2024/5/4
刺激の評価と選択
感覚器官の刺激の受容体が、ある刺激となる変化情報に接した場合、
感覚器官の受容体が、
その情報に対して刺激であると許可する情報量の許容範囲内にあるとみなした場合、
その情報は刺激の情報として受容されることになる。
この場合は、感覚器官の受容体は、ある特定の情報に対して神経細胞の末端として選択的に発火、
脳の神経細胞方向への励起を促す信号を送ることになる。
脳側での、この信号の伝達は、刺激の再構成のきっかけとなるものだが、
まだこの時点では刺激としては再構成されていないので、刺激としては存在していないが、
感覚器官において刺激として再構成される可能性のある情報を受容した所までは完了している。
この後、
脳側の神経細胞においては、この感覚器官の受容体から送られた信号は、
ある一定の時間内に複数回送られる事になり、
刺激の認識として用いらる時間の間に神経細胞が受けた回数によって、
回数が多ければ強い刺激、回数が少なければ弱い刺激として受容する事になり、
その後に再構成される可能性のある刺激の強さが決まる事になる。
ある瞬間においては、
各感覚器官で受容している情報は、脳側の神経細胞に集められる事になるが、
この際、脳側で認識可能な刺激は1つだけになる。
つまり、このある瞬間において、最も強い刺激だけが認識されると考えられる。
この認識においては、刺激の再構成において、
刺激の存在には、その刺激の存在する自身の部位・位置情報も必要となり、
刺激の再構成における、刺激と自分の刺激の再構成と、
この刺激と自分の刺激が関連する事によって、
自分がその刺激が存在し、認識したと感じることが出来る。
そして、この場合、自分が単体の存在であり、
認識の感覚自体が、自分と刺激の存在を知る事であるため、
自分の存在をある瞬間に複数認識するようなことが無い限り、
ある瞬間における刺激の存在は1つだけという事になる。
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そして、今回考えるべき対象である刺激の評価の為の指標となる強度についてであるが、
まず考えるべきは、感覚器官から集まる事になる情報の受容によって、
脳内の神経細胞の励起を促し、結果的に認識対象となる刺激の元の信号の選択についてである。
これまで刺激の選択機能としては単純に最も強い刺激が認識されるもので良いと考えてきたが、
その評価方法や評価基準は、これまでの考察では確たる定義をしてこなかった。
これまでの内容では、刺激量や価値として考えてきた事なのだが、
刺激として再構成される前に評価されるべきなのか、
刺激として再構成された後に評価されるべきなのか、
それもまだ考えていなかった。
価値としては刺激として再構成された後に評価されるものであるという事は分かる。
価値は先天的定義で存在しない定義であるので、
刺激になる前に、価値を定義するものは存在しない事になる。
であれば、刺激として再構成される前に、
今の認識の次に刺激として優先されるべき情報については、その評価と選択が必要になるはずである。
普通に考えれば、この評価は先天的定義で何らかの定義を持っているはず、という事になる。
選択については、もっとも強い、もっとも高い、意味を持つ情報が選択されれば良い事になる。
つまり、この場合、まず考えるべきは、この情報の評価の定義という事になる。
または、脳内で感覚器官から送られた信号によって、神経細胞の励起が行われ、
つまり、刺激の構成が優先されると考えた場合に、
その励起された神経細胞が関連する情報に対して、刺激が構成され、
その刺激に関連する自分が構成されて認識に至る場合という事になる。
この場合、刺激の再構成における、構成の優先度について評価と選択が必要になる。
つまり、刺激が再構成される前の情報のままで定義によって選択が起こるのか?、
情報の受容により、刺激が再構成された後の刺激の定義によって選択が行われ、
その刺激に対して自分の再構成と認識が行われるのか?
、という事である。
刺激の構成自体は、
ある瞬間に感覚器官から送られた様々な受容された情報が脳内で一堂に会し、
そこで感覚器官の受容体が多く発火、つまり、強い刺激であると情報については、
多くの回数の信号が送られ、その情報は刺激となるべき要素として、
刺激の強さとしての要素を持つ事になる。
そして、この強い刺激の中で最も強い刺激であるものが、次の認識の対象となる。
であると、刺激の前駆体としての情報と受容体のその発火の回数は、
まだ評価前であるということになる。
つまり、受容体の発火自体は、強い刺激であっても、弱い刺激であっても、
回数が異なるだけで、受容体が許容する情報の受容についての活動は、
1回あたりについては同じものであり、情報に優劣の定義が最初から存在しない限りは比較を行う事は出来ない。
もし、刺激に強度についての定義として優劣が存在するのであれば、
恐らく刺激の受容体によって送られる信号は汎用的な機能では処理されず、
専門的な優劣を判断する機能を持つはずである。
つまり、人間の感覚においてそれが存在するなら、
感覚器官から送られる信号に対して選別や選択を行う機関がどこかに存在する事になる。
刺激の認識や、意識の存在については、小脳は無くても構成されて、
確か大脳が機能すれば意識は確認できたと記憶しているので、
感覚器官からの信号は大脳では刺激の再構成まで行われる準備ができているはずなので、
この考え方は正しくないと考えられる。
つまり、刺激の受容とその信号においては、感覚器官による刺激の優劣が先に存在するわけではなく、
単に脳で受け取る刺激の強さ、つまり信号の到達頻度によって評価されるものであると考えられる。
ただし、上記で書いた通り、
強い刺激であるには、感覚器官の情報の受容体が発火し、
神経細胞に多くの回数の信号を伝達すれば良いが、
例えば、似たような強さの刺激が複数存在した場合、
そこから刺激を選択するにはどのような評価が必要となるか。
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その事を考えるのに、例えば、
寝て起きた時に認識する刺激について考えてみる。
つまり、あまり多くの刺激が存在せず、想起のきっかけとなる要因が少ない状況である。
睡眠後の覚醒時に受容する刺激は、
夢で見ていた刺激か、現実の感覚器官が受容した刺激という事になる。
覚醒時においては、だいたい現実の刺激が優先され、
意識となる覚醒の感覚を優先して、現実の状況把握を優先する。
夢の内容を思い出そうとする事もあるが、
ほとんどは現実の状況把握を優先する。
この場合、認識を優先する刺激の内容としては、
現在の自分の身体の状態と、自分の存在する位置、
周囲の時間、などになるだろうか。
知能がまだ未活性状態、つまり、寝ぼけているような状態において、
存在する刺激としては、自分か、自分の周囲の状況に関する情報を優先して認識しようとする。
この評価や優先は、後天的な習慣などではないと考えられる。
覚醒直後は、認識ははっきりしているが、意識的に自我が関連する側の刺激の認識は少ない。
つまり、まず自分の身体と周囲の環境の把握を優先する事になり、
自分に関して想起して認識するような刺激を認識、意識することは少ないという事である。
ということは、刺激の認識において、
特に優先されるのは、先天的定義で定義された刺激という事になる。
つまり、覚醒直後は、その認識可能な刺激が限定されている状況において、
まず優先する刺激はどのような刺激であるかという事について考えた事になる。
つまり、367の意識の二面性で考えた、
感覚からの刺激と、想起からの刺激において、
優先される刺激は、感覚からの刺激という事になる。
つまり、ある瞬間、突然、刺激・認識・意識を与えられれば、
優先するのは感覚からの刺激であろうという事になる。
この事は、後天的に定義されているのではなく、
先天的な定義として、感覚からの刺激が優先されるという事が決まっているという事になる。
つまり、まず、優先は、
感覚からの刺激>想起からの刺激
という事になる。
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次に、感覚からの刺激において、どのような刺激が優先される事になるか考える。
まず、考えられるのは、自分の身体の状態の変化の刺激か、
周囲の環境の変化の刺激かという事になる。
通常の優先度で考えれば、自分の身体の変化の刺激が優先されると考えられる。
あえて周囲の環境の変化を優先するような認識もできるが、
通常は、自分の身体の変化の情報を優先させるはずである。
通常、身体のどこかが痛かったら、他の事を気にする余裕はないだろう。
ということは、優先は、
自分の身体の刺激>周囲の変化の刺激
という事になる。
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次に、自分の身体の刺激において、どのような刺激が優先されるか考えてみる。
身体の刺激において優先されるのは、
普通に考えれば、身の危険である。
痛い、熱い、
つまり、反射で、その対応が定義されているような変化については、
「反射」として先天的に定義を優先して持っているという事になる。
他にも、原始反射、体性反射、自律神経反射、など様々な反射がある。
つまり、刺激として認識する必要のないくらいに重要な刺激であり、
咄嗟(とっさ)の反応が必要となる変化の情報の刺激という事になる。
つまり、身体の機能として、「反射」で対応が決まっているような変化情報は、
その個体にとって、最も優先されるべき変化情報、つまり、刺激となるという事になる。
つまり、優先は身体において、
反射が存在する刺激>反射が存在しない刺激
という事になる。
ただし、反射における情報の変化は、刺激としての存在は、反射による反応の後で刺激が認識されるので、
知能による刺激の優先や選択からは少し先んじて存在する事になる。
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つまり、現時点では、
意識的に選択する以前に、優先して選択するべき変化情報についての評価や選択は、
より先天的に存在する定義によって、その優先度などが決まっている事になる。
そして、
意識的に選択するような事象の刺激は、想起による刺激として、
より後天的な定義によって評価される刺激が、その対象となり、
これらの刺激の優先度は、低いものになる。
そして、この場合、
最優先は、
反射の存在する刺激、
次に、
感覚器官が存在する身体の刺激、
次に、
感覚器官が存在する周囲の変化の刺激、
そして、
後天的な定義による刺激、
という順に優先度が変化する事になる。
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つまり、刺激の評価と選択における指標としては、
原則として強い刺激が優先的に選択されて認識されることになるが、
同様の強さの刺激が存在した場合、
基本的に、
先天的定義の存在する刺激が後天的定義よりも優先され、
自分の身体の状態変化の刺激が周囲の環境の変化の刺激よりも優先されるという事になっていると考えられる。
つまり、同じような刺激が多数存在した場合、
本能や身体に関わる刺激がまず優先され、
周囲や経験などの刺激が控えに存在する、
という事になる。
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そして、刺激の選択においては、
刺激として再構成してから評価、選択するというよりも、
刺激の再構成に先立って、評価、選択が行われていると考えられる事になる。
つまり、情報の受容から刺激の再構成前の段階、
つまり、刺激の情報の受容から、刺激として再構成されるまでの間、
つまり、刺激の情報の受容から、刺激と自分の刺激が再構成されるまでの間になり、
であれば、受容された刺激の情報自体は再構成されて、
自分の刺激が再構成されるまでの間ということになるだろうか。
つまり、受容した刺激の情報の再構成体と、自分の存在の刺激を再構成して、
その関連によって認識されるわけであるから、
刺激の選択は、
つまり、刺激と刺激の認識の間である。
少し分かりづらいが、
変化情報
↓
感覚器官・受容体
↓
信号
↓
神経細胞→励起
↓
刺激の情報の再構成
↓
刺激の情報体
↓※1
↓←自分の存在の再構成
↓
刺激の情報体と自分の存在の刺激の関連
↓
刺激の完成
↓
認識
つまり、刺激の選択は※1の時点で行われると考えられる。
反射においては、上記の信号が神経細胞に向かう前に反応が起こっているわけであるし、
上記の刺激は全て、認識前に選択が行われている事になる。
つまり、少なくとも、刺激の選択は、
刺激の受容後から認識前の間に評価と選択が行われている事になる。
まあ機能としては認識する刺激を選択する事であるので、
刺激の情報の受容から認識前までの間に選択が行われるのは、
考えるまでもなく当然の結果という事になるが、
その間の行程においての評価と選択のタイミングについては少しだけ考えがまとまった事になる。
つまり、刺激の認識に先立って再構成されるタイミングで、
さらに、受容された刺激が再構成されて、
その刺激に対する自分の存在が再構成される前のタイミングで評価と選択が行われているという事になる。
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認識における
自分の存在の関わりは、
感覚器官から受容した全ての刺激に対してのふるいの役割を持つ。
つまり、認識が、刺激に対して自分の存在の刺激を関連させることであるため、
自分の受容しているどの刺激を認識する事になるかは、
この自分の身体のどこを関連させるかという事になる。
つまり、自分の身体における感覚器官の位置である。
想起の場合もあるので、この場合は自我の存在感覚の位置であるが、
つまり、感覚器官から受容されている刺激は、
感覚器官の受容体における物理的な定量的な刺激として脳へ信号として送られるが、
実際に認識されるかどうかは、自分の存在の刺激の関連が不可欠となる。
逆に考えれば、自分が弱い刺激であったとしても、
特定の自分の存在位置を、その刺激に関連させれば、認識としては、
その弱いはずの刺激を認識する事になる。
つまり、認識したい刺激が強くても弱くても、
自分の存在が刺激に関連すれば、その刺激が認識されるという事である。
つまり、単純に刺激としての、感覚器官の受容体としての信号の頻度による刺激の強さだけでなく、
自分の存在の関連によって、選択する力が働くという事になる。
つまり、単純な刺激の信号としての強さと、
自分の存在の関連によって、認識される刺激の選択が行われることになる。
刺激の信号としての強さについては、
環境から感覚器官か、身体の状態を感覚器官が受容する際の刺激の強さによって選択されることになり、
自分の存在を関連して選択する場合は、
つまりは想起が関係しているのではないかと考えている。
つまり、目的(や意思)である。
感覚器官からの刺激の受容は、選択する必要も間もなく、
全ての刺激の情報は脳へ信号として送られる。
意識の二面性でも考えた
感覚からの刺激においては、刺激の強さがその評価基準となり選択が行われ、
想起からの刺激においては、自分の存在の関連が評価基準となり選択が行われるのではないかという事である。
つまり、想起の場合の刺激の認識には、
目的として自分の存在の関連が行われることになるのではないかというわけである。
目的=自分の存在の関連
つまり、自分の存在の関連によって認識される刺激が優先的に有利に選択できる事が目的である。
というわけである。
つまり、想起による機能において、
認識対象の刺激を選択する機能というのは、
想起において、自分の何を刺激に対して関連させるのか、
という事になる。
つまり、目的は、自分の何を想起すれば良いか、
という機能であると置き換える事が出来る事になる。
目的=自分に関連する何を想起するか
つまり、例えば、
今の自分の左手の触覚の感触を認識の目的とした場合、
想起として、自分の左手の感触を想起する事で、
自分の左手の触覚の感触を認識する事になる。
という事である。
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ということは、自分の目的をどのようにして作り上げるのかが分かれば、
自我の意識的な認識、つまり、刺激の意識的な選択について分かることになる。
これはまた項目を改めて考える事にする。
今回気付いた大きな点は、
刺激の選択における自分の存在の関わりという事になる。
つまり、本来弱いはずの刺激を意図的・意識的に認識することができるのは、
認識の仕組みにおける自分の関わりが関係していたという事になる。
最初は刺激の評価基準や方法のきっかけが分かれば良いと考えていたので、
意識側から自分の存在の関りが認識の一面に関わっている事が分かったのは意外な気づきになった。
今日はこの辺で。
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