2023/10/31
目的のきっかけと刺激の定義
314で目的などとなる後天的な定義が、
何のきっかけをもって生じているのかについて考えた。
314では、それらのきっかけは、
後天的な定義として定義される際に、
その状況や状態が変化する事に対して、
知生体がその変化を認識するのに当たり、
情報の要素を認識する為に刺激として定義する為の後天的な定義が、
その知生体に対する反応としての対応や適応を必要とする場合に、
それが「きっかけ」となり、関連する対応や適応の手段が関連されるという考えになった。
2023/11/3
つまり、
環境や状態の変化に対して、
その変位差を生命体が認識する必要により、
それを刺激として認識しようとする際に、
その刺激に対する対処、適応として目的が同時に関連されるという事になる。
つまり、
生命体の知能が、ある変化に対して、
その変化の情報を必要として認識しようとした際に、
その刺激として関連される要素に、
その変化の情報とセットで、目的が関連されて認識されることになる。
つまり、刺激と対処や適応の方法や手段が同時に関連される事になるという事である。
なぜ、その対処や適応があらかじめ関連されるのかについて考えると、
認識を含む想起による刺激の再構成において、
その情報として含まれる要素の関連は、
認識時には既に関連済みである必要がある事、
そして、刺激を認識した後に対処や適応について改めて認識しなおすのでは、
時系列として認識後の反応が遅すぎる事と、
意識される刺激に違いが生じてしまう事という理由となる。
また、意識として認識された刺激が維持される必要がある以上、
変化の刺激と目的の刺激を関連させない事には効率が悪すぎるという事である。
また、
ではなぜ、その関連が生じるのか?
人間が生命としての誕生後、
その時点で持っている定義はほとんどが先天的な定義だけである。
この時点で認識された刺激に対して関連できるような目的となる定義は、
ほぼ全てが本能によるものである。
つまり、感覚による光や音、熱、接触感覚などに対して、
それぞれ生命としての本能による反応が行われる事になる。
実際、誕生直後であっても、刺激に対する反応行動は行っているので、
ある変化を刺激として個体が認識した場合は、
その時点で持ちうる対応や適応の行動が関連している事になる。
また、先天的な定義においても、対応や適応の手段というものは遺伝して持っているという事になる。
もちろん、誕生直後であっても後天的な定義で、対応や適応の行動が定義されていれば、
そちらが優先されて用いられる事になる。
この辺りは詳しくは無いが、まだ母胎内にあっても、感覚器官は形成されている事になるため、
胎教などにより、出生以前であっても後天的な定義として得られる定義があるかもしれない。
もし、認識される刺激に対して、対応や適応といった行動が関連されておらず、
刺激の認識後に知能がその対応行動を目的として認識し直すと考えると、
人間は刺激を認識した後に、突然現れた目的という刺激を認識したという意識を一度認識する事になる。
つまり、刺激を認識した後に改めて目的や対応についての刺激を認識するという場合、
刺激は関連した内容を一定時間維持することで、
意識として感じる意識の存在の感覚を覚えるのだが、
この時点で維持されている刺激は、その情報量に関わらず1つだけである。
そして、その刺激を認識したと意識した際に、
認識された刺激は、対応や適応による目的の刺激ではなく、
最初の刺激についてだけ認識、意識したと感じる事になる。
そして、その後、対応や適応として想起された刺激が再構成されるとなると、
次の刺激として認識、意識がされるという事になる。
認識や意識される刺激の移行自体を、関連として考えようとする事もできるのだが、
それではあまりに遅すぎるのである。
今、ふと右目の上のまぶたの端がかゆいと思って、右人差し指でその場所を掻いたのだが、
痒さの認識はあったが、指で掻いたという認識は、実際に掻いた後だった。
これが、別の刺激として認識し、意識的な移行があるのであれば、
痒さを感じた後で、掻こうという目的や予測の認識が行われた後で実際に行動が実行されるということになる。
つまり、
ある刺激を認識した際に、もし関連する対処、適応の定義が存在すれば、
それは、その刺激を認識する際に、意識的な許可を必要とせず関連されるという事になる。
実際、それ自体が後天的な定義として考えられるモノでもある。
つまり、ある刺激となる情報の変位差に対して、
先天的な定義、または後天的な定義において、
その情報に関連している定義が存在すれば、
それは、その刺激の認識の際に、その刺激を構成する要素の1つとして関連して再構成される。
という事になる。
それは、対応や適応という目的だけでなく、
その刺激に含まれる可能性を必要とする全ての要素に対して関連しているという事になる。
そして、その関連する要素というものは、
認識によって励起された刺激としての情報が、
意識として維持される間、存在するという事になる。
ただし、実際に認識されるかどうかについては、
ある瞬間において、最も強い刺激として存在するかという事だけにより判定される。
つまり、ある刺激を知能が認識した場合、
脳はとりあえず関連する情報の要素の全てに対して励起を行う事になる。
そして、その関連の中で、定義に該当する、
つまり、1つの情報単位として成り立つ、再構成の対象になる情報塊が存在した場合、
それらが認識される可能性のある情報の対象となり、
その中で励起によって最も強い刺激・情報となった対象が認識されるという事になる。
逆に考えると、後天的な定義として過去に経験し、記憶する対象に相当した刺激が、
変化の刺激をきっかけとして想起・再構成されて認識されるという事になる。
特定の刺激に対して特定の反応を起こす理由でもある。
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脳内において、
ある瞬間において認識されている刺激は、
その刺激の認識をもって意識となるという事になる。
そして、その刺激が最も強い刺激である期間だけ、
その刺激は意識されることになる。
そして、その刺激の認識において、
その刺激が再構成される要素については、
その刺激が記憶として関連している全ての対象について励起をもって関連とし、
その次の瞬間においては、
感覚器官から受容する刺激、もしくは、想起された刺激によって、
励起された関連する刺激の中で最も強い励起が行われた刺激が、
次の瞬間の刺激の認識対象となる。
という事になる。
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2023/11/4
先天的な定義の中で、
空腹に対する危機感と、その生体的反応、
そして、飲食による空腹状態の改善による幸福感について考えると、
後天的な定義において、
例えば現代の人間が、金銭的に高価な品を手にして満足感を感じるというような、
刺激と認識の後天的な定義について考えると、
恐らくこの金銭的に高価な品を手にする幸福感というものは、
飲食の満足する定義の、その先天的な定義の出所は同じという事になる。
つまり、どちらも、
「不足した対象を取り込む事による充足」
という先天的な定義を元にしているという事になる。
これは、生命体として、身体的に何かが不足した状態というのは、
命に関わる事であり、その不足に対しては、
知能の高低に関わらず、その定義においては、
先天的な定義として命の危機であり、
不足した対象を得なければならない、
そして不足した対象を得る事で満足するという定義が存在する事になる。
人間の知能などにおいては、
不足の充足は、価値を得る事として後天的にも定義されているが、
後天的な定義は全てが先天的な定義を元にしていると考えられるため、
価値を得る事も、その元について考えると、
何かを得て充足するという定義は、
先天的な定義において他に同様の定義が存在しないため、
この不足と充足という先天的な定義を元にしている事になる。
つまり、目的のきっかけとして、
ある刺激の認識に対する関連というものは、
先天的な定義を含み、先天的な定義に対して関連する後天的な定義の中から選択される、
つまり認識の対象が選ばれるという事になる。
つまり、
起点となる刺激において、その関連の発端は先天的な定義の関連であり、
その先天的な定義の関連に対して、後天的な定義が新たに定義される。
つまり、先天的な定義の組み合わせに対して後天的な定義であるという関連が作られるという事になる。
後天的な定義は元は先天的な定義の関連であるから、
感覚器官が受容可能な、どのような刺激に対しても後天的に定義は可能であるし、
刺激であるという認識可能な対象の情報においては、
知能はどのような対象であっても認識しうる、という事になる。
しかし、感覚器官によって認識できない刺激に対しては、
どのような方法を用いても認識も定義もできないという事になる。
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そして改めて、
目的のきっかけについて考えると、
先天的にしろ、後天的にしろ、
目的として認識のしうる刺激は、
受容可能な刺激の先天的な定義を元にしているため、
ある目的のきっかけとなりうる認識可能な刺激に対して、
それを生命体が受容した場合、
その刺激に対する先天的な定義による反応を、
基本として反応が行われる事になる。
これは、後天的な定義であっても、
その定義の元には先天的な定義しか存在しない事になる。
つまり、どのような変位差を持つ刺激に対しても、
その目的のきっかけとしては、
先天的な定義の1つ以上の反応の組み合わせで定義も説明もできるという事になる。
つまり、知能は、
感覚器官と受容可能な刺激、
そして、それに対応する先天的な定義を元にして説明ができるという事になる。
であれば、
目的のきっかけにおける「きっかけ」は、
生命体における「きっかけ」とする定義が存在するという事になる。
つまり、
「生命体において、ある変化を情報として受容する事」、
そして、それに対して、
「ある変化の情報に対して、定義が存在する事」
これが生命体における「きっかけ」となる定義、という事になる。
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今回考えた中での先天的な定義としては、
・不足した対象を取り込む事は充足である
・変化を情報として受容した場合、定義が存在すればそれを反応として扱う
というものが考えられる。
・不足した対象を取り込む事は充足である
については、不足は嫌悪である、充足は好ましい
というさらに低位な定義もできるが、
現時点での人間の言語において、先天的な定義に対応する言葉が
存在しない、つまり、未定義であるものがあると考えられるため、
ある程度の後天的な定義で表現するしかない事は承知しておく必要がある。
知能の活動そのものが全て定義できれば、
人間の知能と同等の知能として、人工知能も定義できるという事になる。
今後は定義の観点から知能について考えると良いかもしれない。
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何らかの先天的な定義に対して、
生命体の何らかの行動を含む目的を認識するというような場合、
つまり、上記の変化に対して定義の存在する反応がある場合、という事について考えると、
目的と成る様な行動を含む定義は、
そのほとんどが後天的な定義として存在する事になる。
先天的においては、身体の動作という定義は、そのほどんどが定義済みであると考えられるが、
その各部位の動作、動かし方、等については、
そのほとんどが経験的な後天的な定義として定義されることになる。
また、動作に限らず、生誕後に学ぶ事になる目的となるような定義も、
ほぼ全てが後天的な定義として学ぶ・定義する事になる。
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後天的な定義は、自然法則として世界に最初から存在していないという事を考えると、
現在存在する、誰かが定義した後天的な定義というものは、
人間には必要かもしれないが、自然界には無関係であるという定義も存在する事になる。
例えば、良いブランドイメージを定義して、
皆に良い、価値があると定義してもらうためには、
誰かが何かの働きを持って、皆に良いブランドイメージを定義してもらうことで成り立つようになる。
一度良いブランドイメージを定着させれば、その後の世代においても、
定義は学習によって後代に続くことになるので、
その定義は皆に共有の定義、後天的な定義となることになる。
しかし、それ自体の良いブランドイメージは自然界にはまったくの無関係である定義という事になる。
いずれにしても、知能も、人工知能も、
およそ知能が関わる事柄については、
その元となっている定義の部分から考えると良いという事になる。
今回はこの辺で。
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