2023/12/19
記憶のまとまり
寝る前に物語のような場面を想像してみた。
この場合の想起は、言葉などが無くとも、
その場面を構成できるだけの情報が想起できた。
例えば、誰かに手を引かれて歩く、
というような場面を想像した場合、
言葉は無くとも想起が出来た。
そこで考えたのだが、
想起はHub記憶のような関連を持つのはその通りだが、
思考や想像として、何らかの1つのまとまり、
つまり、一連のまとまりを記憶としているのではないかという事である。
つまり、少なくとも、
記憶としての情報には、
ある程度の要素のまとまりが必要という事。
それは、これまでの情報塊という事なのだが、
それは、思考においても想像においても、
1つの一連の動作や、一連の思考といったような、
1つのまとまり毎に、想起したり、記憶したりしているのではないかという事。
それはつまり、記憶として構成する時にもこれが言えて、
つまり、関連の始まりと終わりの定義を必要とするのではないかという事。
つまり、Hub記憶で用いたような想起のきっかけとなる定義や、
句読点の「。」のような、
一連の思考に区切りをつけるような定義が必要であり、
かつ、それらが存在するのではないかという事。
つまり、
情報は、
プロモーターとターミネーターのような、
開始と終了を定義するものがあり、
その間の関連で刺激が構成されているのではないかという事になる。
「開始」
↓
記憶A
↓
関連B
↓
記憶B→関連C→記憶C→「終端」
↓
関連D
↓
記憶D
↓
「終端」
つまり、記憶ABCと記憶ABDが存在する。
ここでは記憶BがHub記憶の働きをした事になる。
刺激は記憶ABCD内でそれぞれ異なった構成をしている。
今回はこの辺で。
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