2023/8/6

知能の無い生物における移動と初期知能の関係

ネットで単細胞などが移動する方法として鞭毛について調べていたら、
多細胞生物のボルボックスの記事があり、そこで、
眼点という器官と走光性という機能についての説明があった。

確かに細胞に鞭毛だけが存在しても、
特に目的もなく移動するということは考えにくい。
生活圏を広げるにしても、やみくもに進むということは無いはずで、
何らかの意味や意図があって移動するはずである。

ここで、知能を持つ前の生物であっても、
眼点のような器官があれば、例えば光に向かって進むということはできる。
初期の生物が特に光をエネルギー源として活動するように適応したなら、
その存在を維持するために知能が無いままでも、
意図的な移動が可能であるという事になる。

ただ、知能は備わっていないので、あくまで意図的にと見えるだけである。

そして、眼点も、光をエネルギー源とする生命として、
後の植物に類する存在も光受容体として、その機能を保つことになる。

植物は移動することはないが、その成長過程で光を多く受けられるように
向きを変えるくらいのことは行える。

ボルボックスにしても、植物にしても、
知能は持っていないのだが、
その知能の発端となるような自身の移動や変化に対する目的のようなものは存在している事になる。

単純に光りに向かって移動すれば良いという状態から、
さらに光を得られるように状態を変化させるには何が必要か?

恐らくこの選択がその後の生命の多様化に繋がっていったのではないか。

今より、
大きくなる、
移動を早くする、
エネルギーの変換効率を良くする、
危機を回避する、
より好ましい条件を探す、
他の生命のエネルギーを取り込む、
そういった機能を各自が探りながら持つ様になり、
生命が多様化したのではないかというわけである。

エネルギーを得て、自らが活動するという目的はそのまま持ち続けていたはずである。

活動するには何かを消費しなければならないので、
その消費に見合った何かを得なくてはならない。

知能が有ろうが無かろうが、
生命であるにはそれを繰り返さなくてはならない。

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→これを知能の話につなげるには。

1:目的として持ち続け、複数の刺激の受容を効率的に処理するために
知能を持つ様になった。

2:目的として持ち続け、複数の刺激の受容部が重なって脳になった。

などが考えられる。

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2023/9/25

知能を持つ生物、人間であっても、
直接知能が介在しない活動というものはある。
反射や自律神経系の活動などである。

生命の個体の細胞数が増えたが故に、
各個の細胞1つ1つの管理を自律的に行う必要が生じた。

であれば、知能は本来、その生命としての個体が、
今ある環境において適応する必要のなかった適応に対する
必要性に応じて適応した結果、得た能力という事になるだろうか。

つまり、今適応している環境ではない、
異なる環境に対しての適応能力として知能を得たという事である。

海洋生物は海の水の存在によって急激な環境変化からは守られている。

陸上は1年という地球の公転と1日という自転によって、
他の環境よりも大きく早い環境の変化がある。

植物は年単位の比較的早い世代交代によって、
緩やかな環境変化に対しては十分な適応能力を持っていると考えられる。
しかし、火災、乾燥、自然災害などの急激な変化に対しては適応しきれない。

菌類やバクテリアも同様に考えられる。

では陸上の動物は、と、考えると、
海中に存在していた頃の環境変化の適応能力の中で、
どこかの時点で知能を得たはずであるが、
例え割と安定している海であっても、
環境の変化は存在する。
また、他の種の存在によって、
互いに接触し、互いに反応を決める必要が生じてくる。

知能を得る前段階で、感覚による
環境の状況を知る段階が生じているはずである。
つまり、その環境の変化が「何」であるのかを、
その個体が知る、そして、その変化に対して、
自身がどうするのかを決める必要が出てくるはずである。

初期段階においては、最初の例のボルボックスの走光性などが、
それらの反応と選択ということになるが、
これは知能ではないが、刺激への知覚と反応の定義と考えることができる。

つまり、光を感じたら、そちらへ移動するもの。
という定義をボルボックスは持っているという事になる。

~であったなら、~をする。

プログラムで言えばif文のようなものである。

この条件が感覚毎に増えていったらどうなるのか。

その処理をする機能を生物は持つ事になるのではないか。

その優先順位を決める必要が出てくるのではないか。

感覚によって未知の変化に対して知る機会が生じるのではないか。

では、その未知に対して反応する必要に迫られるのではないか。

その時、生命はどう適応したのか。

知能の初期段階においては、
変化に対する反応は単純なものであったと考えられる。
先の例の走光性などがそうであるように。
しかし、環境の変化に対してより良く適応するためには、
その変化毎の感覚を持って、その情報を知る必要が生じてくる。
そして、それらの感覚が複合的に得られるようになれば、
自ずと、その情報毎に優先度をつける、優先度を決める必要が生じてくる。
つまり、この情報の関連における選択、
知能的な考え方からすると、定義ということになるが、
この情報の定義こそが、この知能の発端になるのではないだろうか。

そして、その選択が効率的であり続けるために、
選択を記憶する機能を持った。

そして、生物が海から陸へという活動範囲を広げる、変化させる際に、
この知能の機能が、その時点で最適であったという事になる。

つまり、未知なる変化に対する適応と、
その適応を効果的に記憶する能力としての知能である。

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今回は以前考えた内容に
追加の考察を付け加えてみた。

今回はこの辺で。


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