2024/1/5

思考を始めるに至った経緯

生命の誕生から考えて、
刺激を情報の受容に用いるようになってから、
思考を始めるに至るまでの経緯を考えてみると、
単に環境や自身の変化についての情報を得ることだけを目的にしてきた刺激について、
想起する事によって刺激と共に自身の存在を確立することになったというのは、
これまで考えてきた通りである。

この場合、思考が何の役に立っているのか考えてみると、
何らかの刺激を受けて認識した際に、
その刺激に対する最も良い、これは自身にとって最も良いという事であるが、
価値のある反応を選択する事、その選択の際に用いるのが思考という事になる。

これは私が最もシンプルに考えた時に最良であると考えた答えでもあり、
恐らくその自身の思考について考えたとしても、
その答えは最も良い、価値の高い答えを出す事を、
最もシンプルであり最良とするはずである。

そして、結果的に上記の通り、
想起をする事と、自身にとっての選択を行うような生命の形を得たために、
思考する事と、自身を認識する事の両方の機能を得た事になるわけだが、
人間という種として思考を獲得したというよりも、
そのきっかけは想起にあるように考えられる。

つまり、
脳自体は人間以外の生命でも持っているし、
自身を認識しているらしい生命も人間以外ににも存在する。
人間と同等の思考をしている生命は無いが、
思考自体を行っている生命の知能は存在する。
つまり、人間の知能が特別というわけではなく、
単に程度の差という事だけになるのではないかという事になる。

つまり、
脳は、その程度の差こそあれ、刺激に対して最良の反応を行うために、
その生命にとっての必要十分な思考能力、選択能力を有していれば良いという事になる。
これが魚類であっても、両生類であっても、昆虫類、爬虫類、鳥類、
人間以外の哺乳類であっても、
その生命としての個体を維持し、存続するだけの知能を持ち合わせれば良いという事である。

人間の知能が特異的であるのは、
単に変化を受容し、それに最適の対応を思考して選択するだけでなく、
本来存在しないはずの刺激に対しての思考や選択を行うようになったという事である。
------------------------------------------------------
つまり、
「想起をきっかけとした刺激に対して思考を始めるようになったという事」
である。

つまり、
本能などの先天的定義による刺激は、知能において思考と同様の機能によって、
最良の反応が選択されている。
これを後天的定義としての刺激について、知能があえて現在人間が認識している「思考」としての機能として、
最良の反応を選択していると認識しているのではないかというわけである。
------------------------------------------------------
先天的定義については想起の対象にはならない。
つまり、本能として備わっている定義は、
直接的な想起の対象にはならない。
後天的定義を定義するのは先天的定義であるので、
実際には先天的定義の定義、意味付けも想起されるのだが、
先天的定義による刺激は、本能として自動的に反応が決まっているので、
知能で操作できる対象にない。

想起されるのは、あくまで後天的定義としての刺激である。

後天的定義という意味であれば、他の生命であっても、
誕生後に獲得する新たな定義は後天的定義なのであるが、
人間以外の生命において見られるのは、
基本的に自身の周囲の環境から得た後天的定義だけである。
これが人間においてという事になると、
本来周囲の環境にも存在しなかった定義を後天的定義として作り出すようになったという、
違いが生じることになる。
人類に近い類人猿においては、多少これに似た選択や行動を取るような種も存在するが、
圧倒的に人間もつような定義に比べると単純で、要素の少ない定義となる。

では、この想起をきっかけとした思考によって、
どのような機能が生じ得るのか考えてみると、
まず2つ、自身の存在の認識ができる事と、
過去の経験を思い出すことが出来る事が思い浮かぶ。
つまり、想起によって自身が再構成されるという事と、
過去の成功や失敗についての想起ができる事、という事である。

脳は、程度の差こそあれ、と上記にもあるが、
刺激に対する最良の対応を選択する機能ということであれば、
周囲から得た刺激以外、つまり、想起を元にした刺激に対しても、
最良の対応を選択する機能として働くことになるのではないかという事が考えられる。

つまり、
想起をきっかけとした思考を始めるようになったのではなく、
想起による刺激に、元から存在する思考の機能が対応したという事である。

元々、環境からの刺激についても刺激の再構成を行うという事は、
想起を用いていると考えてきたが、
であれば、人間であっても、他の種であっても、知能が存在すれば、
その知能が認識する刺激は、想起を用いているという考えになる。
人間以外の種が単独でまったく想起を用いないということはなく、
例えば犬や猫が共に生活をする同種、周囲の存在の顔や存在を覚えるというのは、
後天的定義でもあり、それらを想起して認識できるということでもある。
それは、関連する想起としてきっかけは周囲の刺激を必要とする事になるが、
それは人間の想起も同様である。
ただ、人間の想起の利用が少し異なるのは、
周囲の刺激を必要としないように感じる想起を行っているという事である。

実際は周囲の刺激がきっかけになっているというのは、
これまで目的や欲求のきっかけとして考えてきた事であり、
実際は人間であっても周囲から得る刺激を元にして想起を行っているが、
それを自らの想起を元にして思考を行っている様に感じるのは、
そこに自分の存在の想起が関連している事が関係しているからという事になる。

つまり、想起を行っている存在としての自身の存在が、
明確な存在として自身で認識しているという事である。

つまり、想起にしろ、知能で行っている活動について、
自身が知り得る、知っている事になった為に、
あたかも自身が想起したり思考したりしていると認識するようになったというわけである。

338で、
自由意志が非常に限られた対象にしか働かないのではと考えたが、
思考の最も根源的な機能は、刺激に対する最良の選択を決める事である。
それは、別に知能における思考が、自身の意思、意志、意識的な何かで決まっている、
決めているという事ではなく、
生命における知能が、知能の働きによって、
刺激に対する最良の選択が決定されたことに対し、
その選択を行った存在としての自身の存在が、
その選択された結果に対して、共に存在するという刺激が存在する事が、
自分の存在と、思考を結び付けているだけなのではないかというわけである。
だから、人間においては思考自体が、自身が行っているように感じられ、
自身の知能を自ら用いて思考していると感じる、認識しているのだが、
別に人間以外の知能ある種も、その種に応じた思考を行っていると言えるという事になる。
ただ、人間のように、自らが考えている、思考しているとは気づいていないが、という注意は付属する事になる。

------------------------------------------------------
この事は、夢を見るかどうか、
という事にも関係していると考えられる。
つまり、夢が想起がきっかけであり、
想起の継続によって夢になるという事である。
------------------------------------------------------

そして、あくまで今のこれまで考えてきた考察における私の感覚でという事になるが、
人間がその思考を得られたのは、その生活、活動における時間的余裕のためではないかと考えている。

つまり、生命の危機に脅(おびや)かされない時間の存在である。
つまり、覚醒中の活動時間に、そういった時間が多く取れるということは、
周囲の変化、周囲から得る刺激以外について認識する余裕があるという事になる。
知能自体が、意識を保つために、常に刺激の存在、刺激の認識が必要であるということは、
以前考えた通りであり、であれば、周囲の自身の生命や存続に関わる刺激が少ないのであれば、
別の刺激で補完する必要が生じるということになる。
それは、想起による刺激で、意識を保つという事である。

それは単に何か思い出を想起として思い出すという事だけではなく、
自身における目的や欲求についても想起する事になるのではないか、
つまり、今の瞬間行うべき事だけでなく、過去や、未定の未来についても、
想起できるきっかけとなるのではないかというわけである。

恐らく安全な巣やねぐらを持つ生命は人間以外にもいるが、
そのほとんどは先天的定義として定義された価値による巣であったりねぐらである。
人間も先天的定義の名残りで休息についての様々な本能を持っているが、
人間ほど住処について安心を感じて休んだり寝たりする生命は存在しないだろう。

------------------------------------------------------
今回のまとめとしては、
生命が知能をもって最良の反応を選択しようとする事は、
先天的定義においては本能として考えられ、
後天的定義においては思考として考えられるという事である。

現在は本能は思考ではないという人間の認識ではあるが、
実際はどちらも刺激に対する最良の反応を選択する機能であり、
その根本にある機能は同じではないかという事になる。

つまり、素地として、思考できる機能は存在していて、
思考を始めるに至った経緯としては、
後天的定義を持つ、持てるようになり、
意識の存在における刺激の認識の必要性により、
想起が行われるようになったため、なのではないかという事になる。

今日はこの辺で。


TOPに戻る