2023/7/4-2023/7/9
慣れと新しい刺激
新しい刺激、新しい認識対象には興味がわく。
興味がある=高い価値が期待される
であり、興味がわくというのは、この対象を新しい認識として扱う事、
つまり価値を期待する事となる。
新しいからといって必ずしも興味がわいて高い価値が設定されるわけではない。
自身が持つ刺激に対する定義が参照されて、その定義によって、
自身にとっての高い価値が設定される場合があるかもしれない、という事になる。
通常、
対象に高い価値が設定される場合は、
自身が持つ定義において、その対象が持つ要素に、
高い価値の定義がなされている場合である。
新しい認識対象は、
既存の既に経験した事のある刺激よりも強い刺激(=高い価値)を持つと知能に受けとられやすい。
実際には強い刺激を受けたように知能が処理することになるのだが、
これは、知能がその対象に対して新たな定義、新たな価値を設定する必要に迫られているという事になる。
新しい認識対象には、定義と価値設定は存在していないからである。
また、
既存の既に経験した事のある刺激は、
記憶として強化されていて、強い刺激として認識されやすい刺激ではあるが、
この刺激の認識には「慣れ」が存在する事になる。
つまり、慣れた刺激は、強い刺激になり認識もされやすいが、価値設定が低いという事になる。
では、「慣れ」とは一体何なのか?
そして、新しい刺激に高い価値が設定されやすいというのはどういう事か?
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「慣れ」その対象が認識されやすい刺激であるという事は分かっている。
すでに経験として刺激は認識されており、定義とその価値設定が済んでいるという事である。
それに対して、新しい刺激は、未だ認識された事が無く、
刺激としての定義も未定義、価値の設定も評価も行われていない。
未定義の刺激に対しては、
既存の定義や価値を用いることが出来ないため、
知能が新しい刺激に対して強く反応する。
強く反応せざるを得ない。
つまり、よく分からない刺激に対して、反応、適応するには、
知能の機能を強く働かせて、その刺激を認識し、情報を得て理解し、対処しなくてはならない。
ここで新しい刺激に対しては2つの反応が起こる。
1つ目は興味を持って高い価値を設定しようとする「肯定ルート」つまり興味を持って知りたくなる場合。
2つ目は興味を持たないか、最初から諦める場合や、
定義の参照や価値の設定ができない事による理解ができない事による「拒否ルート」つまり拒絶する場合。
拒否ルートをメインにして考えてみる。
新たな刺激に対して興味がわかない、能力的に理解する事ができない、
又は、その刺激を受け入れる事ができない状況にある、諦めざるを得ない場合である。
新しい刺激であれば、知能にとって興味があるのは当然である。
知能は対象への定義をすることを働きとしていると以前考えた事があったが、
それであるのに新しい刺激に対して拒否、拒絶するというのはどういう事か。
拒否の定義として考える事もできるが、
これは自分の定義において、その新しい刺激に対する定義が、
本当はすでに出来ているという事になる。
実際は、直接的な定義は保有してはいないのだが、
自分の定義の中に、その新しい定義に関連する定義を既に持っている事になる。
例えば、私が家で暇を持て余していたとして、
急にセレブな人たちが集まるパーティに突然招待されたとする。
この招待されたという状況に対する刺激や認識について考える。
その事自体に関して何ら関連した既存の定義を持っていなかったとしたら、
私はそのパーティに普通に出席するかもしれない。
なぜなら特に断る理由が無いからである。
恐らく何の知識も持ち合わせていなければ、
興味だけで出席する事になるだろう。
しかし、実際は、現実に起こりえない事は別にしても、
自らの定義において、まず最初にセレブでもない自分が、
セレブの集まりに出席するなんてという、場違い感や、
身なりや礼儀作法も分からないので恥ずかしい思いをするかもしれないという考えや、
そのような場で何を話題にして話したら良いのかという事も分からない、
単純に他に知っている人もいないパーティに自分ひとり出席するのも嫌だ、
などの否定する理由、定義は様々存在し、それを認識する事になる。
とはいえ、
一方で、好奇心として単にセレブな人たちの世界を知るという興味はある、
もしかしたら話の合う人もいるかもしれないし、セレブな友人ができるかもしれない、
何か食べた事の無い美味しい食事が提供されているかもしれない、
というような肯定的な定義も持ち合わせ、それも認識している。
しかし、
総合的に自分は絶対に出席はしない、という対応をすることになるだろう。
つまり、経験した事の無い刺激であり、興味はあるけれど、
最初からその刺激の経験や認識を拒否するという選択となる。
この決定、つまり、価値設定は、その刺激がこれまで
経験した事の無い新しい刺激であっても、
自ら持つ、その刺激に関連する別の定義の参照によって、
経験より先に定義と価値設定が行われている事になる。
上記の例で言えば、否定的な意見の部分である。
つまり、経験した事もないのに、定義や価値設定を
行うことが出来て、その対象を選択しないという
価値が低いという評価が出来ている事になる。
これは、一方で、慣れの対応とも似ている事になる。
経験する前の、
最初からある対象について低い価値設定をする事と、
経験を繰り返す事で、
ある対象について低い価値設定をする事。
そして、その反対の働きは、
最初から何だかよく分からない対象の刺激を価値設定する事と、
経験した事の無い価値設定のできない新しい刺激を経験し、
価値設定をする事、という事になる。
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刺激が高い価値を持つという事は、
新しい刺激であれば、
自分の定義において、対象の刺激が未経験であり、
その対象への定義をまだ持たない場合で、
新たに定義、価値の設定を行う事であり、
経験したことのある刺激であれば、
自分の定義において、すでに経験した事のある刺激であって、
定義を持っているが、
その定義がその刺激に対して高い価値設定が行われる事、という事になる。
逆に、ある刺激が低い価値を持つという事は、
新しい刺激であれば、
自らの定義において対象の刺激が未経験であり、
その対象についての定義をまだ持たない場合であっても、
自ら持つ既存の定義が、その刺激に対する要素が関連していて、
その定義によって、刺激の定義、価値の設定が先に行われる場合と、
経験したことのある刺激であれば、
自らの定義において、すでに経験した事のある刺激であって、
定義を持っていて、その定義がその刺激に対して低い価値設定が
行われる事、という事になる。
そして、この低い価値設定の事項が「慣れ」という事になる。
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経験した事もないのに「慣れ」というのは、おかしくないか?と
思うかもしれないが、
「慣れ」自体は、知能の機能において効果的な働きとなる。
つまり、脳の不必要な働きを減らして、効率的な知能活動を行う事と、
予測や予防といった、まだ経験した事の無い、
未知に対する脳の予備知能活動をする事で、
未知でありながら、既に経験した事のある刺激であるように認識できるようになるという事である。
(これも「慣れ」の適用だと考えられる)
それは、大雑把な認識として認識の速度にも関わる。
(ただし、予測が間違っている場合もある)
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つまり、
慣れというものは、
認識対象について定義や価値設定の記憶がある。
慣れた対象を、
改めて認識した場合には、その定義などを直接利用することが出来る。
上記の例では、
未経験の刺激であるのだが、
既存の定義、価値設定を利用して、
認識まで至っている。
つまり、慣れてはいないのだが、
慣れと同様の手順で認識に至っているという事になる。
若干、慣れた刺激よりは、葛藤なども含めてその価値設定、判断には手間をかけている。
また、完全に新しい刺激であれば、
その認識の為の定義や、価値設定はまったく経験の中に存在しないので、
状況の把握や、情報の収集、既存の手持ちの定義や価値に関する記憶を用いて、
新たな定義、価値設定を行う事になる。
つまり、何らかの認識に対しては、
慣れている。
慣れていないが経験で対応できる。
慣れていなくて経験で対応できず、新規の対応が必要となる。
というような違いが存在する事になる。
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新しい刺激は確かに興味がわき、価値の高い対象や刺激として
捉える事もできるが、
しかし、
自然界においては新しい対象や刺激への興味は、必ずしも良い物とは限らない。
経験した事の無い捕食者などの外敵や、
不用意な毒、怪我、飢えや渇きなどの生命への危機にもなりうる。
そして、新たな刺激の認識には時間がかかるという事が問題になる。
つまり、咄嗟(とっさ)の反応が取りづらいという事になる。
であればと、経験した事もないのに、あたかも経験した事があるかのように
素早く認識できるようにする機能として、予測や予想が生じた事になる。
これは、つまり、「慣れ」と同様の機能を使う事になる。
つまり、慣れがある対象の刺激に対して、定義や価値の設定を
繰り返し行い、その速度を得る事と同様に、
経験した事の無い刺激に対して、無理やりであり、間違う事があるかもしれないが、
既存の保有する定義や価値設定を用いて実際に処理を行い、
先に慣れておこうという事が、予測や予想である、という事になる。
つまり、
「慣れ」というのは、自然界における危険や危機に対する効率的な対応であり、
予測や予想は慣れと同様の機能でありながら別の定義を持つ機能、という事になる。
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予測や予想は思考や想起にも関係する事になる。
つまり、ある課題、目的と結果に対しての関連として、
慣れの場合は経験から自動的にその関連が想起されることになり、
予想や予測の場合は、思考によりその関連の想起を繰り返し試行する事になる。
それでも、新たな定義や価値設定よりは早いという事になる。
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人間は、その行動原理として、
自らの目的や目標というものを掲げて活動するが、
本来それらは自然界に存在しているものではない。
自分の定義を含め、自らが価値ある目的や目標というものは、
後天的に得た価値であり、価値の定義である。
それらは、自らの定義によって、価値ある対象であり、価値ある刺激でもある。
だが、後天的な定義や価値には可塑性があり、
その定義次第では慣れてしまう事もあるし、
新たに定義しなおす事で、その価値は高くも低くも可変する事になる。
現在、人間において何かに慣れてしまう事は、
あまり良い事でないと考えられがちだが、
本来は未知の危機に備える形で、
先に危険に慣れておくために必要な機能だったと考えられる。
一度読んだことのある本が、二度目に読んだ時つまらなく感じる。
一度遊んだことのなるゲームが、二度目に遊んだ時につまらなく感じる。
これは、慣れる機能を持つ知能、脳にとっては仕方のない事であるが、
人間の知能における慣れは、その事によって
また別の新たな未知の刺激を正確に素早く定義、価値設定が
できる事になるかもしれない、という事でもある。
だから、
何かを知り尽くしてつまらないと思う様になったとしても、
それは経験として、また新たな刺激について知ろうとするなら、
今度はその新たな刺激の認識についての役に立つ経験になるという事である。
それは、同じ分野の新たな見方や一面であっても、
まったく関係のない分野であっても良い。
自らの定義において慣れてしまい価値が低くなってしまったとしても、
自らの定義は後天的であり、可塑性を持つという事を思い出せば、
慣れの中にも、新しい刺激さえも見つけ出せるはずである。
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多くを経験し、多くの刺激に慣れてしまった状況。
つまり、年を重ね、多くの経験を経た人間の知能において、
新しい刺激というもの、その興味というものは感じづらくなるという事になる。
完全に未知な刺激であれば、年齢や経験など関係なく、
新しい刺激、その興味がわくという事になるが、
何かに似た刺激程度であれば、多くの経験によって、
何らかの関連した刺激、経験を記憶している事になる。
すると、知能は効率的に定義と価値設定を行い、
刺激も強く、認識はされるが、価値の評価は低いという扱いになる事が多くなるというわけである。
それが知能にとっての良い事、悪い事、という分類はできないが、
新しい刺激に対しても慣れていくというのは、
知能としては、成長として扱うべきなのだろう。
つまり、「慣れ」というものは、
数多くの刺激の認識の経験によって、
再度同じ刺激の認識を必要とした時に、
出来るだけ効率的に、効果的に刺激の認識が行えるような状態の事を言う。
「新しい刺激」は、
多くの経験をするまでは、
その定義、価値の設定が新規に行われ、
新鮮ではあるが、時間のかかる認識が行われる。
そして、
ある程度の経験をした後は、
「慣れ」と同様に、既存の経験された定義、価値の設定を利用し、
正確さのブレをある程度許容し、速度を優先して認識をする事になる。
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新しい刺激
↑
慣れ・低い:
定義:新規作成
価値設定:新規作成
認識速度:遅い
予測・予想:
定義:関連した既存の定義を利用
価値設定:関連した既存の価値設定を利用
認識速度:やや早い
慣れ・高い:
定義:既存の定義を利用
価値設定:既存の価値設定を利用
認識速度:早い
↓
慣れた刺激
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今回の内容を人工知能に生かすとしたら、
普通に危機管理や危機への予測、予想に用いることになると考えられるが、
予測や予想の派生機能である創造にも使える事になるだろう。
人工知能は、人間の知能に比べて、
刺激に対する定義や価値設定、価値評価を得る頻度や速度が高い事になるので、
どのような対象にも慣れや飽きが来るのが早い事になる。
そこで一見関係のない刺激同士の要素を関連付ける試みを機能として持たせれば、
人工知能にとっての知的な創造的な遊びとして機能させることができ、
さらに、その遊びで得られた関連付けを活用することによって、
より多くの創造性を持たせる事ができるようになるのではないかと考えられる。
295の考え方を適用するなら、
想像として、自分が今と異なる性格、人格、自我であったなら、
この対象について、どのように考えるだろうか?という事を自らの経験として
自ら作り出すという事になる。
今回はこの辺で。
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