2024/3/25

情報の要素の関連

今回は情報の要素の関連について考えてみる。
刺激を構成する要素の1つである情報の要素は、
先天的定義を元にして、それらの関連によって1つの刺激を構成する事になる。

例えば、赤いボールは、
視覚における空間の画像内から、
赤い色をした、ある大きさを持った形状の物体を抜き出して、
赤い色と球状の概形と立体的な形状を持つ物体を1つの刺激として認識する事で
知ることが出来る。

この場合、
もし、赤いボールを初めて見た時に物体の情報の要素となるのは、
赤、円形、高さ、幅、奥行き、すぐに思いつくものは、このくらいだろうか。
恐らく刺激としては他にも情報の要素は存在すると思われる、
表面のテカリや、質感なども情報の要素となるかもしれない。

そして、知能が、この赤いボールを1つの刺激として認識する際に、
知能が行う事は、脳内で、この対象を再構成する事である。

今回はほぼ全ての情報が視覚から得られる事になるが、
視覚から得られる情報は、実際、視覚における感覚器官としての、
視細胞(桿体、錐体)から色彩や明度の情報を得て、
その視覚のスクリーン全体から色彩差や、コントラスト差による対象が持つ情報の要素を抜き出し、
見たい対象を1つの個別の刺激として抜き出し、再構成する事になる。

例えば生まれて初めてこの赤いボールを見ると考えると、
この対象の刺激の再構成時に、今回の赤いボールは、初めて見るわけであるから、
その視覚における情報の要素の抜き出しによって、
いくつかの先天的定義が存在する情報の要素に分けられ抽出される事になる。

恐らく初回の認識においては、円や球、立体などの情報は、
先天的定義に存在しない為、赤い物体としてのみ刺激が構成されることになると考えられる。

つまり、赤い、何か、である。

「赤」自体は、視覚の先天的定義として、色の情報の要素は存在している。
「何か」は見る対象、視覚によって得られるその全体の画像が存在するとして認識できるという定義も、
先天的定義として存在すると考えられる。

特に、視覚で得られた画像が、自分の目の前に存在する何かであるという定義は、
生命として誕生した直後には先天的定義としては定義が存在しないと考えられるが、
誕生した直後から、視覚によって画像を刺激として受容する事によって、
まもなく視覚における画像と自分の関係と、その定義を後天的定義として得るはずである。

つまり、
見えている何かが存在している。
それを自分が見ている。

視覚情報は目を開いた、その最初の時から、その風景の画像が認識される時、
自分の存在も同時に再構成されることになる。
つまり、視覚による画像が「認識」された時点で、
「自分」もそこに再構成されている事になる。

誕生直後は、「自分」の定義は情報の要素としては非常に少ないが、
先天的定義として考えられる「自分」には、認識を行うために必要なだけの定義が存在する事になる。
つまり、視覚を画像として見る事の出来る「視点」は情報の要素として持っている事になる。
「視点」は、自分の先天的定義としては非常に少ない情報量ではあるが、
確かに「自分」の視点が構成され、存在するから、自分から見えているのである。

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意識の観点からすると、
刺激が認識されたとしても、刺激を意識するかどうかは別の事になるのか?

刺激の認識の連続性に意識は存在する事になるが、
刺激を意識するには、想起を起点とした刺激の再構成が必要になる。

想起は何らかの刺激の関連として別の刺激が励起された場合に想起が起こる事になるが、
その励起のきっかけとなる刺激は、
感覚器官からの刺激の受容か、想起によって再構成された刺激によって励起されることになる。

つまり、

感覚器官→刺激→想起

または、

想起→刺激→想起

という事になる。

認識時の刺激の再構成においては、
刺激と自分は同時に再構成されるから認識できると考えてきたが、
刺激の認識において、刺激は認識されるが、自分を意識しない刺激も存在するのか?

いや、刺激の認識において、刺激も自分も再構成はされている。
認識の連続性の中に、刺激と自分は常に連続して存在している。
意識する際に、想起を起点とした刺激と自分の再構成が行われることで、
あえて自分の存在を認識しているという事になる。

刺激の認識において、刺激と自分は必ず再構成されている。
その連続性に意識が存在する様子を見る事が出来るからである。

認識し、意識の存在を持つ個体が、
自身を認識しているかどうかは、その個体が想起によって自分を認識しているかどうかによるが、
その想起による自分が、どれだけの情報の要素で再構成されるかは、
その個体の状態によって異なることになる。

つまり、上記の知能としては未熟な状態において、
ある刺激を認識する場合、知能においては、刺激の認識には、
刺激と自分は常に再構成されていると考えられる。
それでないと刺激の認識が行われないからである。

ただし、意識的に自分が刺激を認識しているかどうか、
その事自体を、その個体が詳しく認識しえるかどうかというのは、
その個体が「自分」についてどれだけ正確で多様な再構成を行っているかによる。
つまり、刺激を認識し、意識している事まで理解できる「自分」が再構成されているかどうかによって、
「自分」が刺激を意識できるかどうかが決まるから、という事になる。

つまり、知能の成長初期において、刺激の認識というものは、
認識は行われているが、「自分」が意識して刺激を認識したかどうかの確認はほとんどできていないだろうという事になる。

刺激を意識して認識するには、想起による「自分」の再構成が必要になり、
その「自分」が十分に刺激を認識しうる状態で再構成されている必要があるからという事になる。

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話を情報の関連に戻すと、
ある刺激の情報の要素は、
知能の初期においては先天的定義を使って刺激を構成する事になるが、
ほとんどの刺激は先天的定義では構成しきれず、
すぐに後天的定義を用いる事になる。

その知能の成長過程において、後天的定義は、
感覚器官から複数得られた情報の要素を組み合わせ、関連させることで、
1つの刺激が構成される。
そして、この時の刺激として構成された情報の要素は、
初期においては先天的定義による情報の要素の意味付けを組み合わせたものとして、
後天的定義に定義されることになる。

つまり、先天的定義としての情報の要素から、
後天的定義の情報の要素は構成される。

さらに後天的定義は、別の定義とも組み合わせる事が出来る。

つまり、後天的定義と別の先天的定義または、後天的定義と組み合わせて、
新たな後天的定義を定義する事が出来るという事になる。

この際の組み合わせがそのまま情報の要素の「関連」という事になる。

つまり、後天的定義には、割と単純な定義も存在するし、
関連した情報の要素と別の関連した情報の要素がさらに関連した複雑な定義も存在する事になる。

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ただし、1つ気に留めておく必要があるのは、
その関連の数の制限である。

情報の要素としての複雑さは、おそらくそれほど重要ではないと思われる。
複雑ではあるのだが、定義自体は、その関連の数に制限があると考えられるからである。
つまり、1つの情報の要素の定義に関連できる、別の情報の要素には制限があり、
その関連が複雑であっても定義自体は1つであるからである。

つまり、ある一定時間の間、つまり刺激の認識と次の刺激の認識の間の時間に、
関連して励起できる神経細胞の数には制限があるだろうと考えられるからである。

意識を保つには認識の連続性が必要であり、
認識の連続性を保つには、刺激の再構成を継続して行う必要がある。

何だか良く分からない刺激を認識できなかったとして、
意識がその瞬間だけ無くなるのかという事が無いため、
刺激の認識は一定時間維持されているということはこれまで考えて来た通りである。
つまり、次の刺激が現れて認識されるまで、前の刺激の認識した状態は保持されているというわけである。

そうかといって、長時間、次の刺激の認識まで時間がかかるかというと、
自分に置き換えてみてもそういったことは無く、
次から次へと認識は継続されている。
であれば、刺激は、その関連の全てを完全な状態で認識するというわけではなく、
ある関連の範囲毎に、定義を持っていると考えられるという事になる。
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関連できない情報の要素について:

感覚器官で受容される刺激の情報の要素として、
通常、認識しうる刺激というものは、必ず関連の上に成り立つことになる。
つまり、事象が存在するからその事象の刺激として認識ができるので、
実際の存在しない事象は、刺激として認識できない事になる。

つまり、現実に存在しない事象は、そもそも情報の要素の関連として存在しない事になる。
これについては、実際に存在するかしないかだけで判断できる。

しかし、
後天的定義においては、その制限が関係なくなる。
つまり、想起においては、ある事象と別の事象を無理やり関連付ける事が出来るという事である。

この辺りの内容は、想像や創造、思考なども関係する事になるが、
つまり、本来、実際に存在する世界の中に存在しない事象を、
知能内において関連付けして想起し、刺激として誕生させることができる事になる。

つまり、
感覚器官で受容できる刺激というものは、通常、個体の周囲に存在する環境において、
関連が必要である、必要であった刺激の関連のみが存在する事になる。

つまり、感覚器官で受容できる刺激は、実際に存在しうる事象が刺激となったものであり、
これは知能において、初期の定義、つまり、先天的定義として定義を持つ情報の要素とその関連という事になる。

つまり、人間が持つ感覚器官は、人間の個体の周囲の環境にある、
ある事象を刺激として認識するために持っている感覚器官であるから、
この感覚器官から受容される刺激というものは、
知能が処理するための先天的定義を持っていると考えられる。

注意としては、人間の知能が生命として必要とする刺激についてという条件は付くことになる。

つまり、雷は怖いというのは生命として本質的な先天的定義が存在するかもしれないが、
雷が静電気の放電であるという定義は先天的定義では持っていないという事である。

つまり、環境に存在して、人間が先天的定義で認識できる刺激の情報の要素の関連は持っていて、
環境に存在する事象であるが、人間が先天的定義で認識できない刺激の情報の要素の関連は持っていないという事になる。

ということは、これを後天的定義に当てはめると、
例え難解な情報の要素の関連の定義であっても、関連付けることができれば、
知能は理解、認識できるということであり、
逆に、関連付けができない事象は、理解、認識できないという事になる。

ということは、関連できない情報の要素というものは、
恐らく人間の知能に想像しえない事象としては存在するのだろうが、
基本的には、どのような情報の要素であっても関連付けはできると考えられる。


紫外線の反射光が見えるという昆虫の視覚と、
紫外線については可視光線外の為に見えない人間の視覚において、
見た風景を共有することはできない。

昆虫にはこう見えているのではないかという画像の加工で、
人間はその視覚を疑似的に認識することはできるが、
本来この視覚の刺激の定義は、人間には情報の要素では関連できない情報の要素である。

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人工知能における情報の要素の関連:

情報の要素の関連自体は、刺激の構成にも関わっており、
現時点では刺激も自分の再構成も完全に理解できていない状態であるため、
確定的な定義づけができているわけではないが、
知能が何かを刺激として受容し、認識するという事においては、
刺激を構成する情報の要素や関連が関係しているという事までは分かる。

恐らく人工知能が今よりも強い人工知能となるためには、
この情報の要素と、その関連について再現するモデルが必要になると考えられる。

バックプロバゲーションを用いる事になると考えている。

ニューラルネットワークのニューロンの1つ1つが、
この人工知能理論の刺激の定義(後天的定義)の1つという事になる。
そしてその関連がネットワークという事になるのだが、
実際にモデルを構築するのであれば、ニューロンの定義をもう1段階深くする必要がある事になる。
つまり、情報の要素とその関連である。
おそらくバックプロバゲーションのニューロンに対して立体的な情報の要素と関連を配置する事になる。
そしてその情報の要素と関連を操作する機能を持たせることになる。

つまり、ニューロンの定義を行う機能を追加する必要があるという事になる。
これは、人間の知能であれば、感覚器官による刺激の受容や、
想起による後天的定義の定義によって、
新たな情報の要素の関連となるネットワークを構築するニューロンを定義として増やす必要があるという事になる。

つまり、刺激の認識、そのものを学習とする事になる。

これは、人工知能が自発的にニューロンの数を増やせることになるわけであるから、
ニューラルネットワークのネットワークの要素であるニューロンの数が増えて知能が高機能になる事になる。

ただ、ディープラーニングのような学習を済ませた後に知能を用いる事ができなくなり、
学習しながらより高機能になっていくしかないため、
間違う事も生じる事になる。

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情報の要素と関連はまだ分からない事が多いので、
また後で考えることにして、
今日はこの辺で。


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