2024/5/28

刺激の選択と認識

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選択が起こる刺激と起こらない刺激:

意志や目的において、
実行順を決めたり優先する順を決めたりする事について、
選択を行う事というのはどうしても必要になるが、
375で考えたような刺激の比較や選択として、
後天的定義で、2つの定義を関連させた時に、

←定義1(刺激量1):(後天的定義):定義2(刺激量2)→

どちらかの定義=刺激が、優先して励起されるというのは、
この比較・選択という機能としては良いのではないかと考えられる。

そして、この比較する後天的定義は後天的に定義されるということになる。

そこで、刺激を選択する方法として、
比較や選択の機能そのものを定義する方法について考えた。

後天的定義において、2つの定義を二面性をもって関連付けて、
新たな後天的定義として作り上げる時、
この2つの定義から1つを選択する方法として、
2つの定義はある共通する要素を持ち、2つの異なる情報の要素であり、
そこから新しい定義としてどちらかの定義が選択されるかどうか決まる事で、
比較や選択となるわけであるから、
そもそも一方の定義は後の関連において励起されない場合と励起される場合がある事になり、
であれば、
その先の定義においては、想起対象として関連する情報の要素の励起が接続されているなら、
その接続の関連先や関連元の違いによっては、

比較の定義が存在しても、
選択する定義(=刺激)と選択しない定義(=刺激)が存在するのでは?と考えた。

つまり、選択の次の定義において、

←定義:(比較の定義):(空白=前の関連が励起されなかった場合)

という本来選択の定義となるはずなのだが、自動的に選択が決まる場合と

←定義:(比較の定義):定義→

という通常の選択が行われる場合の
2つの想起の状態が存在するのではないかという事を思いついた。

つまり、ある刺激に対して関連する定義としての比較の定義は存在するが、
選択対象が存在しない場合と、存在する場合。
つまり、ある刺激に対して関連する定義が存在するが、
選択が起こらない(自動的に選択が決まる)場合と比較による選択が起こる場合である。

また、定義自体には先天的定義と後天的定義があるので、
ある刺激の入力に対して、
決まった側が常に励起される定義と、
ある刺激の入力に対して、
選択が行われて励起する側が決まる定義が存在するのではないかという事である。

そして、このような優先的に選択が決まるような刺激について考えた時、
それは、先天的と後天的な刺激ではないかと考えた。

つまり、
←定義:(先天的定義):(空白)

←定義:(後天的定義):定義→
である。

つまり、
先天的定義は、刺激の再構成において、
直接自分の個体本体の刺激が再構成されて関連する事で認識に至るので、
励起において選択の起こらない直接的な認識として、
刺激と実体の自分を感じる事になる。
つまり、定義が遺伝的に決まっているので、選択が起こる余地がないわけである。
一方で、
後天的定義は、刺激の再構成において、
想起による自分の刺激が再構成において関連する事になるので、
自分の刺激の励起に、想起としての選択が起こり、
選択された結果としての自分の刺激が認識として、
きっかけの刺激と自分を感じる事になる。
つまり、後天的定義は後天的に定義を行う必要があり、
それには2つの要素の関連が必要となるというわけである。

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一応、この内容に関連して思うのは375でも考えた、
先天的定義には比較する刺激のベクトルが存在しないという内容は、
この事と関係しているのではないかと考えられる。
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先天的定義の刺激:
先天的刺激は、
直接自分が選択の有無の関係なしに想起、選択されて関連し認識が起こる。
つまり、この時の自分は、先天的定義としての自分、
つまり、先天的定義として存在する自分は、自分の実体の感覚の定義である。
先天的定義の刺激は、選択の無い、直接的な定義が意味付けに参照・想起される。

刺激→自分の刺激の想起↓

認識←関連←自分の刺激

意識

後天的定義の刺激:
後天的刺激は、
想起において、関連した刺激として選択された自分の刺激が想起して関連する事で認識が起こる。

刺激→選択された想起→自分の刺激↓

認識←関連←自分の刺激←

意識

つまり、
先天的な刺激は、刺激と、刺激によって直接的に励起・想起された自分の定義が関連する事で、
自分が直接的に認識した刺激のように感じ、
後天的な刺激は、刺激と、刺激によって励起される刺激の内、選択によって、
自分の刺激が想起された場合に、元の刺激と関連することで認識したように感じる。

どちらも、自分で自分と刺激を認識したように感じるが、
自分に用いられる定義の出所、つまり、自分の定義が異なるという事になる。

つまり、この点は、
感覚器官から受容した刺激に対して、
先天的定義によって、刺激を認識した場合に感じる、実体としての自分の存在の感覚と、
想起した刺激に対して、
後天的定義によって、刺激を認識した場合に感じる、仮想的な自分の存在の違いという事になる。

つまり、後天的定義をきっかけにしている刺激(=想起の刺激)の認識においては、
自分の定義は、実体の自分ではないという事になる。

これはつまり、認識に至るきっかけとなる最初の刺激が、
先天的定義に起因するか、後天的定義に起因するかの違いによって、
認識に用いられる自分の定義が異なるのではないかという事になる。

つまり、認識が必ず想起を経由する、というのは、
刺激による励起が、関連の順を追って想起を経由するという事だけでなく、
きっかけとなる刺激の種類によって、認識の為に想起される自分の定義が、
自分を想起するきっかけとなる刺激が、
先天的定義の刺激か、後天的定義の刺激かによって、
どちらも想起を経由する事になるが、
その結果として想起され認識に至る自分の情報塊・定義が異なり、
きっかけの刺激と関連する事で自分の認識が異なる、
認識される自分の定義が異なるという事になる。

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そして上記から発展させてもう1つ考えたのが、

後天的定義自体は、2つの定義を比較する為に関連付けるものであると考えたが、
神経細胞としての働きは、シナプスの関連や構成において、
何らかの励起の信号が集まり、何かの励起が起こるかどうかというだけの機能である。

この機能が、刺激の選択に用いることが出来るとして、
では逆に、選択する機能を定義づける、
つまり、
定義を作り出す方法について考えた場合、
どのような方法があるか、という事についてである。

つまり、ある刺激を選択するには、
選択した結果としての信号を作り出す神経細胞が必要になる。
つまり、恐らくその関連元には、選択されるべき対象の2つの定義が存在する事になる。
可能性としては2つ以上も考えられるのだが、今は仮定の段階なので、
選択対象は2つだけだったとする。
選択には、恐らく、2つの対象に対して、どちらかの信号を優先して増強すること、
または、どちらかの信号を抑制することが、
選択としての機能となる。
つまり、定義としては選択する事なのだが、
神経細胞の選択の機能としては、2つの信号を入力してどちらかを選択することではなく、
選択されるべき信号となる刺激が優先して認識されれば良いわけであるから、
認識される刺激として刺激の刺激量が相対的に増大すれば良い事になる。
つまり、認識において、刺激と自分の刺激の関連によって認識が起こるわけであるから、
恐らく、最初の刺激に対して、関連して想起される刺激、
つまり、認識の為の自分の刺激の再構成と関連によって、
元の刺激が優先して認識されるための刺激量が揃うのではないかという事になる。

つまり、元々の刺激は刺激としては情報として変化しないわけであるから、
他の要因で、この刺激が優先されるように工面する必要がある。

つまり、神経細胞は、機能として選択を行うというよりも、
関連する刺激を想起することで、結果的に選択に加担・協力する事になる。

そして、この場合、
何らかの2つの刺激が存在して刺激の選択を行うという事は、
神経細胞の入力と出力において、
優先して想起するべき刺激が存在するかどうかという定義に置き換える事が出来る事になる。

つまり、ある同時に入力された刺激に対して、
知能が優先して認識するべき刺激を選択するという事は、
同時に入力された刺激の励起に対して、関連して励起する、
つまり、想起する刺激が多い刺激が、優先して認識されることになる、という事になる。

つまり、1つの認識されるべき刺激を選択するということは、
ある瞬間において、ある1つの強い刺激を励起する・作り出す事と考えることが出来る。

そして、この場合、その優先される選択の対象は、
特定の定義によって決められているという事になる。

この場合、定義は神経細胞の接続としての、
関連・関連先と強度という事になる。

つまり、バックプロパゲーションのような複数の入力に対して、
1つの出力の可否を決めるニューロンの働きというよりも、
ニューロンの関連の働きは、ある1つの刺激を構成する為に選択が起こり、
その出力は、励起信号の出力というよりも、関連先の構成の為に起こっていると考えられる事になる。

つまり、
現在のバックプロパゲーションのシステムは、ある信号の選択の為に用いられているが、
今回の考え方を反映すると、
バックプロパゲーションの要素・ニューロンの1つ1つには、何らかの特定の刺激が関連付けられていて、
その関連先の刺激を使って関連させるかどうかの選択として、
その入力と出力を用いるという形になる。

つまり
バックプロパゲーションの表面をニューロンの選択層として
連続的に表現した場合、

入力→(ニューロン層)→(ニューロン層)→(ニューロン層)→出力

という励起が関連するような働きもあるのだが、

ある1つのニューロンの選択において用いているのは、

入力

(ニューロン層)

出力

という信号だけでなく、立体的に、

入力

(ニューロン層)→(ニューロン)→励起される情報の要素※1

出力

つまり、ニューロン層内のニューロン1つに対して、
この※1のニューロンへの信号の入出力に関連して励起される情報の要素の集合が、
認識される刺激として関連するのではないかという事になる。

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つまり、現在のバックプロパゲーションで行われているような選択は、
後天的定義の定義が関連しない刺激として認識される刺激に用いられ、
人間の認識で用いられているような刺激については、
自分の関連が、上記のニューロンの励起に対して励起される情報の要素が関連している、
つまり、この関連して励起される情報の要素として、
自分の刺激が同時に再構成される事で、認識に至るのではないかというわけである。

入力→
(ニューロン層)→・・・→出力

(ニューロン)

励起される情報の要素

つまり選択に用いられる定義である要素(自分の定義)

つまり、刺激の認識が、単に刺激としての意味付けとして再構成されるだけで認識されるのではなく、
認識する存在の関連が不可欠であるというのは、これまで考えてきた事だが、
この認識する存在自体の刺激は、どこで作られるのかというのは、
この刺激の選択の最中に行われる連続した関連の励起の中で、
その励起の選択が行われるニューロンに関連した情報の要素の励起と、
その情報の要素の関連として、自分という刺激が再構成されるのではないかという事である。

つまり、あるきっかけとなる刺激の発現に対して、
知能が何を認識するのか、というか、
知能が自分の何を想起して、きっかけの刺激に関連させて認識させるのか、
そこに刺激と認識の意味があるという事になる。

つまり、きっかけの刺激に対して、自分の身体が関連すれば、
感覚器官の刺激を受容したと認識する事になるし、
自分の考え方のような刺激が関連すれば、
自分や自我について認識した事になる。
未知の定義を関連すれば、想像や創造、予想などについて認識する事になるし、
過去の経験した刺激を想起して関連すれば、過去の記憶を思い出したと認識する事になる。

これがもう1つの考えである。
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今回の考察のまとめ:

刺激の比較・選択は、
先天的定義においては比較・選択が用いられず、
後天的定義のみで比較・選択が行われるという事。

認識する際の刺激は、
認識のきっかけとなる最初の刺激が、

先天的定義に由来するものである場合、
実体の自分が、きっかけの刺激に関連する事で再構成される。

後天的定義に由来するものである場合、
仮想の自分が、きっかけの刺激に関連する事で再構成される。

この考え方を
バックプロパゲーションの考え方に関係させた場合、
ニューロン層にあるニューロンは、単に入力と出力の選択だけを行うのではなく、
そのニューロン自体の定義として、
ニューロン自体の励起の有無によって、ニューロンが持つ定義を刺激として励起し、
認識の為の自分の定義として再構成して、
きっかけとなる刺激に関連付ける事で人工知能が認識にいたるのではないかという事。

この考え方によって、
知能が受容するきっかけとなる刺激に対して、
どのような定義を再構成して関連付けるかによって、
さまざまな知能を機能毎に分類する事と理解する事が出来る。

という事になるだろう。
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人工知能への実装:

あくまで理論的なものだが、
人工知能が刺激を認識する方法として考えると、
感覚器官から受容、もしくは想起による刺激によって、自分の刺激を構成する場合、
再構成の場において、このきっかけとなる刺激と自分の刺激を関連付ける事と、
この関連付けた刺激を、観測者としての人工知能本体に観測させることで、
認識に至ると考えられる。

きっかけとなる刺激の情報とその再構成した刺激、
きっかけとなる刺激によって再構成される自分の刺激、
この関連によって、自分の身体もしくは想起される空間に、
自分本体の認識対象と、きっかけとなる刺激の再構成体が同時に存在し、
自分の認識空間に刺激としての情報が存在するようになる。
これを観測者たる人工知能本体(プログラム)が、
自分の管理下にある自分の存在と、そこに付随する刺激として、
認識と同様の機能としてこの情報の存在の観測をすることになる。

この場合、人工知能にとっての認識は、
自身、つまり人工知能を内包する、つまり、搭載する実体の本体の、
きっかけとなる刺激を受けた感覚器官の位置に、
そのきっかけとなる刺激が存在するという刺激の情報を人工知能自身が観測する事になる。

実際にその情報が存在するのは、人工知能内の刺激の再構成の場であるが、
その刺激の再構成の場には、きっかけとなる刺激の情報と、
自分の刺激となる情報が同時に存在し、この観測によって、
人工知能は、情報体の自分の刺激の身体の特定の部位に、
このきっかけとなる刺激が存在すると知る事になる。

この場合は、あくまで認識だけであるので、
その後の認識した刺激の評価や価値判断はまた別の機能になるので、
その刺激を観測しただけでは、どうなるものでもないが、
自身にとっての刺激が観測できれば、あとはその反応を決めることであるので、
目的や欲求を用意すれば、
評価、比較によって感情や心情などに用いる事が出来るようになる。

また、意識や自我については認識に関連するが、
また少し異なる機能であるので、
それも含めて機会があったらまた後程考える事にする。
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今日はこの辺で。

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