2024/4/21-2024/4/22

刺激の認識に対する反応としての変化や感情

認識について考えていた時に、
認識後の反応として起こるのが感情や情動なのではないかと考えた。

つまり、刺激の認識において、
刺激の情報を自分自身が得るという事が認識になるが、
この刺激の情報を得た事で、
知能はどのような反応を起こすか考えてみると、
つまり、知能は、刺激についての評価をすることになる。
評価は自分にとっての評価という事である。

良いとか悪いとか、好きとか嫌いとか、
熱い寒い、痛い気持ち良いなど、
連続した認識によって意識となるとしても、
知能は常に刺激を認識し続けるだけの存在ではないという事である。

つまり、知能は刺激に対して何らかの反応を起こす。

認識が、その刺激の情報を得る方法ということになるが、
では、その得た情報について、どのような反応を起こすのか決める事が必要となる。

知能は、その反応を探るための機能でもあるからである。

認識によって、ようやくそのお膳立てが済んで、
変化の情報を得たという事になる。

では知能ある個体は、その刺激に対して何をするのか?

評価する仕組みは価値を全ての拠り所とするわけではないという事は、これまで考えてきた事である。

あくまで価値は、他との共有可能な情報としての定義であり、
個体独自の知能においては、個体差が大きすぎて知能を定義する共通の定義ではありえない。

ただ、指標としての価値は、
知能毎に定義として持っていて、
ある刺激に対しての感じ方と、その大きさが、
刺激の認識に対しての個体の反応となる表現・評価という事になる。
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刺激→認識→個体→(反応)→評価→知能→反応行動

つまり、刺激を認識し、
その刺激に対して個体が反応としての評価を生じ、
その評価に対して知能は、個体が反応するべき行動を決定する。
という事になる。
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2024/4/22

認識や意識が、
生命が刺激として情報を得て、それを知る事だとしても、
その情報に対して反応を起こす必要が生じる。
知能は、この知り得た情報に対して、
何らかの反応を示す必要性に迫られる。

刺激は、刺激としての意味付けの定義を持っているが、
刺激に対する反応も、
知能は定義によって保有している事になる。
この反応は、刺激と同様に遺伝的に保有する先天的定義と、
経験によって得る事になる後天的定義が存在する事になる。

刺激に対する反応の、
先天的定義に相当するものは、
感覚や感じ、そういった定義である。
つまり、最近調べていたホルモンや神経伝達物質として、
ある刺激に対して、身体が自動的に分泌する事になる物質によって、
反応を起こすことになる仕組みである。

この反応の定義は、仕組みを理解したからといって、
反応自体を変更する事は出来ない。
興奮している状態で、心拍数が増加しているのに、
心拍数を下げようと考えたり意識したとしても、それを変更する事は出来ない。

刺激に対する反応の、
後天的定義に相当するものは、
先天的定義で定義されていない他の全てという事になる。
例えば、人前に出て緊張するのは先天的定義による反応であるが、
人前に出なくてはならない状況に置かれて、
自ら人前に出ていくのは後天的定義という事になる。

わざわざ緊張する事が分かっていても、
その状況で人前に出ない事を選択する事をしないのは、
人前に出ない事による不利益が、人前に出て緊張するより高い評価をしたと言う事になる。
そして、この評価の定義が、後天的定義としての反応の定義という事になる。

つまり、ある状況、その刺激に対して、
せざるを得ない反応の定義という事になる。

この定義は、遺伝的に継承されるものではなく、
あくまで経験によって定義されたものである。

もし、先天的定義の反応が優先されるのであれば、
上記の例においては、人前に出ない事を選択するはずである。

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ある反応を選択する状況において、
反応自体はその選択の結果であるのだが、
その選択の前に感じる、認識する状態というのが、
感情や情動などではないかと考えられる。

刺激→認識→(反応の準備)→(感情)→反応の選択→選択した反応の実行

つまり、感情などは、選択後に感じるものではなく、
選択前に感じる状態という事である。

感情が生じ得るのは、
現時点で考えられるのは、
刺激の認識後から、反応の決定前の間である。

意識は認識に付随するものであるから、
この場合は、感情自体も結果として意識される可能性のある刺激の認識という事になる。

つまり、
刺激から反応までに意識は特に関係ないという事になる。

刺激

認識→意識

感情の発生→感情の刺激の認識→意識

反応の選択

という事になる。

反応それ自体は、ある刺激、ある状況や状態に対する、
生命としての活動なのだが、
その反応を起こすための定義は、必ず必要になる。

つまり、反応を決める、選択する為の前提条件と、
その反応における活動内容が必要になる。

この辺りの内容は、「定義」そのものという事になる。
例えば、先天的定義において、
ある刺激に対してアドレナリンが分泌されたら、
身体、脳は、興奮状態を反応として選択し、機能させる事になる。
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つまり、「反応の定義」の定義は、
「その定義を発動する条件と、
その定義によって選択される事項の定義という事になる。」
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つまり、この例の場合、
アドレナリンが分泌される事になる強さの刺激が、発動する条件であり、
アドレナリンを分泌して興奮する事が、その選択される事項という事になる。

アドレナリンの分泌は結果として興奮する事になるが、
この興奮自体は状態の結果として認識された状態であり、
選択される事項としてはアドレナリンの分泌までという事になる。

つまり、アドレナリンの存在によって身体や脳の興奮状態が生じるのは、
また別の反応の定義という事になる。

つまり、知能における反応は、
先天的定義においても、後天的定義においても、
その定義が発動する条件が存在し、
その条件が満たされる事によって機能する、
選択されるべき事項というものが存在する事になる。

先天的定義の反応は、
遺伝的な継承対象として、代々、必要であるから継承されたものであるが、
後天的定義の反応は、
生命としての誕生後に、その誕生した環境から得る経験によって定義される事になる。
この場合の定義は、必要に応じて先天的定義の反応に関連する事になる。
この定義についての機能は、刺激と記憶の関係と同じ事になる。

基本的に定義を発動する条件は、
特定の刺激の励起が該当する事になる。
つまり、何かを見た、聞いた、等の感覚によって、
または想起した刺激と自分の刺激において、
その条件が満たされる事になる。

そして、その定義を発動する条件が満たされた場合、
その定義における選択される事項が発動する事になる。

先天的定義においては、今考えうる反応は、
反射やホルモンなどの分泌などの、基本的に自動的に機能する反応である。

後天的定義においては、
最終的に先天的定義の反応に関連しているのではないかと考えられる。
つまり、刺激の記憶と同様に、
反応の構成要素も、先天的定義の上に成り立つものではないかと考えられる。

つまり、
刺激を認識するために必要な事項を保持する・記憶するのと同様に、
刺激によって反応するという定義を保持する・記憶しうるのではないかという事になる。

つまり、
刺激を認識する為に、
刺激を構成する情報の要素とその関連の存在、
刺激を再構成する為の場の存在、
刺激を認識するために行われる自分の存在の再構成、
それによって刺激が認識されるのと同様に、
刺激に対する反応も、その機能の過程が構成されているのではないかというわけである。

つまり、
反応を構成する情報の要素、発動条件の刺激と、その反応の機能の関連、
反応を再構成する為の場の存在と、
反応を実行する為の自分の存在の再構成は、認識の機能、そのままが利用できる。
反応の認識も同様である。

つまり、刺激に対する反応、それ自体は、
刺激の認識と同様の機構で機能しているのではないかというわけである。

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2024/2/27

367の意識の内容と少し関連するが、
知能が意識的に何かを選択しているのではなくて、
「何かの基準」によって、
自動的にその時の選択が行われているのではないかと考えた。

つまり、「何かの基準」というものは、自分の好みや身体の感覚として、
その対象となる刺激の「感じ」「感覚」ではないかと考えた。

つまり、
刺激として構成される情報の要素の種類によって、
刺激の定義による意味付けは異なる。

その定義は自身が持つ固有の定義であるのだが、
一部は先天的に、一部は後天的な定義である。
そして、その定義は、個体の固有の意味付けと、
個体の種としての固有の反応が関連していて、
例えば、人前に出ると緊張する人と、緊張しない人がいるのは、
経験や慣れというのもあるが、その個体の固有の性質として、
緊張しやすい個体、緊張しにくい個体というような変化が現れる事になる。

恐らく、これは個体が置かれた環境や経験によってほとんど決まる要素ではあるのだが、
個体が成長する過程で、ある刺激に対する反応は固有の性質を持つ様になっていくと考えられる。

それは、人前に出たという刺激を認識する事で、
アドレナリンが多く出て緊張する個体、
または、人前に出てもそれほどアドレナリンが多く出ずに、
緊張しないですむ個体、
そういった違いが出るのではないかと考えられる。

その辺りの定義が、自我や性格として構成される要素となり、
ある刺激に対する反応としての変化や感情に、その差が表れるようになるのではないかと考えられる。

つまり、
特に言いたいのは、知能を持つ個体が本質的に持つ要素としての、
先天的定義による反応、
つまり、ある刺激に対しての反応として、
ホルモンや神経伝達物質の分泌される機能そのものが重要な定義の要素になっているのではないかという事である。

そして、それは、後天的定義が、
関連の先に先天的定義が存在するという事で、
後天的定義による刺激に対する反応としても現れる事になるわけで、
個体固有の性質、性格の定義は、この、
後天的定義と先天的定義の間に存在する情報の要素の関連によって構成される事になると考えられる。

そして、その定義の総和が自我や自分の性質や性格の定義となるわけである。

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ホルモンや神経伝達物質の分泌条件が、
少し前から気になるようになってきたのだが、
恐らく、その条件、つまり特定の種類の刺激の受容によって、
それらの分泌条件が整う事になり、
それらの物質の分泌によって、単純な刺激の認識と意識や選択ではなく、
それらの物質の影響によって、直接認識されない作用、
つまり、直接感覚器官が存在しないので刺激としては存在しないが、感覚に作用し、
知能や思考に影響を与える要素として働くものになるのではないかと考えられる。

つまり、刺激として受容し、認識に至る前の段階で、
刺激としての情報の要素とその関連の受容後、
刺激と自分の再構成に至る前の段階で、
ホルモンや神経伝達物質の分泌により、
再構成される刺激や自分に対して影響を与えるという事が存在するのではないかと考えている。

そして、その関連の元となるのは先天的定義ではないかと考えられる。

つまり、刺激の情報の要素の意味付けという点において、
どのように刺激を感じるかという定義が、先天的定義なのだが、
刺激の再構成の前に、その刺激の在り様が定義されるには、
再構成の前段階で、ホルモンや神経伝達物質の影響を加味しておく必要があるはずである。
そして、それらの影響は、刺激の感じ方、意味付けに関係しているので、
刺激によってホルモンや神経伝達物質が分泌されるのは、
刺激と自分の再構成の前という事になる。
それは、先天的定義が参照される際に、その先天的定義の参照に関連して、
ホルモンや神経伝達物質の分泌のきっかけの部分が機能しているのではないかという事になる。

つまり、その刺激がどのような刺激であるのか感じるためには、
その刺激の情報の要素とその関連において、その意味付けとなる「意味」つまり、
その情報の要素が「何」であるのか、「どのように」感じるべきものであるのか、
そういった定義する情報が必要になるという事である。
そして、この気になっているホルモンや神経伝達物質は、
この「どのように」感じるべきものであるのかという意味付けの解釈の要素として用いられているのではないかと、
思ったわけである。

つまり、人前に出て多くの人の視線を刺激として視覚で得る、
その刺激は自分にとってどのような刺激であるのか、
この刺激は認識される前に、自分の身体は緊張するはずである。
その緊張はどこからきているのか、つまり、刺激によってアドレナリンが分泌される、
その定義と機能と発動条件が整っているという事になる。
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注意として書いておくが、
緊張がアドレナリンの分泌だけで発現する刺激でないという事は書いておく。
この辺りの知識はまだ勉強中である。
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つまり、これまで考えてきた刺激と認識と意識において、
刺激を認識するという事が、
刺激を構成する情報の要素とその関連、刺激量、
そして、その刺激の意味付けをするための定義、先天的定義と後天的定義、
刺激と自分の再構成だけでなく、
その刺激を構成する情報の要素の意味付けを行う定義において、
その関連する先天的定義に付随する機能としての、
ホルモンや神経伝達物質の分泌による影響が、
この刺激を構成する要素に加える必要があるのではないかという事になる。

そして、その辺りの定義は、そのまま、
その知能を持つ個体の性質や性格を構成する要素、
つまり、自分や自我を構成する要素の基本的な部分になるのではないかという事になる。

つまり、自分はある刺激に対して決まった様に感じるのは、
その構成要素において、刺激に対して反応する決まった感じ方が存在し、
その定義は、先天的定義に付随する身体的な機能、反応が関係しているのではないかというわけである。

そして、その関連の上位に存在するのが後天的定義であり、
それは自身が経験する事象や刺激によって構成されるという事になる。

つまり、刺激の経験によって、本能的な決まった反応が起こり、
その反応自体を自分の固有の反応の定義として記憶する事になる。
そして、その後も、その刺激に対しては、「自分」がどのように感じるのかは、
その過去の刺激の経験としての記憶から「自分」が構成されているために、
自分の感じ方として刺激が解釈される事になる。

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今回の表題である、刺激の認識に対する反応としての変化や感情は、
つまりは、人間としての本能的な刺激に対する感じ方と、
個体が置かれた環境などによって、その自分自身が構成されることによって、
刺激に対する反応が決まるという事になる。

つまり、確率や偶然そうなるような事ではなく、
決まった定義によって反応は一意に決まる事になる。

そして、その構成要素は、本能的な先天的定義としての定義と、
今回追加されるホルモンや神経伝達物質の分泌による身体の感じ方、
これらは、分かっていても変えようのない生命としての定義であり、
それに後天的定義として、あえて理解した上で感じることのできる反応の定義を加えて、
成り立つという事になる。

まだまだ解明する事は多いが、
今回はこの辺で。

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