2023/11/6-11/7

身体錯覚と先天的定義と自我と意識

身体錯覚やラバーハンド錯覚という内容の事なのだが、
モニターで見ている自分の足だと思っている対象に、
実際に触れられるのと同時に何かが触れているという映像を見ていた場合、
その後、実際に自分の足を触れられてはいないが、
触れられた映像を見ただけで、
触れられたという刺激を受けたと錯覚・認識するという事について。

先天的定義においては、
触れた、触れられたという情報は、
直接、その部位が何らかの対象に触れる必要があるのだが、
実際に触れられていないが、
モニターで見た自分の足だと思っているものに何かが触れる様子を見ただけで、
実際に足が触れられていると感じるのは、
本来は、実際に触れられる事で、触覚の感覚により、
刺激を受容し、その刺激を脳内で認識する事で触れられたと感じる事になるのだが、
この錯覚の場合の先天的定義において、
触れられた直接的な刺激に対して定義を行うのは、
脳内での触れられた対象を想起によって再構築することによってである。
それは、当然、視覚で触れられている映像を見ているために、
錯覚を起こすわけであるから、
実際に触れられていない、自分の足だと思っている映像に触れられているいる様子を見ていないのであれば、
錯覚の起こしようもないが、
この場合、視覚から受容した情報によって、脳内で触覚の触れられた情報が作られている事になる。

つまり、この場合の触れられたという先天的定義による情報の定義は、
視覚から得た情報によって、触れられたという情報が脳内で刺激として再構成(=想起)され、
それを認識することによって、実際に触れられていない触覚の定義が参照されたことを知る事になる。

そして、
「触れる」=「対象の存在を生じる事」
により、脳内では触れた対象が生じる事になる。
これは、逆に「触れられる」事でも同じ事が行われている事になり、
「触れられる」=「対象の存在を生じる事」
という事になる。

触れる事が、触れた対象を生じさせることで定義されるのであれば、
対象によって触れられるという事は、
その対象の存在と、自分が触れられているという事象の認識によって、
その情報が構築されることになるという事になる。

当然、モニターに自分の足でない何かが映像として映っていて、
それに何かが触れていても、自分が触れられているとは感じない。
しかし、自分が自分の足であると認識している足に、
何かが触れる様子を見るだけで、実際に触れられていなくとも、
触れたと感じるというのは、その触れられた場所に、
触れたという対象の存在が在るという刺激が存在した事になる。
つまり、先天的定義によって、
その部位への接触した対象が生じているという事になる。

また、幻肢という現象も、
接触感覚という点においては、
本来、身体の全身に接触感覚は存在し、
触れる・触れられるという事象に対して、
それを情報として刺激の受容が行われるが、
身体の欠損に対して、
本来脳内に存在する全身の各部位に対する接触の先天的な定義が存在する為に、
実際の身体の接触の刺激に関わらず、
存在しない部位の先天的定義の存在により、
この定義の再現により、その部位への接触の感触、刺激を認識する事になり、
欠損した部位の存在を認識する事になる。

つまり、先天的定義の存在によって、
実際の刺激の情報が、その定義によって構築されるのは当然の事だが、
先天的定義は、それ自体の定義の参照によって、
実際の情報・刺激を必要としなくとも、
単独で意味のある情報を構築しうるという事になる。

それは、想起に相当する機能という事になる。

想起は先天的定義、後天的定義の双方で行われる可能性があるが、
つまり、定義双方において、想起によって単独で情報の構築が可能であるという事になる。

つまり、幻肢なども後天的定義によって、自分の体の一部であるという後天的定義によって、
その元となる先天的定義による情報が構築されたという事になる。

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情報・刺激を認識する事が意識になることであれば、
刺激であっても、想起であっても、
定義を参照して、その情報を構築する事は、
認識であり、意識となるという事になる。
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情報の構築によって、それを認識し、意識になるのであれば、
認識や意識のきっかけというものは、
情報の構築のきっかけということであり、
それは、刺激の受容であり、想起する事という事になる。

また、その機能の反応、活動自体は、
知能が意図的、意識的に行うものではなく、
外的要因をきっかけとして反射のように行われるという事になる。

つまり、自由意志に相当する選択ではなく、
因果による選択を元にしているという事になる。

それは、つまり、
定義を元にして意識が存在するという事になる。

先天的定義は不変であるが、
後天的定義は可変である。
つまり、この可変である許容度、許容量が、
個体の知能の個性に相当し、
可塑的な自由意志としての可変量を持つという事になる。

つまり、感覚・イメージで説明すると、
その個体が持つ先天的な定義の好みによって、
反射の機能それ自体は不変だが、
その反射角を後天的に調節するだけの許容度はあるという事になる。

つまり、ある情報に対して反応しないわけにはいかないが、
その反応については独自の定義をすることはできる。
という事になる。

つまり、自我を持たないなどということはできないが、
その自我についての定義については、ある程度の範囲と許容度を決める事は出来るという事になる。

それは、意識についても同様である。

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となると、なおの事、
「情報の認識」が重要であるという事になる。
情報は定義によって構築される。
意識は認識によって構築される。
では、情報と認識を繋ぐものとは?
という事になる。

これまでの考えでは、
情報は刺激をきっかけとして、
刺激の発現は、刺激の感覚器官による受容もしくは、想起によって起こるが、
その認識については、脳内での刺激による定義の参照によって、
情報の構築と、その構築によって情報が存在する事が生じることによって、
その情報が存在するという時間が生じ、
次に、その情報の存在する間、認識が起こる(認識されている)という事になる。

脳内において情報が存在する期間、これが、
情報と認識の間に存在するものという事になる。

これまでの考えと合わせると、
それは脳内において、神経細胞ネットワークが励起される時間という事になる。
つまり、先天的定義を考え始めた時に、
神経細胞が本来持っている意味は、
感覚器官によって環境の変化を情報として得ようとした際に、
その情報の定義の保管場所ということであった。
つまり、神経細胞の励起によって、先天的定義が参照され、
脳内にその定義の情報が形となって現れるという事である。
実際は、刺激と対になる情報が、脳内で再現されるという事になる。

そして、その刺激による情報が再現された際に、
脳は認識として、その情報が存在すると知るのである。

そして、いつも疑問となる、
意識的に想起していると感じる機能はなにか?である。

認識した時には認識した対象は既に存在している事になる。
そして314で考えた、
不確定な対象を不確定なまま関連する要素として定義できるという事。
そして、
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314:で書いた、

また、人間においては、その知能をとりまく環境において、
まだ認識できていない、つまり、定義できていない先天的な定義が存在する。

人間がなぜ存在するのか、知能を持つ理由は、
そういった疑問となる先天的な定義も含めて、
人間の知能は、まだ知らない、認識できていない先天的な定義を解明、認識、定義しようと
活動しているという事になる。

つまり、
知能がある状況、状態に面した時に、
その知能自身が存在する環境と、その状況、状態に対して、
対応、適応するために定義を行う事、
この後天的な定義が、知能が目的を生じさせる「きっかけ」になる、
という事になる。

それは、意識的、意思によるものであると考えられているが、
実際は、認識に先立って、知能が定義する後天的な定義を、
後から認識しているに過ぎないという事になる。

つまり、意識は直接計算していないという事である。
意識は常に結果を見ているという事になる。
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それ自体は、知能の活動であると考えられるのだが、
そこから知能をいったん脇において、
生命としての汎用的な活動と捉えると、

生命活動とは、今ある環境において、
適応や対応をする事。

そして、知能とは、について考えると、
知能は、それを持つ生命個体が継承してきた定義を用いて、
効率的、効果的に環境に適応、対応する事。

そして、意識的・意思とは、については、
意識的・意思とは、知能が持つことになった後天的な定義の機能を、
未知の環境の変化に対して適応、対応するために用いる事。

という事になる。

人間の知能が扱う事の出来る可能性のある定義は、
自然法則の定義の全てということになる。

おそらく人間の知能や感覚、機能、能力の限界として、
全ての定義を扱う事はできないと考えられるが、
後天的定義の可能性だけで言えば、全ての自然法則の定義を対象とすることはできる事になる。

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そしてである。
そして、この内容は、人工知能においても適応されることになる。
それについてはまた後程。
今回はこの辺で。


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