2024/1/30~
2024/2/2

価値としての情報の要素・その2・刺激量という定義

346で価値の情報の要素について考えたが、
少し失念していた要素があった事に後で気づく。

それは、負の価値である。

私の中ではまだ、「価値がある=良い物」という概念・定義が強いらしく、
昨日の時点では、すっかり忘れていた。

346では思考を経由して考える事で、
その思考の結果として最良の選択に対して価値があると考えた。
また、333では価値には、
先天的定義と後天的定義毎に、
不足と充足の価値があると考えた。

選択に際して、最良の選択肢を選ぶという事は当然なのだが、
認識や思考においては、選ばれる対象が悪い状況の刺激が選ばれる事もある。
つまり、悪い事態を想定するような認識が行われる場合もある。

そして、価値の性質について考えた時に、
ある事象が価値を持つというのは、容易に考えられるが、
その価値が、どのような価値であるのかについては、
普段あまり考えることは無い。

通常、「価値がある=良い価値・高い価値を持つ」と考えてしまっているので、
それ以上、価値について考える事は無いが、
実際、ある事象の価値を分類してみると、
認識や思考の対象の刺激としての事象が持つ情報の要素として価値を考えると、
上記の、先天的定義と後天的定義の不足と充足の価値、
そして、自身にとっての良い価値と、自身にとっての悪い価値という要素を持っている事が分かる。

つまり、
「価値」それ自体は、ある事象が持つ、その刺激の情報塊としてのまとまりに対して、
その情報塊が1つの事象の情報を持つためのマーカーのような意味を持つ。

つまり、
ある事象が1つの刺激として扱われるために持つ情報の要素の1つとして、
「価値」が存在するという事になる。

これは、ある事象の名前や、意味付け、などの、
情報塊に対して、名札をつけるような意味合いで、価値のタグが付くイメージである。

つまり、その刺激が、その刺激を扱う知能にとって、
価値を持ちますという意味合いで、価値を持つという情報が付加されるという事になる。

これは、知能においては実際、神経細胞の関連の接続の強度として表されるモノで、
実際に価値があるという情報の要素が、名札の様につくわけではないが、
その神経細胞の関連の接続の存在自体が、知能において価値の意味を持つという事になる。

また、それが価値であるという情報の要素以外には、
その関連の接続の強度がそのまま、価値の大きさとして用いられ、
昨日忘れていた、価値の正負の意味付けは、
その事象の刺激の関連する情報の要素として、
先天的定義で持つ情報の要素の意味付けとして、
知能を持つ生物としての個体が、その刺激に対して良い印象を持つか、悪い印象を持つかの
定義として、価値の正負の情報の要素が関連する事になる。

この価値の定義は、人間の知能においては定量的に独自に取り出す・取り出せる要素ではないが、
人工知能においては、刺激に対する定量的な定義は不可欠となる。

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つまり、まとめると、

刺激=情報塊

情報塊=情報の要素+情報の要素+情報の要素+・・・

情報塊=刺激の分類可能な情報の要素(情報の接続・関連)+刺激の強さ(物理的接続・関連)

刺激の強さ=刺激の神経細胞の関連する接続の強度(物理的状態)(=刺激の価値)

刺激の分類可能な情報の要素=情報の要素(←関連→)情報の要素(←関連→)情報の要素・・・

刺激の分類可能な情報の要素=刺激の識別情報+刺激の意味付けの情報要素

刺激の分類可能な情報の要素=刺激の識別情報+刺激の構成情報(情報の要素+情報の要素+・・・)

識別情報=先天的定義(正負の価値)+後天的定義(名称)+(先天的定義・後天的定義として他にも存在するはず)

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認識可能な状態の刺激が存在した場合、
その刺激の事象には、
刺激の識別情報と、
刺激の情報としての構成要素と、
物理的な刺激の励起に関わる接続の関連の強度としての刺激の価値が、
含まれているという事になる。

つまり、
------------------------------------------------------
刺激=量の情報+意味の情報
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という事になる。

この内、刺激の識別情報の1つとして価値の定義が存在し、
その価値には、上記では正負としたが、
実際には良い意味としての価値と、悪い意味としての価値の定義が同時に含まれている。

つまり、それぞれの情報の要素に、価値としての意味が含まれているが、
その刺激としての情報塊を構成する場合に、関連して参照される強度によって、
その価値の意味付けが異なるという事になる。

つまり、
例えば、青い空が、美しい、良い、と感じる価値が存在する一方で、
青い色に着色された食べ物という場合には、
同じ青でも、状態が悪い、不味そう、と感じる価値が存在するという事である。

つまり、「青」自体は色という情報として価値を持っていて、
その色という価値の定義は存在するが、
その「青」が何に関連するかによって、その情報塊の刺激の価値の意味や強度が異なるという事である。

またその一方で、青い空についての価値についても、
美しいから、良いから、良い印象というだけの価値しか持たないかというと、
そうではなく、
青い空にも良い意味付けの価値と、悪い意味付けの価値の両方を持っている事になる。

それは、その青い空に関連する刺激として、どのような刺激が関連して励起されるかによって異なる。
それは、その刺激を認識する個体の状態が、その認識の時点でどのような状態、状況であるかによっても異なる。

例えば、心地よいさわやかな日に見上げる青空と、灼熱の砂漠で一人取り残された時に見上げる青空は、
それぞれの状況でどのように感じるだろうか?

つまり、
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刺激=価値の定義+量の定義+刺激の意味の定義
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という事になる。

つまり、価値は、その知能を持つ個体が、その価値を認識する事象に対して、
刺激として認識しようとする場合、その刺激に関連する、他の要因、
他の刺激、他の情報塊、他の情報の要素によって、価値の定義が変化するという事になる。

以前の例として、好きな人に肩を叩かれる場合と、嫌いな人に肩を叩かれる場合を挙げた事があったが、
叩かれた肩への衝撃が、
好きな人からもたらされて、その衝撃に関連する事と、
嫌いな人からもたらされて、その衝撃に関連する事は、
その刺激が認識された時に、価値としてどのような価値を感じるかという事になる。

もちろん、好きな人から叩かれても、嫌だとは思わない、嫌だとは認識しないはずである。
そして、嫌いな人から叩かれれば、その衝撃が弱いものであったとしても嫌な印象、嫌だと認識するはずである。
しかし、叩かれた衝撃自体は、そのもたらした対象に関わらず、
もし、この衝撃がものすごい痛いものであれば、
そのもたらした対象が、好きでも嫌いでも、痛い、嫌だと認識するはずである。
そして、嫌いな人から叩かれた場合であっても、何かについて謝られて、少し触れられた程度であれば、
そこまで悪い印象で認識されないかもしれない。

それは、刺激の価値が、単に1つの情報塊に1つだけ持つ情報の要素ではなく、
その情報塊に関連する状況や状態によって、変化する可能性があるという事になる。

それは、認識の際に価値が決定するが、
その価値を決定するには、単に1つの刺激の認識で価値が決まるのではなく、
認識される刺激の情報塊のさらに関連する自身の状況や状態の情報塊によっても変化するという事になる。

つまり、情報塊に含まれる各刺激のそれぞれの価値が、
その情報塊となった時に、1つの刺激として認識される時に、
その総和として扱われる事になるのではないかというわけである。

知能において、刺激の要素1つ1つに対して総和を求め、
その結果について情報塊を刺激として認識する際に、
その刺激の価値として認識する。
というような面倒な事は、おそらく自然界においては行っていない。
恐らくもっとシンプルな方法で価値を構成しているはずである。

つまり、
刺激の認識の際に、関連する要素は自動的に励起されるが、
その関連する励起において、先天的定義として自身の個体にとって、
良い刺激であるか、悪い刺激であるかの定義が存在しており、
その定義によって価値の良し悪しが意味づけられていると考えられる。

それは、人間自身の感覚として感じられる事でそれが言えると考えられる。

つまり、ある刺激を認識した際に、
嫌な感じがするとか、心地よい感じがするといった認識である。

過去に特に経験した事もない刺激に対して、
そのような感じがするという事は、
その刺激の情報の要素の構成において、既に価値の定義は存在しているという事になる。
それは刺激としての単なる存在の価値ではなく、
その個体にとっての刺激が与える情報の要素としての価値である。

つまり、関連する価値の定義とその量に対する総和が、
刺激の要素の強さとして用いられる。
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刺激=Σ(価値の定義)+Σ(価値の量)+Σ(刺激の意味の定義)
------------------------------------------------------
という事になる。

実際、本当に良いか悪いかは後の認識によって変化する場合もあるが、
刺激の認識だけで、その価値の印象を受けるという事は、
そこには必ず価値の定義が存在しているという事になる。

という事は、価値の定義は後天的であるというよりも、
先天的に何らかの定義が存在していて、
その定義が刺激の認識の際に関連しているという事になる。

つまり、価値の定義は先天的定義として保有しているという事になる。

生命の誕生から、
刺激自体について考えれば、
刺激は当然、その個体が必要とする情報の変化であるために、
刺激として受容するようになったという背景はあるが、
では、その刺激が、その個体にとってどのような意味を持つのか、
ということは、それこそ「価値」そのものの意味である。

ということは、生命にとっての刺激は、
まず必ず価値が存在するという事になる。
それがどのような刺激であったとしてもである。

刺激として存在すること自体が生命にとって価値がある証拠ということになる。

私が価値に対する定義をはき違えていたのは、
後天的定義による価値の定義の存在ということになる。

価値=良い物である

という定義は、「価値」の言葉としての定義ではあるのだが、
本来の価値の定義は、先天的定義として存在する刺激の意味としての定義という事になる。

これを、後天的な主観、客観による価値の定義として、
上記の価値の量の定義を行っていたために、
純粋な刺激の意味の定義による価値ではなく、
自身の個体差が影響して、刺激の価値の総和が決められていたために、
認識される刺激を価値という意味、良い物という意味で評価し、
思考の結果に影響していたという事になる。

つまり、人間が言うような価値は、
不変の自然法則の定義から生じる状態の変化を、
先天的定義として扱い、
知能が刺激に変換する際に、
後天的定義として定義する価値の定義として用いる、という事になる。

人間の感覚器官の認識における価値の定義は、
この時点で個体差が影響し、個体間において一定ではありえない。

ただ、生命が持つ感覚器官として、
その刺激が成り立つには、
その情報の変化を、個体差に影響されない要素として考えた場合にのみ、
価値の定義として用いる事が出来る。

それは、例えば視覚において、人間の可視光範囲、
各色の定義、そういった要素は、個体差にほとんど影響されないため、
刺激の定義として用いても良い事になる。

つまり、人間の知能の存在の有無に関わらない、
自然法則が持つ定義の意味としての価値と、
生命の知能が、各個で持つ知能と個体差に関わらない要素の上に成り立つ価値が、
知能が扱う事の出来る価値という事になる。

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刺激量という定義:

上記の事から、
今回考えた定義として「刺激量」というものを考えた。

つまり、上記における
刺激量=価値の量
となる定義である。

「価値」という言葉を使うと、
良い物という要素が常に関連してくるため、
他の言葉で表す必要があると考え、
神経細胞の関連度合いを表す言葉で適当な言葉を考えていた時に思いついた。

一応、自分の考察の中における定義であるので、
後でもっと良い表現があれば変更して構わない。

つまり、刺激量は、
ある刺激における情報の要素の変位差の大きさを表すもので、
刺激の意味の良い悪いには関係のない量という事になる。

認識の際は、この刺激量の大小を比べる事で、
認識される刺激が選択されることになり、
刺激量は、そのまま神経細胞の関連の強度の和としても表せる事になる。

また、刺激量は刺激の強さの総量でもあり、
個別の刺激の要素毎に個別の刺激量を持つ事になる。

つまり、
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刺激=情報塊である要素の関連全体+刺激量の総量+刺激の意味付け
刺激=Σ(個別の刺激である関連)+Σ(個別の刺激量)+Σ(個別の刺激の意味付け)
刺激=物理的神経細胞ネットワーク+刺激量+刺激の意味
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という事になる。

つまり、刺激は、
情報塊であるための情報の各要素の関連、その全体であり、
刺激の大きさとして、各個の刺激の要素の関連によって生じる励起の強さの総和であり、
情報塊が持つ、先天的定義と後天的定義によって意味付けされる情報の総和であり、
その3つの要素を合わせたものが「刺激」
という事になる。

例えば、上記の例の美しい青い空と青く着色された食品については、
美しい青い空は、
情報塊の定義としては、空や青、美しさ等がそれぞれ刺激の要素となる。
空は空間であったり、自身や地球、などの相対的な存在としての要素を持つが、
とりあえず、その要素のそれぞれに価値の定義を持ち、刺激量を持ち、
刺激の意味としては、認識されるのは、刺激全体として美しい青い空、
ということになり、この対象は、好ましい価値を持つ、
認識されるだけの大きさの刺激を持つ、美しく青い空という意味を持つという事になる。

一方で、青く着色された食品は、
青く、食べ物であり、美味しそうではない、等の情報の要素を持ち、
それぞれ、青や食べ物や不味そうという情報の要素の定義と、意味を持ち、
認識においては、認識で選択されるだけの大きさの刺激量を持っている、という事になる。

つまり、どちらも、認識において選択されるだけの刺激の強さを持っているが、
その刺激量は、その意味合いや、価値の定義そのものとは関係のない量として存在している、
という事になる。

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価値の定義は刺激を構成する要素の1つであり、
現時点でも刺激の理解はまだ完全であるとは思えない。
認識においても思考においても重要な要素であるので、修正や変更があれば都度更新していく。

今回はこの辺で。


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