2024/4/2-2024/4/7

刺激の先天的定義とその関連の存在

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今回の内容は、開始時は「刺激の関連と想起」について考えていたが、
その考えの中で、新たに「刺激の先天的定義とその関連の存在」に気付いたので、
タイトルを変更した。
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刺激の関連と想起:

基本的に刺激の認識においては、
その刺激の認識に対する想起は必ず行われる。

刺激の認識に際して、
刺激とその刺激を認識する存在としての自分の再構成が、
両方必要になるというのは以前考えた通りである。

また、目的として想起を行う場合、
想像、予測、創造、空想、妄想、回想、思考、ほか、
想起は、機能ごとに定義があるという具合に、異なった機能のように認識されているが、
そこで行われているのはきっかけとなる刺激の認識と、その刺激に対する想起である。

目的の有無や、状態、状況の違いによって、
別の機能であると認識されているが、
刺激を認識し、想起し、想起した刺激を認識し、想起し、
という働きは同じものである。

異なるのは、
感覚器官から始まる刺激か想起を始まる刺激の場合であるが、
この刺激の場合も、その後は想起と刺激の認識を繰り返す事になる。

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まず、
なぜ刺激から想起が行われるようになったのか?

刺激を持ち始めたばかりの原始的な生命において、
刺激というのはある状況や状態の変化を情報として得るためのものであった。

生命は変化に対して対応する、適応する。

そういった存在であれば、
変化という情報を得ることができるようになった生命は、
その変化に対して自らを対応、適応することができるようになる。

その事自体は、変化の情報に対する自らの変化が、
上記のの対応や適応という事になる。

つまり、変化情報に対して、自ら変化する事を生命は行う様になったというわけである。
そして、そのために必要なのが、変化の情報であり、刺激となったという事になる。

そして、
ある変化については、自らの変化は決まったものとして対応することになる。

つまり、生命自身にとって、環境や状態のある変化は、
自らの特定の変化を相対するものとして同じ様に決まって行うことになる。
そして、それは生命自身にとっての定義となる、という事になる。

つまり、ある生命にとって、ある特定の変化は、自身のある特定の変化で決まって対応するという事である。

その定義は、生命が代替わりしたとしても、同じ特定の変化で対応する事になり、
その定義自体は、その生命にとっての固有の定義という事になる。
これまでの考え方で言えば、先天的定義である。

その定義を子孫に継承するには、現代の考え方ではエピジェネティクな変化を遺伝で継承するという事になる。

基本的に、この先天的定義の存在の時点で、
初期における想起は完成していることになる。

つまり、ある刺激に対して、個体がどのような情報を得たのか、その個体が知り得る事である。

人間のような知能においては、
想起は記憶された関連した刺激を再構成する事という事になるが、
原初の知能においては、変化情報を刺激として受容し、
その刺激について定義された意味を、個体が知る事。
その定義された意味が、最初の想起ということになる。

例えば、酸っぱいものを酸っぱいと感じるのは、
味覚において酸の成分を液体を通して味蕾に接し、
酸に反応する味蕾から刺激を受容し、
その刺激が脳で酸味として再構成されるのだが、
酸っぱいのは後天的定義ではなく、先天的定義であり、
生まれた時から酸っぱいものは、酸っぱいのである。

現在一般に考えられている想起は、
知能において、この例におけるような、酸っぱいを刺激として認識した際に、
その酸っぱいという情報の刺激によって関連する別の記憶された刺激が想起される「思い出す」という事として理解されている。
これまで考えて来た想起も同様に、
ある刺激の認識によって、それに関連した記憶されていた何らかの刺激が励起されて思い出す事なのだが、
実際に最初の刺激が認識される過程において、
想起と同様の働きとなる、刺激の受容に対する刺激の意味付けが存在する、という事もこれまで考えてきた事である。

つまり、その刺激が酸っぱいのは、酸っぱいという定義があらかじめ存在するから酸っぱいという事である。

もし、酸に対する定義が今の人間における苦い味の定義であったら、
人間は酸に対して苦いという表現を用いることになったはずである。

つまり、ある情報の変化に対して、先天的定義において、
ある決まった定義が、想起のように意味付けされているという事である。

これは、刺激の認識によって後、後天的定義としての記憶から何らかの刺激が想起されることになるが、
それに先立って、刺激の認識には先天的定義である定義の想起のような機能が先に働いていることになる。

つまり
刺激

先天的定義→意味付け

認識

後天的定義→想起

認識

という事になる。

つまり、刺激から想起が行われるようになったのは、
何らかの刺激である情報に対して、知能が持つ定義を割り当てて、
それを認識するためという事になる。

つまり、知能において情報の変化を刺激として扱うには、
その定義を意味づける必要があるという事になる。

そして、その意味付けによって知能は刺激として情報の変化を知ることができるという事になる。

そして、想起は、ある刺激の認識に対して関連する情報の要素として、
記憶されている情報の要素を励起して、刺激として再構成する事なのだが、
これは、先天的定義が、刺激に対して意味付けするのと同様に、
後天的定義として、その刺激に対して関連する情報の要素から構成される刺激に対して、
意味付けするという働きとしての意味を持ち、
その後天的定義で再構成される刺激に対する意味を与えるという働きとなる。

つまり、先天的定義が持つ刺激に対する意味付けのように、
後天的定義が持つ記憶された刺激は、情報の要素の関連の励起によって意味付けされるという事になる。

つまり、本来初期の生命において、
刺激と想起の関係は、
刺激と先天的定義による意味付けとして持っていて、
それを、後に刺激を記憶できるようになって、
後天的定義としての意味付けする方法を、
先天的定義の意味付けに倣って用いるようになったと考えるのが最もシンプルだろう。

そして、今の人間の認識として、刺激に対する「想起」は、
何らかの刺激に対して関連して思い出す何かを認識する事という定義をしたことになる。

つまり、これまで逆に後天的定義において想起できることがわかっていながら、
先天的定義の定義がどの時点で発生したのか分からないという疑問は、
先天的定義における意味付けも、機能としては想起と同じで、
定義自体は遺伝で継承されているので、変更できず、
あるがまま、その感じとして意味付けされる定義を感じるしかないという事になり、
先天的定義の意味付けは、生命が進化する過程で得た定義としてしか理解しようがないものという事になる。

つまり、人間の祖先において、
何らかの種の個体が、酸に対して酸っぱいと感じる定義を得たから、
人間も酸に対して酸っぱいという定義を持っているという事になる。

つまり、なぜ刺激から想起が行われるようになったのか?
の答えは、刺激が持つ情報の要素を、知能が認識できるように意味付けするため。
という事になる。
そして、それは、先天的定義であっても、後天的定義であっても同様の機能であり、
先天的定義は遺伝的にその意味付けの定義を持ち、、
後天的定義においては、その刺激を構成する情報の要素が持つ定義で構成される。
という事になる。

そして、さらに人間においては、
認識のための自己の存在を作り出すために想起を用いる事になった。

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感覚の同時に認識できる数の制限:

人間の味覚において五味とうま味のような味覚が存在するのは、
人間にとって必要だった味覚がその数、その種類だったという事になる。

もし、現在味覚において無味に感じる物質があったとしても、
もし、生物として人間にとっての必要な物質であるなら、今後、その物質に対して定義を持ち、
その味を比較できるようになるかもしれないという事になる。

しかし、例えば自然界において、食べてはいけないのが酸っぱいとか苦いものという定義を人間が持ったのは、
酸の種類に個別に反応するというわけではなく、
酸っぱいものは酸っぱいだけの認識で良かったからという事になる。

もし、酢酸は良くて、塩酸がダメであったら、
酢酸だけを認識できる味覚の刺激が存在するようになったはずである。

それは、感覚として同時に認識しうる情報の制限が存在するからと、
定義の数に限界があるからなのではないかと考えられる。

つまり、様々な味が合わさって複雑な味わいというものは存在するし、
その味の分量の違いによって、数えきれないくらいの味を作り出せることになるのだが、
最終的には美味しかったか、とても美味しかったか、または、
不味かったか、とても不味かったか位の違いにしかならない。
美味しく食べられたということは、その食物が、
その個体にとって、良いものであったということになる。

無味無臭の毒が含まれているかもしれない、というような考えは抜きにして、
甘いから美味しいというような定義は、
味覚を持つ生命として先天的に持つ定義ということになる。

しかし、様々な味に含まれる甘さが、どれだけ正確に認識できるかというような事は、
あまり重要ではない。

味覚における感覚の数の制限において、
味の制限となる組み合わせの限界は存在するが、
人間の味覚が認識しうるような味についての刺激は、
自然界における食物が持つ、味の要素において、
ほとんど全て網羅していると考えても問題ない。
実際、現在存在する人間が飲食可能な食物が持つ味の要素は、
人間の味覚において、恐らく全て対応できているだろうと考えられる。

それは、人間の進化の過程で、必要とした味覚の種類であるという事になる。

塩が生命として必要であったり、
甘いものは熱量が高いものであったり、
酸っぱい、苦いものは、腐ったり毒であるかもしれないと感じる必要があったり、
辛いものは痛覚なので良く分からないが、
美味いものは食欲がわいたり、
そういった定義が必要だったという事になる。

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2024/4/6

刺激の先天的定義とその関連の存在:

先天的定義にも定義の関連がある。
酸っぱいと危険は関連している。

反射はその効率的な先天的定義の最たるもの。
梅干しを考えて唾液が出るとか、
熱さが危険で手を引っ込めるなど。

でも、酸っぱいが酸っぱい定義はまだ分からない。
酸っぱい刺激は、実際に酸っぱい物を味覚で感じることで初めて酸っぱい刺激の認識となる。
つまり、刺激自体の認識は後天的定義として認識されることになる。

しかし、酸っぱいという定義自体は遺伝で持っている事になる。

つまり、刺激を認識してから後に酸っぱいを定義するのではなく、
あくまで定義は先に存在していて、それ故に酸っぱいを感覚で受容した時に、
酸っぱいと感じる事になる。

先天的定義の関連が存在するという事は今回思いついたが、
酸っぱいと危険が関連しているという定義は、
人間より以前の進化の前の段階のある種において獲得した定義という事になる。

つまり、恐らく危険が先に定義されたと考えられるが、
であれば、それに関連する酸に対する酸っぱいの定義は、
その後のどこかの段階で、
その定義を獲得した事になる。
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化学的な組成から、味覚の獲得の順番はおそらく、
生物が自然環境からさらされる可能性から考えて、
塩味、酸味か苦味、甘味、旨味、という事になると考えられる。

生物の開始地点が海であったと考えれば、
塩味というのは、特に味覚として認識していなかったとしても、
当初よりそのNa+Cl-については生体自体が多く接触していたものと考えられる。

生物の身体の構成においてもNaClは不可欠であるし、
その感覚を重要であるとして刺激として情報を得ようという事は考えられる。

味蕾自体は、1~4型が存在して、前駆体の4型以外で味を受容している。
現在、ある程度の味覚に対する反応する型は分けられているが、
正確に分類はまだできていないらしい。

ただ、例えば塩味が塩辛いと感じるには、
塩味の情報の受容だけではなく、
その塩味が塩辛いという定義の存在が必要になる。

現在の知生体において、
その生体の構成において、細胞自体が塩味を感じる必要は無いが、
初期の生命においては、細胞レベルでNaClに対して反応する必要があったと考えられる。

神経細胞・筋細胞・グリア細胞などの興奮性細胞におけるナトリウムチャネルのように、
NaCl自体が必要である事に限らず、
KClでもCaCl2でも良いが塩そのものに対して何らかの情報は必要であったと考えられる。
(食塩ではなく塩(えん)として)

であれば、塩の存在は、知生体において何らかの特定の意味ある存在として、
受け入れられる必要がある事になる。

その定義が、どのようにしてできたかという事になるが、
およそ初期の知生体において、塩が塩辛いという定義はまだ存在していないと考えられる。
しかし、塩を塩として特別な存在として接していたという事は容易に考えられる。

となると、塩の存在や状態に対して、
その変化を刺激として受容するには、何らかの定義が必要になる。

つまり、塩の状態を情報の要素として知生体が知るためには、
その情報の要素を知生体が自身で情報として構成する必要が生じる。

つまり、塩の状態を感覚器官で情報の要素として受容したとして、
その情報の要素を、塩の状態の情報として再構成しない事には、
知生体は、その情報を得られた事にはならない。

知能でない細胞単体においては、塩の状態によって、
自身の対応や変化は認識なく、細胞膜や機能的な細胞が、
直接塩に接して、その反応は自動的に行われるため、
その変化自体を認識する事は無い。

しかし、知生体の知能においては、
塩の存在や変化は、感覚器官によって受容した変化を、
情報の変換によって、置き換えられた信号を通し、
知能が認識しうる刺激として再構成する必要がある。

つまり、その定義の存在、
その定義こそが、先天的定義という事になり、
今回考えているその始まりの定義という事になる。

恐らく塩辛いという定義は、
別に甘いという定義だったとしても問題ないはずである。
食塩をなめて甘いと感じる。
もし、人間の全てが食塩を甘いと感じれば、
食塩の味の定義は「甘い」で良いという事になる。
そして、「甘い」が食物の美味さに先天的に関連すれば、
食塩の甘味は美味い、という人間における味の定義で良いはずである。

ではなぜ、塩の味は塩味として感じられるのか?

自然界におけるシンプルで都合の良い何か理由があるはずである。

まあ定義は定義した存在の都合で、定義された定義のみを扱う存在の都合には関係ないのだが、
気になると言えば気になるものである。

その定義は遺伝的に存在する定義であるので、
今後、情報として理解できる未来が訪れれば、
その理由も分かるのかもしれない。

現時点では、まだ理解が及ばないが、
今後分かるようになるかもしれないので、
今後の課題としておく。
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そして話を戻して、
酸っぱいと危険の関連ということになるが、
自身の身が危険という定義が存在するという事は考えた。

となると酸っぱいは先発にしろ後発にしろ、
そのような定義が作られて、それが関連したという事になる。

危険自体は、高所での恐怖感や、
空腹や渇水による感覚、身体の痛み等が関連しているが、
それと同様に味覚における危険との関連として、
酸っぱいが危険という関連が作られた事になる。

つまり、危険に遭遇して、
それを回避したか、直面したが回復した個体によって、
その経験がエピジェネティクに遺伝したという事になる。

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先天的定義の始まりの定義:

今回の事を考えて来た上で、
先天的定義にも定義の関連が存在するということなら、
その核心のもっとも最初の定義は何だろうかと考えた。

そして、思いついたのは「接触」だった。

つまり、感覚器官が何らかの情報の変化を受容するという器官であり、
その受容に必要なのは、情報の変化に対する接触という事になる。

細胞においては接触阻害としても機能するが、
細胞は接触した事に対して感覚器官を持っているわけでもないのに、
他の細胞への接触によって、その増殖を停止させる。

つまり、感覚を持たない細胞であっても、定義として「接触」の定義を持っているという事になる。

一方でがん化した細胞においては、
細胞の表面の糖鎖が変化し接触阻害、接触阻止が起こらなくなるという事があるが、
これは、先天的定義としての細胞の接触阻害における定義から外れるか、
定義自体が変化したからという事が考えられる。

つまり、自己の細胞に対する接触の選択対象に、糖鎖の変化したがん化細胞自身が該当しないか、
または、その定義自体が変化して接触阻害が起こらないような細胞になるからという事になる。

つまり、「接触」には、感覚ではない刺激としての定義が存在するのではないかという事になる。

そして、それは、感覚器官における刺激の受容の基礎でもある、
情報の変化が細胞に接触する事、
それは、選択的な情報の変化の定義と接触の定義の関連によって定義されたもの、
と考えることができるようになる。

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接触における情報の要素の選択:

接触によって刺激としての情報の要素を受容するのであれば、
情報の要素として、特定の化学物質かエネルギーを選択する存在があるという事になる。

つまり、感覚器官においては、
選択的に特定の化学物質かエネルギーに対して反応する分子が存在するという事になる。

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今回はこの辺で。

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