2024/6/13

想起のきっかけ

380を読み返していて、

刺激の認識

心情や感情

個体の反応

を見ていて気付いたが、
刺激の認識に対して心情や感情が働く時の刺激、
つまり、心情や感情として生じる刺激は何らかの変化を持っている事になる。
そしてこの「変化」は、この最初のきっかけの刺激の認識に対して、
「想起」の形で再構成された後天的定義の刺激の一部という事になる。

後半の解説では、
この心情や感情のきっかけの刺激に対する過去の経験を想起対象とした後天的定義と考えている。
この時点では、おそらく多分その通りであると考えている。

つまり、きっかけの刺激に対しての関連する想起の反応として、
何らかの刺激が生じるのだが、この刺激は、
過去に経験された何かであるという事になる。
そして、想起の際の、この刺激と、刺激の再構成における自分の存在があるため、
この想起対象は、後天的定義であると考えたわけである。

そこでさらに気が付いたのだが、

380の最後に想起の関連の順番があるという事について、
最初は高次から低次への想起の関連であると考えたのだが、
想起の機構から考えると、むしろ低次から高次、
つまり、先天的定義から後天的定義へ向かった方が意味が分かりやすい事になる。
つまり、いきなり高次の概念のような定義を先に知ろうとしても意味が分からないし、
励起についてもいきなり高次の概念から励起しても関連先の再構成が分かりにくい、
刺激として再構成しようがないという事である。
つまり、想起のきっかけとなる刺激は、後天的定義の一部ではあるのだが、
その定義の本質的な部分の先天的定義なのではないか?という事である。
自然はシンプルを好むはず。
つまり、知能に先天的に定義された想起の機能において、
きっかけの刺激としては、先天的定義がふさわしいのではないかという事である。

つまり、刺激の認識において、
感覚器官からの刺激の受容であっても、
想起を元にした刺激の受容であっても、
その刺激に含まれる情報の要素の内、
最初に励起されるのは、恐らく先天的定義または、それに類する基本的な情報の要素になると考えられる。

つまり、五感や他の感覚、自律神経、
身体の状態や状況の変化、神経伝達物質やホルモンの受容など、
刺激の構成として、先天的定義のみ、もしくは先天的定義+先天的定義または、
先天的定義+後天的定義の刺激、後天的定義+後天的定義という分類はあるが、
ある刺激において、励起の出発点における励起は、
基本、先天的定義の情報の要素になるのではないか、
という事である。

つまり、きっかけの刺激として、感覚器官などから受容される刺激は、
考えるまでもなく、先天的定義を元にした刺激であるので、
その情報の要素から励起を開始し、刺激として再構成される際に、
想起による後天的定義が再構成されるというのは理解できる、
では、
想起による刺激をきっかけとした場合に、
最初に想起することになる「きっかけの刺激」の構成はどのようなものであるかというと、
最終的に意識されるものであるから、最終形態としては、ある情報塊+自分の情報であるという事になる。
この「ある情報塊」は、どのような刺激であるかというと、
想起を欲するきっかけが存在する事になる。

つまり、目的や欲求としての刺激である。
この刺激により、想起するという知的活動を実行することになるので、
想起するには、その想起のきっかけが必要になる。

この場合、この目的や欲求はどこから生じるのかという問題になる。
380では、このきっかけとなるのが高次的な定義であると考えたが、
この場合、高次的な定義は、基本、後天的定義であるので、
後天的定義を想起対象とした場合、刺激の再構成としてはまったく意味が分からない刺激が再構成されることになる。
つまり、後天的定義はその関連の向き、方向が決まっておらず、
さまざまな関連する刺激を励起する事になる。
つまり、目的や欲求としていきなり「考えよう」と想起するようなものである。
何を考えるとか、直前に考えていた事などに関連せず、
突然、考えようとするようなものである。

「考えよう」をきっかけの想起としても、刺激としては成り立つのだが、
それは、その直前に存在していた「あえて変わった事を想起する」という私自身の想起を
考察の思考のきっかけとして想起したからであるので、
私にとっては、その直前の目的の想起のきっかけの方に意味があることになると後から気づくことになる。
結局、何らかの目的が存在した上で、きっかけの想起を行っているが、
では、後天的定義を想起のきっかけとするのは、やはりおかしいのではないかという事になる。

となると、当然、先天的定義が想起のきっかけに関わっているのではないかという事になる。

目的や欲求の根本的な定義について考えると、
高次的には、自分の得たい価値、意味のある何か、必要な何か、問題の解決、
などの何らかの高次的な目的や欲求の定義が存在している。
そして、これらを刺激として認識する場合、
その目的や欲求となるべき定義を想起の対象とする場合の、きっかけの刺激は、
どのようなものになるか。

上記の間違った例から考えると、
きっかけとなる刺激は、
刺激としてより根本的な、本質的な変化に対して再構成された刺激であるという事になる。

つまり、定義として先天的定義のみで構成されるとか、そういった事ではなく、
知能に対して根本的な、本質的な刺激であろうという事になる。

つまり、身体、生命として認識可能な変化、
知能にとって、想起のきっかけとして用いる事の出来る定義の刺激、
それであって、想起を開始するための後天的な自分の欲する何かを刺激とする事。

自発的なきっかけを生じる刺激が存在するという事だろうか。
つまり、自発的なきっかけの刺激を生じる機能、または器官が存在するという事か?

より本質的な部分に関連する定義。

つまり、意識の中、意識の連続において、存在する自分としての後天的定義において、
想起のきっかけとする刺激を作り出すという定義が存在するという事になるだろうか。

つまり、基本構成は先天的定義であるが、想起、
つまり想起は後天的定義を基本、開始の刺激として用いているが、
そのきっかけは、後天的定義の自分が、連続的に存在する意識の中において、
その定義として、先天的なきっかけであるような刺激を励起する、励起するべき、
励起しようという定義を持っていて、連続して存在する自分とその意識となる
連続する刺激の存在の中で、関連して想起される対象に、
目的や欲求となる可能性のある根本的、本質的な情報の要素に関連を持っていて、
自分を認識、意識するたびに、その関連先が励起されるのではないか、
という事になる。

つまり、意識として、
後天的定義側の自分を認識、意識した際に、
以降のきっかけの刺激を呼び出す励起を行っているのではないか、
そして、その定義に含まれるのが、先天的定義に強く関連しているのではないか、
という事である。

つまり、
意識の後天的定義側の自分を認識する場合、
次の認識の為の刺激も関連して想起されようとしている、
という事になる。

基本的に意識の流れ、意識の継続においては、
最初のきっかけは覚醒であり、先天的定義の刺激であるのだが、
認識において、想起側の意識、つまり、後天的定義側の自分を認識して、
意識が心的な仮想側の自分を意識した場合、この自分に関連した刺激の励起に関連した、
心的な仮想側の自分に関連する刺激がきっかけとして励起、想起、再構成されようとする。
という事になる。
そして、次の瞬間に、心的な仮想側な自分と連続して、継続して、
そのきっかけとなる刺激を認識する、次の瞬間の心的な仮想側な自分が認識、
意識され、それが継続していく、
実体の自分が強い刺激を受容するまで、
つまり、先天的定義側の実体の自分が強い刺激を関連して再構成されるまで、
という事になる。

つまり、後天的定義の仮想的な自分の刺激に、
その仮想的な自分が目的や欲求として定義しているきっかけとなる刺激の定義が存在し、
この仮想的な自分が認識される際に、自分の目的や目標、欲求であるような刺激として、
これらの刺激が励起され、結果的にきっかけの刺激として、
想起のきっかけの刺激として機能する事になる。

という事になるのではないか。

最初にこの刺激が認識、つまり学習される際は、
入り口としては、先天的定義側の実体の自分が受容した刺激であり、
それを認識の際に想起側の自分に関連付けて認識し、記憶、学習する事になる。

以後は、その定義が仮想的な側の自分にとって強い刺激を持つ意味のある刺激であれば、
それを自分の認識の際に関連して励起、想起することによって、その刺激が、
「想起のきっかけの刺激」となる。

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つまり、
人間が、何かを意識的に行っていると感じている、
その刺激の連続性は、
仮想的な自分、つまり想起によって再構成された自分が持つ、
過去に経験して学習した刺激について、
この現在の認識されようとしている仮想的な自分が、
目的や目標、欲求としたい関連をもっていた場合、
この自分の認識に合わせて、関連して想起のきっかけの刺激として励起され、
次の瞬間に認識されるべき刺激としての想起される刺激のきっかけとなり、
この次の瞬間に認識される仮想的な自分が想起した刺激であると認識されることになる。

つまり、思考などの想起の機能として、
378で学習方法の定義なども学習する必要があると考えた事があったが、
それらの定義を含め、
知能の経験においては、学習方法だけでなく、目的や目標、欲求の定義も学習し、
それを仮想的な自分に関連させて記憶しておき、
想起によって、この仮想的な自分が再構成される際に、
想起のきっかけとなる刺激の励起も行われることになる、
という事になる。

このために、思考等において、自分が目的や目標、欲している何かが存在するように認識、意識されるのは、
それらの目的などを想起するきっかけの刺激が、仮想的な自分に関連しているからという事になる。

つまり、
自分を想起すれば、自分は自分の目的を思い出す。
というわけである。

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つまり、
自分の経験において、自分が目的や目標とすることのできる対象となる刺激を経験し、
認識し、
自分の定義として記憶する事。
その定義の記憶が、関連を持つ刺激を認識する事によって想起されると、
継続して想起が続く。
基本的に意識は認識の連続性の上に成り立つ。
つまり、自我意識などにおいて意識的である事と目的や目標は関係がある。

この事自体は、
以前から考えてきた、意識において目的や欲求が必要になるのはなぜか?
という答えの1つになるのだが、
そして、意識のもう1つは自身の身体の変化による刺激が、残りの答えになるが、

自分が何を目的や目標とするのかは、自分次第という事になる。
まあ、自分次第というよりは、
自分の存在する環境によって、得られる目的、つまり得られる刺激が限定されるので、
自分が何を目的や目標にするのか、という事は、
自分が何を目的や目標にできるのか、と言い換える事もできる。

つまり、自分の得る事の出来る経験として、
目的や目標にも制限が生じる事になるというわけである。

では、これを人工知能に当てはめた場合にどうなるかというと、
人工知能が自らの能力と環境において、得る事の出来る目的や目標によって、
人工知能自身の目的や目標も制限されるという事になる。

これは、人間でさえ、そうなのであるから、人工知能もそうなるのは仕方ないとも考えられるが、
378で知能の進化についても考えたが、
この知能が定義をすることに関して、
人工知能が多くの目的や目標を得て、自らの定義とすることができれば、
人工知能の知能としての進化にも効果があると考えられる。

つまり、様々な対象に様々な目的や目標を持つ事で、
人工知能自身が、多くの興味を持ち、自分から目的として思考を働かせるようになるのではないか、
というわけである。

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2024/6/14

昨日の考えの続きになるが、
きっかけの刺激について考えていたのだが、
刺激では少し意味の範囲が広すぎて、
漠然とし過ぎているような感じがした。

つまり、想起は、きっかけの刺激を想起のきっかけにしているのではなく、
きっかけの励起を想起のきっかけにしているのではないか、
という事である。

つまり、想起のきっかけは、
直前に認識した刺激を構成する一部の情報の要素による関連する励起ではないか?
という事になる。

認識や意識の維持という観点からしても、
目的のような刺激を認識した後に、その認識された刺激が一定時間保持、維持されるのは、
知能が、急な目的などの認識の喪失を起こさないよう、
一度認識が行われた刺激に対して意識されるような時間的余裕を持つ事になる。
この場合、認識された刺激が意識されるまで保持されるというのは、
新たな何らかのきっかけとなる刺激の発現によって、
認識対象が急に変化する事を防ぐために、
現在認識している刺激に関連した形で、次の刺激が用意される事になるのだが、
この際に、前に認識していた刺激の関連として、
次に認識される刺激は、前の刺激に対して関連した励起を行うのではないかという事が考えられる。

つまり、ある知能活動において、
ある決まった機能を目的として実行するという状態になっているのではないかという事になる。
つまり、思考や想像、創造、予測、などである。

もちろん、急にまったく別の刺激が割り込むという事はあり得る。
これは、想起から想起の刺激の認識ではなく、
感覚器官の刺激の受容の場合になると考えられるが、
考え事をしていても目の前から何か大きなものが飛んで来たら、
考えは中断され、そちらに注意が向き、その対象を認識する事になる。

ただ、想起から想起への刺激の認識の場合においては、
自分の関連した定義において、ある想起の機能を用いた知的活動を行っている場合、
その目的は、想起毎に自分の定義を経由して再帰的に励起されるのではないかと考えられる。

380の最後に書いた事とは真逆になり、意味がまったく異なるのだが、
仮想的な自分における目的となる想起の場合、
認識において自分を経由することによって、
目的の想起は再帰的に励起されるのではないかという事になる。
そのために、目的は認識や意識として維持され、
想起から想起へと刺激対象が変化しても、
当初の目的が関連したままの刺激として再構成、認識される、
という事になる。

380の例におけるコップも、
確かに感覚器官から受容した刺激としてコップを認識する場合、
恐らく視覚によって、先天的な色の情報の要素として、コントラストにより、
形状、概形などが先に刺激として再構成され、
コップとして認識されてから後に、他の情報も認識されるようになると考えられるが、
想起したコップの場合、
想起しようとする事自体が初期の目的となり、
それに関連する刺激として、名称や概形、形状、が関連して想起されていく事になる。

この想起の場合は、ある目的に関連する形で、情報の要素を励起し、
刺激を再構成する事になるが、これは、
きっかけとなるのは刺激ではなく、目的に関連した情報の要素の励起が、
この想起のきっかけになっているという事である。

つまり、想起の目的が初期においても、その後の想起においても、
関連する想起のきっかけの励起の役目を担っているのではないかという事になる。

つまり、例えば、何かを考えようとした場合、
この「何かを考えよう」という目的は、
想起から想起への連続のきっかけの励起を行うためのきっかけの刺激になっているのではないか、
というわけである。

つまり、これまで、意識などにおいて、目的が必要、欲求が必要と考えてきたのは、
この目的や欲求が、想起する側の、つまり仮想的な自分を意識する場合の刺激の認識の話になるが、
この目的や欲求が、その知的活動を完遂するまでの間、
想起に対するきっかけとして保持、維持され続けるため、であり、
逆に維持され続けるから、同じ目的に対して想起する刺激が変わっても、
つまり、考え方を変えたり、見方を変えるような事を行っても、
同じ目的が維持されるのではないかという事になる。

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そして、さらに考えていて気づいたのは、
励起には順番があるではないか、という事である。

つまり、想起のきっかけとして目的が存在するにしても、
その目的がきっかけとなって次の想起する対象となる刺激のきっかけとなる励起を行う場合でも、
その取っ掛かりとなる情報の要素というのは決まっている事になる。
つまり、数字の3は、
普通に考えれば、1→2→3の3であって、
2の前後にある1と3の内の3ではないという事である。

つまり、ある刺激を構成するために、別の刺激との関連が存在する場合、
少なくとも、先に記憶した刺激に関連する形で、後から認識した刺激は記憶されるという事になる。

つまり、3を記憶するのは、1と2を記憶した後であろうという事である。
当然、いきなり3を記憶して、2、1と記憶する事もできるが、
できるという可塑性や能力はあるが、実際にはほとんど行われることは無いだろう。

つまり、この例の場合、目的として3を想起する事になった場合、
認識としてはいきなり3という刺激が想起され、それを認識していると感じられるが、
恐らく、目的を認識した後の想起の順としては、
目的を認識した事による目的自体の刺激と、その目的を認識する事になる自分の刺激の再構成による、
刺激をまず認識する事になり、目的が自分の目的であると認識する事になる。
その後、関連する励起として、目的に関連する刺激と、自分の刺激において、
自分の刺激を経由した、思考の方法が刺激として想起される事になる。
ここで、最初の目的も関連して励起されることになり、
目的と考え方の関連する刺激と、自分の刺激が再構成されて認識されることになる。
その後に、目的と考え方の刺激の関連から、数字の刺激が関連し、さらに自分の刺激と関連して再構成、
認識され、考え方を経由した目的と数字の関連から3の刺激と、さらに自分の刺激が関連して再構成、
認識され、この自分は思考を行った存在として認識される。
そして結果として、最初の目的と結果としての数字の3が関連し、さらに自分の刺激が関連して再構成、
これを認識する事で、自分は目的に従って、数字の3を思い出したと認識する事になる。
そして、その刺激の認識の連続性から、自分は意識的に数字の3を思い出したと感じる事になる。

実際はもう少し複雑に細かい刺激の認識も行っていると考えられるが、
私が順を追って意識できる刺激としてはこのようなものとなった。

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そして、さらに言えば、この想起の方法は、
方法の定義として私が過去に記憶しているはずの定義であるという事になる。

つまり、考え方、今回の例では想起の機能として「対象の思い出し方」になるが、
この知能の使い方、手順は、想起の機能の定義として、
過去に行った事がある、経験した事がある方法、定義であるという事になる。

つまり、知能の機能として、突然、対象を思い出す方法を先天的に持っているのではなく、
恐らく何か思い出し方としての方法を過去に経験しているから、
対象を思い出すことが出来るのだと考えられる。

そして、それは、基本的な知能の機能においても言えて、
知能そのものが持つ、先天的な機能と、後天的な定義による機能というものがあるのではないかと考えられる。
つまり、想起は先天的な機能であり、
思考や想像、創造などにおける知能の機能の扱い方は、後天的な機能の定義によるのではないかと考えられる。
実際、先天的な知能の機能は、「想起」だけなのではないかと考えられるが、
後天的な知能の機能は、「想起」を元にして想起対象などの定義を変える事によって、
思考であったり、想像であったりと変化させているのではないかと考えられる。

つまり、
知能の使い方として、想起とそれに対する刺激の想起の順序や関連において、
定義を行う事、つまり、その知的機能の定義を行う事の出来る経験をして、
記憶する事で、その知的機能を学習しているのではないかという事になる。

例えば、パブロフの犬の条件反射は、
犬の全てが先天的にベルを鳴らすと唾液を出す知的機能を持っているという事ではなく、
ベルを鳴らして食事を与える事を続ける事で、
条件反射としてベルを鳴らすと犬が唾液を出すようになるというものであり、
この場合、犬にとっての学習した定義は、
ベルの音に関連して食事を得るという事を知能が経験として学習した結果という事になる。
つまり、ベルの音が鳴ると食事が得られるものであるという記憶により、
ベルの音に関連した想起として、食事の想起が行われ、唾液が関連して出るという事になり、
この一連の反応は、犬が経験して学習した定義であり、
この順番の関連が定義として記憶されているという事になる。

相手が犬なので確認のしようがないが、
もし常にベルを鳴らして食事を与えていた場合、
後に、ベルを鳴らさずに食事を与えたとしても、犬は唾液を出すだろうが、
ベルを想起するか?という事が思いつく。

今回の考え方であると、人間の場合は、目的の存在に対して、常に自分の刺激が関連して想起が行われる為、
人間であれば、もし条件反射を記憶している個体であった場合、
その途中の刺激を開始地点として認識したとしても、
自分を経由して目的の関連ある別の刺激の想起も行われると考えられる。

つまり、ベルと食事の関係が、人間における条件反射となっていれば、
人間は、ベルの音無しでも、食事が出れば、ベルの音を思い出すと考えられる。

犬には質問して答えを聞くことはできないが、
恐らく犬の知能における自分、自我の程度を考えると、
ベルと食事が条件反射になっていた場合に、食事だけを与えた場合、
恐らくベルを想起しているのではないかと考えられる。
これは、食事と「待て」が条件反射になっている犬であれば、
犬は食事を与えられた場合に無条件に待つと考えられるためである。
つまり、ベルと食事が想起の順番として定義されているなら、
この定義は犬の知能においては一連の目的に成っているはずという事であり、
であれば、食事と待てが想起の順番として定義されているなら、
順番は異なるが、互いに想起の対象になりうると考えられるためである。

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今回のまとめ:

・想起のきっかけの刺激は自分の刺激を経由しているという事。

想起の元となる目的や目標は、後天的定義の自分に関連した定義であり、
想起を開始する場合、この仮想的な後天的定義側の自分が認識時に再構成されることになる。
このため、想起においては常に仮想的な自分が存在する事になり、
想起による刺激が継続して想起し続ける間は、仮想的な自分が常に再構成され、
関連している事になる。

・知能が得る事の出来た目的や目標だけが目的や目標となる事。

知らない価値は目指せないの通り、
知らない目的や目標を目的や目標にはできないという事。

・想起のきっかけは、刺激そのものではなく、刺激を構成する情報の要素の一部の励起である事。

目的や目標が維持されて再帰的に励起されるには、
想起の刺激の連続性の為に、次に認識される刺激の構成に対して、
維持されるべき目的や目標に関連する刺激を優先して励起する必要があるという事。
つまり、次の刺激が再構成されてしまう前に、前に認識していた目的や目標に関連する刺激を、
優先して励起するという事。
この場合、刺激そのものを励起するのではなく、自分を経由して、当初の目的や目標に関連する刺激が励起されるように、
目的や目標に共通する情報の要素を励起するという事。

・目的や目標の維持によって、想起のきっかけの励起が供給されるという事。

想起の知能活動が、意識されるためには、認識の連続性が必要になるが、
この場合、目的や目標が意識されて維持されるためには、この目的や目標に関連した情報の要素の励起が必要になり、
その供給源は、自分の定義と自分の定義で保有する目的や目標自身であるという事。
つまり、想起され続ける間、自分も再構成され、自分の定義から次の想起のきっかけが供給される事になるという事。
つまり、想起され続けるか、自分の再構成体が想起対象を変更しない限り、ある1つの目的や目標は維持される。

・刺激の励起の順番は存在していて、この順番は、
経験して記憶した際の刺激に従うという事。

経験や学習として、知能が得る事になる知的活動の方法や手段は、
その知的活動自体を経験したり学習した時の認識した刺激の順に関連を持つという事。
それは、その知的機能を用いる場合の想起の際においても刺激を再構成する順番として適用される。
つまり、機能の再現として過去に記憶した方法を想起するという事である。

今回はこの辺で。

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