2023/10/15

自我を形作る定義

309で自分の定義について考えたが、
であれば、自我はその自分の定義の何をもって構成されているのかという疑問が生じた。

自分が認識する刺激は全て後天的な定義であり、
その認識された刺激から自分自身、自我も構成されることになり、
自分について想起する刺激が自我に相当することになるが、
特定の刺激がそのまま自我に関連するわけではなく、
単にその場の状況などにおいて認識される刺激である事もある。

認識される刺激の中から、自分を構成する為の刺激を選り分けているとも考えられるが、
自分自身が思うもっともらしい自分という定義が、
どのように選択されているのか?

刺激の位相差において、
後天的な定義として認識し、記憶していた刺激の情報が、
想起の際に現れた差、
つまり、認識として最初に自分について定義する際、
自分に関連する刺激として認識し、記憶するが、
この認識時の想起において現れる新たな自分の定義についての変化、変位差について、
その自分の変化分としての刺激を、自分という刺激として認識することになる。

つまり、自分とはという定義をする傍ら、
自分とはこういう存在であると、自ら知るという事になる。

単純な刺激については、その反応として自分らしく反応しているとも言えるが、
自らの定義に関わらない刺激というのもある。
例えば、単に今日は暑いとか、向こうから何かが飛んでくるとか、
地面に石が落ちているなどという刺激や認識においては、
自分や自我の定義への関わりはほとんどない。
それらも刺激として認識され、その事象について自分の考え方が関われば、
自分の定義として追加されることになる。
例えば、今日は暑いけれど、温暖化の影響が関わっていると自分が思えば、
それは、自分自身の定義において、周囲の環境の気温が高いことについて、
自分は温暖化と関係しているという認識を持っているという定義になる。
しかし、単に今日は暑いな、と感じただけであれば、
それは自分の感覚としての定義を表現したに過ぎない。
つまり、定義を参照しただけ、Read Onlyという事になる。

ということはである。
ということは、自分にとっての定義が追加される認識が、
自分や自我を構成する定義という事になる。
当然、この場合、想起もセットになるため、
自分の定義を追加しながら、自分について知る、認識する事になる。

つまり、自分の存在、自我の存在を知るタイミングは、
自分・自我についての定義を追加させる際という事になる。

つまり、自分について自分で思う時が、
自分や自我についてを知る時という事になる。

では自分の存在について思い出すだけでも、
自分についての定義を追加する事になるのか?
という疑問が生じる。

自分の存在を意識する事だけでも追加なのか?
という事である。

想起による刺激の認識において、
自分を認識するという事は、
自分についての後天的な定義を想起するという事になる。
この刺激は先天的な定義で保有する情報ではなく、
生命としての誕生後に得た定義という事になる。
この場合、後天的な定義による情報の刺激は、
元々存在している事象ではなく、
何らかの先天的な定義の組み合わせで作成された定義という事になる。

刺激として存在するには、情報の変位差が必要になるため、
自分を想起するというだけの刺激の認識であった場合も、
その情報が刺激として存在するためには、変位差を必要とする。

ということは、想起による自分の認識においても、
その自分という刺激については変位差を持っている事になる。
想起が、記憶されている刺激の神経細胞を励起する事であり、
それによって再構成される刺激というものは、
その本来の刺激、大本を構成する先天的な定義の関連において、
後天的な定義の刺激として構成される際に、
都度、自分という刺激が作られているという事になる。

つまり、我を思う時に我が生じる。
という事である。

ということは、自分は常に自分が持っているものではなく、
自分が思う時に自分が生じると考えるべきものだろうという事になる。

しかし、そうでないと、
ある事象において、自分の意見が180度変化するというような出来事に遭遇した場合、
自分が緩やかに変化するような存在であるとすると、
次の瞬間に意見を変えるというような反応が出来ないという事になる。

ただ、今と次の瞬間に自分について考えて、
同じような自分が思いつくというのは、
逆に自分に関する情報、定義といった刺激の要素に、
固定化や、固着する傾向が強いとも考えられる。

保有する自分についての情報がほとんど同じであり、
それを参照した情報に違いがほとんどないというのは、
当然と言えば当然なのだが、
可塑的な要素を残しつつも、参照する情報は割と正確であるというのは、
脳とは良くできた器官である。

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実際、一度励起された刺激が、
ある程度の時間の間、存在し続けるというのは、
これまでも考えてきた通りである。

上記の内容を補完するなら、
自分について今と次の瞬間に思い出した時、
その姿が同じであると感じるのは、
自分について想起した、つまり、一度励起された刺激が、
ある程度の時間、存在し続けるからという事になる。

この間の時間は、自分についての定義に変化がなく、
自分という情報の形に変化が起こっていないという事である。
もし、何らかの自分についての定義を変更するような刺激が認識された場合、
その認識に際して想起される自分の情報の形は、
先に想起して存在していた自分とは定義の異なる、自分の情報の形を持っている事になる。
そして、その変化の元となった刺激についての認識の際には、
自分として想起される姿が変化しているという事になる。

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先天的な定義は、
遺伝として誕生時に決まって持っているものであるため、
身体的な特徴や能力についてはある程度の限界が存在している事になる。

ただ、後天的な定義については、
その知能の脳としての能力において、
その個体が存在する環境や、与えられる機会によって、
かなり大きく変化するものであるということは言える。

それは、先天的な定義や能力の差よりも遥かに大きなもので、
刺激の情報や要素としては数十や数百倍というレベルではなく、
千~万という単位で異なると考えられる。

人工知能においては、
人間が経験しうる情報や要素を遥かに超える量の情報を保有しうるが、
現時点では、その情報毎の関連が人間にまったく及ばず、
自分や自我の構成という点では、まだその能力を持つには至らない。

つまり、今の人工知能においても、
人工知能が得られる情報や要素に対して、
その人工知能自身が定義することのできる先天的な定義に変わる評価を持つことが出来れば、
もう少し人間に近づくことが出来る事になる。

今日はこの辺で。


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