2024/4/8

刺激の関連と情報の要素の関連の構成

これらの関連については、
現時点で、私の知能に対する考察の中で、
最も理解が進んでいない部分であり、
考えるためのきっかけも取っ掛かりも少なすぎて敬遠していたほどの内容である。

今回少し気合を入れて考えてみようと思う。
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これまで考えてきた刺激と情報の要素において、
特にその関連について、一人ブレーンストーミングで書き出すと、
以下の様になる。
「→」は発展させた考えを表す。

・刺激はいくつかの情報の要素の関連で構成されている
・情報の要素の意味付けには定義が存在する
・情報の要素毎に関連を持つ
・刺激の再構成には、用いられる情報の要素の数の上限・制限がある
→多くの意味を持つ文章を1つの文章として認識できない

・長期記憶の情報の要素の関連はシナプスの形成によって記憶される

・短期記憶においては、シナプス形成前であっても、その励起状態の維持で構成されている
→その関連をもって刺激となり、その関連した定義のまとまりが、この刺激の定義となる

・新規に刺激として受容した情報の要素の構成は、同時に励起されたものである
→短期記憶においては関連がまだ形成されておらず、励起状態の保持によって維持される。

・関連は作成と、関連の強化と抑圧、などの状態の可塑性を持つ
→一度形成された関連は物理的な力以外には消失することはないと考えられる。

・情報の要素毎に意味付けの定義を持つ
・刺激の定義は情報の要素の意味付けの定義の関連によって構成された意味付けである
・意味付けの構成要素は、先天的定義で定義される
・先天的定義の構成も関連を持つ場合がある

・関連は想起で用いられる励起の経路となる
・特定の関連は、別の関連においても再利用される場合がある
→共通する情報の要素は関連元が異なっていても、その先が共有される場合がある

・関連は一方通行である
→関連がループして想起・励起がループすることは無いと考えられる。
→情報の要素には上・下、高級・低級の概念がある

・感覚器官からの刺激の受容、または、想起による刺激の再構成によって関連の励起は開始される

・情報の要素の構成は、最小単位においては全てが先天的定義となる
→情報の要素の最小構成単位は先天的定義

・先天的定義の関連の基底の定義は「接触」であると考えられる
→接触の二面性によって、刺激の情報と個体の自分が接して存在することになる

・ある特定の関連の集合は1つの決まった定義・情報の要素として用いられる
→1つの情報の要素として利用・再利用される

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基本的な考え方からすれば、
情報の要素の関連を作り出す部分と、
利用する部分、つまり利用の仕方の機能が分かれば良い事になる。

生体における刺激の受容部分として、
感覚が存在する事になるが、
体外的な変化を感覚として受容するものと、
体内的な変化を感覚として受容するものに分けられることになる。

つまり、対外的な変化を受容する感覚としては、
基本的な五感や運動感覚など、
生体そのものが直接、外界に対して接している部分が存在し、
その変化によって刺激として情報を受け取るもの。

体内的な変化を受容する感覚としては、
ホルモンの変化に対する感覚であったり、
興奮や恐怖によって呼吸や心拍数が変化することで生じる感覚、
空腹や満腹、安心や不安、感情や愛情の感覚などもこれに含まれる。

どちらも生体の知能が意識的に作り出している刺激、感覚ではなく、
外界もしくは生体内での変化に接した個体の感覚器官が、
ある変化に対する情報を、状態変化しましたよと、
個体に対して与えた情報ということになる。

つまり、生体においては主体的に生じた情報であり、
知能においては受動的に受ける情報となる。

そして、それらの構成要素は、
知能が認識しうる、全刺激ということになる。

つまり、人間においては、人間が認識しうる全刺激が、
最上位の情報単位、つまり、刺激の全体集合という事になる。

つまり、逆に考えると、人間が何かを表現するという事は、
刺激を個体の体外に出力する事として考える事が出来る。
そして、人間が何かを自身に表現する事は、
刺激を個体の体内に出力する事として考える事が出来る。

人間が刺激を外部に出力する方法として、
言語やジェスチャー、表情、などが用いられる事になる。

つまり、コミュニケーションは刺激のやり取りと考える事が出来る。

二面性から考えると、刺激の出力は、その反面として自分が接触する事になる。
つまり、対外的に刺激を出力する事は、
その個体の表面内側に自分の形が接して現れる事になる。
つまり、個体の体表内に自分自身が現れるという事になる。

それを考えると、
人間が刺激を内部に出力する場合は、
体表外に自分が接触して現れる事になる。
客観的な自分ということだろうか。

つまり、自分とは、こうあるべき存在であると、
自分自身に出力することになる。

という事は、刺激を介して情報のやりとりをする一方で、
その反面、自己の表現と、自己の客観的表現を生じさせている事になる。

体外的の表現する自分というものは、
自己の感覚において定義されるものであり、
自分の個体が感じる全ての感覚から構成される自分自身ということになり、

体内的に表現する自分というものは、
客観的に存在する自己の定義であり、
自分を認識した後の、想起によって再構成される自分ということになる。

つまり、現実の実際の自分と、こうあるべき想起の自分ということになる。

つまり、当然、自分の個体が認識しうる全刺激が、自分自身という事になる。
つまり、自分自身は、自分の個体が認識しうる全刺激から構成されたもの、という事になる。

という事は、「自分」とは、自分が持つ全刺激の感覚と、
その感覚の定義で表されるという事になる。

逆に考えれば、自分や個体、知能は、その個体が持ちうる感覚でやり取りできる、
刺激から構成されるという事になる。

つまり、知能が知能であるためには、
個体となる体が必要と考えてきたが、
実際は、感覚、感覚器官から構成される個体、
その感覚器官を配置するための体が必要になる、という事になる。

ということは、表現能力が必要というよりも、
刺激をやり取りできる能力が必要という事になる。

そして、話を戻すと、
情報の要素の関連を作り出すというのは、
感覚器官と、そこから生じた信号の集合部、
まず、そこである瞬間における全刺激の存在を集める事になる。

そして、その集められた刺激の信号を意味付け、翻訳することになるわけだが、
ここで用いられるのが定義ということになる。

つまり、後天的定義の記憶と、先天的定義の遺伝的定義である。

後天的定義は、個体が置かれた環境によって誘導された自分が存在し、
先天的定義は、個体の遺伝的な個体差で固有化された自分が存在する。

体外的な自分も、体内的な自分も、定義としては後天的定義として存在するものであり、
刺激のやり取りにおいては、この定義が参照されるが、
初めてやり取りする場合の刺激の定義の参照先は、先天的定義の固有化された自分による定義が用いられる。

つまり、初回の定義の参照先は固有化された自分。
以降は後天的定義の自分による定義が定義の参照先となる。

これは、後天的定義として記憶されるまでが、先天的定義の固有化された自分の定義が用いられ、
刺激が記憶された後は、後天的定義が用いられるという事になる。

情報の要素の関連を作り出す部分としては、
その定義の参照先として、初回から記憶されるまでは先天的定義、
記憶された以降は後天的定義という事になる。

実際の詳細な各情報の要素毎の関連の作り出す部分としてはまだ不明ということになるが、
今回はここまでとなりそうである。

ただ、副次的に、利用する部分、利用の仕方については鍵となる考え方が出て来た。
つまり、コミュニケーションが刺激のやり取りであるなら、
特に人間の知能における情報の要素の利用においては、
出力対象への刺激の表現として、その構成を考えればよいという事になる。

つまり、コミュニケーションにおいては相手に刺激を投げかけることになるが、
その刺激をどのように構成すれば良いか、という部分が、
この利用の仕方という事になる。

そして、都度現れる、反面に存在する自分の姿、というわけである。

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まだ完全な答えに到達したわけではないが、
考えるきっかけと取っ掛かり位は出来たように感じる。

少々疲れたので
今日はこの辺で。


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