2023/10/1

情報の要素の解明

305で情報の要素の定義について考え、
307で知生体が事象の意味として得るための情報は、
その情報を構成する要素で成り立っていると考え、
では、その情報の要素というものは、どのようなものであるのか考える事にした。

305では、
「つまり、刺激において、
そこに含まれる情報の様々な要素は、
情報に含まれるある共通する意味に対して、
2つの状態の刺激の変位を割り当てる事を、
要素の定義と称する。」
と考えた。

つまり、生命体が刺激として情報を得る際に、
その情報は、生命体にとって認識できる変化量を対象としているという事である。

例えば視覚において、
その視点の先にあるコップの形状は、
視覚の視野内にある画像全体の中に在って、
その焦点の合う対象、ここではコップが、
その周囲の、例えばテーブルに乗っていれば、その上面との色彩や明度の差、
コントラストの差によってコップの概形が捉えられ、
その形状を円や線、色といった要素、
つまり無形ではない形を成すという差の要素で対象を再構成して認識したものとなる。

例えば、カモフラージュや擬態といった機能によって、
周囲の環境の情報との間に差異が生じなければ、
認識する対象として成り立たないように、
認識するには、対象と周囲の環境との間に情報差が生じ、
それを情報の要素として得る事が必要となる。
さらに、その対象が存在するには、
その要素から再構成された認識可能な対象の刺激集合を必要とする事になる。

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画像で覚えるか、形状で覚えるか?

普段使っているコップの形を思い浮かべてくださいと言われた時に想起されるコップは、
自分が普段最もよく使うようなコップが思い出される事になる。
私が最近良く使っているのはマグカップ形状のシンプルな円と線で描けそうなコップである。
しかし、それ以外に別の形状のコップを思い浮かべようとすると、
横から見て台形であったり、上面の飲み口が四角であったり、
持ち手も様々なものが思い浮かぶ。

指定された特定のコップを思い浮かべようとしている時は、
コップに関連して想起した再構成されたコップの対象は、
完全に特定できていると感じている、
全て画像として想起され認識されているコップだが、
普段使っているという指定をして画像で想起されたコップであっても、
実在するそのコップと完全に同一のモノではなく、
実物と想起されたコップを見比べれば、どこか違いがあるものである。
また、その他の形状のコップであっても、
実際にどれも実在しているコップではなく、
色や形もまちまちであり、
どれもコップに関連した要素を持つ形状をした対象になるだけである。

つまり、コップに共通する要素を持ち、
実際にコップとして形を成した姿として再構成して認識した対象は、
コップとはこういうものであるという定義から、
そこに含まれる要素を組み合わせ、それが成り立つだけの要素を足し合わせ、
再構成して認識することによって誕生し、視覚の画像として想起されている事になる。

私の知能内では、いびつな形をしていても水を受けられるような形状で、持ち手があれば、
コップに分類され、関連されて記憶されている。
また、大きさや目盛りの有無によってはコップではなく調理器具などのカップに分類されるような
認識と記憶をしている。
もちろん、持ち手のないコップもコップには関連して記憶されていて、
普段使う事が無い為に今は優先的に想起されなかったと考えられる。

つまり、「一般的なコップ」という場合は、
そのコップとしての形状の要素、定義によって再構成され、
実際に存在はしないがコップとして認識できる対象の画像が再構成され、
「いつも使っているコップ」などの様に特定の条件や要素が足しあわされた場合には、
直接的な対象物の画像の要素が追加されて再構成・想起される。

つまり、言葉や表現の1つ1つは対象の要素を指定したり、
特定、選択、判別などの条件となり、それらの要素が刺激として神経細胞が励起され、
その関連された刺激の情報が組み合わされて対象が再構成され、
想起、認識に至るという事になる。

つまり、画像で覚えるか、形状で覚えるかは、
画像が関連しているかどうかという違いはあるが、
形状などの対象を構成する為に必要な要素が関連しているのは、
どちらも同じという事になる。

つまり、
例えば「赤い」という言葉で思い浮かべるのは、
漠然とした赤っぽい色だけである。
赤自体は形状ではないが、赤色の色彩であり要素である。
脳内では「赤」が励起され、再構成される対象は形のない赤い何かである。
ここで、「赤いコップ」であれば、
コップに赤い色が塗られるはずであり、
「赤いリンゴ」であれば赤いリンゴが登場するはずである。

そして、画像も要素の1つという事になる。
プログラム的に考えるとテクスチャという要素になるだろう。

つまり、
認識される対象は全て要素から成り立つ事になる。
今私が見ている目の前のコップについてもという事である。

つまり、コップをコップとして見ている自分の知能は、
視覚から得た画像の中に在る対象物の刺激によって、
その対象を認識するために、
脳内で励起された要素とその関連する要素から再構成した構成物・オブジェクトを作り出し、
それを1つのまとまった対象・刺激集合として認識しているという事になる。

錯覚画像などで、紙に書かれた立体的に見える対象物が、
あたかも現実に存在している様に見えるというのは、
その画像を認識している知能が、その対象の要素から成り立つ対象を、
立体的であるという要素の再構成と認識を行っているからという事になる。
それは、実際に立体物ではなかったとしても、
立体物であるという要素の関連から構成された対象であれば良いという事になる。
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ということでまず言える事は、
要素には定義された特定の情報が必ず対で関連しているという事。

実際には、要素を定義した際の刺激の情報が単体刺激もしくは刺激集合として
関連しているはずである。

そして、その要素にはその要素を指定するためのきっかけとなる名称などの
指定できる条件名が関連しているはずである。

恐らくこれは記憶している言葉の1つ1つに1つ以上の関連を持って
記憶されているはずである。

そして、それらは感覚で得る事の出来る「刺激」に含まれる要素に限られるという事。

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2023/10/3

記憶が感覚器官から受容された情報からのみ成り立つものであれば、
それらは必ず感覚器官が受容可能な変化情報のみから成り立つ事になる。
記憶できる対象が、それらの変化情報のみだからである。

また、
生命体には先天的に持つ定義が遺伝的に備わっている為、
感覚器官から得られる情報以外に、これらの情報も備えている事になる。

現時点で考えられる人間が認識しうる情報の要素の対象は、
これらの2つの対象群に限られる事になる。

そして、知能が要素を指定するには、そのきっかけや名称が必要になるため、
およそ人間が情報の要素として対象とすることができるためには、
必ずその要素に関連した名称などが関連して定義されている事になる。

つまり、要素の対象は、名称などで表す事の出来る全てという事になる。

実際には、単体刺激で表されるモノから、刺激集合で表されるモノまで多岐にわたり、
特に刺激集合の対象は様々な要素が1つに組み合わさったモノまであるため、
1つの名称で指定できたとしても、その対象が1つの要素から成り立つという事にはならない。

そして、その要素の定義は、
基本的には先天的に持つ遺伝的な要素の定義が優先される。
プログラム的な考えで例えれば、
より低級な命令セットの定義が優先される事になる。

今日ネットサーフィン中に、
詳しい内容は分からないが、画像情報だけでその対象の堅さを類推できるというものがあった。

ある程度の成長した人間の知能であれば、
対象を特定の物として認識する事ができるため、
それが見た目で金属であるとか、プラスチックであるとか、
ゲルや流体であるというような判別と認識ができるが、
新規の知能において、その対象が堅いかどうかなどは見ただけでは分からない。

ただ、今回の情報の要素の点から考えると、
つまり、形状の要素である直線や角度、円、などで、
その対象を要素で当てはめ、
対象の堅さを情報の要素として理解しようとするなら、
対象の概形が形状の要素から逸脱しなければそれだけ、
要素との差が少なく、鋭ければ鋭い程、堅いという認識(例えばコップ)で、
概形の形状の要素から逸脱している、つまり、
定義できない形状であればあるほど柔らかいという認識(例えば布)ができる。

つまり、形容しやすい形状や色艶であれば堅く、
形容しづらい形状や色艶であれば柔らかいイメージを得るという事になる。

しかし、この分類の時点でも、
その情報の要素は、かなり後天的な情報の要素から成り立っている。
つまり、今回の例で、私の知能における対象の堅さの要素の定義を抜き出した時に、
形状や色艶の要素から離れていればいるほど、その対象は柔らかい印象を与え、
直線や角が多く、つんつんした形状や、はっきりした色艶を持つ対象は堅い印象を与えるというものは、
私の経験から考えられた情報の要素の関連だからである。

本来、堅い・柔らかいという情報は、
触覚などにおける感覚の情報の要素であり、
先天的な情報の要素の定義については、
実際に皮膚などで触れた対象から得られる刺激を、
先天的な定義によって表したものである。

上記の例は視覚で得た対象であるので、
知能としては過去に経験した視覚対象と、触覚の堅さの情報の要素が、
関連している事で初めて、推測も認識も、できる事である。

であればである。
であれば、情報の要素というものは、
その生命体が持つ感覚から得られる情報、
その刺激を定義する先天的な定義を元にして全てが成り立つと考えられる。

触覚においては、
その対象の存在の有無、
触覚の複合的には堅さや柔らかさ、
触覚から構成される形状、
温感や痛点による温度や対象表面の状態、

聴覚においては、
波長、音量の大小、

嗅覚においては、
香りの種類や強弱、

味覚においては味の構成、
甘い、しょっぱい、苦い、酸っぱい、辛い、渋い、美味い。

視覚においては、色、明るさ、彩度、明度、

その他にも、平衡感覚などの体性感覚や、
満腹感、空腹感、などの感覚も先天的に定義されているものである。

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つまり、
人間が表現できる情報の要素は、
先天的に定義された情報の要素の定義から成り立つと考えられる。

それは後天的に定義された情報も、その定義自体も、
その要素については先天的に持つ定義から成り立つという事である。
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生命の知能というマクロな考え方からすると、
ジェネティクスとエピジェネティクスの考え方から、
本能に相当する情報が、どの程度、遺伝によって後世に伝えられるかという事になるが、
進化の過程で、感覚として備わった刺激の受容器官は、
この先天的な定義と共に備わったと考えられる。

つまり、生命としては存命中の生命活動において、
既存の先天的定義を用いて活動する事になるが、
もし、この存命中の環境の情報に変化が発生し、
それに適応して生存し続けた個体が子孫を残した場合、
その内の可能性として、より適応した個体が生じるかもしれないという事になる。
この場合、後天的な定義は、先天的な定義に変化するかもしれないという事になる。

先天的な定義は、生命の誕生後は後天的な定義が重用されるようになるため、
それ自体の認識は機会が減るが、
その後天的な定義を構成しているのは先天的定義であるということに違いはない。

だから、生命の存命中に、新たに先天的な定義として有用な定義が生じた場合、
生命はこの定義をどのように後世へ伝えるかという事になる。

つまり、生命の知能における定義の突然変異を引き起こす要因は、偶然ではなく、
きっかけが存在するのではないかと考えられる事になり、
それであれば、刺激の受容と先天的な定義がセットであると考えられるなら、
感覚器官も先天的な定義の必要性により得る事になった事さえも考えられる事になる。

つまり、突然変異ありきで進化したわけでなく、
環境の変化によって既存の機能の適応が必要になって変化が起こり、
その遺伝の為に変化が進化の遺伝として働く要因になったのではないかと考えられるわけである。

ボルボックスが眼点を得たのは、
突然変異をきっかけとしたわけではなく、
その眼点を持たないが必要としていたボルボックスの先代の種の中に、
光の中に在る事を有利とした個体が光の中に多く集まっていた事で、
自ら光を感じる事の出来る機能を持ったのではないかと考えられるというわけである。

かなり推測な部分が多いが、
光を受けてより活発に機能する細胞部の面と、
その反対側にある細胞部の面では、その活動内容に違いが生じるはずである。
植物が光の方に向くというのもその機能の1つであるが、
知能の無い生物においても、淘汰ではない環境の変化において、
適応する反応を起こす事はある。
暗かったり寒かったりしたら活動を控えるとか、
エネルギーを多く得たら活発に活動するとかである。
これらの機能は知的ではないかもしれないが、
環境の変化に対する適応する機能ではある。
そして、もしこの機能が遺伝する先天的定義であるなら、
その定義を持つに至った、それ以前の先代が居た事になる。
それを突き詰めると、
つまり、最初は分裂する何かであったという事になる。
そして、それを逆に辿ると、
どこかの時点で獲得した適応を後世に残す機能を持った者がいる事になる。

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少々知能から外れてしまったので話を戻すと、
知能における情報の要素やその定義というものは、
その生命体が過去に辿ってきた環境の変化に対応する為の適応の定義という事になる。

人間や言葉を持つと考えられる生命以外のほとんどの生命は、
その定義に対して自ら意識することはないが、
その個体が生息する環境においては、最も適した適応を果たしたと考えられている。
これは、歴々と遺伝してきた適応の定義を蓄積した、最も多くの定義を持つ個体という事になる。

感覚器官などの機能の発現についてはまだ分からない事もあるが、
少なくとも生命にとっての情報の要素というものは、
現時点において、その個体が保有する先天的な要素の定義が全ての基礎であり、
その後、後天的な要素の定義が生命の存在の根幹に関わる場合に、
後代の先天的な要素として定義される可能性があるという事になる。

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エピジェネティクスの考え方は
知能においても本能や先天的な定義として知能の成長に関わる部分であるので、
人工知能の構成要素としても
これからも意識しておこうとは考えている。
今回はこの辺で。

2023/10/6:追加・変更



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