2023/7/27-2023/7/30

行動の実行を決定する要因

今回考えた内容は以下の通り。

知能の獲得:
人間の自分勝手な欲求から人工知能を考える:
価値ある対象と価値の発生:
行動の実行を決定する要因:

------------------------------------------------------
知能の獲得:

知能の発生の理由となったもの。

つまり変化の認識と欲求の定義から、
欲求対象の価値の定義と、
その定義された価値に対して欲求として個体が必要とする事について、
機能的にその処理を行う活動が知能となった。

知能が必要となったのは、その欲求に対して、
どのように対処するのかを自らに向けて定義する事が必要になり、
その定義をより良い行動や活動としての働きを設定するために、
自身の記憶を経験として参考にし、
最も良い方法を定義するための機能として
知能という形で能力を持つ事になった。

つまり、知能の基本的な機能としては、
最終目的として個体が必要とする対象に対して価値を定義し、
それを欲する定義をして欲求として認識し、
その価値を入手するために、どのように個体を制御、動作させるかを決め、
それを実行して、記憶し経験として次に対処する時に効率的に事が行えるようにする事、
という事になる。

つまり、生命としての個体存続の為に、
生命としては先天的に持つ機能として、
種としては進化の過程で得た後天的な機能ということになる。
------------------------------------------------------
人間の自分勝手な欲求から人工知能を考える:

全ての人間の欲求は完全に自分勝手なものである。
例え自分が、相手が幸せになる事を第一に考えていたとしても、
相手が幸せになった事に対して満足するのは自分である。
他人の欲求を自らの欲求にすることはできない。
逆もしかりである。

例えば団体の代表者が、全ての団員のために行動するのは、
自らの価値の欲求の為によるものである。
つまり、自分がその行動に対して価値を定義し、
その価値を得る事を欲しているわけである。
最終的には、その欲した事に対する満足が収束する先は、自らの価値と自らの欲求である。

ある人為的な出来事に対して利益を得る者がいる事は、
その出来事の発現に対して、価値と欲求とその価値を得る者の関わりがある事の説明でもある。

つまり、価値の定義と欲求の定義、
そして、その欲求を満たすための行動を定義する機能として「知能」がある。

つまり、人工知能に、
価値を定義する能力、その価値に対して、
欲求を定義する能力、その欲求に対して、
行動を定義する能力を与えて行動させれば、
第一段階として、知能を持つ存在として認識できる様になる。

次に自発的、身体的な欲求を組み込む。
人間の基本的欲求の刺激を認識させるような事である。

すると、本能的な先天的欲求と学習した後天的欲求が、
複数発生する事になる。

ここで知能は、その欲求に対して、
順位付けを行う事になる。
これも、知能にとっては必要な機能である。

今、何をしたら良いか、今、何をするべきか、という
順序を決める事になる。

そして、最後は自身の行動を「どのようにするか」である。
つまり、効果的、効率的に欲求対象の価値を得るための行動を定義する事である。
これは、知能の思考に関する機能となる。

------------------------------------------------------
2023/7/28

価値ある対象と価値の発生:

例:
自分が所属する集団において、
食事の準備が終わり、皆で食べ始める前に、
一人の者が先に夕食を食べ始めてしまう。
自分は、その一人が皆で一緒に食事をしない事に対して怒りを覚える。
また、その一人が先に食べてしまった事について呆れる。
自分はその一人について価値の低い存在であると認識する。

自分から見て低い価値の対象が何かをする事について、
その行動が低い価値の行為である時に、
自分が認識するのは怒りや呆れである。

この場合、自分に対して関連する要素があれば怒りとなり、
自分に関連する要素がなければ呆れとなる。
また、それぞれが単独の場合もあるし、
両方が同時に認識される場合もある。

例:
上記の例の価値の低い存在であると認識した者を含め、
3人で一緒に食べようとした食事の時間に対して、
内の一人が先に食べ始めてしまった事に対する怒り、
これは、自身が集団の食事は一緒に食べる事に対して、
価値があるという定義、認識をしている事に対して、
その価値を共有しない相手に対して感じる怒りであり、
また、そこから自分の認識を抜きにして、客観的に見て、
勝手に食べ始めてしまうという相手に対して、
同じ価値観を共有できない存在であると認識し、
その行動を取る相手に対して単独で呆れるという認識をする。

この場合、
全ての価値や評価は、自分の持つ価値や評価で全て判断されるという事になり、
この場合、
相手の価値が、まず自分より低いという評価がされている事により、
相手の行動に対して怒りや呆れという価値や評価が行われているという事になる。

これは、もし、自分と相手という関係でない場合、
例えば、自分が価値があると認識している相手と、
自分が価値が低いと認識している相手同士のやり取りの認識においても、
客観的に見た自分は怒りや呆れを感じる事になる。

つまり、知能が認識するある2つの対象の相手に、
何かやりとりがあった場合、
その様子を認識した自分は、自分が持つやり取りの価値や評価で
その様子を認識するという事になる。
つまり、そこに直接、自分が関係しようがしまいが、
何らかのやりとりの中にある変化は、
認識する側の価値や評価を適用して認識するという事になる。

これは当然の事なのであるが、
自分が定義している相手、対象の価値に
自分も含まれているという点には注意が必要である。

今回の気づきとしては、
つまり、自分に対しても何らかの作用をもたらす相手、対象の他に、
自分も含まれるという事である。
つまり、自分から自分という方向にも、その認識が適用される事もある、
という事になる。

自分→他人
他人→自分
他人→他人
自分→自分

の方向があるという事になる。
また、この時の矢印は、
何らかの作用、行動、行為であるが、
この価値や評価についても、自分という主観と、
自分でありながら客観という2つの面の価値や評価の定義が存在する事になる。
つまり、

自分→主観→他人
自分→客観→他人

他人→主観→自分
他人→客観→自分

他人→主観→他人
他人→客観→他人

自分→主観→自分
自分→客観→自分

の8つがあることになる。

別の例で、
価値の低い相手に食事を作る事と、
価値の高い家族に食事を作る事。
家族に価値の高い相手と低い相手が共存する場合にする認識。

自分がある低い価値を持つ相手、対象に、
何か価値のある行動をする事は、低い価値であると認識をしている場合でも、
自分が価値ある集合に対して何か価値ある行動をするという場合に、
この集合内に価値が低い対象が含まれていても、
その集合に対しての行動には高い価値を認識することが出来るという事。
つまり、集合に対してと認識する事で、価値の総和に高い価値があれば、
それを認識した場合の評価は高い価値とすることが出来るという事。
そして、
集合であっても、その価値の総和が低ければ、
その全体に対して低い価値を設定、定義するという事。

今回の例では、これに気づいた事になる。

つまり、自分が何か行動を起こす時のきっかけには、
その行動に対して得られる価値が存在し、
その価値が、高い価値であるの認識が必要になるのだが、その価値を持つ対象は、
自分が認識する集合となる、共通する関連を持つ対象によって、
その評価が変化するという事と、
自分が何かを行動すると決める際に、
自動的に対象の規模、つまり、対象の集合となる関連を変化させたり、
拡大や縮小したりするのではないかという事。
つまり、
自分が自分でその行動をするための許可を、自分で作り出しているのではないかという事。
自分もその集合に入っていた場合を考えても、
価値の総和が低ければ、その自分を含む集合に対してさえ、
行動を起こさないという事もあり得る、という事になる。

つまり、
自分が行うあらゆる事に対して、
その観点となる起点と対象が存在し、
その行動、行為によって、起点と対象を繋いだ時に、
その価値が高ければ行動のきっかけとなり、実行し、
価値が低ければ行動を起こさないという事になる。
------------------------------------------------------
2023/7/30

行動の実行を決定する要因:

上記の事から、
何かの行動を起こす、実行するという場合の、
その最後の実行の決定を決めている要因としては、
価値の判断があるわけだが、
刻々と状況が変化する中で、
ある瞬間において踏ん切りをつけて行動を実行するというのは、
その認識の連続となる意識の中において、
かなり自動的に行われているのではないかと考えられる。

つまり、認識の連続において、
その認識対象は刺激、そしてその刺激の定義された価値の認識になるわけだが、
ある瞬間における最も高い価値を認識するのであれば、
その認識を行った対象はその時点で欲求の対象になり得て、
また、欲求の対象になり得るのであれば、
その欲求の対処として、その対象を得るための行動が準備されるという事でもある。

これらの一連の機能は、「知能」に含まれるものであるが、
認識対象となった刺激は、その個体にとって価値ある対象であるわけで、
この認識において、その対象がその個体にとって不足や充足の為の価値が高いものである場合、
その対処としてその対象に対して欲求の行動を取るのが最適という事になる。

これが時間的猶予のない危機回避であっても、
買い物中に見かけたちょっと良い品であっても、
その対象について高い価値が設定され認識されたということは、
その個体にとって、その個体が持つ知能によって、その対象を得たいという欲求が生じる事になり、
また、その欲求が生じる事によって、
実行はまだであるが、その欲求を満たすための行動が準備される事になる。
そして、これらは知能によってほぼ自動的に行われる事になる。

実際、この自動的に行われる準備は、刺激の認識によって、
その刺激に関連した過去の記憶からの想起という事になるが、
この想起対象は、それ以前の過去の経験から、今回の刺激の認識とその価値、
その価値の欲求によって行った経験がその対象となる。
実際に行動を起こしたか、起こさないか、その行動の結果どうなったか等が、
認識された刺激に対して自動的に想起される対象となり、
知能はその刺激の認識に対して、自動的にその後の活動の候補を作り上げる事になる。

そして、行動の実行は、その想起された過去の経験として持つ想起された刺激の価値が持ち出され、
今の瞬間に認識された刺激の状況と比較されることになる。

それでもなお、その欲求に対する行動の価値が高い状態が維持、
つまり認識の維持が行われる場合、その作られた対処行動が、
次に認識対象、意識対象となり、実際に行動が選択される事になる。

------------------------------------------------------
今回の考えは、
これまでの考え方の、それぞれに共通した関連を繋ぎ合わせて考察を作り出している。
その考え方同士をつなぎ合わせた部分については
まだ確認を行っていないが、
それぞれ単独の要素についてはこれまでに考えてきた詳細の通りであるので、
自身にとっては参考となるはずである。

今回はこの辺で。


TOPに戻る