2023/7/21
思考についての考察
今回考えた内容は以下の通り。
思考の後の評価:
固有の思考について:
自分が持つ思考パターン:
思考の解明:
思考空間の存在:
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思考の後の評価:
何かを考え選択した後に、実際に起こった出来事と比較して、
上手くいったとか、上手くいかなかったと感じる評価は、
なぜ生じるのか?
そして、その評価は何が元になって決められているのか?
通常の刺激の認識で行われる価値の評価は、
その刺激の認識にだけ関わるものであり、
思考の選択などの基準となる評価とは異なるものである。
つまり、感覚器官から受容した刺激の認識においては、
刺激の価値評価は価値の定義からもたらされるものであり、
その刺激の認識が行われるかどうかについての評価基準となる。
思考で用いられる何らかの基準は、
今回の思考で用いられる評価については、
結果的に認識に至るものであるが、
それは思考の過程において目的と結果の関連として想起された刺激に対しての価値であり、
この価値というものは想起された刺激としては既に決まっているものであり、
関連としては思考した対象として価値があるかどうかという、
他の想起された刺激との比較の中で、どれだけもっともらしい関連を持つかという評価基準の結果として、
その価値・意味が設定される。
そして、その結果については、思考して予測された結果と、実際に起こった結果の適合した程度によって、
つまり、どれだけ思考した結果と同じであったか、違いがあったかなかったかという差の有無と程度について、
その評価が行われることになり、
それは、自分がその適合具合に対して、好ましいと感じるか、
そうでないかによって評価に違いが生じる事になる。
そして、それは経験として記憶されることになる。
この思考の後の評価については実際の結果を認識した直後においては主観的に評価が行われる。
つまり、思考により想起した結果ではなく、実際に直面した刺激として結果を認識するため、
実際の結果の認識においては主観的であるしかない。
予期した結果通りであったとしても、直面した刺激に対しては刺激の認識として受容する事になる。
その後の結果の想起においては、客観的な見方もできるようになる。
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固有の思考について:
思考は想起による知能の働きの1つであると考えた。
つまり、これまでに認識した事の無い事象について、
想起を用いて、既存の刺激から、
仮想的にその対象を手持ちの刺激を関連させて作り出し、
認識できる対象とする事である。
例えば、何かの物体に4つのタイヤを付けて、車のようなものを作り出す事を考えたとする。
私は、最初に長方形の四角い箱のような物体に4つのタイヤを付けてみた形を想像し、
その次にその箱を猫の頭と体を持つ形状に置き換えたり、
スイカで置き換えたりした。
この場合、自分が記憶している何でもよいが、
何かしら形の決まったものであればタイヤをつけたイメージが想像できた。
ただ、この思考の際中に、私が持つ記憶の中で、タイヤがつけられない対象の想像も行われた。
最初は水、そして空気、水は形状が決まらないのでタイヤもつけられず、
空気もその対象の境界が決められないのでタイヤを付けた像は想像はしたが思考の答えとはならなかった。
しかし、次の瞬間に、水を氷にしたらとか、
水を風船に入れてみたらとか、空気も圧縮して高圧にして固体化すればなどとも考えた。
つまり、ある思考において、その対象が持つ要素・定義によっては、
最初から思考における想起の対象になりづらい対象もあるという事が分かる。
つまり、思考には、その思考する内容によって、
想起される対象に、制約、制限、そして優先度などがあり、
それは思考の際の想起対象の選定において、
関連以外の要素として追加される必要性があるという事になる。
先の例で言えば、タイヤを付ける対象として、
最初から水や空気は想起対象になり得ない、なりづらいという事になる。
この考え方であれば、知能が何かを思考する際には、
その知能が持つ記憶の中に在って、
通常は、その思考に関連がある対象は想起の対象となり、
関連を持たない対象は想起の対象にならないという事になる。
そして、さらに考えられるのは、
その関連を持っていたとしても想起されやすい対象と、
想起されにくい対象があるという事。
また、関連を持っていなかったとしても、
想起対象にする可能性も持つという事になる。
これは、その知能が持つ特性によるという考え方となる。
つまり、
この特性、その知能を保持する個体の特性という事もできる。
思考のパターンや、性格、対象に対する想起しやすさの刺激の強化度合いなど、
その知能の特性として各個に固有のパターンが存在する事になる。
つまり、知能毎にその思考方法が固有であるという考え方ができる事になる。
まあ、普通に考えれば、
知能を持つ個体が異なれば、当然その知能も違うものであると言えるわけだが、
改めてその理由として、個体固有の知能の定義が影響していると再認識したという事になる。
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自分が持つ思考パターン:
自分が持つ思考パターンは、自分が持つ思考のしやすさのパターンである。
とも言える。
ある状態、ある状況に在った場合に、自分が考えやすいパターンは、
自分が想起しやすいパターンのある対象を想起するという事でもある。
つまり、思考自体は、ある目的の結果を得る事について欲した時に、
その目的と結果を想起した対象で関連付けるという事であるが、
それを実行する自分の知能は、自分が持っているだけの想起の対象しかなく、
その関連付けにおいても、自分が持っている関連しか存在しないわけであるから、
その思考による関連付けというものは、
常に自分らしくなるという事になる。
つまり、自分が持つ素材が自分だけのものであるから、
そこから作り出される何事も、自分らしくなるという事である。
つまり、知能毎にパターンが存在し、
これは知能毎に共通するものではないという事になる。
ただし、知能毎においても、共通する後天的な学習できる客観的な定義によっては、
共通化できる対象も存在する。
例えば、1秒の定義であるとか、四則演算であるとか、
同様の機能を持つ知能毎で共通の定義を共有する事で得た定義によっては、
共通化される対象も存在できる事になる。
しかし、これについても完全ではなく、あくまで限られた環境や状態において、
という条件付きとなる。
それは1+1=2であると定義しても、
例えば、一人と一人が合わさって二人になるのでなく、
一人と一人が合わされば何倍もの力を発揮するというような解釈をされることもあるという事である。
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思考の解明:
思考とは、思考した後の姿が自分にとって良い物になると
期待した姿として想起する事。
そして、実際に起こった現実と比較して、
その結果を経験として記憶する。
つまり、
「思考とは、自分の目的となった欲求に対し、
自分にとって最も都合の良い結果になるように、
その過程・方法を、
自分のこれまでに経験し、記憶してきた事象を関連付けて
想起し、認識する事。」
このことによって、自分は知能で思考したと感じ、
再び思考したり、実際に行動を起こしたりする。
つまり、簡単に言うと、
思考するということは、思考する必要のある自分が成したい何かについて、
到達する方法を経験の中から選りすぐって思い出そうとする事、
という事になる。
さらに簡単に言うと、
思考というものは、自分のしたい事を思い出す事。
という事になる。
ちょっと簡単過ぎたなら言い換えると、
思考というものは、自分のしたい事を意識的に思い出す事。
つまり、(意識的に思い出す事)=(連続した認識として思い出し続ける事)
という事になる。
例えば、何かの数学の計算問題があった場合。
その計算の回答を得る事を目的として思考した場合、
その解法を記憶の中から思い出す事、似たような計算の経験を思い出す事、
公式を思い出す事、公式に数値を置いた式を思い出す事、
こういった対象を次々と連続して想起して、認識する事が、
思考であるという事になる。
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思考の空間の存在:
以前、292:思考の種類と感覚の関係で、
思考は各刺激で行えるという事について書いたことがあった。
そして、
思考の際に、その思考する対象を想起する空間が必要であるということもかなり前に考えた事があった。
これは以前、認識対象を仮想空間上に再構成する必要があるという事を書いた内容であるが、
それは今回の思考において「想起される」という事に関して、
その想起における認識が、この仮想空間で繋がるという事になる。
つまり、思考しながら想起される対象が、この仮想空間内で
再構成されるというわけである。
人間の知能において、何かを考えている際、思考している際に、
その思考している対処が、イメージとして認識されている、見えている、感じられている、
というわけである。
これは、私も思考中にそのイメージが認識されているのは感じられる。
つまり、思考中の認識として、その対象は刺激の関連により、
認識に耐えうる形の刺激として、想起されて、存在しているという事になる。
また、
上記の物体とタイヤの例であるような、
箱にタイヤが付いて、というような関連の想起においては、
仮想空間内で四角い箱が想起され、タイヤが付くという関連の想起において、
どこにタイヤが付くかというと、ほとんどの人は自動車のような箱の四隅にタイヤが付いた姿を
想像することになるはずである。
これは、「タイヤ」と「タイヤが付いた」という要素の関連の定義が、
物体の四隅という限定、制限を定義として持っているということの表れとなり、
タイヤを想起した時点で自動的に物体との関連において、その場所が勝手に、自動的に決まっている事になる。
他に例えば、
赤い車を想起して、タイヤや窓ガラスまで赤い車を想起する事はほとんどないが、
芸術家に赤い車をイメージして絵を描いてもらったら、もしかしたら想像と違う赤い車が描かれるかもしれない、
これは、芸術性を意識的に適用して普通でない定義や認識を適用したか、
単にその芸術家の赤い車に対する定義や認識が一般的ではないのかもしれないが、
そこに現れる思考による想起対象は、その知能内においては再構成された後に出力されたと考えられる事になる。
これは、人間の知能においては誰であっても同じ様に再構成されていると考えられる。
つまり、
実際に脳内に空間があるわけではないが、
想起された刺激が、その再構成において、認識対象になるために、
実際に形となるための刺激の励起と定義の適用、そして、刺激としての存在が確定する事と、
再構成中の刺激同士の関連は、その関連する定義や要素によって、
想起された時点で自動的に関連付けられた結果としての刺激として再構成されている事が、
言えるという事になる。
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今回はこの辺で。
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