2023/12/9
2023/12/10
目的と認識とその選択の優先
私は、なぜ今これをしているのか?
そこにはその目的があり、
私の知能は今その目的を達する事を優先して働いている。
330で自我意識における目的の必要性について考えたが、
では今、自分がその目的を優先する事には、
自分にとっての何か意味があるという事になる。
つまり、自分にとって意味がある、価値があるから、
今その目的について考え、行動している事になる。
そして、その事は、自分としての意思がそこに存在する事、
自我の関わりが存在するという事でもある。
つまり、自分が意識的に目的の行動をしているということは、
そこには自分の存在があり、
その自分がそれを必要としているという事になる。
自我の認識において、
目的の必要性は、
刺激に対する想起される刺激の関連として目的が必要になるという事であり、
その想起の認識おいて、自分の存在が同時に発現するという事であった。
つまり、
刺激
↓
想起→刺激の認識+自分の存在の認識
↓↑←関連
目的
刺激の励起によって、その時点で認識されていた目的との関連として、
目的と関連した刺激の想起が行われ、
その想起された刺激は、最初の刺激をきっかけとして、
目的に関連した新たな想起された刺激として生じる事になる。
この新たな想起された刺激は、再び目的に関連しているため、
それ自体としての刺激と、目的の再認識という形で、
想起をきっかけとした次の想起のきっかけの元になる。
つまり、
刺激の認識
↓目的:これは時間軸的に少し前の時間に認識済み
↓↓
↓↓
目的と関連した刺激による想起
↓
目的と関連した想起された刺激の認識
↓←意識として感じる
自分が認識する目的と目的に関連した想起が意識される
↓
自分が目的に対して考えた・適応したと感じる
↓
自分の存在と目的に対する適応した答えの存在を感じる
ちなみに、最初の刺激を認識する前に、
自分の目的は、時間軸で刺激の受容前に先に一度認識しておく必要はある。
つまり、~しなければならないと一度考え、認識した後に、
新たに刺激を受ける必要があるということである。
要約すると、
最初に頭の中に目的が存在していて、
それを自分は認識している。
つまり、~しようとか、~したい、~しなければ、
と思っている。
その目的について認識、意識している時点で、
目的に関連した何らかの刺激を受けた場合、
感覚器官からの受容の場合は、
この場合は、その刺激は、意識されている目的と関連した刺激として、
想起、認識が行われるという事になる。
当然、目的に関係ない刺激であった場合は、
プログラム的な割り込み処理の様な事になる。
この場合は目的との価値比較によって処理される刺激が異なる事になる。
また、
目的を意識している状態で、
想起から生じた刺激を認識する場合も、
こちらも目的に関連している刺激の場合は、
目的と関連した刺激として想起、認識が行われ、
目的とは別の事を想起した場合、
つまり、目的と関連の無い刺激を想起した場合は、
その価値比較によって、目的との関連の想起か、
別目的に関連した想起か、優先された方の想起が行われることになる。
そして、結果的に想起された刺激の認識をした事を、
自分の存在と共に、自分が行った知的活動として、
自分が選択、思考した事と認識、意識されることになる。
つまり、知能内で目的が維持されていて、
その目的に関連した刺激を受けた場合、
その刺激が目的に関連している場合、
その刺激は単なる刺激単体ではなく、
目的と関連した刺激として認識されることになる。
また、この目的との関連した認識により、
つまり、目的自体も再励起されることになり、
目的の維持状態が更新されることになる。
目的について考えている間、
ずっと目的が存在し続けられるのは、
目的に関連した刺激を認識する度、認識している間、
その目的自体も認識し続けているからという事になる。
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目的の維持と刺激の選択:
上記の刺激による励起と、想起によって、
目的はその関連する刺激の認識によって維持されるという事になる。
しかし、
延々と目的と目的に関連した想起が繰り返されるようになってしまう事も考えられる。
人間の知能では実際にはそれは起こらないが、
人工知能にある課題では、フレーム問題がそれに近い事象になる。
フレーム問題は刺激の受容能力と処理能力の差で生じるもので少々意味合いは異なるが、
知能においても人工知能においても関連する励起によって、
際限なく想起が再帰的に起こるという心配はある。
これについては、生体の知能においては、
時間経過によるレベルの低下と、
別の刺激の認識による抑え込みが生じると考えられる。
人間の神経細胞の励起においては、励起により発火した場合、
Na+K-の電位差が回復するまで割と短時間だが一定時間の回復期に入ることになり、
この間は、この神経細胞は関連する神経細胞への発火を行う事が出来なくなる。
つまり、一度励起した後は、同じ励起まで時間を空ける必要がある。
また、
急に強い刺激を認識した際に、
以前の事をスパッと忘れてしまうというような事が生じるのは、
ある事象によって、自身の状態や目的に変化が生じる事があるという事になる。
つまり、繰り返しの想起<->目的を行っていたとしても、
感覚器官から別の刺激を受容した場合、
その刺激によって、プログラム的には割り込みの様な機能になるが、
そういった刺激の割り込みによって、別の知能活動を行う事ができる仕組みになっているというわけである。
つまり、
人間の知能では、延々と同じ事を考えようとしても、
ある程度の期間はできるかもしれないが、
仕組み的に延々とそれが出来ない、起こらないようになっているという事になる。
基本的に想起による意識、自我意識の存在は、
自然界における生命の存続や維持には直接関係がない。
本能としての先天的定義ではないし、
実際の自然界において生じる刺激の方が通常優先される刺激である事がほとんどである。
つまり、目の前から大岩がこちらに転がって来るのに、
宇宙の果てについて考えていても自分にとって良いことは無い。
考えていても、お腹がすいたり、トイレに行きたくなったら、
それを優先するはずである。
しかし、
別の目的が生じて、認識し、それを優先したとしても、
その前に認識していた目的が突然失われるという事はない。
何かを食べたり、トイレに行った後は、
再び以前の目的を思い出して、その目的を達する行動を取る事が出来る。
つまり、
時間的に最近認識した目的、
実際は目的だけに関わらないが、
最近認識した刺激は、一定期間、他の刺激に対してより再認識されやすい、
つまり、再励起されやすい状態になっているという事になる。
最近認識した刺激の全てが、それぞれに関連を持っているということではないが、
知能が最も高い価値のある目的として、
最も強い刺激の目的を最優先として思考や行動の対象として認識・意識する事で、
それが目的として掲げられている期間、その期間中に認識される刺激は、
その目的に関連した刺激として認識されるという事になる。
それは、偶発的に目的に関連するというよりも、
あらかじめ目的により関連の強い刺激が価値比較において優先されるという事になる。
つまり、
刺激A
↓
想起A
↓
目的X
↓
関連する想起1
刺激A
↓
想起A
↓
目的Y
↓
関連する想起2
目的Xと目的Yが異なるなら、
関連する想起1と関連する想起2は異なる。
という事になる。
実際は、刺激Aは同じであるが、
刺激Aと目的Xを同時に想起によって認識する事と、
刺激Aと目的Yを同時に想起によって認識する事の違いという事になる。
つまり、
勉強をしている時にお腹がすくことと、
遊んでいる時にお腹がすくことによって感じる認識・意識は違うという事になる。
また、
集中している時にお腹がすいても気づかないが、
暇な時にお腹がすいた時は、それによく気が付くものである。
つまり、
人間の知能においては、
ある目的に集中して、それに関連する刺激を優先して認識し続ける、
また同時に、目的を再帰的に認識して維持し続ける事が出来るが、
別の刺激によって、目的に関連する刺激の認識、その維持に中断が生じる事がある。
その中断が出来るという事でもある。
そして中断後もまた、再び、例えば同じ場所に戻ってくるとか、
特定の時間になるとか、先の目的に強く関連した刺激を受ける事で、
目的を再開できるという仕組みになっている。
つまり、
知能内において、後天的定義としての複数の目的が存在し、
現在、主になっている、つまり、現在の目的として認識が維持、意識されている目的があり、
基本的にはそれに関連した刺激の認識が行われるが、
割り込み的な刺激の受容や想起も可能であるという事になる。
知能
↓
現在の目的:目的A
後天的定義:多数を保有
目的A
目的B
目的C
・・・
刺激の受容または想起
↓←目的Aに関連あり
現在の目的:目的A
↓
(主目的Aの維持状態)
↓
刺激の受容または想起
↓←目的Aに関連なし・目的Bに関連あり
別目的の想起:目的B
↓
目的の変更:目的B
↓
目的Bと刺激の関連した処理
↓
現在の目的:目的B
↓
(主目的Bの維持状態)
ここで考えられるのが、
ある目的が維持されている間、
刺激は目的に関連する刺激が優先的に選択されているのかという事になる。
これは、想起による刺激については多くが関連していると考えられ、
感覚器官からの受容による刺激については、刺激によって異なるという事になる。
つまり、
感覚器官からの刺激
↓
目的←想起による刺激
の2系統があり、
感覚器官からの刺激→目的と関連無し
↓
目的と関連あり
想起による刺激→目的と関連無し
↓
目的と関連あり
の4つが存在する事になるが、
基本的に目的の認識、意識が維持されている状態であれば、
感覚器官からの受容であっても、
想起による刺激であっても、
まず目的との関連として認識されると考えられる。
しかし、
この刺激が別の目的と強い関連を持っている場合、
その別の目的が主目的に置き換わる場合もあるという事になる。
つまり、現在主目的として維持されている目的に対して認識される刺激によって、
選択的に認識される刺激、つまり、刺激と関連する目的の刺激が変わる場合があるという事になる。
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ただ、これまでの経験において、
ある目的について意識している状態において、
認識しようとする刺激の優先度は、
刺激の発出:
想起をきっかけとする刺激>感覚器官から受容する刺激
想起対象:
目的に関連する想起をきっかけとする刺激>目的に関連しない想起をきっかけとする刺激
この場合は、知能が何かについて思考するなどの状態を表している事になる。
そしてその傾向は、目的を強く意識すればするほど、
つまり、目的に集中している状態であればあるほど差が大きくなる。
という事が考えられる。
また、特に目的意識が無い場合の優先度は、
刺激の発出:
感覚器官から受容する刺激>想起をきっかけとする刺激
想起対象:
目的に関連する想起をきっかけとする刺激>目的に関連しない想起をきっかけとする刺激
となる事が言える。
この場合は、人間を含む知的生命における本能的な知的反応であり、
目的が認識されればそれを優先するが、
基本的に想起する事はほとんどなく、つまり、自分を意識することはなく、
周囲のとっさの変化に適応する事に特化している知能の状態という事になる。
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つまり、
人間の知能の様に、後天的な目的を維持できる知能においては、
刺激は目的の存在によって、想起による目的に関連する刺激が優先されて、
つまり選択的に想起する刺激を認識することが出来るようになっている。
つまり、
目的を維持できる知能においては、
全てではないし、認識の機能における結果的な状態であるが、
刺激も目的に関連した刺激が選択的に認識できているという事になる。
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20231/12/10
目的は意識的な存在である。
これは今日考えた事であるが、
認識と意識の初期の頃の考え方として、
意識は、連続する刺激の認識の上に成り立つと考えたが、
これにおける目的の存在場所は意識上である。
そして、最近の意識の考え方として、
刺激の再構成の場において、後天的に定義され、
認識された刺激の維持状態として意識のように感じられるものが生じると考えたが、
これにおける目的の存在場所は再構成された刺激上である。
つまり、
明示的な意識がなく、
ある連続する状態について意識の存在があると定義するのであれば、
目的も明示的な存在では無く、刺激の再構成において、
ある連続する状態について目的が存在するという事も言える事になる。
実際、知能内において記憶としての後天的定義として目的は存在するが、
目的を実際に存在するように意識する為には想起が必要となる。
つまり、刺激の再構成の場において目的となる刺激として再構成する必要がある。
であれば、目的が意識的な存在であれば、
意識についても、刺激の再構成によって生じるものである。
と考えられる事になる。
ただ、意識は明示的な定義で存在するわけではない。
これは、刺激の再構成において意識は再構成するものではないからという事になる。
つまり、意識の後天的定義が存在しない。
つまり、後天的定義となる先天的定義において、意識を定義する刺激が存在しないからという事になる。
つまり、意識は感覚器官で受容できる刺激から構成されてはいないからという事になる。
ということはである、
逆に考えると、目的自体も定義できないものになってしまう。
となると、目的は意識的ではないか、目的と意識は別物である。という事になる。
この場合、
結果としては、目的と意識は別物であり、
目的を認識している状態や、刺激を認識している状態において、
意識として感じられる状態が生じているという事になるが、
目的や刺激は意識の対象ではあるという事には違いが無い。
つまり
意識----
|刺激|
--------
意識は刺激の上に成り立つという事になる。
そして意識と刺激の再構成の場の関係について考えると、
刺激の再構成の場は変化しないものであり、
意識も変化するものではないが、
意識される刺激と、再構成される刺激は可変であるという事になる。
つまり、刺激の再構成の場と意識は互いに刺激を介して関連しているが、
直接に互いに関与する存在では無いという事になる。
意識
↑
刺激
↑
刺激の再構成の場
考え方からすると刺激を挟んだ別のレイヤ構造になっているイメージとなる。
認識の構造からすると、意識の方が仮想で上位、
刺激の再構成の場も仮想に近いが、より固有の実体に近い存在となる。
つまり、
目的は意識的な存在である。
という事において、
目的も刺激の再構成において実体化するものであるため、
刺激の範疇においてはより仮想的な想起を元にした後天的定義の存在という事になる。
そして、その目的の再構成によって生じた刺激として維持されることによって、
意識される事象となるという事になる。
つまり、目的は意識される存在である。
ということであれば正しいという事になる。
逆に意識は目的とは異なる存在であるということも言える。
つまり、
目的は刺激と同等の存在である。
ということになる。
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2023/12/11
私が今それを目的に掲げるかどうか、
ということは、今その目的を認識するかどうかという事になる。
認識されるという事は、他の刺激より優先するべき対象であるかという選択となり、
そしてそれは、その目的が、何らかの刺激をきっかけとした、
つまり、その目的に関連した刺激を受容または想起して認識されるかどうかに関わっている。
目的は後天的定義であり、
先天的定義によって構成されているが、
その目的自体の定義において、
価値などはその個体独自の定義、設定となる。
価値の高い目的は頻繁に目的に掲げられ、
それに関連する刺激も多く認識されることになる。
脳の機能としてそういった刺激は記憶において強化されることになり、
以降、他の刺激よりも励起されやすい、認識されやすい刺激となる。
先天的定義は、遺伝によるものだが、
後天的定義は、先天的定義を元にしているが、
その情報の要素の関連と、その定義内容は個体の存在する周囲の環境に依る事になる。
つまり、
目的や後天的定義の定義や刺激の関連については、
その構成される環境や過程における影響が強いという事になる。
そしてそれは、目的や認識される刺激の優先度においても影響を持つという事になる。
その目的を構成する、定義する際に、
その知能が保有する目的を構成する為に、特に後天的定義の種類や数、定義内容によって、
目的の定義は変化する事になる。
つまり、世界中の各人で同じ目標、
例えば「温暖化の対策として自分が行うべき事」
という目的を得る際に、その目標に対する定義としての価値などは、
その定義する個体が持つ情報や要素の定義によって変化する事になる。
当然、目的に対する優先度や価値も変化する事になる。
ある事象に対する価値自体の定義も、
情報の要素としては後天的定義に当たるものである。
後天的定義は上記の通り、その定義自体は個体の固有の定義という事になる。
しかし、
その定義を得る対象となる、
自身で定義する事になる定義の出所は、2つ、
自ら定義する場合と、周囲から得る場合に分けられる。
結果的には自分で定義する事になり、
個体に固有の定義となる事には違いが無いのだが、
その定義の情報の要素と関連については、
自身が定義する度合いに差が生じる事になる。
つまり、全てを自ら定義する場合から、
全てを他の定義から参照する場合まで、
その程度によって0~100%まであり得る事になる。
ただ、現実的に、実現可能な範囲として、
現代の価値や定義のほとんどは、
環境が近しい個体同士であれば、その環境に存在する常識や法、規則などによって決められた、
100%に近い定義の情報の要素や関連をそのまま自らの定義として用いる事になる。
つまり、教育や、その学習によって得られる定義は固定された共通する定義として、
皆が同じように認識し、自らの定義とするような制度になっている。
つまり、個体の固有の価値や定義によって、
互いに理解や認識の齟齬(そご)が発生し、
諍い・争いにならないようにという経験を歴史的に積み重ね、
共通の価値を定義してきた結果、現在のような社会や制度の定義が作られてきた事になる。
そして、これに相対する形の定義は、
これまで学問として人間が定義として積み重ねた知識、
また、時代に関わらない創造や芸術、発見、発明などがそれに当たる。
つまり、
自分が持つ目的は、
その目的を構成する情報とその要素と関連、
その情報と要素と関連の参照先によって決まる事になる。
そして、
その「私」が、目的を認識するのは、
その定義された目的を、どのような刺激に関連して想起するか、
それによって決まるという事になる。
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自身が成長過程で経験、記憶してきた情報や要素とその関連を元にして定義してきた、
自身に固有であると自ら考えている定義に従い、
その自身が認識する刺激によって、その時自分が目的として感じる定義は、
自らの定義であるが、その元は、現代においては、
ほぼ全てが周囲の定義、環境を構成している定義から得ている・与えられるという事になる。
つまり、先の事、結果が未知であるから、想像している、思考していると感じているが、
自身の選択においては、その結果が出る過程において、候補はほぼ確定しているという事になる。
つまり、結果が分からないから思考しているのではなく、
知能が導き出した結果が、実際にどうなるかによって、
その反応・結果の後の事を選択する事だけが、
自身が選択していると感じられる唯一のものである。
しかし、その選択さえも知能は自身の定義でもって先に結果を出している。
つまり、私は意識として知能が認識した常に少し後を追っている事になる。
ということは、この場合、
知能は不確定な未来を、
その保有者に意識させるために、
その情報を先に認識している存在という事になる。
タイミング的には認識と同時に意識となるため、
刺激の再構成が完了した時点で、知能の機能としては一度完了することになる。
であれば、人工知能における意識は、
自身が持つ定義によって、知能の活動を刺激として再構成する事で再現できる事になる。
もちろん、人工知能を人間のような知能として再現する場合、
人間が刺激として認識しうる対象は再現する必要はあるが、
何らかの意識的な存在を明示的に構成する必要は無いという事になる。
最後に少し考えが浅そうに感じる課題は、
選択で知能が行っている事で、
今回は少し長くなったので、
これはまた以降考える事にする。
今回はこの辺で。
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