2024/6/23-2024/7/1
定義「概感」と刺激・認識・想起の再定義
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これまでの「刺激」についての考え方:
刺激は知的生命の個体を取り巻く環境の「変化」と、
知的生命の個体の身体の状況や状態の「変化」を「情報」として、
知的生命の個体の身体に配置されている感覚器官の受容体、
または、ホルモンや神経伝達物質を用いた、
小脳や間脳、脳幹などにおいて受容される変化を、
神経細胞を用いて、情報の「評価」として、
知能における「刺激」としての共通のフォーマットに変換し、
知能が保有する「定義」(先天的定義または後天的定義)によって意味付けし、
刺激として構成するものである。
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「刺激」について考えなおした事:
先天的定義を用いて「刺激」を定義する場合、
「刺激」で用いる事の出来る定義は、先天的定義だけになるのではないかという考えに至った。
これまで、刺激は、先天的定義と後天的定義の組み合わせで定義されていると考えてきたのだが、
「刺激」が、実際、現実的な身体における特定の部位のみ、
「刺激」を構成する自己情報の要素の対象として用いると考えると、
「刺激」の定義において後天的定義は用いることが出来ないという事になる。
つまり、感覚器官の受容体と先天的定義の関連が直結していて、
感覚器官の受容体の関連が後天的定義に直接関連するのはおかしいという事になる。
つまり、感覚器官の受容体で受容した変化情報は、
常に実際の身体のどこかで受けた変化情報であると固定されているはず、
という事になる。
逆に、感覚器官の受容体で受容した変化情報が、
後天的定義に直接関連出来る事になると、
遺伝される先天的定義に矛盾が生じる事になる。
つまり、感覚器官の受容体で受容する変化情報の定義が生命としての構成時に存在せず、
後天的に得る必要が出てきてしまい、
生まれながらの機能を生まれた後にその定義を得る必要が出てきてしまう事になる。
つまり、最初に経験する際の定義が存在しないことになる。
つまり、「刺激」を構成する為に関連しているのは先天的定義だけであり、
後天的定義の関連は別の何かが存在しているという事である。
そして、
これらの矛盾を解消する定義を考えた。
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「概感:がいかん」という新しい定義:
既存の定義において、
感覚器官から受容する変化情報から構成される「刺激」に対して、
後天的定義として想起して構成される情報に適当な「言葉」が存在しないので、
新しい定義として「概感」を提案する。
「概感」とは:
記憶された刺激を想起する事によって構成される情報である。
「概感」は刺激同様に認識対象になる。
「刺激」は、感覚器官の受容体が変化情報を受容して、
この変化情報に対して先天的定義で意味付けした情報と、
ここで用いられた先天的定義に含まれる自己情報を用いて、
刺激の再構成の場で再構成されたものが「刺激」であるのに対して、
「概感」は、過去に経験して記憶した事のある「刺激」を、
きっかけとなる刺激に対して想起する場合に、
刺激に関連して励起された情報の要素を、
後天的定義を用いて「概感」として再構成したもの。
後天的定義として定義の1つの情報単位を形成し、
想起による想起対象となる情報単位。
感覚器官が受容する変化情報の情報の要素に対して、
先天的定義による意味付けで「刺激」が構成されるのに対して、
想起によって励起される情報の要素に対して、
後天的定義による意味付けで「概感」が構成されるという事になる。
「概感」は一度「刺激」として認識され、記憶された情報の要素の関連であるため、
刺激として構成されていた「先天的定義の関連によって構成される定義」を一度記憶したものという事になる。
情報の要素としては、先天的定義の情報の要素の単位を、
特定の関連と関連の励起の順序で決められた定義を記憶したネットワーク情報を単位とする。
刺激は、変化情報と自己情報によって構成され、
「概感」は、刺激で用いられた先天的定義の関連と関連順序の内、
刺激として認識された意味のある定義として成り立つために必要な情報の要素のまとまりによって構成される。
ただし、「概感」を構成する情報の要素は刺激であった時の全ての情報の要素を用いていない。
記憶された関連のみが構成要素となる。
仮定の話であるが、もし刺激を完全に記憶できれば、「概感」=「刺激」となる。
「概感」は先天的定義の定義の関連と順序が定義としての意味を持ち、情報を形成する。
「概感」は先天的定義を含む定義から構成される為、自己情報の定義も含まれる。
「概感」は、定義の関連と順序の情報のまとまりであるので、
「概感」と「概感」の定義を関連して、
新しい「概感」を定義する事もできる。
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「概感」の定義が加わった事で、
以下の定義の構成が変更されたことになる。
・刺激
・刺激の再構成の場
・想起
・認識
・意識
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刺激を構成する定義の再構築:
刺激は先天的定義のみで定義された情報のまとまりである。
つまり、
「刺激」が構成される定義の種類は、
・先天的定義
のみの1種類となる。
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概感を構成する定義:
「概感」が構成される定義の種類は、
・後天的定義
の1種類となる。
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刺激の再構成の場の再構築:
刺激の再構成の場において、刺激はその変化情報の受容が行われている間、
常に刺激の再構築が行われている。
「概感」は、刺激の認識によって想起が行われた場合に限り、
刺激と同時に再構成される。
つまり、刺激の再構成の場で再構成されるのは、
刺激だけの場合か、刺激+「概感」の場合かの2種類である。
想起は単独では起こらないので、「概感」のみが単独で再構成されることはない。
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認識の再構築:
感覚器官による刺激の受容と、
想起による「概感」の構成によって認識が行われる事になる。
刺激の認識は、感覚器官からの変化情報が受容されていれば常に行われている。
目で見ている画像が途切れないのはこのためである。
想起による「概感」を認識する場合、
刺激の再構成の場を利用して「概感」を再構成して認識する事になる。
刺激は受容されている間、常にその刺激は再構成され認識対象になっている。
「概感」は刺激の再構成の場で、刺激に関連した情報として再構成される。
つまり、
認識は刺激を認識するか、刺激+「概感」を認識するかという事になる。
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認識と意識の再定義:
覚醒中の感覚器官の受容体は常に活動していると考えられるため、
常に刺激は受容されている事になる。
想起は刺激に対して過去の経験が存在すればその全てが想起される為、
「概感」を構成する情報の要素は存在している事になる。
つまり、刺激に対しては常に認識が行われている事になるが、
想起によって「概感」が構成された時のみ、
認識対象の最優先対象が「概感」となる場合が生じる事になる。
ここで、認識は、ある瞬間における最も強い刺激が認識されると考えてきたが、
これまで刺激の認識と意識の定義は、
「認識は、ある瞬間において、構成された全ての刺激が認識される。」
「認識された刺激の中で、最も強い刺激が意識される。」
であったが、
「概感」は認識対象であり、
認識においては刺激と並行して存在する存在であるため「概感」の定義を加え、
「認識は、ある瞬間において、刺激・概感として構成された全ての刺激・概感が認識される。」
「認識された刺激・概感の中で、最も強い刺激または概感が意識される。」
という事になる。
ただし、非覚醒中の意識つまり、夢を見ている間に意識されるのは、
常に「概感」となる。
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想起の再構築:
これまでは、想起ではあるきっかけの刺激に対して励起される情報の要素のまとまりを、
「想起された刺激」として構成する事で「想起」が行われると考えてきたが、
「概感」の定義によって、
想起によって構成されるのは、「概感」という事になる。
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意識の再構成:
意識の対象となるのは、刺激か概感であり、
同時に両方を意識する事は出来ない。
また、「概感」は常に存在するわけではないので、
「概感」が想起された場合に限り、「概感」が意識できる事になる。
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刺激と「概感」の刺激量:
想起によって「概感」が構成された場合、
ある瞬間の刺激量は
刺激量の総和=刺激の刺激量+「概感」の刺激量
となる。
刺激の刺激量>「概感」の刺激量
であれば、刺激が意識され、
刺激の刺激量<「概感」の刺激量
であれば、「概感」が意識される。
注意:「刺激量」では刺激専用であるとの誤解が生じると考えられるため、
「概感」でも用いる事が出来るように「励起量」などとして置き換えるのが良いかもしれない。
現時点では「刺激量」のまま記載している。
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2024/6/30
刺激と概感の認識と意識:
「概感」は、意識される場合は、認識されていると分かるが、
意識されない場合、認識されているかどうか分からない。
「概感」を認識する事、意識する事はどういうことかというと、
「概感」を意識するという事は、
認識の上で、最も強い存在であったという事になる。
これは簡単で良いのだが、
「概感」を認識する事はどういうことかというと、
刺激を認識する場合は、刺激の再構成の場において、
刺激の発端となった変化情報の受容に対して、
先天的定義を用いて変化情報に意味付けする事、
そして、先天的定義に含まれる自己情報をそこに追加して、
その2つを関連することによって、
刺激として再構成する事によって認識されるという事になる。
この考え方は論理的な働きとしての認識であるが、
物理的な神経細胞の働きとしては、
感覚器官の受容体が変化情報に対して反応して励起、
この励起が、脳の特定の野に到達、そこで、定義を持つ神経細胞が励起されることによって、
特定の情報が再構成される。
この神経細胞の励起、その関連する神経細胞の励起によって、
ある特定の情報が脳内で再現され、この情報が刺激として、
知能が「知覚」した刺激として知ることが出来る対象となる。
「概感」の場合、
「概感」を認識する事はどういうことかというと、
刺激と同様に再構成された時点で認識対象となるはずなので、
概感を認識する場合は、刺激の再構成の場において、
刺激の関連によって想起された変化情報と自己情報が、
後天的定義として再現され、再構成する事によって認識されるという事になる。
物理的な神経細胞の働きとしては、
刺激の励起によって、関連する記憶対象である神経細胞が励起、
この励起は、記憶として脳の特定の野に関連を持っていて、
この関連先の神経細胞が励起されることによって、
特定の情報が再構成される。
この神経細胞の励起、その関連する神経細胞の励起によって、
ある特定の情報が脳内で再現され、この情報が概感として、
知能が「知覚」した刺激として知ることが出来る対象となる。
刺激が、遺伝的に持つ先天的定義の関連を励起することで構成されるものであり、
概感は、経験して記憶した関連を励起することで構成されるものである。
この違いは、
刺激の経験によって、記憶される関連がどのように構成されるかによって理解の仕方が異なる。
つまり、記憶が重要な意味を持つという事になる。
正確に言えば、記憶の際に、変化情報と、特に自己情報がどのように記憶されるかという事になる。
自己情報の記憶は、これまで考えた事は無かったが、
今に至っては、かなり重要な意味を持つと考えられる。
刺激の際の自己情報は、特に身体性としての定義が、
この自己情報に充てられる事になるのだが、
その際、この自己情報に関連して、自己の身体が、
この刺激となる変化情報に対して、身体の存在以外の、
変化に対する感じ方の情報が加わる事になる。
この変化に対する感じ方というのは、
先天的定義ではあるのだが、
変化に対する快不快や好嫌といった生命にとっての本質的な反応という事になる。
視覚においては、色や形状といった変化ではなく、
特に明度に関する反応であると考えられる。
つまり、明るさと暗さに対する感じ方である。
明るすぎる眩しさが不快であるとか、
暗さに対して恐怖や不安を感じるとか、
普通に明るければ安心感を感じるような、感じ方の定義である。
聴覚であれば、
大音量や高周波に対する不快、
自然界に存在する特定の周波数に対する安心感など。
嗅覚であれば、芳香と悪臭など、
味覚であれば、甘味と苦味、酸味など、
触覚であれば、感触や温冷、衝撃などの感じ方である。
それぞれの感触に対して、好ましい、不快であるという定義が存在し、
その定義は、その個体が、変化情報に対する自己情報を構成する為に用いられ、
個体の個体差を含めて、変化の1つ1つに対する反応の量を決める定義の指標となる。
刺激に含まれる自己情報は、
先天的定義の反応であるため、
刺激の変化情報に対しては、自身の身体の位置情報と、
その変化情報に対する個体の感じ方が定義によって定量的に求められる。
つまり、刺激の変化情報に対して、自身の個体は、
決まった感じ方をするので、その定義がそのまま刺激の自己情報に設定されることになる。
それ自体は、先天的定義であるので、
想起時においては、きっかけの刺激としての再構成対象でもある事になる。
つまり、概感を構成する際の、再構成対象の内、
きっかけの刺激+概感
の、このきっかけの刺激の部分の再構成体という事になる。
記憶に際しても、きっかけの刺激であるために、基本的にそのままの状態で記憶されることになる。
そして、ここから先が重要なはずだが、
この刺激の受容によって、先天的定義以外の何が生じるかという事になる。
つまり、刺激の経験に対して、何が関連するのかという事である。
刺激そのものは、そのものとして変化しない。
自己情報の先天的定義の部分も、変化しない。
つまり、自分の身体における感じ方は刺激に対して固定された反応という事になる。
この刺激を受容して、再構成する刺激に対して、
何が追加で加わるのか。
まず先に思いつくのは、他の刺激との関連である。
刺激→関連→刺激→関連→・・・
刺激の単体は、それぞれが先天的定義で固有の関連を持っているので、
先天的定義が分かれば、解釈は、その先天的定義だけでできる事になる。
刺激←先天的定義の変化情報+先天的定義の自己情報
しかし、刺激の経験においては、
刺激に関連するのは、別の刺激である。
刺激→個体固有の関連→刺激→個体固有の関連→刺激→
つまり、個体が刺激によって記憶する部分というのは、
先天的定義で理解可能な刺激の単位を関連させた、
この「関連」の構成自体、構成の全てという事になる。
つまり、
(先天的定義の刺激)→「関連」→(先天的定義の刺激)
この「関連」こそが後天的定義であり、「概感」を構成する要素という事になる。
つまり、「概感」という刺激の記憶ができるのではなく、
刺激同士を関連させる、関連させたそのネットワーク自体が、後天的定義そのものであり、
そのネットワークの励起によって構成されるのが「概感」という事になる。
だから、刺激は刺激として再構成され、認識対象となり、
刺激の再構成の場において存在する。
また、刺激の再構成時に励起された変化情報、情報の要素の励起によって、
その変化情報、情報の要素自体が持つ関連先が励起され、
様々な情報の要素が励起されるが、この励起する関連というのは、
まさに後天的定義であり、この後天的定義の関連により励起された情報の要素によって、
過去の経験によって記憶した刺激の励起ルートが再現した場合、
これが「概感」として再構成される事になる。
(新しい励起ルートによって、刺激に相当する「概感」が構成された場合、
これが、思考や想像といった機能になる。
つまり、新しい励起ルート、そのものによって構成される概感が、
思考の結果や想像の結果の想像物という事になる。
これは、刺激の経験とまったく同じ対象を励起し、想起する事ではなく、
その瞬間に同時に認識されている刺激の関連対象の励起によって、
経験時とは異なる情報の要素が励起され、同時に存在する事によって、
新たな関連となる場合である。
つまり、刺激の再構成の場において、刺激の再構成と並行して、
想起が起こった場合、経験した時の情報の要素だけでない、情報の要素が、
同瞬間に存在しうることで、その同瞬間に存在する情報の要素によって、
再構成体が経験時と異なる事が起こる(異なる励起ルートが発生する)可能性があるということ。
{これは、神経細胞の励起の関連において、異なる励起が入力された場合、
異なる対象が励起される場合が起こるという事である}
この異なった再構成体が、想起による結果として構成される為、
刺激の想起の結果として、経験時とは異なった事象を認識する事があるという事になる。)
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つまり、後天的に「定義」するという事は、
刺激の経験の際に、同時に経験する刺激との関連を「定義」として得る事になる。
そして、この関連を記憶することで、後天的定義を得る事になる。
つまり、後天的定義は、自身が経験した事のある、
刺激と刺激に関連の存在があるという定義という事になる。
つまり、想起の際に後天的定義が用いられるというのは、
きっかけの刺激の想起によって、後天的定義として記憶している、
きっかけの刺激に関連する別の刺激を励起する事の出来る過去の経験を用いる、
という事になる。
つまり、記憶しているのは、新しい刺激ではなく、
先天的定義の刺激と先天的定義の刺激を繋ぐ関連を記憶しているという事になる。
つまり、例えば「3」を記憶する場合、
「3」を数字の3として記憶しているのではなく、
何かぐるっとした円に足りない輪が上下にくっついたこの形状が、
意味を持つ形であり、文字であり、数を表せて、2に1を足したものであり、
つまり、2の次の数であり、音であらわすと「さん」であり、
といった別の刺激同士を関連させる定義をひっくるめて、
後天的定義の「3」を定義する関連として記憶するという事になる。
今度は、この「3」を見た場合には、
この「何かぐるっとした円に足りない輪が上下にくっついたこの形状」の視覚の励起によって、
この変化情報がきっかけの刺激となり、過去に記憶された経験が想起される事で、
「何かぐるっとした円に足りない輪が上下にくっついたこの形状が、
意味を持つ形であり、文字であり、数を表せて、2に1を足したものであり、
つまり、2の次の数であり、音で表すと「さん」であり、
といった別の刺激同士を関連させる定義をひっくるめ」
たものをきっかけの刺激の後天的定義として、関連した刺激が励起され、
「概感」として認識対象として再構成されるという事になる。
もし、「3」に関係した漢字の「三」を学習して覚える事になる場合、
「何かぐるっとした円に足りない輪が上下にくっついたこの形状が、
意味を持つ形であり、文字であり、数を表せて、2に1を足したものであり、
つまり、2の次の数であり、音であらわすと「さん」であり、
といった別の刺激同士を関連させる定義をひっくるめ」
ていた刺激の関連に、
「文字であり、数を表せて、漢字でもある、3つの横線の形状を持ち、
真ん中の線が少し短めの、音で表すと「さん」であり、
といった別の刺激同士を関連させる定義をひっくるめ」
た定義が同時に存在する事で、
共通された、「文字である」や「数を表せて」や「音で表すと「さん」であり」
などの刺激が同時に励起される事で、「3」と「三」に後天的な新たな関連、新たな定義が
生じる事になる。
これにより、「3」と「三」のどちらを刺激としての認識しても、
別の一方を想起する事があり得るし、どちらかを想起した場合においても、
別の一方をさらに想起する事が起こり得る事になる。
つまり、
やはり、知能の全ての根幹であるのは、
先天的定義とその関連であり、そこから再構成される刺激という事になる。
現実世界で経験する全ての刺激は、この先天的定義とその関連に、「関連」を作る事で、
後天的定義としての「概感」を作ることになる。
つまり、元来、遺伝して継承する定義以外の定義の刺激については、
全て後天的定義という事が言える。
そして、想起は、先天的定義の刺激がきっかけであり、
そのきっかけの刺激に対して想起される事で、認識対象となりうる。
想起自体は、別の「概感」を想起する事もできるので、
あるきっかけの刺激から連続して想起が起こる場合もある。
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「概感」に関係する考えは他にも多くあったのだが、
多すぎたために主な定義だけをまず掲載する事にした。
他の定義や考え方については後で項目ごとにまとめながら掲載する予定である。
今回考え方を大きく変更したのは、概感であるが、
刺激が先天的定義の関連だけで構成されるという事も大きな変更である。
また、認識が刺激を常に認識している事も大きな変更と言える。
また、概感のおかげで、刺激と想起の考え方が分離できて理解しやすくなったこと、
この後掲載するが、目的の発生についても理解しやすくなっている、はずである。
少なくとも「刺激によって刺激が想起される」という書き方がなくなるだけでも、
分かりやすくて都合がよい。
人工知能においては、
常に認識される刺激と、時折認識される概感という実装になると考えられる。
今回はこの辺で。
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