2023/7/3-2023/7/7
人工知能の創造性に必要なもの
現在の一般的な考え方によると、
人工知能による創造は、人間が行う創造とは異なるもので、
その創造物はオリジナリティ(独創性)を認められていない。
今回の新たな気づきでは、
個性から生じる創造が創造性であるという事。
つまり、創造には、その創造主の定義が含まれる必要があるという事。
現在の人工知能は学習するデータこそ、多種多様であるが、
その計算方法が共通化されているため、
つまり、同じ人工知能を使うために、
入力されるデータの制限により、出力されるデータに対しても制限が生じることになる。
これは、1個体としての知能としては、
学習したデータに対して、1つの個性としての出力データとして十分オリジナリティがあると考える事ができるが、
その人工知能を、その他の個性が利用して出力データを得ようとした場合、
それらの出力データに共通する人工知能の共通する個性のために、
出力されたデータの個々同士には共通したオリジナリティしか存在しないことになる。
これは、利用した人工知能が共通であり、各個が個性的でない為に、
その創作物のそれぞれに対してオリジナリティが生じないという事になる。
であれば、人間においては、その学習するデータに対しても制限があり、出力されるデータにも制限があるが、
その個性の種類に制限がない為に、その創作物にオリジナリティが発生するのであれば、
人工知能のデータの計算方法に対して、個性に代わる個別の能力を与えることが出来れば、
その人工知能は、他の人工知能に対して個性的である出力ができると考えることが出来、
その出力データにも創作物としての個性が含まれると考える事ができるのではないか。
つまり、創造性には個性が必要になるという事になる。
現在の人工知能はその出力データの数においては人間が創造するよりも、
早く、数多く出力することが出来る。
しかし、その出力データを見比べると、学習データの多様性により、
どれ1つとして同じ出力データは存在しないが、
どれも似たような構成の出力データとなる。
人間が、ある対象を想像するのに、キーワードとして、
「一般的なリンゴの画像」という情報を与えられたとする。
それぞれの人間が想像する「一般的なリンゴの画像」は、
各人が過去に認識し、その要素を記憶しているリンゴであり、
その想像された「一般的なリンゴの画像」は誰一人として同じリンゴにはならない。
似たようなリンゴの画像も多くあるかもしれないが、まったく同じになることはない。
そればかりか、特徴的なリンゴの画像の中に特定の個人の姿を垣間見ることができることさえある。
しかし、現在の人工知能はどうか。
学習データが多様であったとしても、その出力データがどれ一つとして同じ姿でなかったとしても、
どこか同じ誰かが描いたような規則性がそこに見える事になる。
それは、学習データが同じとか出力データに揺らぎが現れるかどうかという事ではなく、
出力しようとしている知能が同じであるから、
そこに用いた知能だけのオリジナリティしか感じられないという事になる。
人間の認識はそれほど正確ではないが、
認識し記憶するために、刺激の中から特徴的な要素を素早く抜き出す感覚には優れている。
今の人工知能の出力データの中に、
何となく同じ人が違うパターンで描いたような要素を感じ取ることが出来てしまうのである。
まあ正確に言うと、人間が生存する世界に存在する刺激が人間が認識しやすいように、
人間が持つ知能が自らが判別しやすいような定義を行って、
その定義によって世界の刺激を人間の知能向きに構築しているために、
自ずと刺激から要素が取り出しやすいように出来ているからとも言えるのだが、
つまり、人工知能も人間が自ら人間向きに作っているために、
その人工知能が持ちえる要素が人間が持つ定義から離れていないという事になる。
つまり、人工知能がまだ弱く、認識にしても出力にしても規則性あるパターンから抜け出せていないという事になる。
人間はある規則性に従ったとしても、規則性の認識に個体差の差が生じるために、
そもそもの学習データの受け取り方に違いが生じる。
まったく同じ学習データであってもである。
251:「知能の個体差が生じる理由」で考えた
刺激の入力において、生体であるが故の刺激の受容能力の個体差によって、
同じ刺激であっても、それぞれの知能が認識する刺激には差が生じるという事である。
つまり、人間の知能は、まったく同じ対象のデータを学習したはずが、
その学習の時点で各個に差異の存在するデータを学習しているのである。
それは個体差に起因して、そこから構成される個性にも当然違いが生じる。
もちろん、その個性を持つ知能が、思考し、計算し、
何らかの出力をする場合、その出力する能力にさえも個体ががあるため、
その作品には個体差が生じ、それはつまり、個性が含まれる事になる。
つまり、人間の知能における個性というものは、もともと存在するわけではなく、
個体差による学習データの認識の差異、
個体差による知能が持つ定義と価値の差異、
個体差を持つ表現能力の差異によって、
そこから構成される出力には最初から多くの差異が含まれ、
さらに、個体が置かれた世界、環境や状況によって、その学習データ自体が持つ定義や価値も異なる事によって、
あらゆる差異がまとめられたものが、ようやく個性として存在する事になる。
あなたの思うリンゴの姿は大きさも色も形も、
私の思うリンゴの姿と異なる事だろうということは見なくても分かる事になる。
別のパターンのリンゴを思い浮かべてもらっても、その姿は異なるだろう。
しかし、あなたの思う多くのパターンのリンゴの姿は、どれもあなたらしいリンゴの姿だろうと思われる。
もちろん、私の思う多くのパターンのリンゴの姿も、どれも私が考えそうなリンゴの姿になっているはず。
そして、
今の人工知能が出力しそうなリンゴの姿はそのキーワードにより何となく想像がつく。
何度別のパターンを出力したとしてもである。
それは、
それぞれの個体が1つの個性を持っているからであり、逆に1つの個性しか持たないために、
その出力の間には個性から生じる関係性を持つ事になる。
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新たな事を考え出す能力が創造力であるとして、
ではその創造力自体が持つ要素についての創造性について考えると、
「創造性には必ず個性が含まれる。」
という事がまず言えるようである。
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つまり、人工知能の多様性として、キーワードによる出力の多様性を持たせるだけでなく、
人工知能自体の創造性に関わる部分に対して個性に当たる定義を変化させる手段を与えれば、
今よりもう一段階、創造性ある人工知能に進める事ができるようになるはずである。
それは、過去から現在に渡る人間の経験として、
人間の最たる才能や個性を人工知能に学習データとして与えるのではなく、
最初は仕方がないが、人間がこれまで経験してきた表現手法を分析、理解しなおし、定義して、
人工知能に学習させ、それらの複数を関連させ、それらを一定量で収束した所で、特定の表現手法とし、
出力の計算に用いる事にする。
最終的には学習方法と出力方法にまで個体差を影響させ、
知能に当たる部分において、その知能が自ら価値ありと思考した表現手法まで創造させれば、
人工知能の各個においても個性ある創造性を持たせることができると考えられる。
今回はこの辺で。
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