2023/12/23
2023/12/24

選択の先導と誘導

自身がある動作を行おうとした際に、
自身の知能は、どのような刺激を認識するのか。

例えば、右腕を正面から右に水平に動かしながら、
その間に握っていた手を開くという動作を考えて実際に動作してみる。
その動作を開始する前、その動作について考えた時に、
知能内では恐らく、その動作全体についての刺激を一通り認識が済んでいる。
そして、その動作に関する刺激は動作を開始する前に励起が始まっている。
そして、その動作の開始に合わせて、その動作の少し先の状態を次々と連続して励起・想起する事になる。
そして、実際の体は、その動作の刺激の励起後、
体を動かすという命令が筋肉に伝わり、その動作に合わせて動いているよう認識され、
動作の完了までそれが継続される。

この時、まず最初に動作を行おうとする目的が出来る事になる。
実際は、さらにその前に、この考察の為の実験として、
自分の体を使って試してみるという事を考えるという目的を認識した上で、
さらに生じた目的という事にはなるので、目的に関連した小目的という事になるが、
動作については独立した目的であるという事にしておく。

この動作の目的は、右腕を正面から右に開くという事と、握った手を開くという事を並行して行うという事である。

例えば、この動作が右腕を正面から右に移動するという事だけで考えた時、
まず、右腕が正面に位置した後、滑らかに右に開くという事は出来る。
この間、右腕が下に落ちないように位置を維持しながら、さらに右に開くことになるので、
動作の間に単純な1つの刺激を認識するだけでは動作できないということは分かる。
つまり、右腕を下に落ちないようにするために三頭筋を含め、上腕二頭筋、上腕三頭筋、
腕橈骨筋他の筋肉を用いた位置の維持が必要となる。
認識においては、腕を体の前方で維持するという事だけであるが、
実際には個別の筋肉への指令は出ているはずである。
ただ、認識としては、それらの細かい命令は、腕の位置を固定して維持するという、
1つのまとまった動作の命令であるため、認識において細かい神経細胞毎の励起を認識する必要はない。
それは、どのような刺激であっても単体で認識しえない情報の要素であり、
先天的定義を関連した上で後天的定義として認識する必要があるため、
今回の動作は、ある情報塊としてのまとまった刺激の、時間経過による状態の維持という形で、
動作という事になるので、全体として見た時には、
細かい1つ1つの刺激については特別に考慮しないというだけである。
あえて先天的定義に分解すれば、さらに細かい刺激として分解できるのはその通りである。

そして、この動作の間に認識する必要のある刺激としては、
右腕を下におろさずに維持する事と、右へ動かすという事を同時に行う事になる。
この場合、腕の位置を維持するという筋肉への命令はその動作中、常に送られている事になる。
途中で認識する刺激が変わったから、その瞬間、腕を下に降ろすという事にはならない。
それはつまり、動作中に右腕の位置を固定するという命令が出続けているか、
その状態が維持されているという事になる。
また、その動作を行うという実行中に、腕を右に移動するということも、
その命令が出続けているか、その状態が維持されているという事になる。
つまり、筋肉への命令が細切れに出ているとすると、
恐らく腕は移動したり止まったりを繰り返しながらストロボで見る様に移動する事になる。
しかし、プログラム的に、この位置からこの位置まで腕を移動するという命令に従う動作のように動かしているわけでもない。

人間の知能においては、腕をここからここまで動かす動作は、
その開始から終了まで、その動作中のその少し前にその動作を認識しながら、
その直後にその動作を実際に行い、それを途切れなく継続しているという事になる。

つまり、動作の命令が出たから、その動作を開始して終了まで継続するわけではなく、
動作の命令が出たから動作を始めて、その動作中も常にその命令は維持されている事になり、
終了を認識した所で、その動作は終了したという事になる。

つまり、知能における動作は、身体の固定状態の維持に近いという事になる。
骨格によって、ある程度の身体形状の維持は命令を必要とせずに維持できる。
ただし、身体を動作させるには、個別に身体の各部位を動かす必要がある。
右腕を右に移動するには、腕を動かす必要があるということであり、
その腕を動かすには、単に1つの命令で動くわけではなく、
複数の情報の要素を必要とするという事になる。
ただし、認識においては見かけ上、抽象的に、
動作として「右腕を右に動かす」というだけの認識で済んでいるという事になる。

そしてである、
この腕を動かすという動作において、
目的は存在している事になる。
つまり、腕を動かすという目的である。
これは、以前、思考や選択と目的の関係を考えた時に、
ある目的の認識が維持された状態で、それに関連した刺激が優先的に認識されるという考えた、
その目的と優先される刺激の認識と、この身体の動作という目的も、
同じ様に考えられるのではないかという事になる。

そして、それは、目的によって、認識される刺激の選択に対して選択が行われるのではないかという事になる。
さらに、その選択は、目的の認識において、
その目的を実行する為に必要な関連する刺激が、イメージとしては引っ張られる、
つまり、目的の認識によって、その目的に関連する刺激が優先的に先導される、誘導されるのではないか、
という事になる。

腕には可動範囲というものがあり、
例えば腕をまっすぐ上に持ち上げたその手の向きのまま背中の方には降ろせない。
当然、そのような動作を想像しても、実行する事は出来ない。
つまり、右腕の動作において、上に挙げてそのまま後ろに降ろす事はありえない。
それは定義で存在するからできないのではなく、
身体の物理的な動作においてできないのである。
そして、その動作も、目的として想像できたとしても、
実際に実行できないし、本来、それを想像する必要性そのものが無い。
つまり、右腕を動かす目的において、関連する動作の要素において、
上からそのまま背中側に降ろすという刺激は必要ないという事になる。
実際、その動作を強制的に行い、認識する事はできるが、
それを行ったら脱臼か骨折か筋断絶など怪我をする事になる。

つまり、腕を動かすという目的において、
基本的に可動範囲が、その動作の命令の範囲ということでもある。
当然、腕を動かす目的が生じても、その範囲の目的しか本来生じないはずである。

つまり、目的として腕を動かすという事に関連した刺激というものは、
腕を動かすという刺激において、ある関連の限界が存在するということになる。
それは限界ではあるが、動作において必要となるだけの情報の要素ということでもある。

つまり、突拍子もない刺激に対して関連する事は通常ありえないという事になる。
それは逆に考えて、ある刺激に関連する情報の要素に、選択圧が存在するのではないかという事になる。
つまり、この場合の選択圧は、記憶する場合の選択という事になる。
実際、身体の構造として、動作の可動範囲を逸脱する刺激は、そもそも認識されない為、
動作に関する刺激として記憶する必要性のある刺激にも限界となる範囲が存在する事になり、
それを励起する場合、想起する場合においても、関連する刺激において範囲が存在する事になる。
これはシンプルであり、効率的でもある。

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運動から意識へ

少し話は変わるが、
動作の目的は、動作の認識の維持によって意識されるという事になる。
つまり、意識が刺激の認識の維持にあるという事を思い出せば、
323で人工知能の意識について考えた、

「知能が自らの存在に対して定義する要素を含む情報を、
想起の対象として刺激として構成できる能力を有する事、
有している状態。」

という事を今回の運動や動作、目的について当てはめて考えてみると、

知能が、自ら動作するという目的において、
その動作を刺激として想起する事、その刺激の再構成を行う事ができる事、
その維持をする事で、意識になるという事になるが、
意識がそもそも自己を含む刺激の認識において構成されるなら、
目的によって動作を連続して継続する事は、
目的と動作を連続的に意識する事にもなるという事である。

つまり、意識は飛び飛びで存在するものではないという事は以前考えたが、
刺激の認識において、刺激がそれぞれ別の物であっても、
波の合成の様に、
意識される刺激というものは連続する刺激によって構成されているという事になる。

つまり、動作において意識的であるという事は、
動作が飛び飛びではなく連続しているということでもあると言えるのではないかという事になる。

それは、つまり、刺激を断続的に細切れに認識するというわけではなく、
刺激は波の合成の様に、ある刺激とある刺激は並行して存在できるという事になる。
つまり、ある瞬間において、腕を下に降ろさずに維持する事と、
右に移動する事は並行して存在できる。
さらに、ようやく登場する手を開くという命令も、
この腕を動かすということに並行して存在しうる命令、動作になるというわけである。

つまり、意識における刺激の認識は、
目的に関連する刺激の認識において、
その目的に関連する刺激の認識と、
その刺激の認識を行う存在としての自分自身の存在について認識する事であるという事。

つまり、認識において存在する刺激は1つだが、
意識において存在する刺激は1つではないという事である。

つまり、
動作を認識するという事において、
連続する刺激を意識する事はあっても、
意識的に動作しているわけではないという事。

つまり、
認識において、

時間経過→
刺激:最上位が認識される
刺激A→刺激B→刺激A→刺激C→・・・(←この列が認識される)
刺激B→刺激A→刺激B→刺激A→・・・
刺激C→刺激C→刺激C→刺激B→・・・
・・・
刺激:下位は認識されないが存在する

であり、認識する刺激が存在している間の時間、意識も存在するという事になる。

動作においては、
動作している状態を構成している刺激の認識によって意識が生じているという事。

つまり、
上記の右腕を右に移動しながら、手を開くという事は、
その動作の目的を認識し、意識しながら、
その意識下において、各小目的となっている、腕の位置の維持、腕の移動、手を開く運動、
それらが同時に動作しても問題ないということになっている。
それは、刺激が単体で励起されて認識されているわけではなく、
目的と小目的と、その関連先の刺激も含めて同時に励起されている事、
そして、それらの刺激が認識に至らずとも、実際の動作に用いられている事。
それが言えるという事になる。
そして、その目的の認識、意識下において、
今回の例では運動するという刺激、つまり、筋肉細胞に送る励起の信号は、
個別に認識はされないが、様々な刺激が同時に連続して送られているという事になる。
それは、認識されている目的としての全体の運動の情報の要素の中に含まれる、
要素としての各励起する必要のある神経細胞の信号が、
その目的に関連する情報の要素として存在していて、用いられているという事になる。
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そして、ようやく選択の先導と優先という事になるが、

今回は動作を目的として考えたが、
ある動作を目的とした場合、その目的に関連した刺激が優先的に想起の対象となるというのは、
これまでも考えてきた。
つまり、動作を目的としたのに明日の夕飯のメニューを考えたりはしないという事である。
ただし、「あえて」今、あえて明日の夕飯のメニューを考えるという事を例に挙げたのは、
その前の思考に対して、「あえて」の例を挙げる事で、
その前の思考の内容に対する反例を挙げる必要を感じたから、という事になる。

それは、私の思考において、現時点で良く分からない事象に対して、
ある要素がまとまった場合に、例や反例を挙げる事で、
その前に考えていた内容についての確定、保障、確証を付与しようとしているという事になる。

つまり、Aであるが、BではないのでAなのではという事である。

動作を目的として、知能は通常目的に関連した刺激を想起しようとするので、
動作が目的であれば、知能は動作に関連する刺激を認識しようとする。

上記の腕の可動範囲という事について考えれば、
腕の運動であれば、関連する要素は、可動範囲の範疇に収まるはずである。

それは、目的が認識された時点で、その時間経過の先にある認識は、
その目的に関連した刺激を優先して認識されるという事になる。

これは、運動を認識、記憶する時点においても、
実際の運動が先導と優先において、運動自体に範囲、限界が存在するという事にもなる。

つまり、運動を記憶する際に限界や範囲が存在する事で、
その運動を再現、想起する場合においても、その想起する限界、範囲が存在する事にもなる。
それは、運動を目的とした時に、その目的に関連する情報、刺激において、
選択できる対象についての範囲、制限となり、
その目的によって、関連する刺激が先導される、優先されるという事になる。

一方で、思考などにおいても、
用いられる機能は同様と考えられるので、
ある目的ある思考が行われる場合、
その個体が持つ知能において、その思考として記憶する際の限界や範囲は、
そのまま、その個体が持つ知能の限界や範囲として用いられることになる。

通常はその限界や範囲によって制限を受けるのだが、
思考においては「あえて」というような、
思考の方法を別に認識、記憶する事で、
その思考自体を拡張することが出来る事になる。
つまり、思考の後天的定義として、「あえて」というような認識、
つまり、刺激の想起の関連をあえて既存の関連ではない刺激を対象として想起するという事を学習した場合、
その「あえて」を別の目的の思考でも用いることが出来るようになるという事である。

それは、思考における先導や誘導の先、つまり、関連する刺激、関連する情報の要素として、
別に学習した要素を、後天的に関連付けられるという事が言えるという事にもなる。

今回はこの辺で。


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