2023/8/26

情報の要素の定義

認識可能な刺激の幅における、
相対的な位置の情報を、
要素として定義する。

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2023/9/10

つまり、刺激において、
そこに含まれる情報の様々な要素は、
情報に含まれるある共通する意味に対して、
2つの状態の刺激の変位を割り当てる事を、
要素の定義と称する。

例えば知能が「1mm:1ミリメートル」を情報の要素として定義する場合、
学習の初期においては、物差しの1cmを10等分する線の幅として学ぶ事になるだろうか。
視覚的に1mmの感覚を捉え、1cmを10に分ける長さとして1mmを学ぶ。
知能においては、
視覚的には見た目の幅を1mmの長さの要素として捉え、1mmの長さとして定義する。
論理的には1cmの長さを10に等分する長さの要素として定義する。
また、「いちみりめーとる」という名称を呼称する要素として、
「いち」という数値と「みりめーとる」という単位を各要素として別々に定義し、
それを合わせる事を1つの長さの名称として定義する。
さらに、表記方法として「数値+mm」という定義も行う事になる。
さらに、音声で学習したなら、その発音・発声も要素として定義される事になる。

つまり、この「1mm」を学習して知能が情報として様々な要素を定義する場合に、
視覚的な長さ、論理的な条件、表記、発音、それぞれを関連させた要素として定義する事になる。
そして、それらの要素は、その要素に関連した感覚、
視覚、聴覚によって、要素の変位が捉えられ、
その変位を刺激の情報の要素として知能が扱い、要素として定義することになる。

視覚的な幅は、物差しの視覚情報から、1mmが示すことになる幅、
2点間の位置の差を要素として定義することになる。

聴覚による発声は、その名称、呼称が、数値と単位に対しての定義となる。

数値と単位の定義は、長さに関する論理的な定義を既に知っているなら、その関連として、
新規に定義するのであれば、視覚や聴覚の定義と、論理的な距離の単位であるという刺激の認識後に、
その情報に関連させて学習と定義を行う事になる。

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刺激の情報の要素としては、
この「定義する」という知能の活動は、
全ての刺激に対して行われる活動になる。

つまり距離だけでなく、感覚で捉える事の出来る全てに対してである。

色、音、匂い、味、感情、価値、創造、
空想、芸術、愛憎、世界、宇宙、時間、
知能、心、無意識、
ともかく人間が名称を付けて認識している対象は全て対象になっている。

つまり、人間の知能が、存在する要素として定義している全てが対象である。
逆に考えると、その知能が定義していない要素は存在していないのと同義でもある事になる。

つまり、ある有名人を世界中の全ての人間が知っていれば、
世界中の人にとってその有名人は定義され存在しているが、
その有名人が知らない私や他のほとんどの人間は存在していないのと同じという事になる。
つまり、「存在」自体も定義の対象という事になる。

まず、その刺激の情報が存在するかどうか、
これが定義の出発点となる。

その情報がどの感覚によって知覚されるものであるか、
その情報に含まれる要素が、その知覚において、
その変化の差異、状態の差異、
つまり、位置や色、音、匂い、味、
存在、変化、などで捉えられる相対的な差異として、
情報の要素として抜き出せるものであるか、
そして、その要素が捉えられるものであれば、
刺激として知覚し、
その刺激の情報から要素の定義を行うことが出来る。
そして、その情報が認識でき、存在している事が確定するという事になる。

つまり、感覚における差、そのものが刺激であると考えてきた、そのものが、
定義の対象として存在する事になる対象になっている事になる。

つまり、生命が刺激として受けようとしている情報は、
その生命にとって必要な情報になるために、その情報が得られる感覚を持った事になり、
その情報を処理するために知能を持った事になる。

つまり、情報や刺激ありきではなく、
その変化に対して、生命が必要なものであるとして(=適応して)、
情報や刺激として定義を行うようになった、生命自体が変化したという事になる。

つまり、その生命にとって必要ない変化であれば、
その変化は、その生命にとって無関係なものであるという事になる。

例えば空を飛んでいる鳥にとって、風は重要であるかもしれないが、
風の発生理由については無関係であろうという事である。
つまり、風は重要であるが、
それが気圧の変化によって生じているという事を情報として捉える必要が無いという事である。

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まとめ

今回は知能が刺激として捉える事になる情報の要素の定義について考えた。

刺激は情報の変化であり、それを感覚で捉える事で、
生命は情報として、その変化を捉えることが出来るという事になる。
そして、その変化の情報を要素として定義する事で、
知能で扱える形にしているという事になる。

つまり、考えるためにはまず、知らなくてはならないという事になる。
それが例え他愛のない情報であったとしても、些細な情報であったとしてもである。
そして、もし新たな何かを生み出す、定義するには、
自ら定義しなくてはならないという事になる。
芸術にしても、理論にしてもである。

特に創造においては正しいか正しくないかは関係ない。
それは後の定義であり、まず自ら定義する事が必要である。
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最初のメモをしてから暑かったので考えるまでしばらく間が空いてしまったが、
少し涼しくなってきたので改めて考えてみた。
今日はこの辺で。


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