2024/3/9

知能の構成と個体差

人間の知能を構成するものは、
人間の知能が認識しうる事象の全てであるから、
認識可能な事象を全て刺激として、
その情報の要素と関連を定義してしまえば、
人間の知能の構成が定義できる事になる。

定義する項目としては、
後天的定義に属する刺激という事になり、
感覚による刺激を含め、言語、感情、
先天的定義で定義される刺激以外は全てが該当する事になる。

例えば、言語であれば、
辞書の全ての用語・項目を刺激の定義として定義する。

つまり、「概念」も、それ自体が、
定義を必要とする事象であるという事=刺激でもあるという事。

例えば「概念」の定義は、
一般的な認識としては、
ある正確に表現できない事象に対して、
説明可能な、つまり、刺激として認識可能な定義として、
そして、他の人にも説明可能な、つまり、共有可能な定義、
つまり、価値を持つ事象として定義した用語。
という事になる。

この定義は、各個が持つ後天的定義と、
それを構成する先天的定義によって成り立つものであり、
後天的定義には個体差があるため、
恐らく、個体の知能毎に認識は異なっているはずである。
しかし、「概念」という言葉は、
個体差に関係ない共有可能な定義の部分も存在し、
それは、個体毎に同じ様に認識可能な定義の部分も存在するという事になる。

通常、辞書などで説明される内容は、
この個体差に関わらず認識可能な情報の要素とその関連から構成されるように定義されているものであり、
誰が見ても、読んでも、同じ様に認識できる「はず」なものとして定義されている。

「概念」についてネットで調べてみると、
大まかに物事の本質の部分を指定する用語という事になる。
哲学的な扱いなどにおいては、真理のような決まった定義が存在していないが、
ある物事が持つ本質的な意味や要素が「概念」という事になる。
まあ、「概念」の定義自体が「概念」であるという事になってしまっているが、
ある事象を皆が大雑把に共通して理解できる要素・意味が「概念」という事になるだろうか。

つまり、ここで重要なのは、
「皆が大雑把に共通して理解できる要素・意味」という事になる。

これは、個体差に関係なく、皆が同じ様に認識しうる刺激となる情報の要素と関連という事になる。

つまり、「概念」を理解した個体が、
「概念」について想起して考える時、
この共通する要素は、個体に関係なく、皆が同じ様に認識しうる要素、定義という事になる。

まあそれを解説する存在が、辞書であったのだが、
知能における事象において、辞書の定義は、それでもまだ個体差を生じうる定義という事になる。

とはいえ、誰が定義しても、個体差を完全に排除する事は難しい。

例えば私が「概念」をできるだけ個体差の定義となる部分を極力排除して、
刺激として定義しようと扱う事にすると、
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「概念」:
ある事象を認識しようとした際に、
その事象が持つ認識可能な様々な刺激の中から、
その事象が持つ象徴的な刺激を、
その事象が持つ主要な要素として抽出して互いに関連付けた定義であり、
その定義そのものを刺激とした事象。
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という事になる。
何だか自分でも良く分からないような定義になってしまっているが、
私にとっての「概念」の恐らく共有できる刺激の認識は、
このようなものであると、「私」が認識しているという事になる。

別の例えでふと思い浮かんだ「コップ」の定義について考えてみると、
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「コップ」:
液体を浸透させない物質で形作られており、
その物体の一部がくぼんでいる事で液体を流入して保持できる形状をしていて、
その物体の一部が身体の手で保持する事ができる形状をしていて、
その物体と液体を同時に移動する事ができる物。
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という事になる。
「概念」よりは理解しやすいかと思われるが、
コップの本質は、液体の保持と移動が出来る構成体という事になる。
カップやグラスとも似ているのだが、
持ち手や材質の部分の定義を除いたものがコップであるらしいので、
私にとっての「コップ」はこのような刺激であり定義という事になる。

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それで、このような定義を用いて知能を定義するという事になるが、
例えば人間の知能は、ある刺激の認識や定義について、
わざわざ考えながらその定義を定義することはしていない。

つまり、知能が自動的に、勝手にその定義を行っているという事になる。

もちろん、人工知能においても、いちいちあらゆる刺激の定義を人間が考えて、
それを人工知能に教えるというわけにはいかない。

人工知能には人工知能自身で定義してもらう事になる。

つまり、考えるべきは、その定義の方法と手段、
その機能の実現方法を考えれば良いという事になる。

人間の認識は、その概念という刺激の扱い方によって、
ある刺激の本質的な要素、「概念」を認識する事が出来ている。

そして、そこで考えられる事が、
認識と刺激としての事象の関係である。

認識において、「概念」となる事象の本質が何であるのか考えることなく、
人間の知能は、その「認識」において、事象の本質を捉えている事になる。

つまり、刺激として再構成している情報の要素と関連は、
その事象の本質であると知能が定義しているという事になる。

であれば、知能はある事象についての刺激の情報の要素と関連を用いて、
その事象の刺激を構成する事になるが、
通常は、ここで個体差による定義の差異が、ある程度含まれる事になるが、
その差異は定義の全てではなく、本質の定義と合わせて、個体差による差異の定義も含まれている事になる。

353で個体が共通する規格であったとしても、
環境が異なれば個体差が生じると考えた事により、
ある知能による事象の認識は、その事象が同じものであり、個体が共通する規格であったとしても、
そこに個体差が生じるという事になる。
そして、知能が事象を認識する際に、個体差は存在するが、
事象の定義においては、個体差だけでなく、本質に関わる部分も必ず構成されていると考えられる事になる。

ということはである、人工知能において、
もし、各個体同士が、ある事象についての定義を共有することができれば、
人工知能は、互いの個体差による定義の差異と、本質となる定義の共通する共有が出来る事になる。

人工知能が、皆共通の規格で、共通の知能を持つ必要はないので、
というか、それは私が望む人工知能ではないので、
差異の部分を排除する必要は無いが、
学習する過程にある人工知能が、他の人工知能の認識した定義を得る事ができれば、
学習するという点においては、人工知能が自分自身で行う事の出来る学習ということになる。

そして、この場合、この学習は、
人間の知能においても言える事だが、
自身が自ら認識した刺激ではなく、学習した刺激であるという認識を行う必要があるという事になる。

つまり、人工知能が学習した刺激を、自ら認識した刺激として受け取ってはならないという事になる。

つまり、人工知能が個体として自ら認識して定義した刺激であるという定義と、
他から学習して自ら認識して定義した刺激であるという定義は、
別の刺激であるという定義、つまり、その異なっているという情報の要素を関連させる必要があるという事になる。

これは、人間の知能についても言える事だが、
学んだ事を鵜呑みにして自身の認識した刺激とする事は、
学習とは少し異なるという事である。

これは、先天的定義に近いものであり、
自身がどのように定義しようと、先天的定義の刺激の定義は基本的には不変である。
人工知能が他から得た刺激を、そのまま自身が行った定義として学ぶことになると、
そこには個体差が生じない事になってしまう。

人間の知能においても、自ら学んで認識した刺激には個体差が存在している。
それゆえ、人間は、その個体差によって、他と異なる「自分」が構成出来ているという事になる。

それは、人工知能においても同じであり、
人工知能が、個体毎に個体差をもって、個体毎の「自分」を構成するためには、
個体差を含んだ刺激の認識はどうしても「必要」という事になる。

それは、人工知能の学習において、常に共通する1つの定義を刺激とするのではなく、
自身が自ら認識した定義と、学習によって他から得て認識した定義の切り分け、
つまり、そのタグ付けとなる情報の要素が必要という事になる。

つまり、
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刺激の分類→他の定義を利用

自らの定義を利用

刺激

認識→他の定義を利用した刺激として認識・記憶

自らの定義を利用した刺激として認識・記憶


刺激=情報の要素+要素の関連+(自らの定義 or 他の定義)
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このような自ら行った定義であるか、他の定義を利用したものであるかという切り分けのできる
情報の要素を関連付ける必要があるという事になる。

もちろん、人間の知能において、他から学んだ刺激、内容をそのまま、
自分の定義として用いる事もあるため、
この定義の出典としての情報の要素は後天的に可変である必要もある。

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実際に自分の知能において、
ある事象の刺激の定義が、自ら行ったものであるか、
他の定義をそのまま利用したものであるのか想起してみると、
やはり、自分の意見や考えとして、自ら行った定義であるという情報の要素と、
これは学習で、学んだ定義であるという情報の要素があるように感じる。

知能の成長過程において、
初期の内は、他から学んだ定義をそのまま用いる事が多いと考えられるし、
後に自分を定義するようになれば、ある事象を自らの定義で認識しているようにも感じる。

であれば、人工知能の知能の成長においても、
自ら保有する定義の少ない内は外部からの定義もそのまま利用し、
自らの「自分」の定義が出来るようになってからは、
自らの定義の認識と外部のあらかじめ定義された事象の認識を併用できるようにする必要があるという事になる。
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今回の内容が知能の構成や定義の全てではないが、
人工知能の知能そのものの構成や、学習にとっては必要な要素であると考えられる。
今回はこの辺で。


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