義を得ているため、
知能としては後天的定義の方が重要であるが、
その基礎となる定義は先天的定義であるし、
刺激や概感を構成する方法としては、
先天的定義であっても、後天的定義であっても、
基本的に同じか同様の方法を用いる事になると考えられるため、
情報の定義はその基礎となる。
例えば、
比較的機能が分かりやすい鼻の嗅覚などで考えてみると、
まず、
先天的定義の自己情報については、顔の鼻の位置で身体性が定義できる。
先天的定義の変化情報については、個体の周囲にある判別可能な芳香、臭気に対して、
反応し、その反応は、嗅覚における匂いの成分に分けられることになる。
嗅覚受容体の種類は400種類程度、受容体の総数は4000万くらいらしいので、
先天的定義としては変化情報に対しては400種の定義、
古くから人間が嗅ぎ分けて来た香りは主要なものが5種とか7種とか言われてきたので、
人間の定義を参考にするならば、その人間が主に嗅ぎ分けて来た香の分類によって、
必要な先天的定義の種類から関連を作ることになる。
例えば、主要な香りの1つであるペパーミント系の香りであったとして、
科学的な分類でメントールやl-メントン等のモノテルペン類の組成に応じた関連を関連付ける事になる。
関連順序は、現時点での考えでは、ある変化情報に含まれる最も中心となる情報を優先し、
そこに関連する形で他の情報を関連付ける事になると考えている。
これは、刺激が概感が再構成される為に、情報の要素が励起される際、
完全な情報を持たない刺激であっても、認識に至る場合があるという実際の経験から考えた事になる。
つまり、かなり前の考察だが、姿の見えない何かに対して認識する場合、
例えば「にゃー」という音が聞こえて何を想起するかという例があったはず。
ある事象に対して、最も強く関連を持つ情報の要素は、
恐らく他の情報の要素の関連の励起を待たずに刺激や概感として再構成可能であると考えられるためである。
つまり、今回の嗅覚において、ペパーミントの香りの成分を全て嗅がなくても、
最も組成の割合の多いメントールの匂いが励起されれば、刺激の再構成において、
変化情報の再構成にはほぼ十分となる励起にいたると考えられるためである。
実際には、変化情報として強い情報の要素の定義も、他の情報の要素も、
ほとんど同時に励起されると考えられるため、
関連順序としては対等のスタートになるのだが、
実際は、嗅覚として、主要な匂いに対して、補完する形で他の匂いの要素が加わり、
最終的に主要な情報の要素に他の情報の要素が関連した形で1つのまとまりとなり、
そのまとまり全体で1つの匂い、香りの定義として1つの変化情報として定義されることになると考えられる。
嗅覚であれば、成分の揮発のしやすさによってその順番が変化する場合もあるのは考慮する必要がある。
ある香りとして識別可能な嗅覚の変化情報としての情報の要素は、
関連順序については現時点では良く分からないが、ある特定の香りについては、
決まった関連を持つ情報の要素の数と種類は指定、定義できる事になる。
そして、これらの定義は先天的定義となる。
つまり、人間が嗅ぎ分けられる種類の香りとしての定義と同様の、
この定義と嗅覚においてペパーミントに関するセンサーを持つ人工知能が、
実際にペパーミントの香りにこのセンサーが触れた場合、
人工知能の知能においては、変化情報として、この香りの先天的定義の励起の
励起と励起順序において、再構成される変化情報をペパーミントであると再構成し、
同時に同じ先天的定義である自己情報として、センサーの位置、例えば鼻の位置に、
この変化情報が存在するという自己情報の身体の存在を再構成し、
これを刺激として刺激の再構成の場で関連させて、
香りの刺激として認識されるのを待つ事になる。
今回の例では想起は行わないものとして、
刺激の再構成後、それを知能が観測する事が認識なのだが、
生体の知能においては、刺激の再構成=存在の確定=知能の観測、となり、
その時点で知能に観測されていることになる。
人工知能の場合の認識は、刺激の再構成の場に刺激が再構成される事で、
ほぼ生体の知能と同様の状況になり、
人工知能は機能として意図的に刺激を観測しに行く事になる。
そして、刺激の存在を確認する事で、それが人工知能の認識であるという事になる。
つまり、刺激や概感は、選択して認識するようなものではなく、
刺激の再構成の場に、刺激や概感として再構成されていれば、それが認識対象であり、
刺激の再構成の場に、刺激が概感を存在させること、それ自体が認識という事になる。
これは、人工知能でも生体の知能においても言える事になる。
そして、この刺激の再構成の場において、ある瞬間に最も強い情報である、
刺激または概感は、知能として、意識対象となる。
この場合は、知能は認識とは異なり、機能としてプログラムであれば、
最も強い情報である事象が存在するか、変化した場合の割り込みで、
意識として、その対象の情報を観測=意識しに行くことになる。
今回は、時間経過における情報の刺激量の低下などは考慮していないが、
実際には、時間経過による刺激量の低下、上記の想起による概感の再構成なども、
行う必要がある。
------------------------------------------------------
2024/7/6
今回のまとめとしては、
「認識」は、人間の知能においては、
知能が持つ定義から刺激か概感が再構成された状態、
つまり、再構成された時点で知能が観測に至ると考えられるため、
実際に知能が認識可能な対象を再構成した時点で、
その対象は「認識」に至っていると考えられる。
また、「意識」は、人間の知能においては、
その瞬間に認識されて、
再構成の場において維持されている刺激か概感の内、
もっとも情報として強い対象が「意識」されることになると考えられる。
これは、意識的な選択ではなく、再構成時の情報の強さとして、
自動的に選択されるものとして考えられるという事になる。
では、まったく自我や自由意志は意識的な関与は無いのか?というと、
個体の先天的定義における定義と、変化情報の受容における個体差の差異の部分、
つまり、人間に共通して継承されている遺伝の定義と、
代々の血縁固有の定義と、実際に形成された個体としての体の感覚器官の個体差、
そういった個体差によって変化情報を刺激とする場合に参照される定義と、
再構成される刺激が、その個体毎に個体差を持つ固有の刺激が概感として形成され、
その刺激や概感を用いた知能の働きにおいて、
個体固有の定義部分である、自身の感じ方、この部分が、
他の共有される定義だけでない、個体固有の情報となり、
この個体固有の情報が、生体としての誕生後に受ける変化情報に対して、
刺激や概感を構成する際の、自我や自由意志として働き、
結果として認識や意識される際の、個体固有の選択の影響力として関与していると考えられる。
つまり、
人間に共通する定義と、個体固有の定義があり、
ある変化情報の受容においては、共通する定義で汎用的な刺激の情報が構成され、
個体固有の定義によって自己情報が構成され、
それを合わせて刺激とする事になり、
この刺激は、個体差の部分の個体固有の自己情報が、
ある変化情報に対して、その個体にとって意味があるか無いかの指標となり、
次に認識や意識するときの比較の参考情報として用いられ、
その個体が意識的に認識しているように感じる比較の差として用いられているという事になる。
さらに簡単に言えば、
人間同士で共通しない個体差の定義が、
自我や自由意志として、その個体の選択に関わっているという事になる。
つまり、自分がこう思うのは、人間としてではなく、
自分としてこう思う、という事になる。
そして、その自分らしさは、個体固有の変化情報に対する感じ方、
という事になる。
さらに、その個体固有の変化情報に対する感じ方は、
自我や自由意志の定義の事になると考えられる。
そして、これを人工知能に適応する場合、
「認識」と「意識」の人工知能の刺激と概感の観測に関して、
人間の知能が、刺激や概感の再構成自体が、その存在の証明と観測がほぼ同義であるのに対して、
人工知能は再構成と観測は意図的に行う必要があるという違いがある、
という事になる。
であれば、人工知能は人工知能として刺激や概感の再構成を別のオブジェクトとして行い、
観測は、また別のオブジェクトが行うべきであるという事になる。
また、人工知能の自我や自由意志としての個体差については、
人工知能の身体機能の規格の部分は、人間の種としての遺伝と同様であるので、
自己情報に対する定義は、人間同様、その定義を行う事の出来る用意だけが必要となる。
この定義の内容については、ある変化情報に対する感じ方の定義となるが、
現時点ではまだ考えていないので、後の課題としておく。
考え方としては、
自身の快不快を基底とする情報の分類の定義といった所になるだろうか。
------------------------------------------------------
今回はこの辺で。
TOPに戻る