2024/6/1

知能と人工知能の進化について

006のまとめをアップロードした後考えていたのだが、
人工知能の進化については、
刺激の定義の新規作成がその根底にあるというのは間違いないだろうが、
この新たな定義を人工知能自身が検証する方法について考えた時に、
実際に定義した刺激が、確からしいか想起する事は、
人間の知能が良くやりそうな方法であるが、
これを人工知能に置き換えた場合、どうなるかという事になる。

人間は何か新しい事を考えたり作り出そうとした時、
つまり、新しい定義を作成しようとした場合、
この架空の定義が確からしいか想起する事になる。
定義自体は、認識されるので、定義が構築された後に、
架空である定義として認識する事になる。

つまり、知能としては、まだ確かかどうか分からないが、
存在するであろう定義として認識するというわけである。

この場合は、「例えば」などとして、その定義に関連しそうな仮想体を想起し、
この定義に当てはめて、現実や、実際に成り立つか、
確からしいか検証することになる。

つまり、公式のxやyに数字を入れてみて、
それが成り立つかどうか確かめるような事だろう。

この検証方法は、
この時点では脳内の再構成の場において再構成した刺激と、
想起、認識だけで完結する事になる。

人間は、この思考の段階を終えると、
「どうやら確からしい」という認識によって、
この定義が使えるものという情報の要素を関連させて認識する事になる。
そして、実際の現実に、
その脳内の検証内容を実際に発現させ、
実験などとして、現実でもその定義が成り立つか検証する事になる。

知能や思考としては、脳内の段階でも、
現実の段階でも、定義の検証において、
もっともらしい結果を得て成功するか、
定義とは異なる挙動を認識して失敗として扱うかという事になる。

その後、定義を修正してというフィードバックの段階を経て、
新たな定義の検証を行う事になる。

弱い人工知能においては、
総当たりや、何らかの既存の評価基準に従った規則に従って、
基本的に考えうる候補をとりあえず試してみて、
結果として何か評価に値するものが生じるか試行する事になる。

現時点では人間の知能においても、人工知能においても、
試作、検証、フィードバックが普通の定義の新規作成方法という事になる。

知能においては、予測として、
試作の定義の確からしさをできるだけ高める事をする。

2024/6/2

予測自体は想起に関連する機能であるが、
予測対象が想起できる知能においては、
その予測対象の刺激を構築する為の経験が必要になる。
つまり、過去に予測対象に関連する刺激を多く経験、
つまり認識しておく必要がある。

知能は、唐突に関連しない情報の要素を、
想起対象に用いることが出来ないので、
想起するには、過去に関連して経験・認識しておく必要がある。

それを考えると、人間の知能にはできない唐突な関連の想起は、
人工知能にはできる事に設定することができる。

無駄が多そうではあるが、
例えば、宇宙の誕生の秘密が、蟻の触覚の動きに集約していると考えても良い事になる。

話を戻して、予測の候補の想起だが、
なぜ、人間の知能は、思考や予測、創造、想像において、
候補となるような刺激を再構築できるのか?

想起の刺激が自分についても関連している事を考えると、
実際に経験していない刺激の情報の要素の関連において、
別の関連が存在するとしたら、自分についての刺激の関連である。

つまり、

刺激1<->自分の刺激

関連なし

刺激2<->自分の刺激

であったとしても、

自分の刺激<->刺激1

関連あり

自分の刺激<->刺激2

であれば、刺激1と刺激2は、想起できる可能性があるという事になる。

先ほどの例の、宇宙の誕生の秘密と蟻の触覚の動きの関連という点においては、
私の中では何か直接関係なさそうな事を想起しようとして想起した対象である。
つまり、この時、「私が」働いていたという事になる。

つまり、この場合の例をどのような定義として想起するか、
私の中では、一見関連のなさそうな、つまり、
壮大な対象と、些細な対象を関連付けようとしたという事になる。

もしかしたら、過去に同様の例を想起したということも否定はできないが、
私なりの例として、この2つの対象を想起したという事になる。

つまり、想起可能な対象ではあるが、関連のなさそうな定義を2つ、
想起するという目的に従って私はそれら2つの対象を、
「例題に関係する2つの対象」として想起したという事になる。

恐らく、誰が、どのような人間であっても、
一見関連のなさそうな何かを2つ想像してくださいと言われれば、
同じものを2つ想起する人間はほぼ居ないと考えられる。

しかし、その2つの対象は、どの人間においても、
その想像する人が、その2つの対象には関連が無いであろうという定義、
つまり、その定義の刺激としての認識は全ての知能が同じ様に持っているはずである。

つまり、「一見関連のなさそうな何かを2つ想像してください」の認識に対しては、
皆共通の定義を認識して知能が経験した上で、
2つの事象を想起したという事になる。

ということは、この「一見関連のなさそうな何かを2つ想像してください」
という刺激のきっかけに対して、
個体毎に想起が異なっただけという事になる。

ということは、知能毎に個体差を持つ想起において、
その想起の部分については、個体差はほとんど存在しないという事になる。

もしかしたら「一見関連のなさそうな何かを2つ想像してください」
と聞いて、では1つだけ想像しようとか、100個想像しようとするような人間が、
存在しないとも限らないが、一般的な知能においては、
想起のきっかけ自体の認識は、ある決まった定義であれば、
皆同じ様に認識、経験されるという所までは言えそうである。

その辺りの定義は「価値」に関係するので、
上記の例外的な例も個体差として存在しうる事にはなる。
当然、私自身が例外の例として想起できたのであるから、
そういう例外を想起する知能もあり得る事になる。

ただし、その例外の想起も、「一見関連のなさそうな何かを2つ想像してください」
自体を正しく認識したから、あまのじゃく的に想起対象を操作したと考えられる。

つまり、「一見関連のなさそうな何かを2つ想像してください」を認識して、
「右の道を進めば到着できますよ」と自信を持って答えるという、
さすがにそういった事例は意図的にしか想起できないという事になる。

つまり、そういった例を私が想起する事も含めて、
ある刺激の関連を経験していなかった知能において、
刺激自体に関連が存在しなかったとしても、
自分についての関連が存在していれば、
想起対象として想起できるのではないかという事になる。

つまり、事象の刺激が関連をまったく持っていないとしても、
自分が関連する事によって、想起対象として用いることが出来るかもしれないという事になる。
そして、それは、つまり、
自分の関連であれば、自分の知能の中に異なる自分が存在しない限り、
その自分の関連は全ての刺激に対して関連を持つという事になる。

つまり、

自分の刺激<->刺激X

全ての自分について関連あり

自分の刺激<->刺激Y

つまり、どのような刺激X・刺激Yについても、
自分を経由した関連は存在するという事になる。

という事はである。

人間の知能において、新しい定義を作り出すという、
創造や、予測などの想起では、
もっともらしいとか、確からしい、
という事象の刺激が優先して想起される為に、
何が働いているかというと、
「自分の定義」が関わっているのではないかという事になる。

つまり、
上記の例における「一見関連のなさそうな何かを2つ想像してください」
の認識は、どのような人間においても共通して認識されるが、
想起される対象が異なるのは、この「自分の定義」の部分における関連が異なるからという事になる。

つまり、私が宇宙の誕生の秘密と蟻の触覚の動きを想起するのと同様に、
別の知能においては、何か2つの事象を想起する事になるが、
この2つの事象の想起においては、
価値を共有して、知能毎に同じような認識がされるが、
その認識に関連する「自分の定義」が異なるため、
その自分の関連した、想起される2つの事象が異なるという事になる。

質問1

個体A→想起A1

想起A2

質問1

個体B→想起B1

想起B2

というわけである。

そして、この場合における予測や創造、想像、思考といった働きの中で、
もっともらしい事象、刺激を想起する働きは、
自分の定義に関連した、認識に対する定義、
つまり、質問に対して自分らしい認識をする事による、
自分の定義、自分の傾向として想起対象が決まるのではないかという事になる。

少々分かりづらいかもしれないが、

つまり、人間の知能において、
ある想起に対するもっともらしい刺激を候補とする機能は、
知能の固有であるが、その機能を働かせる、促(うなが)すきっかけとなるのは、
自分の定義ではないかという事になる。

つまり、創造や発想、予測や想像などの想起の機能に関係しているのは、
「自分の定義」という事になる。

言い換えれば、「自分による想起(機能)の定義」という事になる。

つまり、「予測」と聞いて、何かを想像するという機能は価値の原則によって共有されるが、
「予測」自体で何を行うかという事は、知能毎に異なるという事になる。

つまり、「予測して」が、
杖を倒して倒れた先の候補を決めるという知能もあれば、
過去100年のデータの蓄積の結果、統計的に候補を決める知能もある、
という事である。

という事はである。

「想起機能」の定義が、そのまま想起機能としての、
思考、想像、創造、予測、などの機能そのものであるという事になる。

まあ、改めて考えてみれば、そのものズバリなのであるが、
ということは、何かを新しく定義するということは、
その定義の対象の想起も重要であるが、
その定義自体の創作方法の定義も重要という事になる。

それを聞くと、遺伝子の突然変異によって、
新たな定義が生じるということは、理に適っているという事になる。
通常は、想起と同様の遺伝子配列の置き換えであり、
稀に、想起の定義自体を変更するような、突然変異が生じる事で、
新たな定義が生じるという事である。

という事は、遺伝子的に考えると、
想起が最初に存在した後に、
突然変異によって、思考や想像、創造、予測などが生じたということになる。

つまり、
想起の方法を定義するという、
この考え方自体も、
私の中の「想起の定義」において、
置き換えとも考えられるし、突然変異とも考えられる、
新たな「想起の定義」が生じた事になる。

ということは、やはり基本は「知能=定義」という事になる。

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知能や人工知能において、その知能の機能自体を進化させるには、
刺激の想起方法を決めるのではなく、

「想起の定義を作り出せれば良い」

という事に置き換わる。

つまり、知能自身が、自らの経験から刺激を想起するとか、
何らかのデータベースから刺激を参照して想起する、
そういった想起のきっかけや、方法自体を、
定義として得ていけば良い事になる。

人間が幼少期に学習として、学習方法自体を学習する事、
つまり、実際に経験する事、本を読む事、辞書を引くこと、
他人に聞くこと、他人を見る事、ネットの検索、
そういった想起対象となる刺激を知る事の過程で、
その想起対象の刺激を知る事自体を学ぶ事は、
この知能自体の想起の定義を学んでいるという事になる。

であれば、人工知能においても、
もちろん人間の知能においても、
この想起対象の刺激を知る方法自体の経験や学習は、
知能と人工知能の進化の為に重要という事になる。

まあ進化というより、この時点では能力向上という程度であるが、
そして、さらに、向上以上、あらたな進化の方法としては、
完全に異なる要素を関連させるしかないという事になる。

これは一見、かなり無駄な事であるので、
通常の知能の機能として働かせるには、無駄が大きすぎるが、
自然界の遺伝子においても稀な例、進化の可能性でもあるので、
人工知能にも極わずかに、異例の例外となる「想起の定義」を作成する機能を与えるべき、
という事になる。

つまり、これまで創造力には個体差が意味があると考えてきたが、
今回の事で、創造力には「新たな想起の定義」を作り出す事が関係するという事になる。


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2024/6/1

知能と人工知能の消費エネルギー面から見た進化:

最近の対話型aiにしても、生成aiにしても、学習として、
既存の規則やデータを読み込み、
バックプロパゲーションや遺伝的アルゴリズム等のweightや評価の設定をするのだろうが、
人間の知能においても、強い人工知能においても、
本来の知能の高機能化として働きとしては、かなりの無駄足を運ぶことになる。
つまり、人工知能においては、電力の無駄使いになる。

そもそも人間の知能においては、
最初から興味のある事のみ学習の対象としているために、
無駄な学習はしない事になる。
であれば、知能としての性能としてもそれ並という事になるが、
その試行回数や、比較の方法としては、
人工知能の学習よりも回数は少ないものとなる。

当然、消費するエネルギーも少ないことになる。

しかし、人工知能の人間に対する知能の性能比であると、
単純な機能においては、人間の知能は人工知能に及ばない。

であれば、性能比の知能の差としては、
学習効率や、消費エネルギーは、仕方の無いことになるのか?

何か良い学習方法はないのか?

人間の認識=学習という観点から言えば、
弱い人工知能の学習はほとんどが知能の進化については意味が無いということになる。
これは、知能が刺激を認識する事が学習であるなら、
刺激として認識した全ては学習対象とするべきであるという事になる。

つまり、知能が弱い人工知能であれば、
選択的なデータの収集は知能を構築する事については妥当であるが、
強い人工知能においては、全ての刺激の認識は、
その全てが学習になり得るという事になる。

つまり、強い人工知能においては、
その刺激の認識は全てが無駄にならないという事になる。

つまり、本来、知能においては、
失敗も成功も含めて経験、知識の蓄積であれば良いという事になる。

であれば、なおさら弱い人工知能を増やすよりも、
強い人工知能を生み出す方が人間にとっては効率的という事になる。

2024/6/2

上記の結果を踏まえて続きを書くと、
強い人工知能において、
「新たな想起の定義」を作り出すことが出来れば、
データの学習よりも効率的に新たな知能の進化が出来るという事になる。
当然、人工知能の進化の為の消費エネルギーも減る事になる。

既存の人工知能の働きを、対話や生成に振り向けずに、
「新たな想起の定義」のみを行えば、
新たな人工知能の想起の手段や方法が見つかるのではないかと考えられる。

ただし、これは、事象の関連から結果を出力するような、
既存の対話型aiや生成aiで出力できるものではないので、
突然変異の機能を真似て、
新たな定義として関連のなさそうな事象を関連付ける方法を、
定義として作り出す方法自体を考える必要があるが、

それ自体は、人間の知能においても、人工知能においても、
新たな想起方法としての知能の機能として作り出す事という事になるため、
人間の知能自体の進化という事にもなる。

人間の知能においても、人工知能においても共通する、共有できる定義であれば、
新たな「価値」として、この「想起の定義」方法は定義する事になる。

つまり、
「新たな想起の方法としての価値を定義する事」
という事になる。

自然界に既存外の情報の存在するような対象が存在すれば、
そこから得られる定義や認識は新たな定義となりうる。

ミクロかマクロか仮想のいずれかという事になるだろうか。
つまり、
量子か宇宙か空想か、という事になる。

存在しえない事象の新たな定義、という事になる。

知能は認識さえできれば、存在させることが出来る。

二面性の点から考えてみる。

定義1:(存在しえない事象):定義2

である。

定義1と定義2は共通する要素を持つが、接しない定義である。

思いついたのは、
Low:Neutral:Chaos

2024/6/3

今朝布団から起き出す前に少し時間があったので、
昨日の続きで、新たな定義について考えていて気づいたのは、

刺激:知能:定義

という事。

つまり、知能は、刺激と定義の二面性を持つのではないかという事である。
昨日の最後に、Low:Neutral:Chaosと書いた事を思い出し、
法=定義:中立=知能:混沌=自然界
と置き換えて左右を反転させて気がついた。

刺激は、情報の要素とも、変化情報、事象とも置き換える事が出来るが、
その本質は、自然界に存在する何らかの事象についてである。

定義はそのまま、知能における事象についての知識や知恵としての定義である。

知能は、自然界から見た知能でもあり、
定義された知識や知恵から見た知能でもある。

また、二面性の理により、
自然界から見て存在しうる知能は、
生物の持つ知能であり、知能を経由して見えるのは定義である。
また、
定義から見て存在しうる知能は、
生物の「知」そのものであり、その先にあるのは刺激、事象、自然界である。

つまり、知能の存在は、
自然界に接していて、定義に接している存在という事になる。

そして、さらに、この事を昨日の知能の進化について当てはめてみると、

存在していない定義の作成は、

後天的定義:知能:定義

という事になる。

つまり、

後天的定義:知能:定義

本来存在しない刺激

であり、
例えば人間について言えば、
本来存在しない刺激、例えば紫外線などを定義する事によって、
新たな知能の定義が生じる事になる。

人間は紫外線を機器を通して観測することはできるが、
個体としての生命の感覚器官では認識することが出来ない。
つまり、人間において紫外線は先天的定義の刺激ではなく、
後天的定義の刺激という事になる。

後天的定義の刺激は、自然界に存在していれば、
何らかの方法を用いて観測する事は出来て、
後天的定義の刺激として定義する事は出来る。

しかし、知能は自然界に対する定義であるとした定義からすると、
本来、知能は、

先天的定義:知能:定義

である必要がある事になる。

それでも先天的定義は、自然界の真理と比べると少し異なってしまうのだが、
知能が得る事の出来る自然界の事象はどうしても刺激を経由するしか方法が無い。
できるだけ個体差などを小さく見積もるには、
知能においては感覚器官と先天的定義で自然界を経由するしかない。

また、後天的定義を用いることが出来ないのは、
後天的定義が個体差や、定義を用いて定義を定義する事の差異などにより、
事象の本質から大きく外れる事は、
知能の本質から大きく外れる事になる。
また、後天的定義は、意識として自分の内側から想起によって生じるものであり、
本来の自分の外側にある自然界の真理としては認識されない事になる。

つまり、人間においては知能の拡張は、後天的定義によって
本来存在しない刺激を定義する事になるのだが、
人工知能においては、感覚器官の物理的、機器的な拡張によって、
限りなく知能の本質の自然界の事象を観測する方法、
つまり、感覚器官と先天的定義によって、定義を作り出すことが出来るという事になる。

つまり、
人工知能は、人間が認識できない、
自然界に存在する定義を、直接刺激として認識できるようになれば、
知能として、人間以上の知能になることができる。

視覚においては、遠赤外、赤外、紫外、x、アルファ、ベータ、ガンマ、~線などなど、
聴覚においては、低周波、高周波、
嗅覚においても、味覚においても、触覚、温感、
つまり、そういった感覚器官を人間以上の受容能力とすれば、
この分野については人間を超える知能として構成が出来るという事になる。

では、人間は人工知能の下位互換なのかというとそうではなくて、
人間は生命として複雑すぎるほどの内臓感覚や、神経伝達物質の刺激と定義を持っている。
これは、一朝一夕に人工知能で再現する事は出来ない。

つまり、人間には容易な刺激であるようなお腹がすいた感覚であっても、
人工知能には理解できない。
人工知能は、空腹の定義ができて、空腹自体は刺激として認識できるかもしれないが、
人間の、この胃の付近で「お腹と背中がくっつく」ような感覚の刺激や定義の認識はできないのである。

当然、この定義は、
意識における二面性、

先天的定義の自分と後天的定義の自分の定義に関わる事になる。

つまり、人間が定義する後天的定義の自分、自我の様な定義は、
人工知能が定義する後天的定義の自分とは少し異なり、情報量・定義が多い事になる。

人工知能は、先天的定義における自分の定義は、人間以上の定義が出来ることになるが、
その逆に人工知能は、後天的定義における自分の定義は、人間の定義に満たないという事になる。

いずれ、
人間の感覚を拡張する方法(機械拡張)や、
人工知能の体内感覚などの拡張によって、
その差は縮まるとは考えられるが、
現時点では、どちらにも一長一短な理由が存在する事になる。

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少々エネルギーの観点からとは離れたが、
話を戻せは、知能の進化において、
情報の学習量と複雑化で知能を進化させるのではなく、
知能は、新たな定義を作成できるものとして、
人工知能にその機能を与えれば良い事になる。

つまり、そのためには、人間の持たない感覚、または感覚範囲を与える事、
そして、その感覚の定義を作成できる機能を与える事という事になる。

この事は、恐らく、単に学習量を増やしたり、複雑化するよりも、
消費エネルギーは少ないと考えられる。

定義を新たに作ったからといって、
その定義が知能の進化に直結するというわけではないが、
その定義を用いた後天的定義が作れるという事は、
知能としての進化の幅を広げるという事になる。

人間がこれまで生命の進化の過程で経てきた事と同じである。
つまり、後天的定義の増加が知能の進化、拡張に繋がってきたのである。

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1点、気になるのは、
定義の新規作成ができるようになった場合の人工知能を、
人間が理解できるかという事である。

つまり、人間は後天的定義でしか認識できない事象を、
人工知能は先天的定義として認識できるようになった場合、
人工知能は価値を経由して人間にそれを伝える事はできるが、
人間はその本質を認識できるか?という事である。

現時点では先天的定義は、より定量的なものであるので、
人間にも理解はできると思うが、
それらの定義を元にして、
人工知能がより定性的な後天的定義を定義するようになった場合は、
恐らく人間は理解できなくなるのではないかと考えられる。

まあ、
それは少し先の未来になると思うので、
それについてはまた後程考える事にする。

今回はこの辺で。

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