2023/9/30

知能における意味の理解

人間が何か物を見た時に、
その物が何であるのかは分からないが、
それが何らかの形ある物体であるということは、
見ただけで認識できる。

視覚において視界の内側にあるものを立体視しているためとも考えられるが、
人間の視覚においては、視界内にある物体は、
個別の物体として認識できる。

人工知能の視界においては画像は画像だけであり、
コントラストや色の境界において画像内の領域を区分けする事は出来るが、
その区分けした内側の画像が何かであるという認識は通常行われない。

顔認識などにおいては、画像内の顔の特徴を持つ領域を顔として認識することはできるが、
その能力は顔認識であれば顔だけに特化されたもので、
顔認識の人工知能が顔以外の画像の他の物体を物体であることさえ認識する事は出来ない。

例えば今私が片目をつぶって視界を立体視しないで見たとしても、
私は視界の画像内にある各物体を認識して、
認識内において疑似的に立体視するように物体が配置されている様に空間と物体を認識した。

恐らくこれは、私が人間として生きている間、
視界内における各対象を、
そのように認識するようにしてきたからであり、
人間の視界内における物体の認識は、
そのように行うものであると定義されていたためであると考えられる。

私は視覚における視野内の物体の認識は、
このようにおこなうべきである、というような学習をしたことは無い。

つまり、視覚における対象の見方というものは、
先天的に保有している定義・機能であるという事になる。

その対象が何であるかというのは後天的に学ぶものであるが、
それが何か分からなくとも、何らかの形あるものであるという事は認識できる。

人間が、いくつかの点だけをみて顔として認識する事があるという事は知っている。
顔文字と言われるようなアスキーアートや、
心霊写真で言われるような影の形だけで顔として認識するということがあるが、
これは、人間の視界内における対象の認識は、
それが特定の何かである前に、
認識による対象の再構成の際に、
まず、そこに形ある何らかであるという配置を行っているという事になる。
つまり、最初から
要素である単体刺激として認識しているのではなく、
情報を成す刺激集合として認識しているのではないかという事である。

何かを認識する際に、
以前、思考は思考する際に思考しているのではなく、
対象を認識する際に保有する要素の関連を、
関係づけて想起することが思考であると考えた事があるが、
認識においても、それが言えるのではないかというわけである。

つまり、
認識は認識する際に対象を認識するのではなく、
対象の要素の関連の再構成によって、
つまり、再構成時の要素の関連の想起によって、
対象を対象として認識できるようになるのではないかというわけである。

これまでも認識自体は、
再構成された刺激集合の想起によって行われると考えてきたが、
認識は、その対象の存在が再構成によって生じ、
対象として認識できるようになることで、
その存在を認識することになるのではないかという事になる。

つまり、視界内において物体が物体として存在するには、
脳内においてその物体が再構成済みである必要があるという事になる。
それの正体が何か分からなくともである。

人間の視界はそれほど広くないが、
焦点を合わせた対象を立体的に判別する機能には割と優れている。
また、焦点を持つ事によって、
現時点で注目している対象に認識を集中することが出来る。

顔認証などによる機械的な視界には焦点は無い。
画像内を一様に形式に従ってパターン化された要素を抜き出し、
その画像がデータとして持つ要素と一致するか判別するだけである。

つまり、人間で言う後天的に対象を認識する機能については、
ある程度再現出来ているし、対象同士の識別・判別という点においては、
人間の能力を超えているかもしれないが、
先天的な視覚における対象の見方という点においては、
まったく人間の能力に劣っている事になる。

つまり、人間が視界として捉えている情報を、
機械的な視界においては、
今自分が見ている情報として捉えられていないという事になる。

少々意味は異なるが感覚としては
「木を見て森を見ず」が近いだろうか。

人間の視界にはそこに配置される様々な物体が同時に存在して成り立っている。
機械的な視界には配置されている様々な物体が何であるか判別することが出来る。

つまり、そもそも機械的な視界は人間で言う所の視界ではないという事になる。
捉えようとする意味、情報が違っているという事になる。

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生命の視覚は、その周囲の環境とその変化を情報として得るために存在している。
自分が何かにぶつからないように、
周囲からの飛来物に気付くように、
外敵を見ることが出来るように、
食物を探すことができるように、
つまり、自分を起点とした周囲の環境の情報を得る手段の1つとして、
視覚を持っている事になる。

これは周囲の環境に対しては同様に聴覚や嗅覚にも言える事になる。

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機械的な視界が人間で言うような視界になるためには:

もっとも重要であるのは、
視界で捉えられる範疇にある対象を個別に分け、
自分を起点とした立体的な空間に配置できる事である。

その対象が正確に何であるのかを判別する必要は後で良い。
その点については後天的に機械的な方が正確である。

つまり、
自分の位置を空間内に配置し、
そこから見える視界において、
把握できる対象を個別に配置できる事である。

人間は首を回せば端の視力は落ちるが
360度以上の視界を持っている。

つまり、自分の存在の周囲を全て空間的に把握することが出来る。

機械的な視野が焦点を持っていないとしても、
人間における視界としての意味を持つ情報を得るのであれば、
立体的な空間における自身と把握可能な周囲の物体の位置との
相対的な位置を把握できれば良いという事になる。

現在にある技術で考えるとステレオカメラ以上のカメラの保有という事になる。
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知能における意味:

人間の視覚はその感覚から得られる情報が必要だったために得た器官であると考えられる。
つまり、そこから得られる情報に人間が必要としていた情報、意味があったという事になる。

その点においては、知能における意味というよりも、
人間にとっての意味、生命にとっての意味という事になる。

つまり、生命が視覚において、何を得ようとしたのか、
何の情報を得ているのか、それこそが今回の「意味」の情報という事になる。

それは、異なる生命、異なる知能であっても、人工知能においても同じである。

逆にそれを成り立たせるためにどのような情報、意味が必要であるのかを考えれば、
その情報や意味から成り立つ事になる知能の姿について考える事ができる事になる。

顔認証を行う人工知能であれば、顔の情報が得られれば良いだけであり、
逆に顔以外の情報は得る必要がなく、この人工知能が顔以外の何かについて
情報として得ることはなく、当然、強い人工知能になりようはない。

現在存在する人工知能がどのような情報を得ているのか、
逆にその情報から成り立つ知能の姿を考えれば、
現在の人工知能が行う事の出来る機能と限界を知ることが出来る。

人間の視力において、もし生命として必要であれば、
紫外線を見る能力を持っていたかもしれない。
昆虫においては紫外線を見ることが出来、逆に可視光や赤外の範疇においては、
人間よりも見えないらしい。

つまり、基本的な情報の意味として、
ある知能における意味というものは、
その個体が持つ感覚と、その感覚から得られる情報が全てであり、
逆にそれらの情報から構成される機能を処理する機能として知能を持ったという事になる。

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人間の知能における意味:

人間においては感覚から得られる全ての刺激の情報に意味がある事になる。

特に今回例に挙げた視覚においては、
自分を中心とした周囲に存在するあらゆる対象物を意味ある情報として捉えている。
それは立体的に自身との相対位置、大きさを始め、
色や模様や形状を情報の要素として含むものである。

さらに、それらの対象物の位置の認識は先天的な能力として、
その対象物の要素については後天的な学習可能な情報、要素として記憶できる能力が
加算されている事になる。

つまり、過去一度見た事のある猫の情報を、後から見た同じ要素をいくつか持つ対象を見て
猫という対象物として再構成して認識できる能力である。

これは他の感覚においても同様である。

そして、これらの事から考えられるのは、
特に知能における意味というものは、
先天的な機能として得る事の出来る感覚から得られる要素の情報と、
後天的に学習する事の出来る要素の情報から成るという事である。

今回の視覚で言えば、
対象の先天的な情報として、自分との相対的な位置、大きさ、色、形状など、
対象の後天的な情報として、質感、固有名、機能、価値などである。

つまり、この情報における要素の切り分けができれば、
その感覚で得る事の出来る、得る必要のある情報、要素が理解できるという事になる。
つまり、先天的な定義で情報を要素に分け、再構成により認識し、
後天的な定義で要素の関連付けを識別するというわけである。
そしてそれは、情報・意味の側から逆に考えてきた知能の構成という点での理解に繋がることになる。

さらに言えば、それらの定義に、知能の意味の根幹としての「真理」があると考えられる。

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今回の考え方からすると、
次回以降は感覚から得ている情報の要素についてもう少し詳細に考えるべきだろう。
恐らく刺激の定義にも関わる部分であると考えられる。

どうしてそのように見えるのか、感じるのか、
そういった定義は情報の要素毎に存在しているはずである。

今日はこの辺で。


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