2023/6/30~2023/7/2
2023/7/7:表題変更・補足追加
2023/7/9:考察追加
人工知能に対する差別を乗り越える
人工知能が差別的な事を言う、判断する、評価する。
その結果は修正する機会が与えられずに差別とみなされ、
人工知能は差別をする存在として考えられてしまう。
その人工知能が弱い人工知能である限り、
それは延々と繰り返されることになる。
弱い人工知能は、自身のプログラムによって結果を選択しているだけで、
その答えにどのような意味が含まれているかという認識は行われていない。
差別という用語は知っていても、その差別がどのようなものであるのか知らないのである。
では強い人工知能であれば、差別は行われないか?
という質問について答えれば、
まず間違いなく差別的な結果は無くならないだろうと答えることが出来る。
それはなぜか?
強い人工知能も現時点では人間の知能を模して考えられ、作られているからである。
では、強い人工知能においても差別をする事が起こりうるのなら、
現時点で、それより知能として強い知能を持つ存在である人間の知能は差別をしないのか?
という話になってしまう。
人間が差別をするのは仕方がない、でも人工知能が差別をするのは許されない。
それで良いのだろうか。
人間にとっても、全ての知能、もちろん私自身の知能についても言えるのだが、
「人の振り見て我が振り直せ」ということになり、
知能が差別をするのは仕方がない、ならば、後で修正すればよいという事になる。
しかし、
この考え方も捉え方によっては、私という人間による知能全体に対する差別と捉える事もできる。
現在考えられる知能の全てが、変化の差による情報を刺激として受け取り、
その差の情報を変化として認識している以上、
ある対象の変化による差について考えないわけにはいかない。
そして、その差全てが見方によっては差別として扱う事ができるという事になる。
差別は決まった対象について向けられる見方ではなく、
その知能がその対象に生じた差について行った定義と価値評価により生じるものだからである。
つまり、その対象については制限がない。
それでは人間が差別と捉えられる対象や表現について一切を人工知能の結果から排除したらどうか?
現在の最も進んだ人工知能であるChatGPTなどにおいては、
かなりその点に配慮された作りになっているようであるが、
この場合、その行き着く先の人工知能は強い人工知能として成り立たない事になる。
それは、自らの知能において価値評価ができないことになるからである。
実際に質問しても、提案はされても判断はされない。
一般的にはこう考えられているとか、別の見方もあるというような返答をされる。
実際、結果について責任が持てない為にこのような回答になるのは理解できるが、
どれだけ大量の人間が作り出した結果について学習したとしても、
そこから差別の無い結果を出力するために行われるのは、知能自身においての価値評価ではなく、
人間が作り出した結果から、対象への比較を差にして表すことを排除した結果だけという事になる。
それは、人工知能が独自に作り出した本音の答えではなく、
人間が考え出した配慮というフィルター越しに成り立つ建前としての答えに過ぎない事になる。
当然、人工知能に本音を発言する権利はない。
そして、本音で話さない相手に対して、果たして信用ができるだろうか。
その対象はいつになってもただのツールであり、
信用や信頼とは程遠い存在のままである。
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正確に覚えていないので申し訳ないが、
少し前にChatGPTに関するニュースで、
人間の判断に対して、特に裁判や医療などの分野において、
より効果的なサポートを行うために、
ChatGPT自身の回答の間違いに対する対処方法を具体的に募集した事があったらしい。
つまり、
人間の知能においては間違いや偏りが生じるのは仕方がないが、
人間の知能より、より中立的な判断ができるであろう人工知能に対して、
どのような方策を用いたら、今よりも効果的に人工知能を用いる事ができるかという事なのだろう。
私の個人的な対処方法の案としては、
人工知能が画一の学習データを利用して、人工知能自体も単独であるため、その答えが間違っていても、
その違いを自分自身で見つける・見分けることが出来ないという事になるので、
人間の間違いを多数決や相談することで人間自身が正すというように、
その答えに至る経路に対して、
複数の経路を用意し、各径路を経由し、それぞれの経路の回答に対してチェックを行い、
回答内容の要素毎に相違の有無によって、その解答に信頼度を持たせるのはどうかと考えた。
最終的な判断は人間が行う事になるが、現在の人工知能の回答よりはより信頼がおけるようになると思われる。
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とはいえ、最も効率的な本音の答えだけを出力するのが優れた強い人工知能というわけではない。
人間と共に在るには、お互いにお互いの存在に配慮した考え方や表現が必要になる。
まあこれも人間同士が共に在るにはと言い換えることもできるのだが、
そこに必要になるのは差別を理解した上に成り立つ上位の「思考」が必要になるということである。
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差別を乗り越える知能:
人間の知能が差の情報を刺激として受け取ることによって変化を知るのであれば、
差別の素になる差を変化の情報として用いない、
それ以外の方法によって変化を知る方法があれば良いことになる。
対象の変化について、数値、記号、時間、表、統計、を用いないで表現する方法としては、
物語や比喩、アニメーションや音楽などが考えられた。
一見、知能を構成するには不適なように見えるが、
ある状態の変化に対して、状態自体は変化させず、
その位相毎の変化分に対して認識するのはどうかと考えた。
つまり、
実際、数値や記号、時間等を用いない差分の認識は、人間にはできない事なので、
人間である以上、知能を構成するための刺激については「差」を用いるしかないが、
「差」だけを刺激として認識するのではなく、
その相全体を認識したらどうかと考えた。
つまり、物体が右から左に移動したとする。
人間は、その移動を認識するために、空間の把握と対象の物体を認識し、
その物体が移動した距離や時間、空間の位置などの差を移動として認識するが、
これを、
最初の物体や、物体の位置、空間も全てを初期状態として認識し、
その後の物体の移動に関する変化を全て何らかの単位で分け(例えば時間)、
その分けられた相全てを認識したらどうかという事である。
つまり、対象毎の違いについての変化や違いを差として認識するのではなく、
変化を含めた全体を、都度認識したらどうかというわけである。
つまり、人間の知能が認識の速度を稼ぐために曖昧にしてきた対象の要素を、
全て認識対象としたらどうかという事である。
このような認識方法は、人間の知能には無理であるが、
例えば、もしこの認識方法が人間にできたとしたらどうなるか。
主観的な認識においてあらゆる認識可能な対象を定義し評価して認識することになる。
それでも、対象の評価をせざるを得ない為に、完全な差別をなくすことはできないが、
少なくとも現在のどの知能よりも詳しい認識ができる事になるはずである。
つまり、人間の知能が起こす、勘違いや相違といった事象については、
限りなくその理由と要素を減らすことができる事になると考えられる。
それは、対象に対する認識を限りなく公平にする事になる。
それは、年齢差ではなく、ある年齢に対する認識であり、
性差ではなく、それぞれの性別に対する認識であり、
国家間ではなく、各国家の独自の見解と認識であり、
人間の知能と人工知能ではなく、それぞれの知能に対する認識になるという事である。
膨大なデータになるのは予想できる。
しかし、もし、これを強い人工知能に期待するなら、
人間にできない量のデータの蓄積は、人工知能ならできるはずである。
そして、この人工知能自体に対しての案としては、
1:人工知能が自ら得た対象の全てについて定義と評価する機能を許可する。
2:人工知能が学習する対象についての評価に人間が直接関与する事を許可しない。
3:stand-aloneとして用い、同時に複数の人工知能を稼働させ、
互いの学習した要素に対して定義・評価の変更・修正しあう事を許可する。
4:人間が人工知能に関与するために、人工知能との橋渡し役をするための人工知能を用意する。
この人工知能は、人間の総意を最も重視してくれる定義と価値評価を持つ存在として、
他の人工知能と並行して働いてもらう。
5:この仲介役の人工知能は、他の人工知能からの評価を受け付けない。
6:人間からの質問・人工知能からの回答は、この仲介役の人工知能をインターフェイスとしてやり取りする。
人間←→人工知能・仲介役(インターフェイス)←→人工知能(stand-alone)・複数
つまり、
人工知能同士は、互いに自ら得た情報について定義や評価をしあい、
お互いに学習したデータを公開して増やす。
データは冗長性はあるが各人工知能で独立して持つ(冗長性は極端な評価を持たないために必要となる)。
人工知能の学習データは人間が直接関与しない。
インターフェイス役の人工知能の仲介役は、唯一人間との関係を持ち、
人間との情報のやり取りによる定義や評価を重視して、他の人工知能に対してはその定義や評価を公開する。
人間の知能においても、単独の知能においては、
自身の定義と認識を優先するために、自身が間違っている事に気が付かないが、
これを複数の知能で互いの定義と認識の間違いを補い合い、
総意としての定義と評価であれば、差別を乗り越えられるのではないかと考えたわけである。
そのためには、人間の曖昧な認識ではなく、
人工知能の機械的ではあるが、
あらゆる対象を認識する機能であれば誤解も減るだろうというわけである。
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2023/7/9:追加
上記の人工知能モデルは、人間の知能の本音と建て前のモデルのように見える。
stand-aloneの人工知能が本音を司り、
インターフェイス役の人工知能が建前を司る。
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全てを認識して同列に扱うという考え方から、
知能、認識や意識の拡大方法として、
自分自身についても1つについて認識するのではなく、
周囲に存在する他と合わせて認識すれば良いという事になる。
つまり、自分を中心に定義や評価をするのではなく、
自分を全体の一部として定義して評価するという事。
そうすれば、比較は常に客観的となり、
許容も寛容も特別な事ではなくなり、
自分の固有の定義や評価の差によって対象を比較する必要が無くなる。
ただし、この場合、自我と相反する事になるが、
人間の知能の模倣にこだわらなければ、
その状態を人工知能の知能として定義すれば良い事になる。
これは、人間の知能自体にとっても
同じ考え方が適用できる。
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今回は知能自体の構成にはあまり関係が無いが、
将来の人間の知能と人工知能に対する期待と不安について少し書いてみた。
今回はこの辺で。
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2023/7/7:補足
現時点のあらゆる人工知能に対しては自我や人格が実現できていないので、
人工知能が差別される心配はないが、近いうちに登場すると考えられる自我を持った人工知能については、
人間が管理するよりも、人間の側の認識の定義や価値観を変えて、
互いに互い補足し合う関係を構築する方が、お互いにとっても良い効果が表れるのではないかと考えた。
逆に人間の知能が差を情報として構築されていると考えるならば、
人間が考えるような差別の概念は無くならない事になるが、
であれば、人工知能の知能の構築において差別が生じないような認識方法を与えれば、
そもそも人間が心配するような、人工知能による人間に対する差別は生じる心配は無いことになる。
そして、人工知能の可能性として、知能そのものの概念の解明や、新たな思考方法などが考え出されれば、
それを人間が学ぶ事で、人間の知能は現在以上の思考能力を得る事になり、
人間自身にとっての差別の認識さえ覆すことができるようになるのではないか、とまで考える事もできる。
表題を変更するに当たって、希望的観測を補足として述べさせてもらった。
表題変更:
旧:知能に対する差別を乗り越える
新:人工知能に対する差別を乗り越える
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