2023/8/10

思考の本質

思考は機能としては想起を用いたものだと考えてきたが、
それについて今回はその思考の為の想起において、
その想起されたときの基となる認識して記憶した時の刺激が
どのようなものであるのかについて考えた。

そして、今回気が付いたのは、
思考が知能の何らかの活動でその思考した結果を作り出しているのではなく、
刺激を認識した際に、その刺激の要素として含まれる情報の関連によって、
後に思考した際の答えが導き出されているのではないかという事である。

つまり、知能が思考して何かの答えを得ているのではなく、
知能が記憶した時の関連を想起することが思考なのではないか、というわけである。

そして、それは、
思考において重要なのは、
思考していると認識している際に行われている事よりも、
その思考の元となる、
刺激の情報を認識した時の、その刺激の情報の要素を、
関連して記憶する際の、この関連こそが重要なのではないかというわけである。

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簡単な例で言えば、
「1+1=?」という問いに対して、
答えの「2」を出すという思考は、
問いの数式を認識し、
各単語、数値、演算子、記号などに分けて認識、
その各要素について想起すると、
数式や数値や演算の定義としての要素の概念が想起され、
その想起によって脳内で再構成された数式に対して、
答えの「2」が思い浮かぶ、つまり、目的と結果の関連として、
それまで想起された数式の関連として数字の「2」が想起されるという事になる。

つまり、コンピュータのように数値を加算して計算しているわけではなく、
数式の数値や演算子の定義の想起によって、
結果的に答えを想起しているだけという事になる。

それなら「452775823+256309=?」も想起だけで計算、思考できるのか?
という事になるが、
これは暗算と筆算の対比ということにもなるが、
知能が一度に認識できる情報の数が7前後であるし、
過去に同じ計算をした経験もないし、
特別に訓練していない知能においては、
この計算は加算である事以外は想起の対象にならない。

つまり、数値が記憶されている対象でないため、直接の想起の対象にならないため、
この計算においては思考の想起では計算できないことになり、
実際に紙に書くか、改めて脳内で数値として認識しなおし暗算の準備をして、
足し算の計算方法に照らし合わせながら各位の数値を想起して合計し、
答えを求めるという方法を取ることになる。

この場合の思考は、数値を位によって認識しなおし、
2つの数字の位で共通する位置で加算する事になる。

この時の思考も、1つ1つの数値を再構成する際に、
位の要素を関連させたまま、加算し、
その答えは想起された情報によって再構成されることになる。

つまり、この2つの数式の計算においては、
行っている事は、思考していると思われる部分は、
刺激の想起と再構成だけ行っているという事になる。

つまり、思考において重要なのは、
思考して思考した結果を出す事ではなく、
思考しようとする対象とその関連について認識する事なのではないかというわけである。

数値の計算は明確な答えが出るので分かりやすいが、
思考の例にとっては少し簡単すぎるので、
違う例を使う事になる。

例えば
「地球の温暖化によって1年後、5年度、10年後の気象はどのように変化していくか?」
と思考したとする。
これは、明確な答えのある問題ではないが、思考の結果としての答えは導き出せる問いである。

例えば、私がこの問いを認識して、答えを必要とした場合、
思考の結果として以下のような答えを出したとする。
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地球の温暖化によって、1年後、5年後、10年後の気象は以下のようになると考えられる。

1年後:
1年後の気象は、
ここ数年の傾向として、世界の平均気温は高い状態が維持される。
海水温も上昇傾向にあるため、湿度が上昇し、雲のできやすい環境で、
地球全体の降水量は増加するが、
緯度方向の気流の乱れとして気流の位置の固定化などによって、
降水量の多い地域と、少ない地域が局所化し、洪水や干ばつが増加する。

5年後:
依然として世界の平均気温は上昇傾向にある。
1年後よりも荒天の頻度が増加する。

10年後:
依然として世界の平均気温は上昇傾向にある。
世界全体で洪水や干ばつがさらに増える。
10年前に比べてさらに高温で、明らかに極端な天候が増えたと認識できる。
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それらしい答えだが、
私は気象の専門家ではないので、正しいか間違っているかは分からない。
しかし、この答えを導き出すに当たって、
私が新規に考えた事はほとんどない。
新規に考えたことは文章の体裁や、情報や内容の整合性だけで、
実際に書いた内容は、これまで私が経験したり、学習してきた記憶から想起された内容である。

ただ、実際にこれが専門家であったとしても、
思考においてどれだけ独自の思考結果を出せるかについては、
思考する内容というよりも、
調査やデータなどの量や正確さによるものになるのではないかと考えられる。

つまり、一般的な気象に関する情報しか持たない私が導き出した答えよりも、
より専門的な情報やデータを多く知っている、持っている専門家は、
より詳しい気象の変化の予想が出来て、
より詳しい答えを導き出せるはずであるが、
どれだけ正確に予想されたとしても、既存の知識やデータを元にして
思考し、答えを出すしかないという事になる。

それについては一般的な知識しか持っていない知能でも、
専門的な知識を持っている知能においても、
知能がこれまでの定義の「思考している」と感じている際に行っている事は同じという事になる。

つまり、実際の思考において重要なのは、
思考する能力ではなく、
思考する以前に持つべき、
より正確で、豊富な記憶であり、
それらの記憶同士を多く関連付ける事であり、
それらによって導き出される答えを、
よりもっともらしく再構成する想起の仕方なのではないか、という事になる。

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しかし、思考がそれだけのものであれば、
新たな何かを創造する事には至らないことになる。

つまり、既存の情報だけでは新しい何かを創造するには
情報が少ないという事になる。

人間の知能においては、自然を対象として、
その変化や事象について興味を持ち、調べることで、
その情報を増やしてきた。
この情報だけでも多くの新しい創造の素となることはできるが、
それだけでは自然界に存在する何かについての発見にしかならない。
人間の生活の中で人間独自の情報や定義を創造するためには、
人間の知能独自の情報が必要になると考えた。

これまで考えてきた、
創造には定義と個性が必要であると考えた事である。

参考:
284:人工知能の創造性
295:人工知能の創造性に必要なもの

豊富な記憶・データやデータ同士の関連というものはもちろん必要な物であるが、
それだけでは新たな創造には至らない。

独自の思考、独自の創造というものは、

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その関連の中に特徴的な共通する要素を抜き出す事、
そして、その要素をグループとして定義する事、
そのグループ化における独自の個性、
つまり、共通する要素を定義する自分らしさ、
これが付加されること、
これが独自の思考ということになる。
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刺激の受容能力は、その個体毎に固有であるため、
同じ情報に対して認識を行ったとしても、
個体ごとに認識される刺激の情報には差異が生じる。

また、その情報の出力においても、
個体ごとの能力の差が存在するため、
まったく同じ情報を記憶していたとしても、
情報の出力においては差異が生じる。

それ情報の入出力の差異自体が知能の固有の独自性であり、
思考や創造の際には、個体ごとの個性として、それらが現れる事になる。
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つまり、
自身の知能が知り得る情報に対して、
自分らしさとして固有の認識をした際の関連で記憶し、
その情報間に共通する要素を、
思考として行われる想起の際には、
その自分らしく行われた記憶の際の関連した情報群に対して想起を行い、
刺激の再構成を行う事。

つまり、
思考の本質として考えられるのは、

「自分の周囲に散在する多くの情報の中から、
自分の個性や能力によって情報を収集し、認識、記憶し、
その記憶から目的によって生じた欲求に対して思考する。
この思考において、自分が持つ記憶の中から、
目的に合致する情報とその関連を再構成する事によって新たな定義をし、
それを知能が認識できる形に仕上げる事。」

という事になる。
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これまで、
思考が行われる必要性としては、
目的に対するもっともらしい答えとの関連を導き出す事であると考えてきた。

実際、目的と結果が先に存在し、
その関連を作り出す事が思考であると考えてきた。

であれば、その関連はどの時点で存在するに至るかを考えた時、
認識と記憶で存在する事になるだろうと思い当たったわけである。
であれば、思考によって関連を作り出すというよりも、
思考は、その関連を探し出す事なのではないかと考えた。

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今回はこの辺で。


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