2024/3/12

不安と知能の活動

最近、自宅の水道から濁り水などが一時出て、
水道メーターの交換により泥の混入があったと考えられるが、
その後、水道の水圧が体感的に半分程度に減った事を経験し、
その事によって、生活への不安を覚えた。
つまり、
恐らくだが、泥がストレーナーなどに詰まったのではないかと考えられるが、
宅地内の水道の配管内に泥ではなく小石が詰まり、
このまま水圧が減って水が出なくなったらとか、
洗濯機などの機器が故障するのではないかとか、
その対処に面倒を解決する必要が生じて、
「面倒」それ自体を解決する為に、
自分の普段の生活が時間や機会として妨害されるのではないか、
という「不安」を感じたという事である。

とはいえ、
最近あまり感じる事の無い「不安」であったので、
丁度よい機会と捉えて、
「不安」について知能的な分析を行う事にした。

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知能において「不安」を認識する際、
その不安自体の事象は、まだ実際に起こっていない事象である。

つまり、現在の状況から想像などにより想起された後天的定義としての事象として、
それら不安を覚える事になる事象を認識したという事になる。

今回でいえば、今は水量が少ないが水は出ているし、
機器も故障はしていない。
水は出ているのだから、配管が完全に詰まっている状態ではない。

水道メーターの交換は8年ごとらしいのだが、
記憶では以前の2回前、16年前位になると思うが、
同様の出来事があり、
この時は水道屋さんを呼んで有料(確か8000円位)で水量の減ったキッチンとトイレの
ストレーナーを掃除してもらったと記憶している。
この時はストレーナーの存在や、水道メーターの交換で泥水が出るなどという事は知らなかった。

今回はその記憶が経験として存在するので、
今回の事象については、その関連する記憶の想起によるものであるという事になる。

ただ、実際、不安を感じる事は、
普段の生活を規則的に行っている上ではほとんど生じない。
今回、普段と異なる事象によって変化が生じ、
それによって、普段の生活にはない事象が変化として現れた事になる。

その経験、認識によって、知能が、
その変化に対する反応として、「不安」を生じることになる想起を行ったという事になる。

自身の経験として過去に同様の経験が無く、
今回の水量の低下を経験したとしたら、ネットでの検索か、
水道局への問い合わせを行うと考えられる。

そして、この場合の不安は、恐らく今回感じる不安より強い不安として感じると考えられる。

つまり、経験が無い分、様々な想起を行う事になると考えられるからである。
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ある事象に対する、実際に起こっていない事象の想起について:

今回の不安で、「不安」として考えられる原因は、
実際に起こっていない事象を想起して認識した事である。

その事象が過去に同様の経験として認識・記憶していることであっても、
実際の今回の事象の認識に対する想起として、「不安」は生じている。

この不安は、何らかの不利益を自分が被るであろう事に対して感じている事になるが、
他の認識としては、水道メーターの交換が原因であれば、
前回は問題なく行われていたので、「なぜ今回は」と少し疑問と怒りのような認識もある。

今回は「不安」を元にして考えているが、
実際に起こっていない事象の想起は、
希望や期待、想像、妄想、創造でさえ、同様の仕組みを利用している事になる。

知能活動の結果としての、ある事象に対する結果の認識において、
それぞれの結果が含む情報の要素や関連が異なるため、
その結果の認識に対して、喜ばしい希望や期待であるとか、
今回の悲観的な不安であるとか、その結果の認識における感じ方が異なるという事になる。

つまり、
もともと人間の知能には、ある事象の認識に対する反応として、
実際に起こっていない事象を想起する能力や機能を持っているという事になる。

入力される情報の要素と関連として、
喜ばしいとか、悲観的であるとか、という要素を持つが、
その事象の認識の反応としての機能は共通のものであり、
結果はその入力に応じて、喜ばしい、悲観的であるという結果となる。

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入力される事象

事象に反応する知能の機能:共通

入力された事象に対する反応
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事象に反応する知能の機能は、
各個が持っている知能毎に事象の認識される定義や、
想起によって用いる事の出来る記憶、刺激は異なるため、
入力がまったく同じであっても、
その「入力される事象」の定義の認識も、
反応として出力される「入力された事象に対する反応」も異なる事になる。

ただ、知能としての事象に反応する知能の機能は、
人間においては、個体差はあれど、大きく異なる事は無いと考えられる。

つまり、途中の加工の方法はほとんど同じであろうという事である。
つまり、嫌な事と受け取れる事象は、どの知能が受け取っても嫌な事と認識される。

ただし、入力される材料が同じであっても、
既存の手持ちの材料に個体差があるため、
加工された結果の出力が異なるという事になる。

つまり、ある共通の事象の認識において、
個体が異なれば、つまり、知能が異なれば、
その共通の事象の認識に対する、実際に起こっていない事象の想起は異なる事になる。

つまり、個体によっては深刻に受け止めるかもしれないし、
それほど気にしないという事になるかもしれないという事になる。
当然、その反応として想起される結果も、強い喜びや不安を含む事象を想起するかもしれないし、
気にならない程度の事象として想起するかもしれない事になる。

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以前、不安について考えた時に、
知能がその事象について認識した後で、
良く分からない、正確に結果を想起できないから結果として「不安」を感じると考えた。

これまでの知能の解明や、今回の分析の事を合わせて考えると、
不安の原因となるのは、実際に起こった事象そのものであり、
その結果の認識において不安を感じるのは、
不明瞭であるからではなく、不明瞭であろうがなかろうが、
結果的に実際に起こっていない事象が、自身に対しての不利益をその要素に含んでいるから、
という事になる。

この不利益は、実際の事象の認識に際して、自身がその事象を認識する事によって反応として現れる、
事象と自身の関連、つまり、この事象と自分を関連付ける事になる情報の要素が、
自分にとっての不利益の意味を含むからという事になる。

つまり、想起において、その結果と、その結果を想起する自分も再構成されることになるため、
その不利益を含む想起の結果を認識するが自分であるという事、その結果の認識において、
自身への不利益の存在が想像できたことになるため、
その結果を認識し、
さらに新たな想起として、自身に対してその事象が現実になる恐れを追加でさらに想起する事に対して、
不安に感じるという事になる。

ある事象

認識

知能:反応

自分との関連:想起

反応と自分の再構成

反応と自分の認識

知能:反応

自分との関連:想起

不安

不安の認識

不安と自分の関連の再構成

・・・

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つまり、ある事象の認識によって
知能が不安を結果として出力する場合、
この不安の結果と自分を関連して自分が認識する事によって、
不安を感じている自分が再構成されて認識するという事になる。

これは、想起においては不安だけではなく、
期待や希望、創造や想像、妄想、そういった事の全てに対して
知能は同じ機能として働かせている事になる。

異なるのは入力と結果であって、
その機能自体は共通するものであると考えられる。

まあ実際シンプルに考えても、
想起の機能が機能ごとに個別に用意されているとは考えられない。

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今回はこの辺で。


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