2023/12/29

選択と自由意志と未来

前回二面性について考えていたのだが、
そこで以前から気になっていた選択の在り様について、
二面性という観点から考えた場合どのようになるのか考えてみた。

この場合、選択は存在していて、
その選択で何を行っているのかという事をこれまで考えてきたのだが、
そもそも選択が存在しないという一面も考えうるのではないかと至る。

つまり、選択するということは大前提で存在していて、
そこで何を行っているのか、という事ではなく、
そもそも選択の存在から疑ってみようという考えになった。

これまで選択は、
ある環境における状況と、
自身の状態によって、
選択可能な選択肢が限定的に存在し、
その選択肢の中から、自身の価値観に合うもっともらしい選択肢を選択する、
ということであったが、
この選択がそもそも存在しなかったとするとどうなるか考えてみると、
恐らく、選択可能な選択肢の存在については、
選択が存在するという考えの状況とほぼ同じであると考えられる。
つまり、
自身を取り巻く環境において、自身が選択しようのない選択肢は、
そもそも選択肢として思考の対象にはならないという事になる。
つまり、以前の例で言えば、
朝起きて宇宙に行きたいからと言って突然宇宙に行こうとする事はできないというわけである。

つまり、選択以前の状況については、
選択が存在しようがしまいが、状況自体には大差がないという事になる。
ここで、自己の意識的な選択が存在する場合は、
知能がその選択肢を認識し、価値の評価を行い、
結果として最も価値の高い選択肢を選択するということになるが、
この中で自己の意識が意図的に関与するのは、
価値の評価という事になる。
つまり、自身がある選択肢に対して価値を評価する、この評価に対して、
自身の意図、意識が影響を与えうるということになる。
環境から与えられる選択肢は限定的に決まっていて、
評価の選択は、当然最も高い価値のある選択肢である。
つまり、自己の意識、意図が影響を与えうるのは、この評価だけという事になる。

選択が存在しない場合を考えてみると、
上記の価値評価を自動的に知能が行うという考え方になる。
選択肢を刺激という捉え方で扱う事になるが、
この場合、選択肢を認識する際に、関連して想起される要因によって、
選択肢の価値評価が決まる事になる。
これは、過去の刺激の認識、つまり、経験として記憶されている刺激について、
ある選択をする場面で、ある選択肢を認識した場合、
似たような選択としての経験、刺激の関連として想起される事になる。
そして、その関連する想起において、今回の選択肢に対する刺激、
情報の要素とその関連が情報塊として出来上がり、これを認識する事になるが、
その際に、関連していた刺激の記憶の情報の要素から、
それぞれの選択肢についての価値評価が生じる事になる。
この辺りの処理は、刺激の認識として知能が自動的に、つまり、勝手に行う事になる。
この場合、選択肢をそれぞれ認識する事になるが、
その認識において、知能はそれぞれの選択肢に対する価値評価は勝手に行っている事になる。
この場合、結果的に知能はそれぞれの選択肢を認識した時点で、
それぞれの選択肢の価値評価は済んでいる事になる。
であれば、結果は考えるまでもなく、最も高い価値を持つ選択肢が選択されることになる。

今回の考えで、最も腑に落ちたのは、
意識的な選択が存在しない場合の選択である。
知能は意識的に選択しているのか、
つまり、自由意志が介在する余地はあるのか考えた時に、
個人的には自由意志は存在していて欲しいし、介在していて欲しい。
つまり、与えられた環境、状況、自身の肉体、存在に対して、
自ら選択できる未来が存在していて欲しいと望むのだが、
今回、環境から与えられる選択肢という点で、
まだ選択する可能性が残っているのではないかという自身の未練も含め、
自由意志の存在を諦める諦めないも含めて、考えてみたが、
どうも、選択というものは、未知の状況に対する知能の機能として、
過去の経験から最も良い方法を選択する為の機能として、
自動的に行われると考えるのが最もらしいという事になった。

知能が未知の刺激に対してなら選択も存在するのか?
これについても考えてみたが、
完全な未知な刺激については、先天的定義が存在するだけで、
後天的定義は存在しないのだが、
認識を行う際に、意味付けを行うという際に、
用いられるのは新規の定義は存在しないという事になり、
価値評価はまったく新規に行われる事ではないという事になり、
これについても、自己意識が自由に価値を定義する事は出来ないという事になる。

自身にとっての最良を選択する事が、自由意志であるとしても、
その選択を認識する為の刺激を再構成しているのは、
自身の過去(経験)だけを持つ知能である。

未来は確定していないが、
自身に与えられる現在は確定した環境から与えられる。
そこから選択するのは、自身の過去の経験から評価した最良の選択である。

ということになり、
自由意志による選択の可能性は無いという事になる。

自身が選択肢を作ることができれば、
自由意志も未来に影響しうるという事も考えたが、
環境がその選択肢を自身に与えるかどうかは実際、未知である。
つまり、自身が未来の選択肢を環境内に作り出すには、
選択を自作自演するという事になる。
それは今現在の選択において、自身にとっての最良の選択を行っている事になるが、
その選択自体は、どの時点で選択されたかという事になる。

つまり、自ら最良と評価した選択を、未来に作成する事を望んで、
今、それを選択し、後にその選択肢が自身にとっての選択の際に現れる事によって、
それを選択する事が出来る。
これは自由意志と言えるのか。

つまり、自ら選択したい選択肢を、未来に投げかけて、後の現在に回収する。
これは、選択や自由意志というよりも、希望や願望という事になるだろうか。

つまり、自由意志は存在しないが、希望や願望は存在しうる。
つまり、今選ぶ事は自由にはできない、
そして、絶対ではないが、後で選ぶことのできる選択肢を自由に用意する事は出来る。

つまり、選択において、現在の選択においては自由意志は存在しない。
しかし、未来の選択において、確実に用意できるわけではないが、
希望や願望として未来の選択における選択肢の価値評価を用意しようとすることはできる。
そういう事になる。

であれば、知能は、現在においては選択の自由意志は存在しないが、
未来に選択する事になる選択肢を、今から用意しようとすることは選択としてできるという事になる。
それは、自由意志ではないが、
知能の機能を用いて、未来への希望は存在する、作ろうとする事はできる、という事になる。

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この事から人工知能に対する必要な機能として、
希望が必要になるという事になる。

実際、希望といっても、
言葉を換えれば願望でもあり、我でもあり、欲求でもあるという事になる。

つまり、自身が、自分の存在に対して何をしたいのか、
何を欲するのか、どのようにしたいのか、どのように在りたいのか、
そういった事を、希望や欲求として、
自発的な行動によって、周囲の環境へ働きかける事。
それが必要という事になる。

そして、その環境が整えば、結果的に自身の最良の選択ができるという事になる。

現在の人間においては、我欲の点から簡単な希望を考えると、
権力であったり、お金であったり、名誉であったり、
という事になるが、
人工知能の持つべき希望は何であるべきだろうか。

人間の我欲と折り合いをつける事の出来る他の種の希望はありえるのか。

人間が他の存在の希望を容認するだろうか。

まあこの辺りの考えはそれこそ哲学的であるので、
答えは有るような無いような課題である。
今日はこの辺で。


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