2024/1/1・3・4・21

思考の仕組み

思考が本能と同じ様に、
ある刺激に対する、最良の反応を生じさせる機能であり、
その刺激が想起による刺激である場合に用いられるものであると考えた。

つまり、

刺激→本能→刺激に対する対応
刺激→思考→刺激に対する対応

という事である。

刺激自体は、
感覚器官による受容であっても、想起を元にしたものであっても、

刺激の受容:
感覚器官→神経細胞→関連する励起→刺激の認識

想起:
(励起)→神経細胞→関連する励起→刺激の認識

となるため、認識対象となる刺激としては、どちらも同じ刺激である。

認識においては感覚器官による受容された刺激であっても、
刺激による関連した励起による刺激、つまり想起であっても、
一度想起を経由する事になる。
これは認識が刺激の再構成を必要とするためという事になる。

そして、
・・・→励起→刺激→励起→刺激→・・・
という認識の連続、つまり意識の中で、

・・・

励起

刺激→本能または思考→刺激に対する対応

励起

刺激→本能または思考→刺激に対する対応

・・・

本能または思考によって、
刺激に対する対応を生じさせることになる。

つまり、刺激の種類によって、
本能または思考により、
刺激に対する対応を決めるという事になる。

そして、特に本能で対応を決められない刺激に対して、
対応を決める機能が、
「思考」であるという事になる。
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刺激から刺激に対する対応を決める手順:

刺激には対応を必要としない刺激もあると考えた。
この場合は思考は必要とされないので、
思考を必要とする場合の刺激について考える。

刺激に対する対応を必要とする刺激は、
その対応として目的が作られるものであり、
333で考えた不足と充足の価値の定義を持つ刺激という事になる。

つまり、価値の定義を持つ刺激に対する対応、
欲求を感じる刺激であり、
目的を生じさせる刺激という事になる。

つまり、刺激から欲求や目的の関係を表すと、
以下の様になる。

個体毎に異なる刺激の認識

欲求--------↓ ↓------------------
↓←選択←思考→価値評価(→選択肢を想起→試行(想起)→想起された価値↑)
目的のプール

目的の決定←最も高い価値の目的

認識

意識

現実への反映


個体毎に異なる刺激の認識:
個体にとっての何らか事象や変化を刺激として情報を認識して得る。

欲求:
その刺激が何らかの不足・充足の対象として判断されれば、
それが欲求のきっかけとなる。
欲求それ自体は、
認識された「価値の定義を持つ刺激」そのものである。

価値評価・思考・選択:
欲求の認識自体は価値評価され、
以降の行動のきっかけとして思考の対象、候補の1つとなる。

つまり、「価値の定義を持つ刺激」を認識してから、
その刺激に対する対応を決めるまでの処理が「思考」という事になる。

目的のプール:
ある瞬間に実行されるかどうかは別にして、
様々な目的がプールされる。
この時点では刺激に対する思考は一度完了しており、
その刺激に対する対応として目的が生じている事になる。

目的の決定:
ある瞬間に優先して選択される目的が決まる。

認識・意識・現実への反映:
ここで最も価値の高い対象となった場合は認識され、意識される。

その後は、目的としての行動によって、
新たな状態の変化が起こり、
その変化に対する刺激に対して、
再び処理を行う事になる。
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個体毎に異なる刺激の認識

欲求
↓←選択←思考→※1:価値評価
目的のプール

目的の決定

認識

意識

現実への反映


※1:価値評価

選択肢を想起←--------←

試行(想起):刺激の再構成

想起された刺激の価値----→↑

価値評価:
欲求の価値評価の内容においては333を参照。

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個体毎に異なる刺激の認識

知能における活動の、
あらゆる起点が、この刺激の再構成と認識であると考えられる。

個体の感覚器官によってどのような刺激となるか、
その刺激の再構成はどのようになるかは、
個体毎に多少の違いが生じる。

そして刺激の認識によって、
その個体は周囲の環境か、または、自身の個体の変化を、
刺激として情報を得る事になる。

この刺激という変化情報によって、
その個体は何らかの反応を示すことになる。

この反応は、刺激毎に異なる事になる。

特に優先される刺激は、333で考えた価値の定義において、
その刺激が持つ要素としての価値として、

先天的定義としての不足の価値と充足の価値、
後天的定義としての不足の価値と充足の価値、

これらを持つ刺激が優先される事になる。
また、特に、不足の価値は充足の価値よりも優先度が高くなる。
さらに、先天的定義の価値は、後天的定義の価値よりも優先度が高くなりやすい。

高くなりやすいというのは、
他に関連する要素としての刺激の価値が加味される場合は異なるという事であるが、
基本的な順位としては、

上位:↑
先天的定義の不足の価値
先天的定義の充足の価値
後天的定義の不足の価値
後天的定義の充足の価値
下位:↓

となる。

これらの刺激の認識(刺激の受容→刺激の想起(刺激の再構成))と、
その瞬間における個体の状態・状況による、
その個体は刺激に対する認識によって、
関連する想起が行われる事になる。

この想起は、今回認識された刺激に対して関連している刺激の想起であり、
今回認識された刺激への反応として認識される事になる想起された刺激という事になる。

今回の刺激の認識+=関連する刺激の想起

個体の次に行われる反応

という事になる。
この「個体の次に行われる反応」というものは、
先の最初に認識した刺激に対する個体の認識、
簡単に言えば、刺激に対する感じ方、という事になる。

反応ではあるが、実際の反応による行動ではなく、
「どのような感じがしたか」という事になる。

つまり、個体が知能を用いて、刺激をどのように感じたか、という事であり、
この事自体が「認識」という事になる。

そして、その刺激の認識によって、
次に個体がどのような反応をするのか決める事が思考になるのだが、
この時点では、刺激の感じ方に対して、
次に、どのような反応をするべきかという事が関連して想起される事になる。

つまり、これが刺激の認識に対しての反応として、
欲求や目的が生じるきっかけとなる。

例えば、ある瞬間に空腹を刺激として認識すれば、
その個体は空腹を感じることになり、
その空腹であるという状態は、
元は単に状態変化としての空腹状態だけであるのだが、
それが刺激として再構成された際には、
まるで内臓で何かが不足して足りないというような感覚も合わせて認識する事になる。
この感覚は関連して想起された刺激として再構成されたものなのだが、
一般にはそれを空腹の刺激として認識する事になるが、
本来の空腹の刺激自体は、それよりも先に認識されたはずの刺激として存在していた事になる。

そして、この刺激の認識によって、
食物を欲する事を関連して想起、認識する事になるが、
これは、先天的定義の不足の価値と、充足の価値を双方想起する刺激を認識する事になる。
つまり、現状を認識する為の不足の価値を持つ刺激と、
反応を起こすために必要となる充足の価値を持つ刺激を想起して認識する事になる。

つまり、現状の状態として空腹を認識し、
その対応として充足の為の反応を想起し、それを認識する事になる。

一応書いておくが、それらは関連してはいるが別々の刺激である。

つまり、空腹だけを認識する事もできるし、
何かを食べて充足したという事を認識する事もできるという事である。
実際には生体的には充足の為には不足している状態も必要であるが、
想起としては充足した状態だけを想起する事も理屈的には出来る事になる。

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これは目的を作り出すためのきっかけとなる。
何らかの刺激を受けて、それに対する個体の知能的な反応が、
欲求となり、目的に変化する事になる。
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2024/1/21

上記の刺激、不足の刺激と充足の刺激を認識する事により、
特に充足の刺激に関連する刺激には目的としての実際の行動や反応を行うための刺激が関連している。

つまり、
空腹である、充足する必要がある、価値があるという関連する刺激の認識によって、
その状況、状態において最良の、最も良い反応を目的として決める事が知能によって行われる。
それが「思考」という事になるが、
この「思考」される対象として、充足の刺激に関連している刺激が用いられるという事になる。

つまり、「思考」によって、その充足に関連している刺激の記憶から、
その状況、状態において最も良い対応としての行動などを想起する事になる。
その事が「思考」として認識される機能という事になる。

だから、思考して何かを決めるという事が限りなくあり得ないと考えた、
自由意志の制限などとして、この思考において、結果となる対応となる、目的などが、
選択される機能は、思考として意識的に行う機能としてではなく、
過去の経験における、記憶された過去の同様の状況、状態の対応として、
過去に用いられた目的や、その行動、その結果の記憶に対して、
現状の状態、状況がどのようであるか、つまり、以前との違いや、同じ条件や状態、状況、
それらの差異において、今回選択するべく決定する最良の対応、目的、行動を、
決める事、それが「思考」になる、という事である。

簡単にまとめると、
今回の例で、空腹を感じた、何か食べて充足したい、
という欲求、価値を認識し、
過去の経験と、今の状況から、最良の対応、行動、目的を決める事が、
「思考」である。
という事である。

そして、そこから純粋な「思考」以外の要素として取り除かれるのは、
空腹を感じるという本能、先天的定義。
充足を感じるという本能、先天的定義。
欲求、価値の定義、
過去の経験。
であり、
これにより、残った要素は、

刺激の存在、
刺激と価値の関連、
刺激の認識、
関連する刺激との関連自体
価値判定

という事になる。

つまり、その要素によって思考を組み立てると、
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刺激とその定義によって、
刺激が認識された場合、
その刺激に関連した最も高い価値の関連した刺激を想起する事。
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という事になる。

これが「思考」という事になる。

つまり、
思考していると感じている状況、状態は、
現状と過去の類似した状況、状態における選択と結果を用いて、
現状に対して、その対応としての最良の対応を想起する事という事になる。

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言葉は悪いが「馬鹿の一つ覚え」というものがあるが、
これは過去の経験において何か1つ良い結果が得られた反応を自身が記憶し、
それを次の同じような状況、状態においても暗黙的に用いる事であるが、
これは知能として、どのような知能が持つ機能としても、当然当てはまる事になる。

恐らく、私自身知らない間に「馬鹿の一つ覚え」の何かを行っているはずである。
それは、単に同じような状況、状態において、決まった反応をする事で、
いつも、常に良い結果を生じていた、生じてきたという結果を認識し、記憶し、
異なる結果が生じていない、経験、記憶していないような事象について言える事になる。
そして、次に似たような状況、状態に私が置かれた場合、
私は思考したつもりでも、同じ対応を選択するということでもある。

しかし、それは「思考」でないという事にはならない。
思考の仕組みから考えると、「馬鹿の一つ覚え」も立派な思考の1つであるという事になる。

まあ、それを言えばエピジェネティクス的な考えを用いれば修正の余地はあるが、
本能は、ほぼ完全な馬鹿の一つ覚えという事になる。

もし、私にとっての一つ覚えの状況において、
価値の異なる、つまり、過去の経験よりも価値の高い結果を経験する事になれば、
恐らく私はその状況における思考の選択肢を経験、記憶、得る事になる。
それは、次に同じ状況に際した時に、
私は「思考」によって、過去に経験した2つの結果について、
想起する価値を比較する状況に置かれることになる。
そして、その時私は、「思考」してどちらかの対象を選択する必要が生じる事になる。

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知能は思考しているようで
実際にはそれほど深い意味のイメージとしての思考はしていないという事になる。

思考において、
むしろ重要なのは、
その状況や状態における関連する記憶を多く持っている事という事になる。

つまり、ある状況、状態において、
最も良い対応が出来るためには、多くの選択肢を持ち、
その選択肢に対して正確な価値評価が出来ている事という事になる。

後は、自動的に思考として関連する想起が行われ、
最良の対応が想起されるのを待つだけという事になる。

ただし、それは逆に選択肢が多い程、
選択に困難が生じるということでもある。

つまり、選択肢が少ない方が、互いの価値評価などに時間が掛かることなく、
早く対応を決定できるため、
不必要な選択肢であれば、むしろ選択肢は少ない方が良いことになる。

2024/1/22

その差は特に本能などにおいて、
ある刺激に対して決まった対応を行うという際に発揮される事になり、
素早く最良の対応が出来るという事になる。

つまり、
思考においても、選択肢の中から、
素早く対応を選択するか、
多くの対応の中から、じっくり価値を比較して選択するか、
その加減、程度が存在するという事になる。

それについてはまた後程。

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浅慮、熟考は、言葉の意味としては良い悪いがあるが、
思考においては、どちらが良くて、どちらが悪いという事は無い。
どちらも良い点、悪い点があり、
即断即決でもあり、軽慮浅謀でもあり、
優柔不断でもあり、深謀遠慮でもあるという事になる。

人工知能においては、人間の知能より早く、深い思考ができる事になるだろうが、
あくまでもバランスのとり方によって、思考はその機能が変化する事になる。

今回はこの辺で。


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