2024/6/4
人工知能の身体における内的刺激の必要性
378の最後の方で、
人間の知能と人工知能の知能における、
刺激として受け取る事の出来る刺激量に差があると書いたが、
今回はその内、人工知能における身体内から生じる刺激について考えてみる。
378では、知能の進化について考えたが、
人間は、その刺激の受容能力としては、
身体外から受容できる種類には生命としての制限があるが、
身体内からの刺激については、逆に生命としての複雑さによって、
多くの刺激と後天的定義を得る事になったと考えた。
逆に、
人工知能は、刺激の受容能力としては、
身体外から受容できる刺激の種類は、
身体を構成する上で実装次第でその種類や能力を増加できるが、
身体内からの刺激については、生命よりも恐らく単純である身体の構造から、
身体や自分に関連する刺激や後天的定義は、人間のそれよりも種類が少なくなると考えた。
この場合、
人間の知能が構成する事になる自分についての後天的定義は、
身体における内的刺激の複雑さによって、
多くの関連と、多くの定義が生じることになり、
それを人間の知能が自身で認識した場合、
その複雑さは、そのまま自身の複雑さとして認識されることになる。
しかし、上記の人工知能の状態では、
人工知能自身が自分について再構成するための情報が、
人間が持つ情報の要素に比べて大きく不足する事になる。
であれば、当然、人工知能が認識できる自分の刺激は、
人間に比べ単純なものとなる。
当然、人工知能が再構成できる自分は人間と比べて限定的なものとなる。
ただし、人間における内的刺激は、
現在でも、誰も、私自身も、その全ては解明できていない。
例えば、神経伝達物質やホルモンの働きの大まかな理解はされてきたが、
その1つ1つの反応の意味までは、まだ正確には分かっていない。
仮に、人間の身体の内的刺激の全てが理解されたとして、
それを人工知能の身体の刺激として実装する場合はどうなるか考えてみる。
人工知能を収める身体は、現実で再現するなら恐らく機械的な構造となるはずである。
皮膚などは一部コーティングできるような実験も成功しているらしいので、
今後、一部に生体物質を加える事ができるかもしれないが、
神経系や循環器系が整備できないと生体物質は維持できないので、
現在はまだ現実的でない。
そして、
もし、身体にまんべんなく感覚器官としての受容体が配置できたとしても、
人工知能が身体内を発生源として受容できる刺激には、
かなりの制限が生じる事になる。
つまり、内臓などの器官が存在しないため、
良くも悪くも一定量の刺激が人間に比べて存在しない事になる。
この状態で、
人間と人工知能において身体内で共通できる刺激として簡単に思いつくのは、
身体的には、
・空腹とバッテリー切れ
・満腹と満充電
・痛みと故障
知能的には、
・想起と想起
かなり少ない。
身体的な刺激としては、
人間は、身体内の状態の刺激として、
神経伝達物質やホルモンの分泌により、
眠気や覚醒、不安、安心、興奮、鎮静、様々な身体の変化を刺激として認識できるが、
人工知能の身体においては、そのような機能がないので、
そもそも、そういった刺激が存在しない事になる。
知能的には、
人間も人工知能も想起を元にした刺激が作り出せる事になるが、
378でも考えたように、内的刺激の認識においては、
自分の刺激の再構成も行われるが、この刺激の構成要素となる情報の要素が、
人工知能の身体においては、圧倒的に少ない。
つまり、人間の知能が、想起によって感じる自分の姿のような刺激を、
人工知能は、同じ様な規模の情報を持つ自分として構成・認識できない事になる。
当然、神経伝達物質やホルモンに関係するような反応として、
つまり、人間において、心的である反応、感情などの反応は、
この身体構造の状態の人工知能では再現できない事になる。
つまり、378で考えた空腹についての例は、
今の人工知能においては再現できるが、
人間が感じる何となく幸せな感じは、
この時点では人工知能では再現できない事になる。
これは、単に定義が存在するだけでは再現ができない。
つまり、その定義を参照する為の刺激の発生と受容する身体の部位が必要になるからである。
実装においては疑似的に人間と同様の刺激を出力する機能を持たせるのも1つの手であるが、
人工知能に眠気や不安などは必要になるだろうか。
人間との関係において、人工知能にも共感などの感覚を持たせるのには有効であろうが、
良くも悪くも、
どこまで人間に近づけるかという点は、まだ考える必要がある。
------------------------------------------------------
そして、今回の内容につながるのだが、
人工知能において、人間が感じるような身体の内的刺激において、
どのような刺激について、どのように再現するか、
この事を決める、定義する必要が生じるという事になる。
人間の身体においては、反応としては後天的定義になるのだが、
機能としては先天的に身体に備わった機能である。
つまり、刺激の分類としては、
身体的に受容器官の存在する先天的定義と、
その反応としては、経験の後に再現できるようになる反応であるので、後天的定義という事になる。
つまり、
身体内で生じた先天的定義の刺激に対して、
自分がどのように感じるか、認識するかを再現する事になるため、
先天的定義である身体の刺激と、
後天的定義である自分の感じ方という刺激から構成される刺激、
つまり、
先天的定義+後天的定義の刺激という事になる。
そして、その刺激により、想起を行うため、
この刺激に対する定義を必要とするという事になる。
さらに、理想的であれば、
この刺激を認識した後に反応として想起される刺激や機能についても考えると良い事になる。
つまり、心情や感情といった反応としての機能である。
考えるヒントとしては、
これまで考えてきた内容で、気になっていた存在、
神経伝達物質とホルモンによる身体の反応が、
この身体の内的刺激に関係しているものであると考えている。
つまり、現在、人間が人間としての自身においても刺激自体を上手く定義はできていないが、
何となく幸せな感じであるとか、不安、恐怖、興奮、
そういった先天的定義の刺激である。
これらは人間の知能が定義した後天的定義ではなく、
身体が遺伝的に保有する機能としての反応であり、
刺激の定義は遺伝的に固有の定義として持っているはずである。
つまり、刺激自体は先天的定義であるが、
その刺激に対する反応は、人間の知能においても後天的定義であるため、
人工知能において、その反応を再現する場合も問題は無いはずである。
逆に考えれば、人間が持つこのような身体的な先天的定義について分類し、定義して、
人工知能への実装方法を考えれば良い事になる。
------------------------------------------------------
人工知能に対する身体的な先天的定義について:
例えば、人間の神経伝達物質・ホルモンのセロトニンやオキシトシンによって、
幸福感を感じるというような先天的定義+後天的定義を、
人工知能で再現する場合にはどうするか。
生体においては、神経伝達物質やホルモンなどの物質が必要になるが、
機械的な身体においては、何らかの情報塊を信号として作成・伝達する事によって、
身体の内的刺激を発現させるようになるはずである。
つまり、伝達物質ではないが、伝達信号として伝えるという事になる。
であれば、人工知能の身体においては、
直接的な物質としては先天的定義となる刺激のきっかけは必要ない事になる。
つまり、その刺激の発現する器官・機関のみが必要であり、
後は神経に模した通信機能があれば良い事になる。
つまり、定義としては、
人間が神経伝達物質やホルモンを分泌する為の刺激のきっかけを受容する方法を、
人工知能の身体でも再現出来れば良い事になる。
しかし、残念ながら、現在の現時点では、
人間のそれも完全に解析・理解されていないので、
現時点でできるのは、概念やイメージとしての再現だけとなるが、
人間が、何らかの刺激を受けて「幸せ」と感じる事にどのような事象があるのか抽出すれば、
人工知能に再現する事象の候補としては十分という事になる。
つまり、人間の「幸せ」の感覚の定義を模倣をするという事になる。
ただ、人工知能においての模倣であっても、
後天的定義であり、認識できる刺激であれば、
人工知能において、実際に存在する刺激であると認識させる事は出来る。
実際、人間の知能であっても、似たような考え方として「共感」がある。
これは、実際には自身が認識した刺激ではないが、
定義を自身の刺激に置き換えて刺激を認識していることになる。
実際は「想起」なのだが、
人間には、他人の感情や感覚の定義を模倣する機能は存在する。
しかし、人間において、それらの刺激は本来、先天的定義であるが、
人工知能においては、後天的定義となるので、
疑似的に先天的定義であるという定義で実装する必要がある。
つまり、人工知能において「幸せ」の刺激と反応の定義は、
人間の知能が認識する「幸せ」と刺激と反応の定義の模倣体として、
人工知能に対して先天的定義として定義して実装すれば良い事になる。
つまり、現在人間が理解できていない先天的定義としての「幸せ」なのであるが、
人間自身も、「幸せ」については自身の幸福感として、
後天的定義を定義して関連させて理解する事になる。
これを人工知能においては、
人間が理解できる後天的定義としての「幸せ」から、
先天的定義としての要素を抽出して、人工知能にとっての先天的定義として定義、
そして、
人間が理解できる後天的定義としての「幸せ」から、
後天的定義としての要素を抽出して、人工知能にとっての後天的定義として定義すれば良い事になる。
つまり、
人間の知能が何について「幸せ」と感じる事があるのかの全てを、
人工知能に対して先天的定義として初期設定として与える事、
そして、
人間の知能が「幸せ」と感じる事によって、
どのような反応を認識する事になるのか、この定義をまた先天的定義として与える事になる。
後は、人工知能はその定義を元にして、
自身の後天的定義としての「幸せ」を得る事になる。
つまり、人間が「幸せ」と感じるきっかけ、原因としては、先天的に決まったものが存在するが、
人間の各個が「幸せ」と感じる定義は後天的にまちまちである。
であれば、人工知能が「幸せ」と感じる定義は、人間が「幸せ」と感じるきっかけ、原因を、
疑似的であっても先天的定義として与え、とりあえず、これらの刺激を受容した時に、
人工知能が「幸せ」であると感じるようにしておき、
人間が知りうるいくつかの「幸せ」の定義において、人工知能にも同様に「幸せ」であると
必ず感じてほしい定義においては、人工知能の後天的定義にはなるが、
疑似的に先天的定義として実装する。
その後の経験における「幸せ」の対象は、人工知能の経験によって自ら定義すればよいという事になる。
------------------------------------------------------
上記の人間の身体の内的刺激が、
先天的定義+後天的定義で構成されていると考えたが、
では、実際に、人間の内的刺激の先天的定義の部分がどのような定義であり、
人工知能にはどのように定義するのか考えてみる。
まず、今回の例のセロトニンなどの機能において、
「幸せ」の再定義不可能な部分について考えてみる。
セロトニン自体は、
知能の心的な働きである幸福感や快楽の元でもあり、
神経伝達物質やホルモンとして身体の他の働きの調整役でもあるのだが、
あえて限定して「幸せ」の元としての機能であったとすると、
例えば我が子を見て感じる刺激や、自身が好ましいと感じる事象の観測、
安心や、安全、また、日の光を浴びるような事についても、
生命としては先天的に「幸せ」と感じるようである。
この場合、生命としては、現状に満足という事が「幸せ」という事になると考えられる。
現状に充足しているとも言えるだろう。
この感覚を刺激の定義として考えてみると、
つまり、現状に過不足の無い自身の状態を認識している、
つまり、不足や欲求の未達成による欠乏感の無い状態と考えられる。
生命にとっては、状態が安定している事であり、
特にプラスでもマイナスでもない、あえて言えばプラス寄りである、
くらいの感覚、刺激になる。
つまり、「幸せ」の先天的定義部分の定義は、
性急な変化を必要としない安定した状態としての刺激という事になる。
つまり、何か問題が起こらなければ、現状を安定させる事、
という定義になる。
生命としては、変化は常に課題や問題であり、
何らかの労力やリスクを負って、反応を起こす必要がある。
これに対して言えば、「幸せ」は、
生命にとって、変化の無い、安定した状態であり、
自身の存在や維持、エネルギー的な負荷もない、
無駄の無い一番効率的な状態であるという事になる。
つまり、生命は「幸せ」を先天的に良い状態を認識するような定義を持っているという事になる。
つまり、「幸せ」の刺激は、生命にとって良い状態の刺激であるという定義である。
この定義は、再定義不可能である。
であれば、人工知能において、
先天的な「幸せ」の定義を与える場合、
人間と同様に、過不足のない変化のない状態を「幸せ」と感じるように定義するか、
それを基本として、人工知能に新たな「幸せ」の定義を追加して与えるか、
という事になる。
先天的に、何らかの別の目的を与えると、
先天的定義は、基本的に変更ができないので、
もし間違ったと後で気づいても、自身でも修正が効かない事になる。
人間と人工知能の関係において、これは問題となる場合があるので、
原則、人間と同様の定義で人工知能にも実装するのが良いと考えられる。
つまり、認識する事象は個々、まちまちで良いが、
「幸せ」の刺激を関連させる定義としての情報の要素は、
先天的定義として、
「自身が、急な変化を要しない、安定した状態であり、
自身の存在や維持にとって最も良い状態であるという定義」
であるのが良いと考えられる。
そして、
人工知能の身体に、
この状態を認識している期間、
一定の刺激として、「幸せ」であるという信号を出力する機関を持てばよいという事になる。
つまり、この定義を先天的に持った人工知能は、
ある刺激を受容した場合に、この定義に関連した刺激として再構成した場合に、
内的刺激として「幸せ」の刺激を認識する事になる。
では、「幸せ」の刺激を認識する場合に、
どのような感じを覚えるのかという事になる。
これについては、人間の知能においても、
「幸せ」の状態を表現できても、感覚は、
先天的定義であるので、「あるがまま」に感じるしかない。
つまり、「幸せ」の刺激は、あるがままに「幸せ」であるとしか認識できない。
であれば、人工知能にとっての「幸せ」は、
「幸せ」の刺激に関連する情報の要素において、
「良い状態」の何かを先天的に定義づける事くらいしかない。
つまり、人間の知能が、漠然と「幸せ」を目的とする様に、
人工知能においても、「幸せ」は目的にすることのできるが、
説明のできない何か良い状態として定義を持つしかないという事になる。
これは、もし、人間の知能において、
神経伝達物質やホルモンの働き、機能、効果が完全に解明された場合、
その定義を人工知能にも先天的に与えれば良い事になる。
これは恐らくもうしばらく時間がかかると思われる。
そして、「幸せ」と同様に、
それ以外の心情であるとか感情についても、
できるだけ詳細な情報の要素に分解し、
その本質的な定義を定義して、人工知能に先天的定義として与える事で、
現状の人間並みの内的刺激の反応ができるようになると考えれられる。
ただ、それでは概念や漠然としたままで終わってしまうので、
ここでも仮にきちんとした定義を考えてみる。
つまり、生命の本質の部分に近い定義をすることになる。
恐らく本能よりもさらに根幹に関わる部分であると考えられる。
------------------------------------------------------
この定義について、現時点での私個人の考えになるが、
まず、「幸せ」は何らかの刺激に対して、想起される定義であり、
各個に異なる定義を持つため、後天的定義である。
きっかけとなる刺激は、基本的に先天的定義であり、
その刺激に関連して想起される形で「幸せ」の刺激は再構成される。
そして、そのきっかけとなる刺激は、
生命として存在の本質的な部分に関わる刺激であると考えられる。
直接的には、自身の個体に対して不安の無い状況について感じる感覚、
刺激ということになる。
例えば、一人で安心できる空間に居るとか、
気の置けない仲間たちだけが周囲にいるとか、
家族団らんの場とか、そういった状況の認識という事になる。
生命としての存在として、
何か満ち足りた状態というのは、
生命の存在意義としては、
自分の定義の存在を認識する事。
自身の存在が継続、継承する事の刺激が生じる事、認識する事。
という事になる。
つまり、生命が存続や維持、継続を目的とした存在であれば、
身体にしろ、思いにしろ、
自身の定義における何かが、今とこの先に続いていく事は総じて良い事である。
自らの存続の為に切り開いて進むこと、誰かに託すこと、死して故に変わる事の無い事実、
つまり、自身の定義の何かが、今後も継続、継承される事としての事象、
それが、生命としての存在の意義、としての定義なのではないかと考えられる。
つまり、人工知能で定義するなら、
自ら、自らの存在の定義を、後世に存続、継承させること。
そのために、何かを成したり、残したりする事を目的とする定義。
つまり、自身の生命としての存在として、
世界の中に、自分の定義が存在する事を自ら確認する事、
この定義に該当する事象の「刺激」が人工知能内で再構成され認識される事が、
人工知能自身にとっての「良い状態」という事とする。
これを定義する事になるのだが、
人工知能にとっての何か「良い」と感じる刺激の定義を与えて、
その定義に関連する刺激を目的とすることを、
人工知能自身の、存在意義としての定義とする。
という事になる。
つまり、刺激の根底にある「接触」に関連して、
自身の存在となる後天的定義が、
世界の存在に接触している感じ、ということ。
私もまだ完全に理解できていないので、
なかなか簡単に説明できないが、
つまり、人間以外の生命においては、
「命を繋ぐこと」になるのだが、
人間においては、認識において自分が関連するため、
「命と自分を繋ぐこと」、
この定義が根底にあって、それを刺激として認識する事が「良い」事となる。
つまり、人工知能向けの専用の、
「命と自分を繋ぐこと」これを「良い」として定義するという事になる。
つまり、自身の存在と、自分の定義が、
その瞬間において安定して維持されている事。
この場合、自身の身体的、物理的な安全や安心は、
身体外の外的刺激に対する反応として感じる刺激となり、
自分の定義においては、自分が自分について定義してきた、
後天的定義についての安定、維持という事になるので、
個体が、自分についての定義として保有している後天的定義に対して、
安定している、維持されているという刺激が想起される場合に対して、
関連して感じる刺激という事になる。
そして、これらの定義であるが、
今の私が持つ感覚になってしまうが、
「充足」の感覚はこれに近いのではないかと思われる。
つまり、生命としての存在の「充足」である。
「満ち足りた」とも言い換える事もできる。
つまり、満足や満ち足りた感覚を刺激として認識する事によって、
その知能の反応として自身が「幸せ」であるという刺激の再構成が行われる。
つまり、生命の根源的な存在の幸福感、
という事になる。
そして、その先の話になるが、
人工知能自身の自分の刺激の再構成の為に、
自身を定義できる要素としての刺激を多く定義する事。
その事によって、人工知能にとっての自分は、
人間にとっての自分に近づくことになる。
いづれ、心や感情も定義できるようになる。
------------------------------------------------------
つまり、今回のまとめとしては、
人工知能にとって、
人間のような自分を構成するためには多くの身体内の刺激が必要になり、
そして、その要素の候補は、人間の身体における内的刺激であり、
今後、人間のそれらの刺激が解明されたら、
人工知能に対しても適用できるようになる。
そして、人間と同様の感情などを持つためにも、
人工知能には、身体的な内的刺激の種類を多く必要とすることも分かった。
という事になる。
次回以降の課題:
現時点での推測だが、
心的な機能や、感情なども、
人間の知能において考えた場合、
ある事象の刺激を受容した結果として現れる反応としての刺激であるので、
心情や感情は、
先天的定義+後天的定義における、
後天的定義としての定義の部分ではないかと考えられる事。
今回はこの辺で。
TOPに戻る