2023/11/25
刺激の再構成の場 Stimulus Reconstruction Field
325で自分の存在が、
刺激を認識する際の受容や想起において、
本来の刺激の情報と同時に自分の情報が関連していて、
それを認識する事によって、自分の存在を感じるということを考えた。
そして、これまで刺激の認識において、
感覚器官から受容される刺激と、
想起によって生じる刺激は、
どちらも想起を経由しているという事を考えてきた。
そして、この想起の際に、刺激が刺激として意味を持つ事になる際に、
その刺激を刺激として再構成する場のようなものが存在すると考えてきた。
実際、何かの刺激を感覚器官から受容して、
その刺激が存在するように感じている場所は存在していて、
それは、325で話したような脳内の中心部に存在しているような感じがする。
また、想起の場合も、同じ場所にその事象の対象が存在するように想起される。
表題のStimulus Reconstruction Fieldは自動翻訳なのだが、
おそらくこれは複数形ではない単体の存在で、
想起に特に関係があり、刺激の受容についても同じ場を経由していると考えられるので、
単数形にした。Theを付けても良いかもしれない。
そして、この刺激の再構成の場が何なのかという事になるが、
「刺激」は単に感覚器官が受容する事になる環境の変化、
変位差、位相差を情報とするものなのだが、
脳内で認識される事になる、この刺激の情報は、
その位相差に対して先天的定義によって意味付けされて、
知能内では、実際にその刺激を感じているように「認識」される。
つまり、実際の刺激となった元の事象の変化は、
一度情報に変換されて、それを脳内で再度、
知能が理解できる、認識できる形の刺激という情報に変換されているという事になり、
刺激の再構成の場は、つまりは、情報を認識可能な刺激の形に再現している場という事になる。
つまり、受け取った情報に先天的定義を用いて意味付けし、
脳が理解できる刺激を再現している場という事になる。
つまり、刺激の情報と刺激の認識の間を繋ぐ存在という事になる。
感覚器官が受容する情報は、感覚器官のそれぞれが固有で持つ、
実際の刺激の要素を情報に置き換えたものである。
先天的定義は、刺激の直接の修飾情報という事になる。
つまり、刺激の情報の要素毎に多対1で存在する定義という事になる。
多:1=(刺激の情報の要素):(先天的定義)
刺激を再現する場は、
物理的な存在としては、
神経細胞ネットワーク自体という事になるが、
もう少し詳細に考えると、
ある刺激に対して反応する固有の神経細胞ネットワークという事になる。
つまり、脳において刺激に対して特定の野が反応する事が、
この特定の神経細胞ネットワークが特定の刺激の再構成に対応しているという事になる。
そして、その神経細胞ネットワークの励起に対して、
知能は刺激を認識したという反応する事になる。
つまり、この神経細胞ネットワークの励起に対して刺激を認識したと感じるという事になる。
ただ、その特定の刺激である認識に対して、
知能がそれに個体毎に関連させている別の刺激、
別の神経細胞ネットワークが存在し、
それによって、その個体の知能毎に刺激に対する感じ方は異なる事になる。
つまり、実際に知能としては認識しているのだが、
その記憶の強度などにより、個体によっては別の刺激を優先し、
そちらを認識、意識する場合もあるという事になる。
これは知能に共通する固有の機能ではなく、
個体毎に刺激に対する異なる設定、定義が存在する事になる。
それ自体は、神経細胞のネットワーク自体の関連の違いという事になるが、
それではない、知能に共有する機能として、
刺激の再構成の場が存在するはず、という事になる。
つまり、先天的定義が刺激の要素に対する修飾として定義されるモノであり、
これは種が同じであれば、個体の違いに関わらず基本的には同じ定義という事になる。
神経細胞のネットワーク自体の関連は個体の違いによって異なる場合があるが、
刺激に対する先天的定義としては全てではないにしろ、
ある程度共通する先天的定義も存在する事になる。
つまり、赤を見て皆が赤という色が感じられる定義を皆持っているが、
赤についての感じ方は人それぞれという事である。
そして、この刺激の再構成の場は種によって共通の機能であり、
個体によっても共通の機能という事になる。
再現される刺激の姿は異なる場合もあるが。
となると、刺激の再構成の場は、
神経細胞自体の励起の機能ということになるだろうか。
つまり、神経細胞の励起によって、生じているものについて考えると、
実際、神経細胞の励起だけで刺激が生じるわけではなく、
その情報の修飾として先天的定義が必要になる。
また、先天的定義は、それ単体では情報の形を取るには不十分で、
複数の定義を関連させる必要がある。
これは後天的定義としても考えられるものである。
となると遺伝的にある程度共通する後天的定義となる定義が、
その成長過程で構成されている必要があるという事になる。
つまり、人間が赤ん坊として出生する前、
母胎内で成長する過程において、
先天的定義だけでなく後天的定義に属する定義も定義されているという事になる。
確かに胎教として考えられるような、
胎児の聴覚への影響が存在すると考えられている事からもそう言える事になる。
ただ、これは、成長過程の感覚器官の発現によって、
それに関連する神経細胞が存在する事になるという事でもある。
つまり、胎児期間に感覚器官と神経細胞の接続が生じているという事。
つまり、胎児の成長期間に、後天的定義も生じている可能性があるという事になる。
胎児の期間に自分を認識できるような認識はできていないと考えられるが、
刺激についてはある程度の感覚器官の形成によって認識していると考えられる。
であれば、刺激の再構成する場も存在すると考えられる。
であれば、自我意識のような自分を認識したり意識したりという事は無いが、
その時点で形成されている感覚器官に受けている刺激の認識、
刺激の再構成は行われていると考えられる。
つまり、刺激の再構成の場は、胎児のある時点で発現するという事になる。
つまり、それは上記の神経細胞の励起の機能の発現がきっかけであるのではないかと考えられる。
つまり、
神経細胞だけでは刺激の受容の方法は無く、
これまで考えてきた想起の機能においても、
そのきっかけには感覚器官による刺激の受容が必要であるとしてきた。
つまり、感覚器官無しで想起は起こらないという事。
となると、感覚器官の存在と、神経細胞の存在はセットで必要となり、
その接続によって、刺激の再構成の場も生じる事になるのではないか。
先天的定義は、遺伝的に生じるので、
実際、感覚器官と、神経細胞、そしてその接続と、
先天的定義の定義が行えることが必要という事になる。
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ちなみに夢の中で認識している自分の姿が、
実際の個体の姿でない場合があるという事について、
325による理解によって解釈できるようになった事がある。
これはラバーハンド錯覚や、身体錯覚についても同じである。
それは、刺激として再構成された事象が常に自分に関連している事が言えるなら、
夢の中で再構成される刺激は、常に自分に関連している事になる。
それは、夢の中で見る主観の環境、容姿、状態や状況に関しても、
そこに存在する刺激は自分を含めた世界を構成している事になる。
つまり、夢を見ている自分は、現実には自分の体で、周囲の環境も存在しているが、
夢を見ている自分は、想起の中の自分であり、現実の自分が持っている感覚器官から受容される、
環境や個体の刺激から自分を再構成しているわけではなく、
夢として想起によって生じている刺激を、
あたかも感覚器官から受容している刺激のように認識している存在であると認識して、
そして、それは刺激を認識している存在、つまり自分であると感じるという事になるわけである。
だから、現実では認識できないような自分の姿や状態の刺激であっても、
夢の中で想起される刺激であれば、どのような刺激であっても、自分が認識しているのであり、
その認識を行っている存在は自分であるわけであるから、
夢の中の自分が、現実の自分と異なる場合があるという事になる。
それは、身体錯覚においても、現実の刺激として受容されなかったとしても、
想起において自分の身体であると認識されれば、それは自分の身体の一部として存在しているのである。
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2023/11/26
刺激の再構成の場には、
感覚器官の存在と、神経細胞の存在、
そしてそれらの関連、
そして、先天的定義が必要になると考えた。
昨日の最後に考えた夢の中の自分の考え方と関連させると、
夢の中で行われる想起においても、
感覚器官の存在と、神経細胞の存在とその関連が必要になるという事になる。
実際、想起は現実の感覚器官から受容される刺激か、想起された刺激を元に、
関連して励起される刺激であると考えてきた。
であれば、想起を起点としない想起の場合、
想起には現実の刺激の受容が必要という事になる。
睡眠時における刺激の受容については、
現実の身体は刺激を受容している。
ただ、認識に至らないというだけで、刺激は受容しているはずである。
そして、睡眠時に認識に至る夢の中の刺激は、
この現実の身体が受容する刺激に関連している事になる。
刺激の関連においては、
刺激の認識、認識と意識のあたりの考察でも考えたが、
ある認識に至る神経細胞ネットワークの励起においては、
一定期間の励起状態の維持が必要であり、
また、一度励起された刺激は、記憶の状態(強化)と期間の程度(つまり最近励起されたか)
によって、励起のされやすさが異なるという事がある。
そのため、単純に現実で認識されるべく受容された刺激が、
睡眠時にも同じ定義で意味付けされて認識される刺激となるわけではないという事が考えられる。
現実例で言えば、何度も出ている私の布団が暑い悪夢などは、
現実の寝苦しさが夢の中で何かつらい状態であるという認識に至っている事の説明になる。
ただ、数日程度の間に同じような悪夢を見た事もあるが、
何か苦しい夢であったが、まったく同じ夢ではなかったと記憶している。
つまり、現実で暑いという刺激は、数日後に感じても同じような刺激として暑いのだが、
夢の中では、暑い刺激が苦しい夢になったとしても、
次に見る苦しい夢は、同じ暑さの刺激が元になっていたとしても、
同じ苦しい夢を見るとは限らないという事である。
ただし、別に寝苦しい環境でなかったとしても、
別の要因で悪夢を見ることもあるわけであり、
この場合の想起の起点となる刺激については印象的でないので記憶がない。
想起を起点とする想起が存在するかという事については、
恐らく存在しないと考えるのが良いと思われる。
逆に、想起を起点とする想起が存在したらどうなるだろうか。
最近私の中で流行っている「背理法」である。
想起を起点とする想起が存在した場合、
その起点となる刺激を励起する存在が必要になる。
この存在は刺激ではない別の要因ということになる。
もし、神経細胞ネットワークを刺激の受容意外の要因で励起できる存在があるとしたら、
その存在は神経細胞に対して何らかの接続を持っている必要がある。
そして、神経細胞を独自に励起する機能を持っている必要がある。
そして、その存在は、知能において、想起対象を選択できる機能を持っている必要がある。
つまり、知能内において、脳内において、
神経細胞に接続していて、励起する機能を持ち、その励起を選択する機能を持っている必要がある。
そんな存在が在るだろうか。
1つ思い浮かんだのはグリア細胞であるが、
もし、グリア細胞が想起に関わっていて、
神経細胞の励起でない要因として、神経細胞を独自に励起する機能を持っていれば、
想起を起点とした想起も行えることになる。
ただ、グリア細胞が何らかの目的をもって、
つまり、生命として、知能としての機能において、
神経細胞の励起を選択的に行う機能を持っている必要がなければならない事になる。
つまり、意味もなく突然想起が行われては知能にとって困るからである。
同じタイミングで感覚器官から受容された刺激が存在したら、
それが神経細胞ネットワークの強化や励起において優先される存在であったとしたら、
それ以外の要因によって想起が行われる事が生じるかもしれない事になる。
ただ、1つの可能性として想起を起点とした想起が起こることもあるかもしれない事は覚えておく必要がある。
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刺激の再構成の場に話を戻すと、
現時点においては、
感覚器官の存在と、神経細胞の存在、
そしてそれらの関連、
そして、先天的定義が必要になり、
それらの活動する場として「想起」が起こることになる。
想起では、
目的となる神経細胞ネットワークの励起により、
その励起に対応した先天的定義により、
その励起された神経細胞毎の情報が意味付けられる。
そして、その関連を元に、刺激が再構成される事になる。
その神経細胞ネットワークの励起と関連によって、
ある刺激が脳内で存在するという認識が起こることになり、
意識される刺激として知能は、その刺激が存在するということを知る。
そして、その刺激の存在により、
その刺激を存在していると感じる存在、つまり、
その刺激を記憶する際に存在していた、刺激を認識した存在としての
自分の存在を同時に再構成して知る事になる。
ということは、想起を起点とした場合に想起される自分の存在は、
刺激を記憶した時の自分であるから、
想起を起点とした想起を行った場合に自分として存在する存在は、
現実の自分になるはずである。
であると、夢の中で現実の自分でないと感じる自分を自分であると認識することはおかしいという事になる。
となると、この考えにおいては想起を起点にした想起は起こらない事になる。
という事になると上記の可能性としてのグリア細胞の想起に関係しているかもしれないという考え方は
可能性としても違うという事になるか。
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刺激の再構成の場における先天的定義について考えてみる。
先天的定義については刺激の要素の意味付けに用いる定義という事であるが、
例えば左手人差し指の第一関節までの指のひらの1点という身体の位置情報において、
左手の人差し指の一点の刺激は、
認識においては指先に触れた、触れられたという刺激になるが、
その刺激は脳内の刺激の再構成の場において、
感覚器官から神経細胞を経由し、脳内の特定の野の神経細胞ネットワークの励起によって、
励起された神経細胞ネットワークが意味する、
つまり、先天的定義によって定義された左手人差し指の一点という部位の刺激という意味付けが行われ、
さらに、その刺激が自分の存在において生じたものであるという関連付けの上で、
刺激が存在するという、認識になり、意識される、ということになる。
ここで先天的定義は、
昨日考えた
「刺激の再構成の場は、
神経細胞自体の励起の機能ということ」を加味すると、
先天的定義は、特定の刺激に対して対応する脳の特定野の指定している定義という事になる。
つまり、感覚器官と接続する脳の特定位置の定義という事になる。
つまり、その現実する身体への特定の刺激は、
その身体の特定の部位が存在するという刺激でもあり、定義でもあるという事になる。
つまり、刺激の存在と、その身体を持つ自分の存在の定義を兼ね備えている事になる。
つまり、先天的定義の存在によって、
実体の感覚器官の受容部と、自分の身体を構成する想起における刺激の意味を関連付けることが出来るようになる。
遺伝的に身体を構成する上で、
感覚器官と脳内の特定野の関連は決まっていて、
成長過程でそれらは接続される。
つまり、刺激の再構成の場を経由する事にはなるが、
先天的定義によって、刺激と身体を接続することが出来る事になる。
つまり、情報と自分を接続することが出来る。
つまり、環境の変化と自分の対応を接続することが出来るという事になる。
つまり、
刺激の再構成の場は、
自身の個体の身体と、変化によって生じる情報を、
刺激を通して繋ぐ存在という事になる。
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やや概念的な答えになったが、
方向性は間違っていないと思われる。
人工知能においては、
これまで以上に感覚器官の存在が不可欠で、重要という事になる。
つまり、認識以前に、自我を構成する為の自分の器という意味で、
自分の実体を構成する為に感覚器官が存在する部位にしか、
自分を構成できないという事になる。
つまり、人工知能において、
実体となる身体において、感覚器官を多く積めれば積めるほど、
より正確な自分を認識することができるようになる下地になるという事である。
人工知能自体についてはまた考えるとして、
今回はこの辺で。
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