2024/3/2

概念の認識

351で考えた事。

・概念の定義が後天的定義である事。
・概念は想起によって再構成される事。
・自分の定義は概念である事。
・概念によって本来存在しない予想や想像等の事象を再構成できるようになるという事。
・知能の活動は概念によって成り立つのではないかという事。

現時点では私自身では、
概念はかなり漠然とした事象として認識している。

環境に存在する事象のある2つの状態の変化に対して認識しようとした際に、
その状態の変位差を刺激として定義して認識しようとするものが「概念」であるという事になるが、
「概念」自体が、後天的定義を用いて再構成されている事を考えると、
その構成要素となる後天的定義自体が「概念」であるという事になると、
「概念」で「概念」を定義、再構成する事になる。

それ自体は、先天的定義を用いて後天的な刺激を定義する事と、
その素体が異なるというだけで大きな違いは無いのだが、
後天的定義が、明確な定義によって決まった事象ではない事から、
その後天的定義を用いた定義も、明確な定義によって確定するものではないという事になる。

となると、
「概念」自体はもとより漠然とした定義であり、
その「概念」を用いる時点によって、その定義が異なる可能性がある。
つまり、「概念」を再構成する時点において、
何が想起によって再構成に用いられるかによって、
「概念」自体の定義も異なるということになってしまう。

351で「そろそろ」について考えたが、
「そろそろ」という概念は、視覚でも嗅覚、聴覚、味覚、触覚においても、
それぞれの感覚における「そろそろ」というのが存在しうると考えた。

つまり、距離でそろそろなのか、塩味の味付けでそろそろなのか、
時間でそろそろなのか、「そろそろ」自体の定義が異なる事になる。

概念の本質の部分の「そろそろ」は、
何かの状態がもう少しでどうにかなる、変化するとか到達するという意味では共通であるので、
その部分を抽出すれば、感覚による定義の違いも取り除くことができると考えられる。

であれば、
「概念」には、その本質となる定義も存在しうるという事になる。

「概念」を用いる際には、感覚の関連を用いて、ある事象の変化を認識するということになるので、
その感覚の部分を取り除けば、「概念」の本質の部分が取り出せることになる。

つまり、感覚の部分が先天的定義の定義の関連であるなら、
その「概念」の本質の部分は、後天的定義の本質の部分、
つまり、「概念」の定義そのものという事になる。

先天的定義は、感覚における刺激の構成要素、情報の要素として、
単独で認識できないと考えてきたが、
おそらく、「概念」の本質部分の後天的定義は、
単独で認識できない定義によって構成されていると考えられる。

つまり、まさに「概念」そのものというわけである。

恐らく知能が「概念」を認識する為には、
上記に示したように、いずれかの感覚の情報の要素を関連させ、
ある事象を想起によって再構成した姿、つまり刺激として認識する必要があるはずであり、
「概念」そのものを単独で認識できないから、そうしていると考えられる。

であれば、例えば「そろそろ」の概念としての本質的な、
後天的定義は何であるのか考えると、
「ある事象の確定的な状態に向かって、その事象が変化していく様子。」
という事になるだろうか。

何かが一杯になるのでも良いし、何かが無くなりそうというのでも良い、
事象の何かが、ある確定的な状態、いっぱいとか無くなるとか、
その事象の状態を認識する際の変化の様子が「そろそろ」という定義で構成されるという事になる。

つまり、変化の過程を再構成しながら認識している様子を、
知能は「そろそろ」と認識しながら、意識する、という事になる。

------------------------------------------------------
そう考えると、後天的定義自体が「概念」である、
という考えもできる。

つまり、想起で用いられる後天的定義は「概念」であるという考え方である。

事象を表すための情報の要素とその関連が刺激であり、
その刺激の関連自体は後天的に生じて定義されるものであり、
その認識は、その刺激の再構成、つまり、想起によって生じる事になる。

刺激の要素の関連自体は、環境にある事象の変化が元になっていて、
その関連の構成自体は、その事象が持つ固有の情報の要素がある。
そして、その事象の情報の要素を知能が認識する際、その場合に、
その定義を自身、知能が認識しうる情報の要素の関連で定義して、
再構成する事で認識が可能となるため、
その環境にある事象の変化の様子、その本質部分を、
知能が認識する為には、知能内において、情報の要素を割り当て、

(つまり、手持ちの情報の要素で解読するというか、
適用するというか、割り当てるというか、充当するというか、
認識可能な情報の要素で代替するという感じ。
最適な情報の要素が無くても、似たような要素を割り当てる事で、
認識可能な状態、刺激の関連を作り出す事になる。
つまり、本質を正確に認識できていないが、認識可能な状態もあり得るという事になる。)

関連を作ることで、その事象の変化の本質部分を、
後天的定義として作り出し、それを想起によって、
1つに再構成して刺激として認識するという事になる。

------------------------------------------------------
概念の認識とは:

概念自体が正確な定義ができるものではないが、
概念自体を認識するという事については、
個体の周囲の環境にある事象が存在し、
その事象が変化する様子について個体の知能が認識しようとした場合に、
この概念の認識が行われることになる。

概念の認識においては、
知能が持ちうる情報の要素で、
この概念における事象の変化の様子を、
この情報の要素の関連で、代替、割り当てによって、
構成しようとすること、その構成された情報の関連を、
想起によって刺激として再構成する事で認識するという事になる。

恐らくこの説明だけであると、
再構成する為の情報の要素の関連に、
何が用いられるとか、どのようにして代替の情報の要素が用いられるかなどが不明なままである。

このような情報の要素の関連は、
突然できるようになるというものではなくて、
基礎から積み上げていくようなものである。

例えば、「そろそろ」をいきなり理解して認識できるようになるという事は無く、
何かが一杯になりそうな様子を見るとか、
何かが無くなりそうになる様子を見るとか、
そういった事象の変化を見て、経験し、
その変化自体を情報の要素として記憶して想起、認識できるようになり、
その上で、ある様子の表現として「そろそろ」を認識する事で、
構成する要素と、その様子の表現が関連することで、
知能が、想起や、認識に用いる事が出来るようになると考えられる。

つまり、後天的定義を後天的定義を用いて定義できるようになる事として、
概念の定義と認識が出来るようになるという事になる。

------------------------------------------------------
人工知能における概念の認識:

感覚のような確定的な刺激の定義については、
後天的定義による定義に比べれば、
人工知能であっても、人間の知能であっても理解しやすいものであると思われるが、
概念を認識する為には、想起や刺激の再構成が必要になるため、
まずは人工知能が想起できるようになる必要はある。

もちろん、想起や刺激の再構成ができるようになれば、
自分を概念として構成することもできるようになるので、
まずは先にその部分を考えた方が良いだろう、という事にはなる。

ただ、概念などの後天的定義による定義が出来る事は、
知能としての予想や想像の部分を司る機能の基礎的部分であると考えられるし、
自分を概念として作り上げるなどの働きは、
それぞれ別の機能というよりは、
機能的に重なる部分が多いと考えられる。

現時点では、人工知能においては、
もう少し刺激の扱いであるとか、認識や意識の部分を先に定義してから、
より抽象的な後天的定義の部分を考えるようにするべきだろうか。

プログラム的に考えると、
概念や後天的定義による定義は高級言語による定義のようなイメージだろうか。
高級言語の命令自体の定義が、概念などに相当するというわけである。
実際の動作においては、低級言語の定義が用いられるというイメージである。
------------------------------------------------------
後天的定義の定義自体は、まだ考え始めたばかりであるので、
概念を含め、また後で考えてみようと思う。

今日はこの辺で。


TOPに戻る